あおみ労務事務所
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随想     
「晴耕雨読」という言葉を、今しみじみ味わっています。
「晴れた日には畑を耕し、雨の日には読書する」すこぶる人間らしい気がします。
宮澤賢治が「雨ニモマケズ 風ニモマケズ・・・」と手帳に記したように、このページでは、心に浮かぶままの考え・感想や日常での出来事、変わりゆく景色などを、詩やエッセイなどの形で、気軽に綴っていきます。
2021.06.13(Sun)
しっぽ振ることしかできぬ恐妻家

雨の中、車を走らせる。
行先は碧南市と武豊町の釣りスポット。

へきなん釣り広場は雨の中でもいっぱいの人出。
他に行く所はないのか、他にやることはないのかと心配する。

それほどの釣り好きが集結すれば、雨も小降りになるというもの。
帽子を被る程度で十分に戦える。

釣果は、サッパ、アジ、サバの他にカサゴ、ギマ、コノシロも見られた。
武豊町でもほぼ同じ。

タコ狙いの釣り人がいたが、こちらはボーズ。
シシャモを餌にしていたが、上手くいかないようだった。


昨日は、高浜川柳会の定例句会日。
緊急事態宣言発令中にもかかわらず、全メンバー出席。

三密対策は、手洗い、うがい、消毒、換気、ソーシャルディスタンスと万全。
私を除いて、メンバーのワクチン接種は一回目が終了している。

コロナ禍を笑って語れる日が来るまで、もう少しだ。
あと半年、青空の下でゆっくり伸びのできる日が来れば・・・・

句会の中で二つの慶事を祝った。
一つは、愛川協の令和二年度の最優秀句に古橋文子さんの句が選出されたこと。 ↓
 
バイク音ことりと朝を置いて行く

二つ目は、「すずむし」全国誌上川柳大会で、山口清和さんの句が大賞に決定されたこと。 ↓
3,098句の中の大賞は、やはり凄い!

愛情が昼寝している倦怠期

いずれも努力によって勝ち得たものだ。
鳴かず飛ばずの日も多いが、継続すれば慶事はやってくる。


↓ は、恒例の前月提出の会員近詠の「推薦句と鑑賞」。

友の言う神様くれた休みだよ     羽柴悦子

同時作に「口のケガ噛めずにとんだダイエット」があり、不慮の事故で口を負傷した様子が窺える。主婦業にまで支障が出れば普通は落ち込むところだが、悦子さんの持ち前の好奇心は、この負傷さえ観察の対象にしてしまう。「神様のくれた休み」とは、何ともやさしい友の言葉。

自己管理偶には嘘もついてます     山口清和

心の管理も体の管理も生きてゆく上に欠かせない。偶には嘘をつくことで平常心を保つこともあるだろう。体だってそうで、あまりの過保護は免疫力を低下させる。深酒の後のラーメンは美味い。体に悪いと知りながら、稀にならいいだろうと麺を啜る。嘘も生きてゆく上の大切なリズムである。

まあまあの暮しの中で見る世間     都築典子

「一億総中流」と言われてから久しいが、格差の少ない日本の社会はありがたい。真面目にやれば、誰でもまあまあの暮らしを確保できる。問題は、「まあまあ」加減が人によって違うこと。その微妙な違いが面白くもあり、厄介でもあるが、見えてくる世間の色は油絵よりも水彩画の方がいい。

バーベキューぴしゃり隣の窓閉まる     古橋文子

光景が目に見える句である。「ぴしゃり」が文子さんならではの社会批評であろう。悪意のない行為も見る者の目には悪意に受け取るし、また逆の場合もある。バーベキューという楽しいひと時にも人の喜怒哀楽の風は流れる。「ぴしゃり」という隙のない言葉の力が大いなる人間模様を放つ。

落ち込んだ心を天日干しにする     杉浦康司

我が家では初夏「桑の葉」「ドクダミ」「柿の葉」を天日干しして茶の代わりにするが、人の心を天日に当てるとはどんな形だろうと想像して思わず頬が緩んだ。昔、日間賀島で見たタコの天日干しの風景。あんな形に心を干せばさぞや浮世の憂さも晴れるし、心の甘みも増してゆくだろう。



2021.06.06(Sun)
針に糸この世が少しずつ動く

日曜日だというのに、朝5時半起床、6時出発。
行先は、西尾市一色町の「三河一色 さかな村」である。

春先はこの時間帯にはまだ夜が残っていたが、夏ともなればすっかり夜明けだ。
少々の雨が気になるが、野球帽を被れば何ともない。

干物用の魚と佃煮用の貝類他をゲットして、一色の海岸を歩く。
雨のせいか釣り人の姿が見えず、沖は霞んで見える。

さて帰ろうとしたところに家族連れのワンボックスカーが止まる。
あれこれ準備して、これから釣り始めるのだろう。

「さかな村」を後にして、三ヶ根山へ。
この季節、三ヶ根スカイラインのアジサイがきれいだ。

晴れていれば、三河湾の明るい風景に手が届くところだが、今日はすべて靄の中。
それでもアジサイラインのコバルトブルーに癒された。

続いて、蒲郡市形原温泉の「あじさいの里」へ。
昼は5万株のアジサイ、夜はゲンジホタルが見られる。

昨年は、コロナ禍であじさい祭りは中止だった。
丹精込めて育てたアジサイを蕾のうちに切除したと聞いた。

今年は感染拡大防止に万全の態勢で臨み、無事、あじさい祭り開催に漕ぎ着けた。
よかった、よかったとアジサイも心の中で叫んでいるだろう。

あじさいの里から車で5分、今度は、あじさい寺として知られる本光寺(額田郡幸田町深溝)。
石畳の参道の両側にアジサイが咲き誇り、山門へと続いている。

いずれも株が大きく、背が高い。アジサイに埋もれてしまうそうだ。
新家完司さんの川柳に、「あじさいに埋もれ小さな理髪店」があったなと思い出す。

ここから国道23号線に乗り、最後は「道の駅 筆柿の里・幸田」。
年に何度も立ち寄るところだから、ホームグランドに戻ってきたような心持ち。

ツバメが相も変わらず活発に働いている。
旬のビワ、甘夏、南高梅をゲットして帰路へ。


本光寺の石畳の参道


何年か前の柳誌を眺めている。
「凛 No.60 平成27年1月1日発行(季刊)」とある。

大抵は、眠る前に数分パラパラ捲るだけだが、ぐっと読み込んでしまった。
「前号木立評」(矢本大雪)のページである。

「木立」とは同人作品欄。
矢本大雪さんが、前号の木立から気になる句を抽出したのだ。

それは単に鑑賞にとどまらず、句の評にまで及んでいる。
いやむしろ、「木立評」とすることで、句をさらによくしていくことが目的だろう。

いくつか書き写してみよう。こうした試みがどの柳誌にも望まれる。


泣きごとを言えば虚しい風を呼ぶ  小林幸夫

川柳人ならずとも、意味はしっかり伝わってくる。前半部がやや古めかしい川柳となったが、そう思わせたのは後半の受け止め方のせいだった。この場合の風は、万能薬のように見えて、劇薬だった。

野菜室の温度に私を包む  田村初江

野菜室とは、何とも新しい冷蔵庫でうらやましい。発見も含み、丁寧な表現が、物足りなさを感じさせた。「私を」が余分に見えながら実は「包む」が安易なのかもしれない。包むと感じたときに、私が安全な位置に守られていたのかも。

風葬のアンドロメダを目指す風  浜純子

風葬と言い、アンドロメダと言い、かなり冒険してくれた。このような詩的な思いに根ざした句には、言い知れない魅力が詰まっている。ただし、この句の風も少し安易であった。もちろん一番最後の風だ。風葬を吹き飛ばしてしまいそうだった。風葬が魅力的なだけに、風を重ねてはもったいない。

疲れたしアンテナ一本畳んどく  真田良子

ユーモアのよくわかる人なのだろう。後半部にそれが出ている。なのに、上五も言ってしまうから川柳は厄介だ。親切も度が過ぎるとおしゃべりになってしまう。そこが川柳らしいと言えばそれで済みそうだが、やはり文芸であってほしいとないものねだりをしてみた。

ブランコの愚痴を黙って聴いてやる  こうだひでお

擬人法の句。ブランコが何とも人間らしさを感じさせて、よくわかる。本当は友人がブランコで隣り合わせているのだろうか。それとも、自分自身の内心に耳を傾けているのか。ただ、愚痴としてしまったので、句が狭まった気がする。

満ちたりて窓際のポプリよく匂う  湯浅佳代子

幸せそうな句である。誰でも書けそうだが、幸せな句はめったに書けないものだ。それでも、上五の「満ちたりて」は、はたして書くべきだったのかと未だに疑問に思っている。「満ちたりて」という説明がなくても、幸せを感じさせるように、句は書くべきではないか。つまり、読み手が感じたいと思うことまで、作者は書いてあげてはならないと思うのだが、どうだろう。

虹は遥かに無人売り場のかぼちゃ  桑原伸吉 

抑制のよく効いた句である。しかし、なんとなくしゃべっている印象もある。冒険的だが、「無人売り場のかぼちゃ虹は遥かに」とすればどうであったか。いや、とても失礼なことをしてしまった。 



2021.05.30(Sun)
ダイコンの葉は美しい海だろう

夕刻、いつもより早めに、家人と吉浜の海岸まで散歩。
海岸縁にある多目的広場には、いくつかの若者の群。

大抵はベトナムの研修生だが、海を隔てた故郷を思いだしているのか?
夕焼けで赤く染まる海の色彩は、海岸線のある国なら共通だろう。

いくつかの若者の群を抜けて、暗くなってゆく海沿いを歩く。
今度は一人きりの若者が釣り糸を垂れている。

昨日も同じ場所で釣り糸を垂れていたが、その時はまだボーズ。
あれからウナギが二匹掛かったのだと言う。

よかった、よかった。
声を掛けた釣り人の釣果があるのはうれしいことだ。

ウナギ釣りもそろそろかと思いながらアバウト一時間の散歩は終了。
我が家のブラックベリーの花が満開の時期を迎えている。


木曜日、川柳マガジン(6月号)が届いた。
真っ先にページを捲るのは、「懸賞川柳2021」のコーナー。

全国の著名川柳作家30名による完全無記名・清記選で行う「懸賞川柳」では、大賞10万円(1句)、準賞1万円(3句)、秀作2千円(7句)、佳作千円(50句)の賞金が掛けられている。

実力者なら、大賞とはいかないまでも、佳作くらいには入るだろうと高を括るところだが、合点で賞金を得る確率は、とてつもなく低い。

今号(弥生賞)の応募総数は4568句。 入賞確率は1.33l、大賞獲得率は0.02lだ。
応募総数の多さは、人間の飽くなき夢や欲、その結晶の大きさだろう。

今号(課題・大きい)の大賞、準賞は  ↓ 


【大賞】 普通ってとても大きなことでした   石川実也子(新潟)

【準賞】 肩甲骨きっと大きな羽だった   高橋くるみ(北海道)

      戦争が終わる大きな穴あけて   板垣孝志(奈良)

     
ワクチンを待つ大衆の砂時計   堂上泰女(和歌山)


私の句は、合点での受賞には至らなかったが、選者の1人、2人から支持された  ↓
この支持を励みに、これからもチャレンジしていこう。


【天】 握手する手だ何もかも許す手だ  (鈴木かこ選)

【秀逸】 象という淋しきものがいる大地  (鎌田京子、小島蘭幸選)


川柳マガジンをさらに捲ると、「句集燦々」のページ。
松橋帆波さんが「句集を愛でる楽しみと、この一句に出合う喜び」を綴っている。

驚いた!拙句集「川柳作家ベストコレクション 柴田比呂志 ─ ふるさとの空は限定品だろう」が紹介されているではないか。 ↓ 帆波さんには、珠玉の句集のように書いていただいて感謝したい。


恩返ししそうな鶴を飼っている

「一行詩」という言葉を、強烈に印象付ける作品集である。川柳は五・七・五という私たちの刷り込みは、三分割、二拍の間を持つ短詩という印象を川柳にもたらしている。

柴田比呂志氏の作品は、この呼吸から大きく外れてはいないが、正しく「一行」の詩としての空気を凛と漂わせている。《恋をしてみな抜け殻が美しい》の絶句構成。《ふるさとを思うキリンの首に秋》の印象派的光彩。《帽子屋の角を曲がれば冬の風》の暗転、喪失、失色。

どの作品も、読者は絵画的、、時空的広がりを堪能することができるのである。柴田比呂志氏によって句が詩に変わる時、新たな地平が広がるのである。



2021.05.23(Sun)
丑年の誓いしっかり結ぶ口

一週間近く降り続いた雨が上がり、今日は上々の天気。
梅雨に入ったからといって四六時中降るわけもなく、割合からしても晴天の方が多い。

朝、半田市の石川屋へ食料品の買い出し。
ここは、肉や野菜、鮮魚が豊富で値打ちだから、家人に連れられてよく行く。

おまけに、半田市やその隣の武豊町の釣りスポットに近く、情報収集もできる。
石川屋の後は、武豊町の武豊緑地と武豊港へ釣り見物。

このところ釣り客が多くなって、うれしい限りだ。
まだ入れ食いとまではいかないが、少しずつ釣れ出したようだ。

武豊緑地では、サビキによるサバ釣りが主流で、一部はエサ釣りも見られた。
サビキの方は、サバの他にママカリ(サッパ)、エサ釣りでは、ハゼ、ゼンメといったところ。

武豊港も似たり寄ったりで、ごく稀にカサゴが掛かるようだった。
堤防の先端には、クロダイ狙いの侍たちが集結、釣果を争っていた。

午後からは、川柳きぬうらクラブの月例句会。
緊急事態宣言発令中のため、投句と連絡事項だけで散会。


「川柳きぬうら」2021年5・6月号 No.398(隔月発行)をパラパラと捲る。
「波光集」というページが目に飛び込んでくる。

「波光集」とは、毎回6人の会員が、1人7句の推薦句を抽出するコーナー。
推薦句はすべて、前号の「きぬうら抄」(会員近詠作品)から選ばれる。

今号では、私の句が5人から選ばれている(共通句があるので4句)。  ↓
推薦者の推薦コメントを読むと、どんな気持ちで推薦句と向かい合っているかが判る。

作者にとっては、ありがたいような、こそばゆいような心持ち。
だが、波光集は我が句のデキのバロメーターになる。

推薦句は、推薦者の心の襞を少なからず揺さぶった作品であるからだ。
以下は、私の句と推薦者のコメントである。


泣き虫の涙をためた水溜まり

七十路は、歳を重ねた安堵感と老いの寂しさが同居する。
後半3句は達観する心を代弁してくれる。(睦吾朗)

数えると愉快な日々も多かった

このご時世に、ほっこりと顔もゆるみ、何だか嬉しくなってくる様な句を選ばせて頂きました。
ずーっとこの感覚でいたいものです。コロナの収束と五輪の成功を待つ一人です。(市山慎紀子)

どん底という美しい日が巡る

コロナの終息は見えて来ません。私も4ヶ月病魔と対峙していますが、多分完治は期待できません。今回、春を迎える人間の営み、そして私も病気を忘れる時間が欲しくて選んでみました。少しでも活力源にさせていただきます。(伊賀武久)

ここからが勝負心の折れてから

自粛で不安な毎日の中、人としての優しさ強さを感じる句を選ばせて頂きました。(伊佐次尚美)

心穏やかな毎日を過ごしたい。そんな時、ホッとする句をいただきました。
比呂志さんの句は、忙しさを口実に川柳を忘れている私に、「活」です。(渡部美代子)


ちなみに、前号と今号の私の「きぬうら抄」10句。  ↓

【前号】

人間になりたい葦が揺れている

負け組の心ひとつが揃わない

一生に一度はいのち賭けてみる

ここからが勝負心の折れてから

割り込みもあり幸せに届かない

数えると愉快な日々も多かった

やりたい事いっぱい化石には遠い

気がつけば敗北感に酔っている

どん底という美しい日が巡る

泣き虫の涙をためた水溜まり

【今号】

すこし汚れた人生だなと思う

子のために父はいつでも共犯者

恋をして性善説がわかりだす

お仕置きですか生温い缶ビール

靴下の穴から見えてくる思想

酸欠の街で小雨に濡れている

罪ふたつ作ってお手玉にしよう

微罪さえ許さぬ雨は横なぐり

人間失格だれも一度は思うこと

肩幅くらいの欲望ならいいね



2021.05.16(Sun)
かなしみの底でも鈍牛の昼寝

東海地方も梅雨に入った。
去年より25日早く、例年に比べても三週間早い。

夕方、霧のような雨の中を吉浜の海岸まで散歩。
昨日は釣り人が8人いたが、今日はゼロ。

人気のない海岸は淋しいが、日が長くなってきたので、海の様子がよくわかる。
今日の海は、風がなく波がない。

何か得体の知れぬ魔物でもいそうな静けさである。
傘を差して歩き始めたが、途中から鬱陶しくなってきたので傘は閉じた。

このくらいの雨なら帽子だけで充分だ。
霧状の雨粒がメガネを濡らすが、Tシャツで拭けばいい。

靴がびっしょり濡れたので、久しぶりに洗おう。
こんな時しか洗う気が起きないのが、いささか情けないが・・・・


岡崎川柳研究社の発行誌「川柳おかざき 風」5月号を捲る。
巻頭には、安城市在住の神谷とみ鼓さんの川柳5句。

とみ鼓さんの句には、いつもやさしい眼差しが彩られている。
句の中にとりどりの色彩が見えるから好きだ。 ↓


川柳の種は本好き親ゆずり

花封筒だれに出しましょ句を添えて

切れそうな糸は引きよう結びよう

昔から犬も家族というわが家

春うらら他人に履かれて行った靴



巻末に 「おかざき 風」を駆け抜けた柳人たち D。
今号では、本社句会で3年ほどご一緒させてもらった西村たみ子さんを取り上げた。 ↓


「おかざき 風」を駆け抜けた柳人たち D
   西村 たみ子

たみ子さんから貰った本が私の書棚に眠っている。たみ子さんと語りたいとき、取り出してはページを捲る。『川柳作家大全集』(川柳マガジン編集部編集)と『作品鑑賞集 対話』(石森騎久夫著)。終活のためマンションを引き払う時にくれたものだが、勉強嫌いな私には今でも「もっと川柳を勉強しなさい」という叱咤に聴こえる。

鼓笛隊最前列に春の使者

自慢などしない真っ赤な唐辛子

願いから祈りへ夜はまだ明けぬ

よく弾むペンだ明日が書けそうだ

達吟家たみ子さんとの出会いは、私が本社句会に初めて出席した年(平成24年)の夏だった。その前年にご主人を亡くされ、しばらくは川柳どころではなかったが、8月句会から復帰。「今は川柳が楽しいでしょう」とやさしく声掛けしてくれたことが忘れられない。その頃の句は慈愛に満ち、読む者の心の襞をくすぐった。

もう何も言わなくていい手を包む

天は夕焼け生かされているやわらかく

霧晴れるこれでよかったこの道で

花浴びる死者も生者もみなやさし

便りをよく貰った。本社句会終了後に、自宅近くの殿橋まで車で送ったことがきっかけだった。その文面は、川柳への純粋な気持ちの吐露。「借りものではない自分の芯から発した言葉で哀しみや喜びを表現する」ことの難しさ。「最近の句は旧作の焼き直しばかりで新しい発想がない」ことへの自嘲。「あの時実新子でさえ、晩年の句に力がなかった」と、新子の句を引用しての諦めなど。

残り火に少しあなたの風が欲し

輪廻転生落葉の上に落葉積む

火と水を被った石に角はない

回り道あなたと歩いた日の夕日

ある日、「比呂志さんならどのように鑑賞しますか」とたみ子さんからの手紙。そこには、川柳大学の中心的な書き手であった高橋康夫さんの句【雨傘の黒黙黙と月曜日】が添えられていた。「連休明けの月曜日。ただでさえ憂鬱な日に雨が降っている。カラフルな傘を差せば少しは気が晴れるが、私の傘は黒色。何も語ろうとはしない。仕様がないね、こんな日もある人生は」と、初めての鑑賞文を綴ったのだった。

その後、たみ子さんは「西瓜を買うように」買ったマンションを処分して施設に入られた。今は甥御さんに引き取られ、冠句だけは続けていると風の噂に聞いた。平成27年5月号に下の5句を残して・・・

友ありて慰められて叱られて

ほのぼのと春日のような一書来る

葱刻む言葉の一つ立ち上る

もういない前も後ろも春なれど

川流れあとかたもない一生涯



2021.05.09(Sun)
天婦羅の音は踊っているのです

連休最後の日は、家人のリクエストにより碧南市の海で潮干狩り。
目的はアサリのはずだったが、現在、碧南市の海のアサリの採取はすべて禁止。

やむなく、矢作川の河口でシジミを採ることにした。
海水と淡水が混じるこの場所はシジミの宝庫。

1時間くらいで、小さなバケツの3分の1ほどを収獲。
今週は、食卓で数度、シジミ汁を楽しめるだろう。

ところで、この矢作川は、シーバス釣りの聖地であるらしい。
シジミを採っていた時も、多くの釣り人が川中に立ち込み、上半身だけ出していた。

こうした釣り方を「ウェーディング」と呼び、大げさな言い方をすれば、自然との同化。
魚に近い目線で釣りができる、最も魅力的な釣り方なのだそうだ。

釣り人の1人が60aほどのマゴチをゲット(遠目ながら形でわかる)。
シーバスだけでなく、クロダイ、キビレ、ヒラメ、マゴチなども狙えるのが矢作川河口なのである。

午後からは、俳句の会があったが、午前中のシジミとの格闘の疲れから断念。
少し仮眠をとってから、稗田川沿いの散歩。

途中、クワの葉を収穫。お茶にするためだ。
今シーズン4度目。若葉も少しずつ硬くなってきている。

クワの枝々には実がびっしり付いてきた。
まだほとんどが青いが、今月末くらいには食べられそうだ。


昨日は、高浜川柳会の定例句会日。
いつもながらの「互選句」「課題句」「近詠」の選と評。

そして、前月の会員近詠の「推薦句と鑑賞」を配布。 ↓
1年以上開催されていない川柳大会を皆、夢見ているようだった。

振り出しに何度戻るか長電話     杉浦康司

日常の風景がそのまま噺のネタや川柳の題材になることは多い。とりわけ電話に纏わる些事には心が和む。「ふるさとの雨を聞いてる電話口(柏原幻四郎)」「無言電話のむこうに月は出ているか(倉富洋子)」等を思い出す。康司さんは、電話口から漏れる母の落ちのない話を聞いているのだろう。

感染者グラフのカーブ突き刺さる     羽柴悦子

新聞を捲ると「新型コロナ全国の重傷者千二十人」「現場からは悲鳴、連休中も切迫する医療体制」「三度目の緊急事態宣言、早くも延長論」(五月一日)等の鋭い言葉。それはまるで胸を突き刺す棘のようである。バラの棘など可愛いもの。この危機をどう乗り越えるか、人知が問われている。

冬の田の案山子の影にみる野心     山口清和

「冬の田」と「案山子」では季節の違いは否めないが、そこは清和さんの一筋縄ではいかないところ。「冬の田」は人生の終末期で、「案山子」は他ならぬ清和さんそのものだろう。その案山子の「影」が野心を抱いている。現役にこだわる飽くなきファイト。ラストランはまだ遥か先のことである。

楽園かも片道切符認知症     都築典子

認知症にも三段階あって、下級ではなかなか楽園には達しない。下級の認知症者はただ黙って自分の世界に入り浸っている。中級の人は楽園に近づいてはいるが、まだまだ。上級。この階級の人は楽しい。感情だけで生きていける。世間体や羞恥心をすべて捨てて、この世を謳歌していける。

朝の足軽いぞ花見ゴーサイン     古橋文子

足の軽さ、重さは日々の生活のバロメーター。軽ければ調子がいいし、重ければ調子は悪い。いたって明快な回答を毎朝、足から貰う。さて今日は花見へ繰り出したいところだが、いつものように足からの回答を。お神籤を引くように足からはゴーサイン。「やった」と、満開の花も喜んでくれている。



2021.05.02(Sun)
伝えたいかたちで川が蛇行する

今朝は、二ヶ月ぶりに西尾市一色町の「さかな村」へ。
五時半起床、六時出発はさすがにキツイ。

早寝、早起きが習慣であればた易いことだが、遅寝、遅起きの身には堪える。
されど、家人のリクエストならば致し方ない。

というわけで、さかな村への買い出しを決行。
黄金週間のせいか、普段からこうなのか、それはそれは夥しい人出。

三十件ほどある水産物の店舗は、みるみるうちに売り切れ状態。
他の客に負けじと、鰻三本と青柳一杯とメバル、マゴチを一盛ずつゲットした。

その足で今度は、十五分足らずで行ける吉良の海岸へ。
何を狙っているのか、釣り人があまた出陣、強風に煽られながらも光り輝く海と対峙していた。

帰路は、今を盛りにしているバラを見に「憩いの農園」へ。
これまた西尾市内の住民が一斉に押し寄せたような大変な賑わいだった。


おかじょうき川柳社の発行誌「月刊おかじょうき 2021 4」を捲る。
交換誌として「きぬうら」に送られてきたものを貰ったわけだが、やはり他誌は刺激になる。

“刺激”の中身は、一言で言えば川柳感の違い、要はやろうとしていることが違う。
「創作としての川柳はどうあるべきか」「川柳の新しい価値観の創造」等々。

意識が今までなかったところに向いていると言ってもよい。
毎月、誌上句会「0番線」の入選句が発表されているが、選句、選評共に驚く。

これは、選者の前衛性によるところが大きいが、組織そのものがこれからの川柳を模索する上で必然的に選んだ選者であることは間違いない。

以下、課題「舟」の秀逸と特選、そしてその選評である。


題「舟」 藤田めぐみ 選

【秀逸】


口笛を舟はしっかり聞き分ける   愛知県 安藤なみ


(舟はいつでも待っている。さあ漕ぎ出そうというあなたの高らかな口笛を聞き分けるために)

手習いの花丸をゆく星の舟   岡山県 小林茂子

(コロナ後の新しい世界はすべてが手習いから。それら全部に花丸を。そこから未来へ続く星の舟が出る)

始まりの舟が透明帯突破   福岡県 もりともみち

(始まりの舟が卵子の膜を突破したら世界は果てしなく細胞分裂し肥大する。いいとか悪いとかそれはまた別の話)

【特選】

騙し舟はやく着きすぎてもアレだしね   岡山県 小林茂子


(騙し舟でぐるぐるしながら繰り言の時間稼ぎをしているのだ。「アレ」だとちょっぴり都合が悪いから。あれは「アレ」としか言いようがない。早く着きすぎると困るのは飲み屋か、はたまた彼岸か)


題「舟」 奈良一艘 選


【秀逸】

カンナ屑無口代々舟大工   京都府 岩根彰子


(真っ直ぐに真摯に生きてきたカンナ屑の生き様がいぶし銀のように輝る)

ラの音に乗って那由多の海をゆく   福岡県 もりともみち

(上のドから二つ下の音階のラは人生で言えばまさに後期高齢。信じられない程の数量である那由多の海を行く舟に幸あれと願う)

櫂を捨てたわ気持ちよく揺れてるわ   青森県 守田啓子

(男女のしがらみを捨てた時の心地よい解放感と、その裏に潜む少しの切なさと強がりが、言わない分響く)

【特選】

始まりの舟が透明帯突破   福岡県 もりともみち


(透明帯は卵子を包んでいる透明な殻のような層。精子はその殻を突破して受精は完了し、初めて生命は誕生する。それからの舟の行方は誰にも予想だにできないが、希望に満ちた物語だと信じたい)



2021.04.25(Sun)
そこだけが輝いている予約席

日が少しずつ長くなっている。
それもそのはず、夏至まで2ヶ月を切った。

夜の散歩時には、まだ地平線の上に明るさが残っている。
海に着く頃には、どっぷり暮れているが・・・・。

畑のイチゴが実り、初夏を思わせる陽気だ。
吉浜の海岸にも、釣り人が少しずつ増えているのがうれしい。


昨日は、今シーズン2度目のタケノコ掘り。
先日行った大高緑地公園内の竹林である。

無料開放の最終日とあって、たくさんの人出。
自然の中は三密というリスクは薄いので、やはりこういうところに人は集まるのだろう。

竹林を駆けずりまわり、夫婦で十本ほどの収穫。
小ぶりだが、実に柔らかそうなものばかり。

タケノコ掘りの後は、スコップを片手に園内を散策。
ツツジが満開になっていて、緑の葉と花の赤・白のコントラストが目を楽しませてくれた。


今日は、川柳きぬうらクラブの定例句会日。
柳友のNさんから「悩みがあるのですか?」との問い。

「きぬうら抄」に発表した近詠からそう感じたようだ。
「川柳きぬうら」No.397に掲載されている私の近詠は ↓

泣き虫の涙

人間になりたい葦が揺れている

負け組の心ひとつが揃わない

一生に一度はいのち賭けてみる

ここからが勝負心の折れてから

割り込みもあり幸せに届かない

数えると愉快な日々も多かった

やりたい事いっぱい化石には遠い

気がつけば敗北感に酔っている

どん底という美しい日が巡る

泣き虫の涙をためた水溜まり


楽観主義者の私に悩みなどないから、これらはすべて創作である。
川柳を作る場合の手法として、一度自分を谷底へ突き落してみる。

哀れな私、悲しみに染まった私を演出する。
その目線で筆を運ばせていくと、凡から脱却できるような気がしている。

そんな書きようがいいはずはないが、今はこれが短時間で句を作る手法である。
本当は、観察、考察を繰り返し、日々の発見を大切にしなければいけないのだが・・・・

今日の句会の戦績は ↓


しっぽ振ることしかできぬ恐妻家  「家」

しあわせな家庭の表札がきれい  「家」

藁の家でいい狼はもういない  「家」

罰ゲームですか樹海を彷徨って  「自由吟」

象の目の哀しみ少しだけわかる  「自由吟」

葉桜の途中経過を聞きましょう  「自由吟」



2021.04.18(Sun)
青空を編もう淋しい日のために

春の花が咲き競う季節になった。
いずれの花も例年より早咲きである。

ハナミズキやフジ、そしてモッコウバラも今を盛りとしている。
ツツジは一週間もしたら満開だろう。

花々はそうだが、気温はさほど高くない。
昨日、今日はむしろ西からの風が強く、寒かった。

花だけが季節を演出してくれる。
人は巣籠りに慣れて、穴倉から出られない状態・・・・


岡崎川柳研究社の発行誌「川柳おかざき 風」4月号が届いた。
昨年度から印刷所(旅洲社)へ印刷をお願いするようになった。

お陰で印刷は鮮明で、表紙絵に艶が出た。
今までのガリ版刷りは手作りの味こそあったが、字の滲みが欠陥だった。

それがなくなり、これからは紙面の充実に力を注ぐことができる。
これは通らなければならない道だったのだ。

「おかざき 風」を駆け抜けた柳人たち も健在。
今号では、西尾川柳会の前代表だった市川栄一さんを取り上げた。


「おかざき 風」を駆け抜けた柳人たち C   市川栄一

西尾川柳会の生みの親・市川栄一さんが亡くなってから十年が過ぎた。栄一さんは、西尾川柳会の結成と岡崎川柳研究社の主幹(当時)・會田規世児さんの句碑建立。そして句碑建立の日を第一回とする妙喜寺での風輪の会の毎年開催など大きな功績を残されている。

地元の有力企業であるドミーの専務を務められ、組織活性の術を知り尽くしていたとは言え、分派ではなく、会を新たに起こすことの至難は想像に難くない。

これら功績は、好漢栄一さんの努力と人徳の賜物だった。それだけの行動力を持つ人なら、句の熱量で圧倒されそうな気がするが、栄一さんの川柳はやさしさに溢れていた。

振り分けで重荷分け合う老いの旅

定年後妻をいちにち見て暮す

草取りのけなげな妻の背の丸さ

おはようと交わす夫婦の水くささ

栄一さんの川柳句集『年輪』の表紙絵は、歳月を凝縮した杉の年輪が裏表紙まで続いている。この年輪こそが栄一さんの生きざまである。会社、家庭、文化、地域ボランティアに心を捧げた一生だった。

定年後飼育をされて生きている

オットセイ俺に似ているこの暑さ

呑みすぎて太田胃散は親ゆずり

四捨五入老いの暮らしに向いている

特に企業人を卒業してからの活動は凄まじかった。
平原の里山づくり(蛍の里)ネイチャーセンターの創設。

「矢作古川を美しくする会」の結成。
井桁屋百貨店や吉見邸の保存運動など、書き出せば枚挙にいとまがない。

古希なれど百から見れば七分咲き

生き甲斐に良い種だけを播いている

世のために何をかせんと鞭を打つ

刃こぼれの身でも心は研ぎ澄ます

會田さんの句碑建立も市川さんの英断によるものだった。會田さんの県文化協会長就任の祝いの意味で、石は斎藤保夫さんの兄の榊原市議からの寄附の恵那石。

妙喜寺の住職は西尾川柳会会員である佐久間桂祥さん。
住職の奥さんの在所が石屋さん。下村修身さんが檀家総代。

数々の縁によって句碑建立がなされたが、句碑建立の底流には栄一さんの強い想いが流れていた。
除幕式は、平成十八年二月二十五日。

暖かい日だった。
會田さんの直筆の句「旅人に情けの深い道しるべ」が
青空の下に輝いていた。

平成二十三年四月八日、お釈迦様の生誕の日、栄一さん逝去。享年八十二歳。
市川栄一川柳句集『年輪』の発刊からわずか六か月後のことだった。

下は絶筆。

口下手な友は黙々食べるだけ

極楽と地獄の岐路で迷っている

世界地図 私の土地は針の先

私の暮らし中だが 友がよい



2021.04.11(Sun)
血が滲む伐採された木の根っこ

昨日は、早朝から大高緑地公園(名古屋市緑区大高町)へ筍掘り。
4月の土曜日だけが開園日となっていて、それも無料。

6時過ぎに出発、419号線から23号線、環状2号線を乗り継いで、アバウト40分で到着。
どこから人が来るのか、誰に聞いたのか、この早朝に駐車場は満杯。

東京ドーム数個分の竹林に数百人はいただろうか?
鍬やシャベルをフル回転させて夫婦で12個を掘り切り、脱力状態で退散。

第2土曜日午後からは、高浜川柳会の定例句会日のため、戻ってから資料作り。
筋肉痛がひどくて、ペンを持つ手に力が入らない。

それでもようやく作った資料に、もう一度目を通してから30分ほど仮眠。
脳がフル回転しなくては、的確な句の評ができないからだ。


大緑地公園の竹林


先日、岡崎川柳研究社の山下会長からうれしい知らせがあった。
愛知川柳作家協会の令和2年度の最優秀句に高浜川柳会の仲間の一句が選ばれたとのこと。 ↓

 
バイク音ことりと朝を置いて行く     古橋文子

この句に対してかつて私が書いた選評はこうだ。 ↓

新聞配達の光景だろう。朝刊を新聞受けに配る様を「朝を置く」とすることで詩になった。
夜明け前、配達人が「ことり」と朝を置く。それはまるで生みたての卵のように。
その卵はすぐに力強い朝へと変化する。

こうして、この句とともに作者の名前も愛川協の歴史に残る。
高浜川柳会として、今後どれだけの川柳を残せるか?

そんなことを念頭に会を作っていかなければならないのだろう。
↓ は、先月の推薦句と鑑賞である。

新学期黙食はまだ続きそう     古橋文子

コロナ禍の影でこの一年、飛を出さないように食べる「黙食」が習慣化された。
造語かと思って調べてみると、黙食は、修行僧の修行としての「行」であり、学校給食ではよく噛むことを目的に導入されたケースもある。まだしばらく黙食は続きそうだが、皆が笑って食せる日は必ず来るはずだ。

コップ酒口とがらせてお迎えに     杉浦康司

昭和の六大家の一人、川上三太郎の句に「天麩羅屋クライマツクスらしい音」がある。
天麩羅の今まさに揚がる音はクライマックスというのだ。
晩酌時、康司さんは一升瓶からグラスに溢れるまでなみなみと酒を注ぐのだろう。
とがらせた口で酒を出迎える時、天麩羅の音同様のクライマックス!

差出人住所切手が邪魔をする     羽柴悦子

川柳をやるようになってから、手紙を書く機会が増えた。
内容もさることながら、切手にも気を使うケースが多くなった。
記念切手の吟味や、金額の不足分をさまざまに組み合わせることが楽しい。
差出人住所欄は切手で埋め尽くされるが、封筒には余白がいっぱいあるから、住所を書くのには大丈夫。

斜陽族天の高さは同じ筈     山口清和

斜陽族は、太宰治の小説「斜陽」から生まれた流行語で、没落階級のこと。
清和さんは、栄華を極めている者であれ、没落した者であれ、生きとし生けるものの天の高さは同じと感じ取ったのだ。太陽は誰にも平等に降りそそぐ。西川僚介の俳句「まだだれの空ともならずハンモック」を思い出した。

粗食でも味覚は生きる塩加減     都築典子

確かに塩加減は料理の満足度を大きく左右する。
かつての大阪で、織田信長の命により料理を作った料理人。
出汁を利かせた上品な薄味にしたが、信長の口には合わない。
殺されかけたところ、今一度のチャンスを貰い、今度は尾張の豆味噌をベースに塩っ辛く味付け。
信長は大満足だったという。



2021.04.04(Sun)
廃線の駅もしずかに呼吸する

天気にもリズムがあるのか、日曜になると雨が降る。
これで3週連続・・・・桜も見納めである。

それでも午前中は、何とか持った。
雨が降る前に、2ヶ所の道の駅へ行った。

「道の駅・にしお岡ノ山」(西尾市小島町)と「道の駅・筆柿の里 幸田」(額田郡幸田町)。
タケノコとわらびと夏ミカンを購入、ついでに烏賊と海老のせんべいも。

この時期、早いツバメが巣作りに勤しんでいる。
その数はまだ少ないが、このひと月で巣は満席になるだろう。

颯爽と風を切ってゆく様は一服の清涼剤である。
これ以上ないような高価な絵画を思わせる。

初燕父子に友の来てゐる日   加藤楸邨


先週、2つの川柳社から柳誌が送られてきた。
いずれも1月に投句した川柳誌上大会の入選句の発表号である。

大した成績は残せてないが、柳誌の入選句はいい学びになる。
「作句はこうすべき」をカタチにしたものが発表誌と捉えればよい。

↓ は、我が入選句。


(第127回中部地区誌上川柳大会)

陽が沈む成さねばならぬこと数多   「陽」

忘れ物してきたように陽が翳る   「陽」

幸せは歯型を見ればわかります   「晒す」

酔うたびに琥珀色した海に逢う   「ふわふわ」


(卑弥呼の里誌上川柳大会)

いい人生だったと言える卵焼き   「自由吟」

洞窟の絵は永遠を知っている   「永遠」

ダイコンの葉は美しい海だろう   「葉」


投句と言えば、1ついいことがあった。
みえDE川柳の先月のお題「伝える」で天をゲットしたのだった。

 
 みえDE川柳投句コーナー  https://www.nhk.or.jp/tsu-blog/3400/

投句総数は420句。番組で発表されるのは、入選10句、そして天・地・人1句ずつ。
420句中の天のゲットは、私の実力からして奇蹟に等しい。

まあ、こんなことがあるから作句を続けているようなもの。
作品と選者(丹川修さん)評は ↓


(作品)
伝えたいかたちで川が蛇行する   「伝える」

(選評)
何とも雄大な川柳ですね。

何千年、何万年の時間を経て、大地を削り上流から土砂を運び、幾度も氾濫を繰り返し、その姿を変えながら、絶えることなく川は流れている。人の力の遠く及ばない大自然の営みがある。

そこには、我々に伝えたい何かが存在する。蛇行にもメッセージが潜む。
自然からたくさんのことを学び我々は生かされているのですね。

こうした大自然に目を向け、大きなスケールで詠まれたところが、素晴らしい。




2021.03.28(Sun)
発明の扉はちちんぷいで開く

七分、八分咲きの桜へ春の雨。
ところによっては風も強く、満開を前に散りゆく運命の桜・・・・


俳句の資料を整理していたら、ペンキ句会の2月の報告が済んでいないことに気づいた。
句会と言っても、この時世では三密を避けてのネット句会。

ネット上に参加者それぞれが3句投句。句が揃ったところで、6句選(そのうち1句特選)。
参加者14名、投句総数は42句だった。

私の提出句と得点は ↓


セーターを脱ぐと一羽の鳩が飛ぶ  (3点 特選1)

ハリポタの呪文のように春を呼ぶ 
 (1点)

三打ともファウル・フライや春愁
  (1点)


↓ は、いただいた選評です。


セーターを脱ぐと一羽の鳩が飛ぶ

面白い表現だなと。セーターは冬の季語ですが、脱いだ時の身軽な感じと鳩が飛ぶというところから春風が吹いているような情景が浮かんできた。
角度の違う切り込み方に新鮮さを覚えた。(和子)

セーターを脱着するとき、大きく腕を振ることがある。
パサリと脱いで,羽搏いて鳥になった気分かも。(しょう子)

ハリポタの呪文のように春を呼ぶ

ハリポタの呪文の表現に打たれました。ハリポタには色々な呪文がありますが、どの呪文かなと。
春という季節の到来を心待ちにしている心情を上手く詠んでいると思いました。(和子)

(三打ともファウル・フライや春愁

ワクワクとした語感に惹かれました。でも実は「春愁」という季語は苦手。ドラマチック過ぎるから。
同じ理由で「三打とも」という言い方も、もう少し平板な方が。
好みの問題ですが、その方が愁いの中身もとりとめがなさそうでよい気がします。(典子)


ちなみに私の6句選と選評は ↓

(ありますか迷路の出口鳥帰る)  木船和子

渡り鳥は北からすんなり来るように思われがちだが、そうではなくて、針の穴を探すように紆余曲折を繰り返して日本に渡ってくるのだと思う。帰ってゆく時もしかり。
迷路の出口を探すまでが一苦労なのだ。

(こうなると名古屋も遠い春寒し)  みさきたまゑ

例年なら、名鉄ハイキングやJRのウォーキングが始まる頃だ。
だが、新型ウイルス感染回避のために、人が密集する名古屋へはとても行けない。
刈谷からわずか20分で行ける地がことのほか遠い。
「春寒し」の季語がピッタリ。

(文集に見つからぬ名と囀りと) 特選  二村典子

作者は、学生時代に求愛された男子を懐かしく思っているのだ。
だが、その男子の名は文集に見つからない。
求愛の言葉まで忘れてしまったかのように。

(ぺたぺたと廊下を踏んで春淡し)  瀧村小奈生

廊下を踏んでいるのは子供たちか?
サイズの合わぬスリッパを履いて、ぺたぺた足跡をつけるように廊下を踏んでいる。
それは水彩画のような淡い足跡だ。

(白魚の出るやもしれぬ蛇口かな)  瀧村小奈生  

春になったとはいえ、蛇口から出る水はまだ冷たい。
冷たさゆえにその水が半透明な白魚に見えたのだ。

(朧夜のネット旅行は果てしなく)  木船和子

不要不急の旅はなかなかできない時世だから、ネットサーフィンならぬネット旅行。
夢見る気分で美しい景色に巡り合おうじゃないか。




2021.03.21(Sun)
自由とは何だろ糸の切れた凧

昨日は、家人と一緒に香嵐渓までドライブ。
ひと月前に、中馬のお雛さんを見に行ったばかりだが、今度はカタクリの花だ。

飯盛山の北斜面を覆い尽くすカタクリの花が見頃。
今年の開花はやや早く、三密も怖れぬ猛者たちで賑わっていた。

香嵐渓と言えば、ミツマタの花も健在。
ちょうどいい塩梅に、こちらも見頃。

星が降ったかのように山腹を埋める黄色の花々。
和紙や紙幣の原料となるミツマタの名の由来は、枝が三俣に分かれているから。

カタクリとミツマタの花を愛で、五平餅を食べただけの小さな旅。
これくらいのささやかさが、今の時世には丁度よい。


カタクリの群落


ミツマタの花


「川柳おかざき 風」の表紙絵の印象吟がまた3作溜まった。
カレンダー画は、いずれもイラストレーター・なかむらひろこさんの作品。

淡くやさしい絵の中に、人間の原風景を見せている。
なかむら作品の背景にあるのは、昭和の佇まいだろう。

1月号


虚と実の間小さな魔女は飛ぶ

一月。早い処では梅の蕾が綻んでくる。凛とした風情はとてつもなく崇高だが、子供たちはと言えば、梅の小枝を箒代わりに、魔法使いになっている。
魔法の国から人間界へお忍びでやってきた小さな魔女たちも、梅の蕾の綻びとともに天使の顔になる。


2月号


一ピース埋まらぬ春の展開図

立春は日本人の一年の生活の起点。
「ご破算で願ひましては春立てり」(森ゆみ子)が示すように、新しい気持ちで立春を迎えたいもの。
だが現実は、コロナという心配事で頭はいっぱい。足りない一ピースをどう埋めてゆくか。
間もなく梅が開花する時期である。


3月号


どこへ行っても日常に辿り着く

春になればローカル線に乗り遠出をしたいところ。日常を少し捨て去るくらいの旅でよい。
乗るのは「準急」。急行の慌ただしさはなく、鈍行のようなびっしり詰まった日常感もない。
まだ柔らかい陽光へ心を洗いにゆく。やがて小さな旅は終わり、春の電車は日常へと折り返す。



2021.03.14(Sun)
名水と言われなければ判らない

ひと冬を越したせいか、何となく疲れが溜まっている。
まだ三寒四温の途上だが、春という気分は日増しに大きくなっている。

ここいらで油断すると、とてつもなく大きなしっぺ返しが来そうだ。
油断大敵、心して掛からねば・・・・

先週、「豊橋番傘川柳会」の高柳閑雲さんの訃報を聞いた。
肝臓、心臓、腎臓の機能不全が直接の死因だが、その原因は不明。

同世代の川柳仲間が亡くなるのは悲しいことだ。
豪放磊落に見えて、その実ナイーブなやさしい心の持ち主だった。

豊橋や豊川の大会後は、よく酌み交わした。
場所はいつも豊橋駅から東1`ほどの処にある居酒屋「おかめ」。

女将は言わずと知れた「川柳カリオンの会」のご意見番・八甲田さゆりさん。
火曜日、この女将が電話をくれたのだった。


昨日は、高浜川柳会の句会日。
先月のバレンタインデーに続く、ホワイトデーとかで、頂き物でいっぱい。

私はその手の事は無精ゆえ、手ぶらで行った。
何とも情けないことだが、性分は変えられない。

↓は、先月の会員の近詠の推薦句と鑑賞。
こんなことぐらいが、私にできることである。

借り返すように寒さが押し寄せる     都築典子

「借り」は借金とも取れるが、返していない恩や恨みといった比喩的なものだろう。
だとすれば、典子さんの心に大きく占めている負担といってよい。
返せばどんなに心が軽くなることか?それほどの寒さがやってきたのである。
風の又三郎の冒頭の「どっどど どどうど・・・」を思い出した。

腹八分みれん残して箸をおく     古橋文子

腹八分目が体によいと言う。が、胃にメモリーが付いているわけではなく、どこで判るのか?
そもそも食べ始めてから満腹中枢が働くのは約二十分後。
かように腹八分目を見極める事は難しい。文子さんは長年培った勘で見事に八分目を的中する。
が、いいことは半分。未練という残り半分がある。

四コーナー後期高齢ラストラン     杉浦康司

競馬なら固唾を呑んで見守るところだが、人間の第四コーナーにドラマが潜んでいるとは思えない。
春夏秋冬の冬。寒さゆえ行動は鈍く、後ろ姿は翳りがち。
冬眠という手もあるが、ラストランは果たしたい。いっそ四コマ漫画のように落ちをつけてみよう。
まだどんでん返しがあるような気がする。

終活の手始めに伐る落葉樹     羽柴悦子

終活とは「人生の終わりについて考える活動」を略した造語。
転ばぬ先の杖ではないが、早めに準備しておくのが得策のようだ。
その手始めとして、落葉樹を伐るとはどんな心模様か?
葉が落ちる=片付けが面倒くさい、と邪推するが、面倒なことを一つずつ失くしていきたいのだろう。

焼き芋の香が離さない後ろ髪     山口清和

焼き芋であれば「香」ではなく「匂い」だと思うが、後ろ髪を引かれるほどの匂いともなれば、女の色香ほどの香に感じられたのだろう。それにしても「後ろ髪を引かれる」という体験は貴重だ。
生きている醍醐味と言ってよい。「悔い」とは一味違う体験が人生を甘酸っぱくしてくれる。




2021.03.07(Sun)
頬ずりしてあげる雪という刹那

日曜日だというのに、朝5時半起床、6時出発。
行先は、西尾市一色町の「三河一色 さかな村」である。

6時半到着。この時間であってもいっぱいの人出。
さて、何を買おうか?と迷うほどの魚たちだ。

昨日、家人から「明日、魚を買いに行きたい」というリクエスト。
それで、さかな村を思い出したわけだが、実に20年ぶり2度目の買い出し。

さかな村の中にラーメン店があったと記憶するが、ラーメンではなくうどん店だった。
記憶というものは、かように頼りないものだと悟った次第。

さかな村の開店は朝5時から8時まで。
7時を過ぎれば店は片付けに掛かる。

豊富な魚たちの中にあって4品ほどを購入。
美しい市場を後にして、まだ早朝の冷気がさわやかだった。


岡崎川柳研究社の令和3年3月号の柳誌を昨日受け取った。
「おかざき風」を駆け抜けた柳人たちBが載っている。

今号では、瀬戸澄女さんを取り上げた。
腰骨の太さは折り紙付きの魅力ある柳人だった。


「おかざき 風」を駆け抜けた柳人たちB   瀬戸澄女

一筆啓上私赤ちゃん出来ました

澄女さんと言えば、すぐにこの句を思い出す。
平成21年度の愛川協総会大会の課題「笑顔」(會田規世児選)の入選句である。

この時、澄女さんは米寿。赤子を授かるような歳ではないが、「笑顔」からの第一発想は、「懐妊」だったようだ。會田さんからその話を聞かされ、何ておちゃめな人だろうと思った。

すこやかに生きる米寿の五七五

澁十湯こんな美人になれました

匂うもの女が女ふりかえる

しかし、「おちゃめ」は多面体の中の一面。
その後、澄女さんの句を読むたびに感じたのは、その腰骨の太さ。

「嘘は言わない。人にこびない。かげぐちも言わない」が生活信条。
それを貫いた川柳人生だったと言える。

家壊す一打に尽きぬ祈り込め

しゃくり上げ喚きちらした子の寝息

思いっ切り泣いたあの日の草いきれ

澄女さんの実家はお寺さん。そのせいか性格は奔放。闊達でおよそ執着、こだわりというものに無縁。いい意味での「いい加減」さを持ち合わせていたように思う。

雪どけの水へあしたの網を張る

春じゃものしゃなりくにゃりのくちぐるま

風だって見て見ぬ振りをしてくれる


平成24年から出席した本社句会では澄女さんはいつも隣の席。
作句した川柳の楽屋裏を何度語ってくれたことか。そのたびに着想のオリジナリティーに驚いた。

ザリガニも私も川の主である

大河悠々わすれ上手といううねり

ハイハイのハイが背骨に突き刺さる

亡くなる一ヶ月前、電話を貰った。私の句集を贈ったお礼である。入院先から一時帰宅した時に、その句集を確認したのだろう。電話口で話す澄女さんの記憶力は確かなものだった。句の掲載先まで言い当てていた。

真っ赤っか夕やけ雲に嘘はない

秋を舞うしごき抜かれた鉋屑

馴れ初めの果ては問うまい喉仏

亡くなる直前まで句を詠んでいた。
そして平成三十年八月二十六日、澄女さんは虹のかなたへ旅立った。九十七歳。

下は澄女さんの絶筆。

渋滞もどこ吹く風の竹トンボ

フィナーレに添えグリーンの夫婦舟

ハーモニカ吹くよにかじるキビ畑

しなやかに甘え上手の絹どうふ

母になるノックワクワク夏衣



2021.02.28(Sun)
伐採の後のあおぞらまで倒す

昨日今日とまた遊び惚けてしまった。
本当なら緊急事態宣言解除前の最後の自粛をするところだが・・・・

行き先は、知多市の佐布里(そうり)池梅林と佐布里緑と花のふれあい公園。
この時期になると必ず行きたくなるところだ。

佐布里梅を始めとして、25種類、約6000本の梅の木が迎えてくれる。
コロナ禍にあっても、その人込みは例年と変わらなかった。

一昨年ここ佐布里池を有名にした出来事があった。
それは、「佐布里池」水抜きプロジェクト。

テレビ東京で放映中の「緊急SOS!池の水ぜんぶ抜く大作戦」というアレである。
依頼主は、愛知県の大村秀章知事。

県の産業を支える超巨大な貯水池「佐布里池」の堤防の耐震工事を行うための生物調査が目的。
ところが、この池の規模はこれまでとは桁違い。

その広さは、東京ドーム13個分!水を抜くだけで2ヶ月掛かった。
その池の水も、今春の梅まつりに合わせるように貯えられた。

梅の甘い香が漂い、この時期ならではの凛とした佇まい。
佐布里梅林の小高い丘から御嶽山がよく見えた。

今日午前中は、「第2回 へきなん応援 食フェア へきなん横丁」へ。
碧南市で生産される食材や醸造品などを紹介するイベントである。

お目当ては、永井治郎平商店のへきなんの地酒。
それから、山八酒店、金原酒店の清酒試飲である。

旨い酒を呷るわけにはいかず、舌に転がす程度の物足りなさを感じつつ退散。
家人の運転で事なきを得た次第だが、もう少し飲みたかった・・・・

午後からは川柳きぬうらクラブの定例句会。
成績はいつものことながら、鳴かず飛ばず・・・・


土曜日、月刊川柳マガジン3月号が届いた。
今号は、懸賞川柳の川柳師走賞の入選発表号である。

これで2020年の入選結果がすべて出揃った。
賞金をゲットしたのは次の2作品。

もう少し見ている夕暮れの電車  (秀作 賞金二千円)

ライバルは鶴の折り方までうまい  (地 賞金二万円)

それにしても、30人の共選による懸賞川柳は圧巻!
次年度のために入選作を記録しておきたい。 ↓

睦月賞(感謝)
投句なし

如月賞(恋文
投句なし

弥生賞(日本)
父の落書き帳にニッポンの夢  秀

手枕の父ですニッポンのかたち

満開のさくらに雪の降る日本  秀

卯月賞(追加)
もう少し見ている夕暮れの電車  地

天国へすこし足りない縄梯子

皐月賞(洋食)
思い出し笑いオムレツ食べた日は

ジプシーのように夜明けの洋食屋  秀

水無月賞(悲しい)
青空いちまい柩に入れてくれ

あの日から胡桃の森に来ない栗鼠

文月賞(欠片)
吊革に欠片となってぶら下がる  秀

ツユクサが語る青空だったころ  天

葉月賞(音楽)
いい皺になったイエスタデイ歌う
 
長月賞(秋)
秋天へおとこが男だったころ  秀

雑草のやさしい貌になって秋

戦いは終わった秋の実を拾う

神無月賞(敵)
ライバルも見ているだろう十三夜

ライバルは鶴の折り方までうまい  天

霜月賞(白)
図書館に白い空気が浮いている

師走賞(かわいい)
頬ずりしてあげる雪という刹那  秀

一冊の本がかわいくしてくれた

可愛さをボトルシップの中で飼う



2021.02.21(Sun)
双六の上がりは遠い始発駅

昨日今日と暖かい日差しに恵まれた。
布団を干すにはいい塩梅で、寒さの峠は越えたようだ。

この時期にはどうしても行きたい場所がある。
十数年前の辛い時期に心を癒してくれた桃源郷へ・・・・

「中馬のおひなさん in 足助 2021春」が始まった。
今、足助の古い町並み一帯と香嵐渓が元気だ。

この地はかつて中馬街道として栄えた。
春になると、その家に伝わる思い出のお雛様を玄関先や店内に飾った。

この古き良き伝統を、足助や香嵐渓に来る人に楽しんでもらおうと平成11年から始めた。
足助の町は、平成23年から重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。

お雛様の展示場所は、全部で107ヶ所。
土雛などもあり、作られた時代でお雛様の顔が微妙に違っているのが面白い。

ここへ来ると必ず買うのが竹寒天。
お店では、「つぼんこ」という名で売られている。

元々は、お雛様へのお供えの品として作られていたものが、今や「かゑで本舗 加東家」の名物になっている。買ったときに金槌でトンっと竹の後ろに穴を開けてもらう。

そうすると、ちゅるっと中からピンク色の寒天が出てくるという仕掛け。
家人と二人分買い、歩きながら淡い春を食べた。





火曜日、大垣川柳会の武山博さんが上梓されたばかりの句集を送ってくださった。
句集の題名は「川柳 ひとり歩き」(新葉館出版)。

今までにないユニークな作りの句集である。
句集の第1ステージは、公演用の台本になっている。

実は、武山さんは2019年10月の岐阜県川柳作家協会の川柳大会の披講前に講演ならぬ公演を務めることになっていたのだが、台風のために中止となった。

その公演の演目が「川柳 ひとり歩き」。
第1ステージは、幻となった公演録を檜舞台に上げたかったのだろう。

第2ステージは、句集。句の一つずつに鑑賞文が添えられている。
他人の鑑賞は珍しくないが、すべてが作句者の鑑賞ゆえ特異性ある句集になった。

心に残った句を抽出させてもらった。
「劇団未来座」で鍛えた武山さんの美声が聞こえてきそうである。


食う時は誰も殺生口にせず

音のない耳に哀しい子守歌

足枷の鍵は自分が持っている

道化師の心も魔性だと気づく

ヒトだけが歳月という虫を飼う

石焼き芋つり銭までが温かい

文化の日設け文化を見失う



2021.02.14(Sun)
あおぞらを盗み取る気の観覧車

昼過ぎから家人と碧南市のあおいパークへ。
産直市には、碧南市特産のニンジン・へきなん美人が山積み。

温かみのあるニンジンの色は、見ていて飽きない。
野菜と総菜を少し買ってから、同じ施設内の鑑賞温室へ。

ブーゲンビレアが美しく、春を先取りしているような気がした。
この小さな温室さえそうなら、東山植物園はどんなだろうかと思った。

あおいパークを後にして、数分で行ける碧南市釣り広場へ。
2月としてはかなり暖かい日和だから、すごい人出だ。

釣り広場には、スケートボードパークも併設されており、ここは子供たちでいっぱい。
子供たちの元気な姿を見るのは楽しいが、目的は魚・魚・魚である。

ということで、全長700bの釣り場を隈なく見て回る。
よく釣れていたのは、ママカリ(サッパ)、ボラ、アユの稚魚。

アユの稚魚は、厳密に言えば密漁。
だが、今から3月終わりまでが旬で、その後は川へ上っていくらしい。

密漁と知りながら、釣っている釣り人が数多。
7、8aのアユを唐揚げにすると、とても旨いとのことだ。

釣り広場を後にして、今度は隣にあるへきなんたんトピアへ。
へきなんたんトピアは、碧南火力発電所の地域共生施設。

その中でも、エコパークがよかった。
エコパークは、散策しながら野鳥などの生き物を観察できる施設。

ああ、こんないいところが碧南市にあったんだ。
昔、子供たちとよく行った東幡豆のこどもの国に似ているなと思った。


昨日は、高浜川柳会の句会日。
緊急事態宣言下にあっても、あえて開催。

ふらっと酒場へも行けない昨今、楽しみは句会ぐらいなもの。
仲間の近詠作品へ推薦句の鑑賞を書くのも楽しみの一つ・・・・

生まれるともう青空を探してる     山口清和

生まれたばかりの赤ちゃんの視力は0.01〜0.02。認識できる色は、白・黒・グレー。ほとんど靄の中にいる状態だから、清和さんが見たのは動物の赤ちゃんだろうか。サバンナでの出生ならば、すぐに青空を探すのも頷ける。生存競争という掟の中で青空は安らぎなのだ。

苦労話エキスを拾う語り口     都築典子

生きとし生ける者に苦労は付きもの。そう考えると、人間の歴史と苦労は同じ長さ。苦労のない人生があれば教えて頂きたい。ただ感じ方は人それぞれ。苦労を小さく感じられる人は、努力と知恵で苦労を克服してきた人だ。そんな人の語り口にはエキスがいっぱい詰まっている。

除夜の鐘コロナコロナと百八つ     古橋文子

人間の煩悩の数は百八つ。なぜ百八つかは諸説あるが、四苦八苦がわかりやすい。四苦(4×9)と八苦(8×9)を足せば百八つ。今般のコロナ騒動は、人間の煩悩に匹敵するほど厄介なものだと文子さんは見抜いた。除夜の鐘を突いてコロナを一掃しようじゃないか、と。

弱毒化したかもしれぬ妻静か     杉浦康司

ユーモア句。私の妻もそうだが、弱毒したように見せ掛け、実は新たな機会を窺っているのかもしれない。一瞬の静けさは海のようなもので、いつ怒涛の海になるかわからない。凪もあれば時化もあるのがこの世。国会でも「寝たふり解散」というのがあるからね。

おせち重一段にしてちょうどいい     羽柴悦子

重箱は四季を表わす四重が正式とされるが、庶民には手間も金もかかり、二重くらいで丁度よい。ましてや老夫婦だけの家庭なら一箱で充分。この句の場合、「おせち重」は老後の生活の比喩と考えてもよい。質素だが健全な暮らしぶりに満足している様子が垣間見える。



2021.02.07(Sun)
ライバルは鶴の折り方までうまい

岡崎川柳研究社発行の柳誌「川柳おかざき風」(2月号)が届いた。
本来であれば、本社句会で渡されるのだが、緊急事態宣言下にあって、誌上句会となった。

1月号から、“「おかざき 風」を駆け抜けた柳人たち”という新コーナーが始まった。
かつて「おかざき」に籍を置いた柳人との出会いと作品、そして人となり。

それを、私の小さなスコップで少しずつ掘り起こすという企画ものである。
今号は、その第二弾として「飯田昭」さんを取り上げた。


「おかざき 風」を駆け抜けた柳人たちA   飯田 昭

私の書棚に赤色の背表紙のよく目立つ合同句集がある。『点鍾雑唱』(2009年刊 川柳点鍾の会)。飯田昭さんから頂いたものである。昭さんとは、本社句会で数度お会いしただけの間柄だったが、その温厚な人柄に秘めた川柳への情熱と句の斬新さは、「おかざき 風」の中では稀有な存在として一目置いていた。

おでん屋の湯気の出入りも梅日和

うたた寝は雲の流れに似て和む

推敲のペンするすると逆上がり

岡崎だけでなく、全国の著名な吟社に籍を置き、奔走された。私が知るだけでも、先の「川柳点鍾の会」を始めとして「川柳研究社」「名古屋川柳社」「川柳 凛」「川柳 触光社」とあり、多い時には20ほどの柳誌に投句を続けていたと聞いた。川柳研究社では長きに亘って幹事も務められていた。

空振りで学ぶ人生だってある

やや進む時計は母に似て気丈

約束の小指は若いから火照る

岡崎川柳研究社二代目主幹の會田規世児さんと昭さんは盟友。競うように川上三太郎氏から学び、切磋琢磨を続けた。會田さんが「おかざき」という内の地固めを目指したのに対し、昭さんは「おかざき」の外へ目を向けた。斬新な昭川柳は、こうして結実した。

郷愁の拉致かな風も口笛に

現像液遠い自分を掘り起こす

父の背に深くて広い森がある

奥様の妃都恵さんも川柳を詠まれた。昭・妃都恵の句は一対となって夫婦の日常を浮かび上がらせた。お互いが相方への想いを句に託す。それは夫婦を超えた人間同士の往復書簡だったのだろう。

結び目に女らしさも添えてあり

そこそこの幸で夕陽を妻と浴び

風向きを詠むのが下手な鈍夫婦

晩年には酒と薬の句が多く見受けられる。酒を愛し、だが蝕まれてゆく身体を慈しむかのように薬も愛した。

なんとなく薬が神の貌をする

悠々自適飲み屋に明日の天がある

指揮棒に似て厄介な飲み薬

19歳から川柳を詠まれ、令和の扉が開いた7月7日まで実に柳歴70年。昭さんの葬儀には、「死してなお走る昭という駿馬」という弔吟を捧げた。奥様が亡くなられた2年5ヶ月後の事だった。

下は、昭さんの遺句である。

花吹雪生きなされよと肩叩く

朝刊の匂いは生きている刺激

立ち話影の疲れを忘れてる

人生はほろほろ酒に遊ばれて

夢枕亡妻の温みが天女めく



2021.01.31(Sun)
シルバーという青春が始まった

久しぶりの俳句の会(ペンキ句会)だ。
しばらく休会となっていたが、熱心な仲間のリクエストで、ネット句会をしようと相なった。

ネット上に、参加者それぞれが3句投句。句が揃ったところで、5句選(そのうち1句特選)。
参加者12名、投句総数36句だった。

私の提出句と得点は ↓


遠い目で見ている双六の上がり  (2点)

ブロッコリこの世に戦まだ続く 
 (4点)

着膨れて海と相撲を取っている
  (0点)


俳句の句会は必ず選評を言うのが特徴であり、それが次の作句の上達に繋がる。
実は、ここに文学性があるかないかの差があると睨んでいるが、どうだろう。

拙句にも丁寧に選評をいただいた。
これらをしっかり吟味することで、次の作句に繋げようと思う。 選評は ↓

(遠い目で見ている双六の上がり)

サイコロを転がして出た目の数だけ進むことが出来る。最近の子供は、進化したゲームが有るので、双六で遊ばないかも。どんどん進む仲間を見ていると、自分は取り残されたようで上がりが遠い。一枚の紙なのに大きな世界が拡がっているように思えた。そんな気分かな。(しょう子)

(ブロッコリこの世に戦まだ続く)

この句を読んでいるとブロッコリが不気味な野菜に見えてきた。ブロッコリは、好きな野菜だが確かにその形状から不吉な暗いことを想像してしまう。季節の選択が巧み。(和子)

戦が続くという句はよく見る。ブロッコリとの取り合わせは珍しい。ブロッコリの形状が面白いと見るか、妖しいと見るかで変わる。野菜をたくさん食べる人は平和志向だと思うのです。(しょう子)

戦闘は世界のあちこちで続いている。今が昭和の初めのような状況だったら、世界中を巻き込んだ戦争が始まっても全くおかしくない。恐ろしい世の中です。(純)

ブロッコリーはなぜか戦闘的に見える。核やコロナとの戦いはまだまだ続くが、ブロッコリーが目の前にあると心強い。(憲一)

「ブロッコリ」は栄養があって手軽な野菜なので油断していましたが、あの形はたしかに不気味。きのこ雲に似ているかもしれない。でくでくと成長してゆく感じも可愛げがない。「この世に戦まだ続く」というフレーズにはあまり惹かれませんが、ブロッコリとの取り合わせは見事だと思います。ちなみに「戦」は「いくさ」と読むのでしょうか?「いくさ」だと「矢を射る」戦いが語源なので、ここは「たたかい」と読ませたいですね、たとえ字余りでも。(典子)

(着膨れて海と相撲を取っている)

先日、近くの海に行ったのでこの句の光景が実感としてよく分かります。沢山着込んで浜辺を歩いているとこんな風に思えるなと。季重なりだけど軽重があるから気にならない。(和子)



2021.01.24(Sun)
通販にどこでもドアのない日暮れ

三日続きの雨が上がったので、夕食の後に吉川の海岸まで散歩。
暦は大寒だというのに、この暖かさは何だろうか?

海岸は引き潮で、砂浜や岩がむき出しの状態。
釣り客など誰もいず、飛来した鴨だけが優雅に泳いでいる。

明日はいい日になりそうだ。
雨で空気中の塵や埃が落ちて、遥か御嶽山がよく見えるだろう。


川柳きぬうらクラブの柳誌「川柳きぬうら」2021年1・2月号が届いた。
表紙絵が、今までの「半田運河と醸造蔵」から「旧中埜住宅」へと変わった。

今号は、「令和2年度きぬうら作品年間賞」の発表号である。
各会員2句提出の全72句の応募作品から秀句3句、佳作5句の推薦を6人の選者に依頼。

秀句に3点、佳作に1点を配点し、獲得合計点により年間賞を決定。
その結果は、私の応募句 (↓) が最優秀句賞に選ばれた。

こころとは何 揺れ動く汽水域

秀1に選んでくださった二人の選評は ↓

○人の持つ二面性、二つ三つの事を同時になす事が当たり前になった現代。
  汽水域の揺れ動く心を言葉にしてみよう。(中山恵子氏)

○自分で自分の心を制御することの難しさ。
  汽水域のように海水と淡水が混合するのも「こころ」。
  共感致しました。(佐藤文子氏)

最優秀句賞受賞者のコメントは、次のように書いた。

昨年は、コロナ禍により川柳大会は軒並み中止。
大会に奔走していた普段の時間を持て余し、夏以降は鯊釣りに没頭した。

鯊の宝庫は、“汽水域”。海水と淡水の入り混じった、干満の差の大きな水域である。
釣り糸を垂れながら、汽水域は人の心のように絶えず揺れている、と思った。

これが句の楽屋裏である。やはり実感句は強い。
コロナ禍の中で、思いも掛けない賞をいただくことになり、恐縮している。

ご支持いただいた選者の皆様には心よりお礼申し上げます。
ありがとうございました。


最優秀句賞受賞はこれで三度目。
過去の受賞句は ↓ のとおり。

永遠を入れてかなしくなった箱 (平成28年度

銀紙にくるんで空を持ち帰る (平成29年度


過去の最優秀句賞受賞者のコメントが手元にある。
こんなことを書いていた。

平成28年度

「一番いい句を創作できるのは川柳の既成概念に縛られることのない新人時代だ」とよく言われますが、十年を過ぎてまだこんな句が詠める(笑)、ありがたいことです。

「永遠を入れてかなしくなった箱」は、「棺」という解釈もできますが、やはり人間を詠んだものです。永遠に生きねばならぬ人間、永遠に結果を出さねばならぬ人間の悲しさ、苦しさ。

そんなものが読み手に響いたのであればとてもうれしく思います。

平成29年度

「銀紙にくるんで空を持ち帰る」は、昨年の半田二月句会の宿題『空』で石川典子さんから天をいただいた句。同時作に「革命を起こそう空が青すぎる」があり、こちらは、その日のゲスト・水野奈江子さんから天をいただいた。


この頃、俳句の季語の面白さに嵌り、俳句と川柳とが綱引きをしたら俳句に軍配が上がりそうな勢いであったが、宿題『空』は、劣勢であった川柳への情熱を再び取り戻させてくれたと言ってよい。

何かの弾みで人は変わると言うが、この最優秀句受賞が、中折れしそうな川柳への情熱に再び火を灯してくれることを信じたい。ご支持いただいた選者の皆様には心よりお礼申し上げます。ありがとうございました。

令和2年度きぬうら作品年間賞

【最優秀句賞】

こころとは何 揺れ動く汽水域   柴田比呂志

【優秀句賞一席】

生きるとは土をほぐしていくように  石川典子

【優秀句賞二席】

正論をぴったり包む手巻き寿司  伊賀武久

【佳作】

グーグルマップ掃除しておく家周り  眞島ともえ

雨にぬれ届く切手の嬉しさよ  鈴木公子

地平線見たくて降りた無人駅  岡忠男

雨雲の真上で虹を編んでいる  今村美根子

幸せは自己申告で日向ぼこ  堀崎みつ子



2021.01.17(Sun)
閂をしてもこぼれてゆく秘密

寒さが少し緩んできた。
日もいくらか長くなり、気持ちも緩くなりがちだ。

こんな時に風邪をひく。
間もなく大寒の入りだから、余計引き締めなくてはいけない。

朝、知多郡武豊町の海へ行く。
半田市の石川屋で魚と肉の買い出しの後に寄った。

お目当ては釣り人で、7、8組に声をかけたが、すべてボーズ。
カサゴ、アジ、サバと求める魚は違っても、釣りたいという気持ちは共通。

海の向こうには碧南市の火力発電所。
そこから続く海の上を橋が掛かっていたが、初めて見る光景だった。


岡崎川柳研究社発行の柳誌「川柳おかざき風」(1月号)が届いた。
今号から、“「おかざき 風」を駆け抜けた柳人たち”という新コーナーが始まった。

かつて「おかざき」に籍を置いた柳人との出会いと作品、そして人となり。
それを、私の小さなスコップで少しずつ掘り起こすという企画ものである。

乞うご期待!と言いたいところだが、どうなることやら。
資料集めと仲間への取材と肝心要はやはり柳人の句に多く触れることだろう。

ということで、第一弾は ↓



「おかざき 風」を駆け抜けた柳人たち@   近藤 智子       

智子さんに初めてお会いしたのは、平成17年7月9日の高浜川柳会である。講師の會田規世児さんと颯爽とやってきて、颯爽と帰られた。まるで風の又三郎のように。透明タイプのサンバイザーを被り、窓越しの夏の光を眩しそうにしていたのが印象的だった。

句評が的確だった。「炎天にキャッチボールの雲が湧く」「走塁に風の匂いをかいでいる」「サイドスローの指に血豆が誇らしく」を入選句に取ってもらったことを昨日のように思い出す。

羅漢さんを数えて迷い抜けてくる

手毬てんてん壁を破りに旅をする

日本の血をありがとう桃・さくら

これらは、絶頂期の智子川柳である。一時期、「西の新子、東の智子」と並び称されていた、と他吟社の女流川柳家から聞いた。「西の新子」とは、言わずと知れた「有夫恋」の時実新子のことである。

キリストへ仏陀へ耳は二枚もつ

髪に霜ほとけに鬼に近くなる

こんどうともこと書いてあんたは何者さ

會田さんが主幹の頃の智子さんは、岡崎川柳研究社のナンバー2。會田さんと並べば一対のお雛様。平成25年11月まで二十数年に亘り「川柳おかざき 風」の編集を一手に引き受け、その後、亡くなるまで「龍城抄」の主選者を務めた。

月の形は心のかたち老介護

生きてる事の辛さ楽しさ御仏供様

愛想尽かしの紐がだんだん長くなる

「智子川柳」と言われた七・七・五の型を愛用した。二音増えただけで心情をしっかり吐露できたのだろう。この辺りは、新子の「れんげ菜の花この世の旅もあと少し」「どうぞあなたも孤独であってほしい雨」に似ている。

生き急ぐ爪に三日月ある内に

この世の事はこの世で終わる睡魔来る

さのよいよい笑って消えて行くことに

死をテーマにした句が「川柳作家大全集」(新葉館出版 平成20年)の智子さんのページにある。強気な心とは裏腹に、少しずつ衰えてゆく肉体を慈しむかのように。

あっけない死だった。つい昨日まで元気だった肉体が、瓦礫のように崩れてしまったのだ。インプラント治療をしてからの食欲の減退が死の遠因と聞いた。新年句会を終えて二週間後に訃報は届いた。平成27年1月の事だった。

下は、智子さんの絶筆。
あれから6年が過ぎた。

シャキシャキサクサク初雪を食べた

10センチ積む初雪を雪だるま

座禅組むいろはへ心どんと乗せ

頭をまっさらにして読みたい本がある

むらさきの富士あり新幹線暮色



2021.01.10(Sun)
追伸にあすの空気を入れておく

事務所の出窓に置かれた鉢植えのシンビジュームが咲き出した。
12月半ば頃から蕾を付けて、1ヶ月掛けて咲いたことになる。

蝋梅のような色合いに心がほっこりする。
蝋梅は、半透明で蝋細工に似ているからその名が付いた。

シンビジュームの方は、透明感はやや薄れるが、気高さがある。
いずれの花も春の色をしている。


昨日は、高浜川柳会の定例句会日。
いつもの部屋が取れなくて、吉浜公民館の和室を利用したのは初めて。

高齢者が多いだけに、椅子を用意したが、使わずじまい。
まだまだ皆、気力も体力も若いのだろう。

新春の日程として、2月の恒例の「風輪の会」の中止を伝えた。
岡崎川柳研究社傘下の川柳会が大同団結して、1年に1回集結する。

今は、西尾川柳会が音頭を取って、妙喜寺(西尾市江原町)で毎年開催されている。
昼食、土産付き、豪華な賞品もあり、かつ住職の法話も聞ける有難い大会である。

妙喜寺には、住職が岡崎の会員という縁で、岡崎の2代目主幹・會田規世児さんの句碑がある。
句碑建立は、平成18年2月25日。空の澄んだ暖かい日だった。

西尾川柳会主催の風輪の会は、この句碑建立の日を第1回として、昨年実に15回を数えた。
それが今年は、ウイルス感染拡大防止のために中止となったのだ。

高浜川柳会メンバーにはその旨伝え、代わりに各地の誌上大会の参加をお願いした。
パンフレットを持参したのは ↓ の大会

● 第9回 卑弥呼の里誌上川柳大会 令和3年1月15日 消印有効

● 第127回  中部地区誌上川柳大会 令和3年1月30日 必着

● 第12回 「ふるさと」川柳 令和3年1月31日 消印有効

大会はなくても、活躍の場はある。
披講時の高揚感には欠けるが、誌上大会もまた良しである。


↓ は高浜川柳会メンバーの先月の雑詠の推薦句と鑑賞。
佳句を読み切れないのが、目下の悩み!


青空に伸びするようにダリア咲く     羽柴悦子

「ダリア」は、皇帝ダリアのこと。日照時間が短くなる晩秋から初冬の空に聳えるように咲く。私たちが目にするようになったのは、平成の途中からだが、その新しさゆえ、まだ季語として確立していないようだ。「伸びするように」の形容が的確。

人ひとり赦しピアノを弾く夕べ     山口清和

ドラマチックな仕立てに、松本清張の長編推理小説「砂の器」を思い出した。「人ひとり赦し」は、自分自身を赦すということ。来し方がどんなに無様であったとしても、世に二つとないかけがえのない人生である。それを肯定することが、人に残された最後の仕事である。

今年また柘榴が落ちて秋終る     都築典子

典子さんの「秋」は、柘榴の落花とともに終わる。それは自身が作り出したリズムである。頭の中にはそうした楽しいリズムが歳時記のように詰まっているのだ。雨の日には雨の日のリズムを。初冬には初冬のリズムを。その美しい調べに乗って季節は巡る。

概念をほぐして暮らす一つ屋根     古橋文子

この句の場合、「概念」という硬質な言葉がキーワードである。概念とは、物事について人間が持っている考え。人間には我があり、価値観も違うから、その考えをほぐしながら暮らせと諭しているのだ。いくつかの個をすっぽり包み込む「一つ屋根」の大きさも知らされる。

ゴメンねと先に言われて僕の負け     杉浦康司

子供の喧嘩か夫婦の喧嘩か、いずれでもよい。人間同士の諍いは、どちらかが一方的に悪いという図式は少ない。互いに非があり、それらがぶつかり合って火花を散らす。火花は一瞬美しく見えるが、「ゴメンね」の言葉以上の美しさを持ち合わせてはいない。



2021.01.03(Sun)
生きて死ぬただそれだけの笑い皺

正月三が日が無事過ぎた。
テレビニュースでは、相も変わらぬ高い数字の新規感染者数。

不要不急の遠出は避けなければならず、海の散歩だけに勤しんでいる。
途中、餌場から巣へと帰る鵜の大群に出会う。

出会うと言っても、擦れ違うわけではなく、遥か上空を見上げるばかりだ。
この鵜たちはどこまで帰るのだろうか?

知多半島のやや南方に、鵜の山(知多郡美浜町)という鵜の繁殖地がある。
天然記念物として国と県指定の文化財および国の登録文化財。

 夕焼けをひっぱっている鳥の数     コ永政二

のような悠長な姿ではなく、夥しい数はおそらく鵜の山に集結するのだろう。
その数、約9千羽、鵜に会えない日は淋しい。


岡崎川柳研究社の柳誌「おかざき 風」で新コーナーが始まった。
“「おかざき 風」を駆け抜けた柳人たち”と題して一年間続く。

かつて「おかざき」に籍を置いた柳人との出会いと作品、そして人となり。
私の小さなスコップで少しずつ掘ってゆくことにする。


海の絵(リンカーン・セリグマン)



2020.12.27(Sun)
百年を生きて埴輪の貌になる

令和2年最後の日曜日だ。
と、身構えてみても、相も変わらない日常。

午前中は、いつものようにスーパーへの買い物と風呂掃除と年賀状書き。
午後からは、菜園で育てた野菜のお裾分けで親戚回り。

ついでに、碧南市の釣り広場へ立ち寄り情報収集。
その後は、半田市のスーパー石川屋へ魚の買い出し。

釣り広場は釣り客でいっぱいだった。
遠方へは行き難い時勢ゆえ、海と格闘しようというわけだ。

 着膨れて海と相撲を取っている

という我が近詠を思い出した。

石川屋では、晩酌の肴としてツバスの刺身を仕入れた。
今、「純米吟醸 小左衛門」(中島醸造 岐阜県瑞浪市)を飲りながら、美味しく頂いている。

さて、今年の締めくくりである。
今年も多くの柳人から我が句を秀句に採っていただいた。

ここに感謝の意を込めて掲載する。
冬籠りを前に、我が句とゆっくり会話することにしよう!


満面に笑みお日さまに敵わない

秒針はネズミの生きてゆく速さ

どちらかって言うと雪の日は眠い

だいこんの素性をあばく鍋の中

無頼派の父ですいつも風の中

リコールしよう雪ひとつない窓辺

愛されたころの記憶をまだ飾る

のんびりが竹輪の穴を通ります

平和への答えだ友と茶をすする

難問を解くかのように逆上がり

ふるさとに象形文字の山と川

とれかけのボタン穴から飛行雲

嬉しさを拡大コピーするいつも

桜色にコピー一人きりの夜は

愛妻家ですかと妻が訊いてくる

のほほんと妻のレールに乗っている

新作の風のカタログです かしこ

揺るぎない足跡ですか現在地

平和への賛歌だ真っすぐな土筆

終息のきざしが見えぬ蚊の羽音

にんげんが好きで雑学には強い

棚卸やっと自由になりました

無印で生きるサラダ巻になって

父の落書き帳にニッポンの夢

満開のさくらに雪の降る日本

もう少し見ている夕暮れの電車

平和への道筋ナスのやわらかさ

炒飯の具にして悔しさを食べる

黴臭い句集に海を見せてやる

豆ごはんふっくら炊けた読後感

ジプシーのように夜明けの洋食屋

櫓を漕ごう地球は青い海なんだ

ふるさとのりんご畑もダムの底

非売品です入道雲のすわる椅子

青空を潜っていますハンモック

倖せはいつでも潜る場所がある

平泳ぎ上手くなりたい四畳半

軽やかになろう野菜というリズム

泥臭く生きようドレスなど捨てて

青空のドレスでしょうかいわし雲

吊革に欠片となってぶら下がる

ツユクサが語る青空だったころ

一瞬の殺意カンナの燃え具合

お捻りが飛ぶ夕焼けという役者

一捻りしてあおぞらを出す蛇口

しあわせも跳馬も捻り方しだい

栗御飯ふっくら母の子にもどる

反乱はポップコーンの爆ぜる音

陽が落ちる何を信じてきたのやら

生きてゆこうと約束をした樹海

ざく切りのキャベツに青空の匂い

いい鬼を演じて人にもどれない

百年を生きて埴輪の貌になる

旗立てるここは自由という聖地

生きて死ぬただそれだけの笑い皺

追伸にあすの空気を入れておく

秋天へおとこが男だったころ

一冊の本から旅は始まった

閂をしてもこぼれてゆく秘密

通販にどこでもドアのない日暮れ

シルバーという青春が始まった

ライバルは鶴の折り方までうまい



2020.12.20(Sun)
いい鬼を演じて人にもどれない

鈴鹿川柳会の今年のネット句会が終わった。
松江川柳会会長の石橋芳山さんと橋倉久美子さんの選で、私も毎月投句した。

投句総数は毎月300句を超えていて、その内の39句が入選。
入選率は10l強、厳選である。

投句料の掛からない気安さはあるが、無料ゆえ本気度はイマイチ。
締め切りギリギリの作句と投句の繰り返し・・・これも良しというところだろう。

↓ は、この一年間の私の入選句。
芳山さんがよく抜いてくれたのは有難かった。

詳細を知りたい方はこちら  
http://www.suzusen.sakura.ne.jp/kukai.htm


1月 
アリバイをいくつも重ねながら春   「重なる・重ねる」

2月

釣りエサを泳がすだけの小半日   「のんびり」

のんびりが竹輪の穴を通ります   「のんびり」 秀句

5月

終息のきざしが見えぬ蚊の羽音   「休む」 秀句

標本にされてゆっくり休めない   「休む」

6月
一瞬を蹴飛ばすように撮る写真   「写真」

7月
投げ易い石を拾ってばかりいる   「拾う」

8月
カード払いって何 風の子供たち   「カード」

9月
六十になっても稲の穂になれぬ   「米」

10月
反乱はポップコーンの爆ぜる音   「乱」 秀句

11月
歯型から月を齧ったのはキリン   「齧る」

12月
チャンス到来乗れそうな波が来る   「波」


来年1月からの選者は、卑弥呼の里川柳会代表の真島久美子さんと鈴鹿の重鎮・吉崎柳歩さん。
川柳観がかなり違うようだから楽しみ!



2020.12.13(Sun)
ざく切りのキャベツに青空の匂い

家人の誘いに乗って、今日は知多郡美浜町の「魚太郎」まで。
「魚太郎」は、びっくりするほどの巨大な鮮魚市場。

季節の魚はたいていゲットできるし、すべてが値打ち。
漁港からの直送だから鮮度も抜群。

我が屋から四十分近く掛かるが、無理しても行きたいところ。
市場内に、三河湾を一望できる海の見える食事処「市場食堂」があり、ここの魚はどれも美味。

それから、市場に隣接して、海鮮バーベキューが楽しめる「浜焼きバーベキュー」。
春から秋は押すな押すなの大盛況。水平線を見ながらの食事は楽しい。

興味があれば  ↓  を

  https://www.uotaro.com/honten/

帰路に、南知多半島名物「大砲巻」で有名な店「文寿庵 飴文」へ。
ここは初めてながら、居心地がいいというか、懐かしい感じがした。

大砲巻二本をゲットして、帰宅後仏壇にお供えもせず、すぐパクリ。
甘さを抑えたこし餡と栗餡の上品さを楽しんだ。

こちらも興味があれば  ↓

  https://yuraku-group.jp/sanpo/bunjyuan-amebun/


昨日は、高浜川柳会の例会日。
毎度毎度、仲間の熱心さには頭が下がる。

いい加減になりがちな我が作句姿勢を叱られているようで、いささか反省。
仲間の句には学ぶところばかりだ。

↓ は、先月の推薦句と鑑賞。
いずれの日のために残しておきたいものばかり。

青空にほんとの気持ち打ち明ける     杉浦康司

「陽が昇り今日も青空深呼吸」「幸せの歌をハミング青い空」に続く入選句。小春日和の空の青さが清々しい。人は人との関わりの中で生きてゆくが、本心を打ち明けられる人はそんなに多くはいない。一人、二人いれば上等。一人もいなくても、青空が相手をしてくれる。

六連星車のマークで確かめる     羽柴悦子

「六連星」はむつらぼし。昴(すばる)の異称である。私もロマンチストの端くれ、澄んだ夜空が好きで、冬のダイヤモンド(六角形)を時々見上げるが、視力が落ちてからは昴を見つけるのも厄介になった。悦子さん同様、スバル車のマークで位置を確かめるだけだ。

故郷にきらり私の富士がある     山口清和

山容が富士山に似ていることから「富士」と呼称される山は多い。我が家から見える御嶽山も「日和田富士」と呼ばれているそうだ。だが、清和さんの言う富士とはそんなことではない。故郷にある誇り高きもの、その代名詞としての富士が自らの血肉になっているということだ。

八十路前母の残り香捜す日も     都築典子

「幾時代かがありまして茶色い戦争ありました」で始まる中原中也の詩「サーカス」。茶色い戦争という過酷な日々を駈け抜けた母の幸せな晩年を典子さんは思い出しているのだ。いくつかの時代を過ぎて風は澄む。母の淡い残り香をいつまでも記憶の底に捜そうとする。

ワクチンの明るいニュース旅プラン     古橋文子

識者の目には、コロナ禍での旅プランは顰蹙ものだが、さりとて庶民のささやかな楽しみは、どんな世も変わることはない。限りある生の中で人が日々を楽しもうとするのは本能である。ワクチン接種が間もなく始まる。旅プランを描き一羽の鴎はどこへゆく?



2020.12.06(Sun)
陽が落ちる何を信じてきたのやら

12月に入った。
どこにも行かないうちに紅葉の見頃が過ぎた。

晩秋は家族で京都と相場が決まっていたが、公共交通機関を使うのが憚られた。
マイカーでという案も出たが、運転手はたまったものではない。

ということで、近くの釣り場までがせいぜい。
鯊釣りに明け暮れた秋だったと言える。

その鯊もいつしか釣果が痩せてきた。
今朝も今朝とて、吉浜の海岸へ。

釣れない!2時間ほどで鯊2匹ととんころ5、6匹。
とんころはすべてリリース。

鯊が20a物だったのはせめてもの慰みだった。
昼食では釣ったばかりの鯊の刺身を4貫ずつ家人と食べた。

午後からは、「はんだ 蔵のまち どぶろくまつり」へ行く予定だったが、諦めた。
先日、柳友からパンフをいただき、心待ちにしていたのだが・・・・

パンフにはこう書かれている。


2020年12月6日(日)10:00〜16:00
半田運河/国盛 酒の文化館 周辺 ※荒天中止

今年もおいしく仕上がりました!
しゅわっとほんわか「生どぶろく」の季節です。
当日しか飲めない「生のどぶろく有料試飲」をはじめ、醸造のまち半田の街めぐりをお楽しみください。


これは行かねばなるまい、と思った矢先、先約があったことを思い出した。
高浜市文化協会 文協祭 文協展の展示物搬入である。

かくして惜しいことをしたという悔いばかり。
ということで、酒のスギタでどぶろくを購入。

今飲みながら書いている次第・・・・



2020.11.29(Sun)
一捻りしてあおぞらを出す蛇口

十一月の最終日曜日だ。
晩秋なりの寒さはあるが、青空がすがすがしい。

釣り日和というほどではないが、午後から碧南市の釣り広場へ。
狙い目は、サッパ(ママカリ)と鯊。

サッパは、かませ餌なしのサビキ釣り。
鯊は、青イソメの餌釣り。

ところが、数分して気分が乗らないので退散。
周りがほとんど釣れていない状態は場を暗くする。

気分を切り替えて、地元の服部新田貯木場へ。
ここの先客もほとんど坊主状態。

風が出てきたので三十分ほどで退散。釣果は、鯊を四匹。
その後、吉浜の海岸を歩いて、今日はお仕舞い。


「川柳おかざき 風」の表紙絵の印象吟が、また三作溜まった。
表紙絵は、いずれもイラストレーター・なかむらひろこさんの作品。

一枚のイラストで一か月。十二枚で一年が終わることになる。
一年では無理でも、三年、五年と続けばかなりの大作が出来上がる。

それは、雪のひとひらが重なり合って大雪となるように。
小さな積み重ねも、いずれは大きなチカラになるものだ。


10月号


消化試合観ているような曇り空

ペナントレース(野球)の順位争いもおおかた決着のつく十月。
勝者と敗者の温度差が顕著になる季節だ。敗者の消化試合は盛り上がりに欠け、観客席の人もまばら。おまけに黒雲が覆い被さり、今にも雨が降り出しそうな気配。
しかし、十月の雨はまだまだやさしい。


11月号


干し柿の渋味が抜けてから大人

毎年、「道の駅 筆柿の里・幸田」まで柿を買いにゆく。
渋のある値打品をどっさり干し柿にする。筆柿は別名、珍宝柿。
地域によっては「ちんぽこ柿」と呼ぶそうで、その可愛らしい名から渋があるようには思えない。
太陽の光をいっぱい浴びて渋が抜けた頃、少年は大人になってゆく。



12月号


旅立ちへ太郎次郎は橇に乗り

「太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。」は三好達治の有名な二行詩「雪」。深沈たる抒情の世界も、雪と言えば現代では「雪遊び」が連想される。
「雪は天からの手紙です」と詠んだ詩人がいたが、子供たちはその手紙を抱いて橇で天を目指す。



2020.11.22(Sun)
しあわせも跳馬も捻り方しだい

土曜日は、相も変わらず釣り三昧。
知多郡美浜町にある河和漁港である。

近所に住む釣り愛好家の最近のホームグランドが河和ということで、家人といざ河和へ。
ところが河和には、河和港と河和漁港の二つがあり、誤って河和漁港へ飛び込んだ。

鄙びた漁港に数多の釣り人。
聞けば、カタクチイワシが知多半島周辺に来ているらしい。

カタクチイワシを漢字で書けば、片口鰯。
上顎が下顎に比べて大きく、片方の顎が著しく発達していることでこの名がついた。

釣り方としては、サビキ釣り。エサは撒き餌であるアミエビ。
近くの釣具店でチュウブ入りのアミエビをゲットして、いざ戦闘開始。

1時間半ほどで、カタクチイワシ10匹、カサゴ8匹、メバル1匹、アイナメ1匹。
カタクチイワシは13a、カサゴは20a級。まあまあの釣果だ。

午後から河和港の方へ。
こちらはフェリー乗り場が隣接していて、観光地のような賑わい。

やはりカタクチイワシ目当ての家族連れでいっぱい。
私たち夫婦同様、素人の釣り客たちだ。

立錐の余地もない賑わいにあえなく退散。
夜は夜で、いつも通り吉浜の海岸線までの散歩。

馴染みの釣り人としばし歓談してから海を後にした。
眠る前のひと時、「春日の森」の入選作品集を読む。

「春日の森」とは、高浜文化協会主催の俳句・短歌・川柳の集い。
短詩系文芸を通して高浜市の文化の向上に寄与しようというもの。

今年も運よく短歌部門で天賞に輝いた。
その作品は ↓

心って揺れてばかりの汽水域たのしく魚は泳いでいるが

「汽水域」は、海水と淡水の入り混じった水域のこと。
鯊釣りを通して覚えた言葉だが、川柳の作句にも多用した。

「川柳きぬうらくらぶ」の柳誌に発表した ↓ の句は、「川柳虹の会」でも紹介されている。

こころとは何 揺れ動く汽水域

それにしても、川柳の大会・句会の高揚感と釣り場での高揚感はよく似ている。
そんなことを思いながら、明日の釣りの予定を組み立てている。



2020.11.15(Sun)
お捻りが飛ぶ夕焼けという役者

小春日和の暖かな一日。
冷気を纏った晩秋の風には遠く、頬をやさしく撫でていく風だ。

午後から服部新田貯木場へ。
ここは、かつて丸太の搬出入のための水路だったが、今は半分は釣り人の憩いの場となった。

そして、後半分は名古屋トヨペットがマリーナとして利用している。
釣り人の憩いの場の方で、例によって鯊釣り。

釣り時間の前半は、まだ潮位が低く、ビクンともしない。
1時間過ぎた頃から当たりが出始め、最終的な釣果は鯊18匹とセイゴ1匹。

年内鯊釣りは楽しめそうだが、まあまあの釣果を期待できるのは今月いっぱい。
海の青を吸いに行く時間には限りがあるようだ。


昨日は、高浜川柳会の定例句会。
新型ウイルス禍にありながらの全員出席はありがたい。

2時間に亘る互選句、課題句、雑詠(近詠句)の選と評。
会員のやわらかな佳句が私の前頭葉に沁みわたる・・・・

↓ は、先月の推薦句の鑑賞文。
佳句との一期一会ゆえ、手抜きはできない・・・・

秋の雨ことこと煮込むおでん鍋     古橋文子

一雨ごとに寒さが増してくる季節。そんな夜の食卓はおでん鍋といきたい。大根、はんぺい、こんにゃく、卵に牛すじ。八丁味噌を使用した味噌おでんもいい。時間を掛けてことこと煮込むときは至福。「秋の雨」から「おでん鍋」への場面転換が鮮やか。

他人だと思えば妻がよく見える     杉浦康司

人が生まれてから死ぬまでを「一期」。一期一会とは、一生に一度出会うこと。たとえ毎日顔を合わせる人でも、その日、その時、その状況の相手は一度だけと考えれば、出会う人すべてがかけがえのない存在。奥さんを他人と思うのは、日常を新鮮に保つ知恵である。

華の群れ愚痴一つだけ受け止めて     羽柴悦子

「花」と「華」の違いを広辞苑で調べてみた。一般には「花」を使う。「華」はきらびやかで美しいもの、すぐれた性質のたとえの場合に多く使われる、とあった。季節柄、華は菊を連想させる。悦子さんは、群れを成す小菊に、人様には言えない愚痴を聞いてもらっているのだ。

「細君」が相応しかった新婚時     山口清和

一読して、上州名物「かかあ天下と空っ風」を思い出した。かかあ天下は、妻の経済力が夫を上回っている意だが、同時に、妻の頑強な体躯をも想像させる。一方、細君という響きは、弱弱しい肉体を彷彿とさせる。細君からかかあ天下へ。我が家もそのレールに乗っている。

ナース歴意識の外で活かされる     都築典子

典子さんにナース歴があったとは知らなかった。何事にも気配りできる特質は、ナース歴によって身に付けたものか。どんな些細な経験や体験も無駄にはならないと思っている。「鶏鳴狗盗」の故事を持ち出すまでもなく、鶏の鳴き真似さえも役立つ時が来る。



2020.11.08(Sun)
ツユクサが語る青空だったころ

11月に入り、鯊目当ての釣り人がめっきり減った。
それもそのはず、至る所に晩秋の気配が漂うようになった。

部屋のカレンダーは、残り2枚。
カレンダーの中を行き交う人々は皆、冬の出で立ちだ。


昨日は、岡崎川柳研究社の本社句会。
「本社」と冠を付けているが、「支社」はなく、各地に教室がいくつかあるだけだ。

會田さんが主幹の頃の絶頂期には、9教室あった。 ↓

グループ柳
へきなん川柳会
安城川柳会
西尾川柳会
川柳きらめき
せきれきの会
高浜川柳会
知立川柳会
小豆坂川柳同好会

今は、わずか4教室。 ↓

安城川柳会
西尾川柳会
せきれきの会
高浜川柳会

よって、本社句会を入れると5会場で句会が開催されている。
私の本社句会のデビューは、平成24年2月5日の新年句会から。

この年の1月9日、會田さんの「文部科学大臣表彰を祝う会」が行われている。
新年句会が2月というのは、そのためである。

あれから8年数ヶ月を経て今日に至るが、その間、多くの会員を亡くしている。
振り返れば、懐かしい想い出の山が山脈のように聳えている。

来年1年は、本社句会を通り抜けたそれら人々を柳誌に書くつもりだ。
出会いと作品、そして人となりを、スコップで少しずつ掬っていこうと思う。

↓ は、本社句会の入選句。

啖呵切る誇りを忘れないように   「切る」

ざく切りのキャベツに青空の匂い   「切る」

林檎むくときやわらかい日の光   「林檎」

いい匂いしている傷のある林檎   「林檎」

いい鬼を演じて人にもどれない   「雑詠」

百年を生きて埴輪の貌になる   「雑詠」



2020.11.01(Sun)
吊革に欠片となってぶら下がる

土曜日、日曜日と連荘の鯊釣りだ。
釣り場は、いつもの流作新田貯木場跡。

干潮後の水位が上がり始める頃で、潮目は決していいとは言えない。
よって、釣果は期待できなかったが、昨日が31匹(内セイゴ2匹)、今日が18匹。

最長22cmを筆頭に数匹は20cm超え。
いずれも型がいいし、よく見ると面構えも申し分ない。

お陰で毎夜、鯊の刺身にありつける。
素人のこしらえだから小骨も混じるが、白身のコリコリ感を美味しくいただいている。

夕食後、ヒイカが釣れ出したと聞いたので、家人と半田港へ。
暗闇に数十人の釣り人が2メートル間隔で椅子を並べる。

家族連れ、恋人同士もいて、浮きの灯のような賑やかさ。
昨日はこの倍の釣り人がいたというから、ヒイカ人気は大したものだ。

半田港を後にして、今度は半田緑地公園前の釣り場へ。
ここはカサゴのメッカ。10mほどの石畳がカサゴの楽園である。

「釣りは足で釣る」
「釣果を求める内は素人」

上は、半田港でお会いした老ジェントルマンの言葉だ。
「釣りは足で釣る」とは、釣れるところを探して、釣り場を変えてゆくという意。

魚を釣るという行為は、攻めの姿勢でなければ釣果を得られないということだろう。
そして、釣果を期待するのは素人というのも頷ける。

釣れない魚をいかに釣るかに頭を痛め、釣れた時を無上の喜びとするのが玄人。
これはもう悟りの世界で、釣れぬヒイカに数時間を費やすのも意味があるというのだろう。

「麒麟が来る」が始まる直前に帰宅。
ドラマは佳境を迎え、この後の展開に興味津々。

晩秋の鯊釣りのドラマはどうなってゆくか?
悟りが開けるまで少なくとも数十年は掛かる!




2020.10.25(Sun)
青空のドレスでしょうかいわし雲

すっかり秋の粧いとなった。
野に山に秋が訪れ、真っ赤に燃え立つ日は近い。

好天の日にはリュックを背負い、登山帽を被って、山へ。
初老の夫婦にはそれが似合いだが、逆らって海へゆく。

ここのところ週末は判を押したように鯊釣りだ。
昨日も先週と同じく、地元の貯木場跡の水路へ。

たかだか一週間の違いだが、風向きが変わっている。
午後4時を過ぎたころには気温がぐっと下がり、寒い。

震えが来る前にエサもなくなり、午後5時に退散。
釣果は鯊36匹、セイゴ4匹。まずまずだ。

帰宅したら、郵便受けに川柳マガジンが来ていた。
早い!27日発売だから3日早い勘定だ。

今号は「川柳マガジン文学賞」の発表号。
このところ鳴かず飛ばずだったから、あまり期待はしてないが、気になる。

鯊とセイゴの鱗と頭を落とし、内臓を取り出す。
一洗いしてビニールパックに詰め、冷凍庫へ。

大急ぎの作業を終えてから、川柳マガジンと対峙。
まるで信玄と謙信が対峙した川中島の決戦のようである。

結果は、304作品中の19位ということで、上位入賞者にランクイン!
まだ届いていない人もいるだろうから、その他の情報は伏せておく。

私の10句は ↓
読者の皆様、ご批評ください!


 【八月の海】

少年が絶滅危惧になっている

平和って何だろう鶴折りながら

八月の海へかもめのパン投げる

ハンガーに吊るされている待ち時間

めしを食う絡んだ糸を解きほぐし

風向きが変わりきれいになる記憶

自意識の底で八艘飛びをする

瘡蓋を剥ぐとマチュピチュの青空

泣きにゆく海はやっぱり塩辛い

やわらかな風を掴んだ日焼け痕



2020.10.18(Sun)
泥臭く生きようドレスなど捨てて

10月も半ばを過ぎた。
昨日のそぼ降る雨から一転、いかにも秋らしい好天だ。

風呂掃除やスーパーでの買い物といった日曜の役目を済ませてから、いざ鯊釣りへ。
蜆川では釣果は期待できないので、地元の貯木場跡の水路にて。

一刻ほどで鯊40匹。
全体に型がいい。

中には20aを超す大物もいて、まずまずの出来。
これで夜の焼酎のアテ(鯊の刺身)ができた。


秋田の猪一郎さんちから川柳「湖」(うみ)が送られてきた。
第11回「ふるさと川柳」の報告号である。

今号も今まで同様にぶ厚い。
年に一度ならともかく、年二は編集がさぞ苦しいだろうと察する。

それが証拠に、本編至るところに脱字が発生している。
致命傷にはならないが、読んでいていい気分のものではない。

先回が、優秀句三席を獲得したので、今回は力を落として投句。
結果は、一句がかろうじて一人の選者(猪一郎さんからです!)から入選。

バランスを考えると、このくらいが丁度いい。
目立つことが嫌いな性分としては、こんなところで満足している。

ちなみに入選句は ↓

自販機にどどどどどっと滝の音   「音」

今号の特徴としては、「前号賛助会員作品鑑賞」が加えられた。
月波与生さんが「桃源郷を彷徨う@」として寄稿されている。

@としてあるところを見ると、今後も続くのであろう。
なるほど熱血漢である与生さんの面目躍如である。

こちらの方で私の作品が取り上げられている。
読みが的確なので紹介させていただく。

手を洗うまではガキ大将でした

子供の頃はガキ大将ではなかったが、手の爪の間はいつも真っ黒であった。
やがて泥を捏ね回していた子供が泥に近づきもしなくなった。
手を洗うという行為に思春期の入り口にいる子供の葛藤を重ねている。




2020.10.11(Sun)
軽やかになろう野菜というリズム

台風一過の、この上ない日本晴れの日だ。
そういえば、昨日の10月10日は、ずっと以前は「体育の日」だった。

統計上、晴れが一番多い日を体育の日としたと記憶するが、地球も様変わりした。
こんな日もあっていいのだが、体育の日は晴れやかでいて欲しい。

午後、鯊釣りの名所・蜆川へ。
鯊は釣れず、河豚ばかりが掛かる。

海水が川に多く入り込んだためだろう。
釣果は、鯊21匹、ゼンメ1匹、河豚30匹ほど。河豚は全部川へ返した。


昨日は、高浜川柳会の句会日当日。
台風による会場の封鎖も予想されたが、台風が逸れてくれて事無きを得た。

ウイルス拡大防止による自粛時から始めた会員への推薦句も、すでに7号を数えた。
その都度、この項にアップしているが、今回は9月提出分の雑詠から ↓

退き時を暑さの中に示す蝉     都築典子

「蝉生れ出て七曜のまたたく間」(伊藤伊那男)と詠われているように、羽化してからの蝉の一生は七日間。もう出会うことのない月曜日、二度とない火曜日を思うと切ないが、刹那ゆえの美しさがある。灼熱の暑さの中で燃えつきる蝉の生。これ以上ない潔い退き時である。

西瓜割り爺にごめんと棒を振る     古橋文子

句の心情が微笑ましい。祖父が丹精に育てた西瓜だから、西瓜割りといえど、割ってしまったことへの仄かな懺悔。少年の心には、大きく育まれた祖父への畏敬の念があるのだ、と文字通りに解釈してもいいが、やはり、「ごめん」は少年の言葉を借りた文子さんの心情であろう。

幸せの目盛を下げてお茶すする     杉浦康司

「人間生まれてきたときは裸。死ぬ時にパンツ一つはいてたら勝ちやないか」と、お笑い界のビッグスター・明石家さんまは言った。「本来無一物」という禅の言葉を端的に表している。幸せに目盛があるのかどうか分からないが、幸せの目盛を下げる選択もまた幸せであろう。

医者通いマスクの下も紅を引く     羽柴悦子

コロナ禍の一風景。男の私が詠むと「百均のマスクで隠す無精髭」となるが、さすがに悦子さんは女の身嗜みを心得ておられる。マスクの下でも紅を引くことが女性らしいと言うのだ。ましてや心の紅であれば、得も言われぬ女心がマスク越しに漂う。

明け迄の長さが違う吟句の夜     山口清和

文芸にもいろいろあるが、秋の夜長に似合うのはやはり小説であるか。念願である山岡宗八全集などを読破するのもいい。川柳作家の清和さんはもっぱら「句」である。わずか十七音に自分の姿、自分の想いを託してゆく川柳。秋の夜長の句吟もまた乙なもの。



2020.10.04(Sun)
平泳ぎ上手くなりたい四畳半

事務所のカレンダーが捲られ、残り3枚だけとなった。
例年ならそろそろ忘年会の話も出てくる頃だ。

川柳関連で言えば、鈴鹿川柳会の忘年会に毎年参加させてもらっている。
昨年は、仕事納めの日にあたり、残念ながら欠席。

今年はコロナ禍にあり、大勢が飲食をともにする忘年会はやらず、忘年例会だけとなろう。
川柳を愛する友と酌み交わすこともできず淋しいことである。

7、8年前には湯の山温泉の希望荘での泊まりの忘年会があった。
大先輩である天根夢草さん、日野愿さん、早泉早人さん,南野勝彦さんとお話しができた。

日野さんは浴場でルームキーを失くしたと大慌て。
フロントとともにさんざん探した挙句、ご本人の足首に巻き付いていたことが分かり一件落着。

失くさぬよう「肌身離さず」を本人が忘れてしまったのである。
「仕様のない爺さん」と思ったものだが、その後この人の鑑賞文を読んで吃驚。

どうしたらこれほどの文が書けるかと空を仰いだものだ。
その一端を記してみよう ↓


リレー鑑賞「すずか路を読む」177号から

・夢ばかり大きく前へ進めない   沢越 建志

完全主義の男がここにいる。夢(計画)が完璧過ぎてその実現につい「考える人」になってしまうのだ。そうはいっても夢を小さくするわけにもいかず、男は辛い。

・かぶと煮の目玉率先して食べる   橋倉久美子

一番美味しく、しかも多くても二つしかない鯛?の目を、率先してなどまるで善いことをするかのように食べる女性。昔なら男が先に箸をつけるところを、ついでに頬の身も一緒に掬いとる、以ての外である。かぶとが出たら必ずこの句を思い出すだろう。これぞユーモア句のお手本。

・持久戦ならば絶対勝つ自信   鍋島 香雪

絶対といっておられる。マラソンの男女の記録がどんどん接近し続けている。そのうち男は瞬発力だけしか女性に勝てなくなるだろう。怖しいことである。

・縮んでいく自分から目をそらさない   くのめぐみ

ここに冷徹な目で老いを見つめる人がおられる。ハンディさえもささやかな風にしておられ、正に川柳的生き方であろう。

・洗濯を溜めて五輪へ燃える妻   山本 鈴花

そして金メダルともなれば鮨の出前、洗濯に続いて料理もパス。オリンピックの間、全国の鮨屋は忙しかったことでしょう。

・一年で二つ年取る親の老い   高橋まゆみ

子としてこんな哀しいことはない。直截な表現は川柳ならではで心を打つ。一年で二つが適切すぎる言葉である。「喜寿米寿母は小さくなるばかり」初太郎 を思い出した。

・やっとこさ秋の気配を運ぶ風   安田 聡子

同想は多いが、それだけ誰もが同じ思いをした秋の風。この作者の五句とも五七五のリズムが心地よい。

・買い物のついでに寄った墓参り   吉崎 柳歩

私の目には花束も線香も持った姿が浮かぶ。シャイな男は買い物のついでと照れている。

・充電をしてますノックしないでね   青砥たかこ

ノックせずに入った男は生涯恨まれた。  

                                     (堺番傘川柳会  阪南市在住)



2020.09.27(Sun)
倖せはいつでも潜る場所がある

シルバーウィークが明け、9月も残り少なくなった。
いたるところで彼岸花が燃え盛り、本格的な秋の粧いとなった。

吉浜の海岸では鯊シーズン到来。
鰻の釣り人が影を潜め、代わりに鯊釣り愛好者で賑わう。

シルバーウィークには日曜から火曜までの3日間、鯊を釣った。
いずれの日も、素人ながら2時間で30匹ほどの釣果。

鯊釣りの成否は潮加減にとどめを刺すが、それでも釣果の数はやはり熟練の技がモノを言う。
名人と呼ばれる人は、同じ時間餌を泳がせても、私の倍は釣っていく。

そんな技を盗みたいが、これも時間を掛けて学ぶ以外にない。
コツというものは確かにあるが、学ぶ姿勢は「コツコツ」がよい。


今日は、川柳きぬうらクラブの月例句会。
新型ウィルスが猛威を振るっている時勢だから、やや少なめの出席者。

大所帯の吟社では未だに句会ができてない状態。
よって、投句による誌上句会にせざるを得ない。

こういった状態がいつまで続くか?
ましてや、大会ができるようになるまで、いかほどの歳月を費やすことだろう。

今日の入選句。

原罪を背負うキャベツの微塵切り   「野菜」

軽やかになろう野菜というリズム   「野菜」

方程式で解けない秋ナスの美味さ   「野菜」

泥臭く生きようドレスなど捨てて   「ドレス」

ドレスアップして戦争が美化される   「ドレス」

青空のドレスでしょうかいわし雲   「ドレス」


句会を終えてから吉浜の海岸へ。
1時間半ほどで、鯊21匹、セイゴ2匹。

夕焼けの赤が海から消えかかるころ、海岸を後にした。



2020.09.20(Sun)
ふるさとのりんご畑もダムの底

「2020 美味良酒 マルア 秋の酒だより」が届いた。
「この秋、新発売です!」というマルア推薦の酒の数々。

もうずいぶん前から焼酎党の宣言をしている私にとっては、この便りは危ない存在である。
というのは、推薦酒の多くは日本酒であるからだ。

今は焼酎党だが、かつては日本酒党。
振り返れば歴戦(悪いことの方が多かったなぁ)の数々が我が前頭葉に去来する。

一升がほぼ3日で空いた。
一升瓶を冷凍庫で凍らせ、シャーベット状にしたものを日に3合。

夏なら分かるが、冬でもお構いなしにその飲み方は続いた。
幸い担架で運ばれることはなかったが、あれが続いていれば病院行きだったかも知れない。

ということで、マルアの酒だよりはいささか敬遠気味だが、いい酒が揃っている。
ありがたい便りを頂戴したことだし、少しばかり紹介してみよう。


ひやおろし&秋あがり
定義はしょせつありますが・・・・
どちらも寒(冬)に仕込んだお酒が夏を越え、熟成し秋に円熟し、旨みがのった日本酒のこと

 作 ひやおろし 純米酒  (三重県)清水清三郎商店  720ml ¥1.500
   特徴・・・・夏を越した穏やかな酸と干草を思わせる香り、どこか涼やかで落ち着いた後味

 久保田 千寿の吟醸 秋あがり  (新潟県)朝日酒造  720ml ¥1.450
   特徴・・・・原酒のまま熟成し濃厚な味わいに!

・ 酔鯨 純米大吟醸 高育・秋あがり  (高知県)酔鯨酒造  720ml ¥1.800
   特徴・・・・バナナの様な爽やかな香り、大吟醸らしいリッチな吟醸香、酔鯨らしい酸味

・ 手取川 純米大吟醸 生詰め ひやおろし  (石川県)吉田酒造店
  1.800ml ¥3.800 720ml ¥1.900
   特徴・・・・品格ある香り、程よいコク、円やかさ キリリとした後味!

・ 春鹿 純米吟醸 生詰酒 ひやおろし  (奈良県)今西清兵衛商店
  1.800ml ¥2.800 720ml ¥1.550
   特徴・・・・米の旨味が柔らかく円やか! 春鹿らしいすっきり!


と、ここまで書いたら、日本酒が飲みたくなってきた。
秋の夜長は人恋しくなるから、一本ぐらい呑んでもいいかな?


美味良酒 マルア 日本酒コーナー



2020.09.13(Sun)
青空を潜っていますハンモック

先週の台風の影響も手伝って、猛暑がやっと収まってきた。
我が家の隣の湯山公園は、法師蝉の声も遠のき、夜は蟋蟀の声が透き通る。

 
秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる  藤原敏行

古今和歌集の歌を取り上げるまでもなく、ようやく秋である。
そして、秋と言えば「鯊釣り」。

ということで、今日昼からは一級河川・矢作川へ。
ポイントとなる釣り場が分からず、数分で2匹ほど釣って退散。

やはり釣り慣れたところで釣糸を垂れるのがいい。
我が聖地・吉浜の海岸で30匹ほどを釣り上げ、たった今帰宅。

さて、これからが一仕事。鱗を落とし、首を刎ね、内臓を取り出し・・・・
こうして天麩羅や甘露煮の下地ができあがるのだ。


昨日は、高浜川柳会の定例句会。
↓ は、前月分の会員近詠の推薦句と鑑賞文である。


知らんぷりする友情が胸に沁み     山口清和

知らんぷりの友情って何だ。
一見突き放すようで、その根元には友を思いやる気持ちが漲っているのだろう。
「かげから見守ってあげるからね」は、のび太を気遣うドラえもんの台詞。
知らんぷりの友情は、そんな心と心で結ばれた絆である。

一生に何度でもいいうれし泣き     都築典子

一生に流す涙の量はどれだけあるのか。
どんなに少ない人でもドラム缶一缶では足りないだろう。
「男は泣くもんじゃない」で育った世代も泣くだけ泣いたが、うれし涙の方が遥かに多かった。
うれし涙の量はプール一杯分あってもいい。

コロナ夏ゆかた水着の嘆き節     古橋文子

「新型コロナさえなかったら夏を満喫できたのに」と思わずにはいられない。
だが、時代の生き証人である私たちは、後世のためにコロナ夏を実写しなくてはいけない。
そのたびに悔しい気持ちが滾るが、それもやがてはいい思い出となるはずだ。

自分流納得してる発泡酒     杉浦康司

発泡酒が「自分流」とはいささか謙遜が過ぎると思うが、ビールであれ、発泡酒であれ、自己を主張する意味では対等である。自分流で己の信じる道を歩いていけばよい。
「生き方を問われつづける発泡酒」(浪越靖政)。
川柳の先人はこう詠んだ。

ストレッチ筋肉質が邪魔をする     羽柴悦子

「筋肉質は体が硬い」というのが筋肉質の端くれである私の自覚症状。
よって、本当はストレッチで体を柔軟にしたいところだが、悦子さん同様、筋肉質がストレッチの邪魔をする。今はただただ我慢。もう少し歳を取り、筋肉がしっかり落ちてからストレッチしよう。



2020.09.06(Sun)
非売品です入道雲のすわる椅子

事務所のカレンダーが一枚捲られ、9月に替わった。
猛暑続きだったせいか、肩の荷が下りたような心持ち。

今月のカレンダーの画像はポルトガルのアゲダ。
カラフルな傘で空一面が覆い尽くされている。

世界の地名に疎い私には、アゲダがどんな街なのか見当も付かない。
が、解説を読むと少し理解できる。

「ポルトガルの中部に位置するアゲダでは、毎年7〜9月に“アゲダグエダ”という芸術祭を開催している。空を埋め尽くす傘の展示のほかにも、さまざまなアート作品や音楽が楽しめる」

傘祭りのそもそもの始まりは、アゲダの建物の低さに由来する。
アゲダでは、ポルトガルの鋭い夏の太陽光を遮る影が少なく、日射病、熱中症患者が続出した。

そこで、「空に傘を掲げ、少しでも楽に芸術祭を楽しんでもらおう」 とはじまったのが

 Umbrella Sky Project

芸術祭の一部ということもあり、その並べ方や色彩は年々アーティスティックになっていった。
近年、この美しい傘たちは話題になり、SNSを通じて世界へ拡散。

Umbrella Sky Project は世界各地へ広がった。
我が国ではハウステンボスで見ることができるそうだ。

またしばらく残暑は続きそうである。
カレンダーの傘でしばし涼を取ることにしよう!



アゲダの傘祭り



2020.08.30(Sun)
ジプシーのように夜明けの洋食屋

昨日・今日と鯊釣りで暮れた。
蜆川(しじみがわ)の橋の下と吉浜の海岸が釣り場。

初夏の頃に比べると一回りも二回りも型が大きくなり、鯊の成長が窺える。
鯊釣りも立派なレジャーだが、それにしても今夏は手応えのない夏だった。

何より遠出をしようという意欲に失せていた。
気持ちはあるが、行動が伴わない。

坂道の途中で息がとぎれとぎれの状態。
こんな夏もあったと懐かしく思える日は来るか・・・・


「川柳おかざき 風」の表紙絵の印象吟が、また3作溜まった。
下の絵はいずれも豊田市下山地区在住のイラストレーター・なかむらひろこさんの作品だ。

印象吟は、なかむらさんの作品からイメージしたもの。
下山地区の原風景を描いたこれらの絵に存在するのは“詩心”。

その詩心に調和する印象吟を意識しているが、それでよいのか悩むところだ。
世に「二物衝撃」というものがあって 、意外な印象吟がドラマを生むこともある。

絵と句が一見何の関係もないようでイメージの奥が通底していれば、新しい世界は生まれる。
そんなことも考えなくてはいけないのだろう。


7月号

かなかなの音色が開ける滑走路

「かなかな」は、日暮れ時に鳴くことから「蜩(ひぐらし)」の和名がついた。
俳句では秋の季語とされるが、梅雨の最中から鳴き始め、他の蝉よりも早い。
その物悲しい音色とは遠く、滑走路のごとく真夏の扉を開けてゆく。



8月号


二重線引いてしあわせだと記す

稲にも花が咲く。
実のできる植物がみなそうであるように、稲も花を咲かせ受粉することで米になる。
開花時はいたって短く、猛暑日の朝の二時間ほど。
短命ゆえ不幸な気もするが、稲の花にとってその刹那はもっとも幸せな時間なのだ。


9月号


青空を二つ映してヤンマの眼

今夏はどの小学校も水泳の授業は中止。
持て余したプールをトンボの幼虫の飼育に利用した学校もあるとか。
生徒の手でヤゴを羽化させ、成虫になる瞬間を見届けさせるのも大切な教育である。
そして子供たちは、複眼のトンボの眼に二つの青空があることを知った。



2020.08.23(Sun)
海へゆく

一年のうち三百日ほどは海へ出る。
と言って、舟を漕いで漁に出るわけではなく、夕刻の散歩である。
夕食を終えた午後七時少し前から一時間ほど。
釣り人と語ったり、空や対岸の灯を眺めたり、石鹸では落ちぬ心の垢を洗い流す美しい時間である。

そうした散歩の記録がささやかだが我がブログに残っている。
読み返すと、青春の匂いのように心に沁みる。
寝苦しい夜は、うんと冷えた缶ビール片手に、海を歩いた日々を辿るのも楽しい。


 夕刻の散歩は、涼風を求めて衣浦の海へ。海岸は釣り場になっていて、数多の釣竿が並ぶ。
 人の数はその四半分にも満たず、竿の先端から発する光だけが力強い。

 釣り人は鰻を求めて夜毎通ってくるようだ。
 鰻は、鯊のようには食いつかず、よって仕掛けの数で勝負ということか。
 腕に加えて、潮の流れ、時間帯、釣るポイント、餌の種類等いくつかの条件が重なり鰻は釣れる。

 一晩に七、八匹釣る猛者もいれば、ボウズで帰るカナシイ人もいる。
 釣り場には釣り人の悲喜こもごもが渦巻いている。(令和元年八月十一日)


それまで高浜市を東南に流れる稗田川沿いが散歩コースだったが、この日から海へ。
ちょっとした気分転換が高じて、鯊釣りなどに興味を持つようになる。

 昼過ぎから吉浜(芳川)の海岸へ。
 いつもは夕方の散歩で出かけるのだが、今日は「嫁入り舟」を見に。
 この海岸は「藤江の渡し」跡。毎年この時期に「芳川渡し場まつり」が催され、嫁入り舟が再現
 される。(令和元年十月二十七日)


藤江の渡しは、商人などが通行の手段として行き来し
ていたが、嫁入り舟として利用されることもあった。嫁入り舟の再現は平成八年から。四十年ぶりのことだった。

 夕刻の散歩では、まだ鯊を狙う釣り人に遇った。
 そうか、これだけ暖かい年の瀬なら、浅瀬にも鯊はいるのだろう。
 昼は師崎で鱚を釣り、夜は吉浜の海岸で鯊釣り。
 温暖化の波は、吉浜の海にも押し寄せていて、笑顔を振り撒いているのだ。
 (令和元年十二月二十二日)

 河岸を変えて今度は、衣浦海底トンネル(碧南側)の釣り場へ。
 三十人ほどいたが、ほとんどがルアーによるシーバスフィッシング。
 数人に釣果を尋ねたが、すべてボーズ。
 海の青を吸いに来ただけの愛しい釣り人ばかりだった。(令和二年一月十二日)

シーバス人気の高さには驚かされた。ほとんどが若者である。釣果など関係ないという潔さがある。
「釣れず
とも夫婦で海の青を吸う(手嶋吾郎)」とも違う。シーバスはロマンなのだろう。

 家人と知多郡豊浜町の「釣り桟橋」へ。一時間ほどでバケツいっぱいの釣果。
 さかな広場内の食堂で海鮮丼千三百十円(税込)をかっ込み、帰路についた。
 さてと、これから鰯の刺身で一杯、「久保田 純米大吟醸」を飲ることにする。
 (令和二年一月十九日)

この頃から釣りの実践派に変身。「踊らにゃ損」を体感する。
物事は皆そうだ。見ているだけではつまらない。


 土・日曜の午後は、家人と一緒に海までの散歩。
 海まで片道二十分、海岸線を二十分といった塩梅で、散歩の時間は一時間を要す。
 顔見知りに遭遇したり、可憐な草花を見つけると、さらに時間が掛かる。

 ということで、今日は一時間五十分ほどを陽光の下に身を晒した。
 海岸線の斜面に小さな白い花々。野性のバラだろうか、花木にいっぱい棘がある。
 昨日手で折ったものを花瓶に挿すと、これがいい空間を作り出す。
 今日の散歩では、家人は鋏を持参したほどで、ちょっとした海からの贈り物であった。
 (令和二年五月三日)

散歩も旅と同様さまざまな発見がある。発見は生きて行く力だ。
老いるとはその力が無くなってゆくこと。な
らば、歩き続けることで生きる力を溜めていきたい。

 散歩コースの民家に十bほどの樹が聳え立っている。
 遠目から「桑の樹か?」と思ったが、近づくとびっしりの実。
 梅の実よりもやや大きく、堅そうである。葉は大きく、柏のようにしっかりしている。

 ネットで調べると胡桃。そこいらに栗鼠が棲んでいそうな気配。
 大山緑地公園には半世紀前まで栗鼠がいたそうだ。(令和二年六月二十八日)


胡桃の木にはハッとしたが、出逢いとはそんなもの。

思いも掛けず降りてくるものがある。私にとっての海がそうだった。

 七月に入り自粛モードが融けてきた。碧南市の「つり広場」もそうで、久しぶりに行った。
 曇天と思いきや、途中から夏の光が射し込み、肌の露出する部分はすべて軽い火傷状態。
 家人と二人で、鯊二匹、笠子二匹が今日の釣果。(令和二年七月五日)


ヘミングウエイの短編小説『老人と海』を久し振りに読んだ。
カジキとの格闘の最中、老人のスクリーンに船員だった若い頃の記憶が鮮やかに流れてゆく。
それはまるで織物を紡ぐ縦糸と横糸のように。


老人ほどの刺激が欲しいが、そうはいかず、今日もさっきまで陽と戯れていた海岸線を歩く。
海を歩き終えたら(それはまだ遥かな道のりだが)、老人のようにライオンの夢を見ることにしよう。


                                        (刈谷文協文芸誌「群生」寄稿)



2020.08.16(Sun)
櫓を漕ごう地球は青い海なんだ

盆休みはどこへも行かずに終わった。
本当は少し遠出がしたかったが、そんな雰囲気ではなかったというところだろう。

それでも2日間、家人と鯊釣りに出かけた。
碧南市の釣り広場に繋がる「蜆川(しじみがわ)」だ。

40℃近い炎天下では焦げ付きそうなので、産業道路の橋下で釣糸を垂れる。
ゆっくり流れる風と時間はまさに、浮き世を忘れる至福時。

海水と淡水が混じる汽水域は、鯊の宝庫。
とは言え、素人の夫婦にとっては20匹ほどの釣果がやっとだった。


昨日、柳友の珠ちゃんことやまぐち珠美さんから書籍が届いた。
「海老名 川柳天馬 三周年記念 合同句集」(海老名市川柳協会)である。

珠ちゃんは、「海老名 川柳天馬」の代表であり、川柳講座の講師。
巻頭の言葉に会員への心遣いがあり、心惹かれる。

「当会員の句は、上手に創り込んでいる句はありませんが、命の躍動があります。
巧い表現のつなぎ合わせはありませんが、率直な表現が共感を呼びます。
そして何より“詩”があるのです」

「川柳は生活の詩です。
真ん中に人間を置いて、ときに身内のことを、ときに自身の中の鏡を、ときに
世情の理不尽を、そして森羅万象をうたいます」

「うたうことが、明日のサプリメントになっていきます。
一句一句に甘辛の人生があり、未来があります」

↓ は、「海老名港開港」と題した珠ちゃんの句


海老名開港オールへ皆の名を綴る

夕まぐれ穂波の海の潮の音

君の声君の句柄の満ちてくる

同席の小さな船の名は天馬

少年を少女を胸に秘め船出

あなたの詩をみんなで謳う日の出

海の彩ときに涙のひとしづく

船長と冒険をしてくれますね




2020.08.09(Sun)
もう少し見ている夕暮れの電車

ずいぶんと日が短くなってきた。
それもそのはず、すでに立秋を過ぎている。

夕方の散歩は、海に着く頃にはまだ明るいが、海岸線の半ばくらいまで行くと陽が落ちる。
まだ釣瓶落としとまではいかなくとも、もうすぐだ。

日曜日の夕方の海は、釣り客が数多。
シーバス、鯊、うなぎと狙うものは違うが、ここのところ増えたのは鰻の釣り人。

梅雨明けからにわかに鰻が釣れだし、その情報を聞きつけたツワモノどもがやってくる。
まだ2日に1本といった塩梅だが、そのうち1日1本に変わるだろう。


昨日は、高浜川柳会の定例句会。
県独自の緊急事態宣言が出されている中での開催。

三密を避け、マスク、手洗い、嗽の励行は欠かせない。
そうした労を惜しまない会員の努力で成り立っている会だ。

月一の作品発表の場だけに、みな真剣勝負。
互選句、課題句、雑詠の選に至るまでの2時間はかけがえのない時間だ。

今日は雑詠の推薦句の鑑賞を書いたが、これは次月発表分。
7月句会時の推薦句とその鑑賞を以下掲載させていただく。


また豪雨癒しの川が魔物に化す     羽柴悦子

九州や中部圏に大きな被害をもたらした記録的な大雨は、気象庁で「七月豪雨」と命名された。
普段穏やかな川の著しい増水や氾濫を「魔物に化す」の措辞が見事。
あえて下六としたことで、常軌を逸した大雨への怒りも読み取れる。

いい別れ胸に慕情の火を灯す     山口清和

愛し合っている男女の別れのシーンだ。「慕情」は、恋しく思う心。
別れの理由が気になるが、詮索は止めよう。かつてのハリウッド映画の台詞「このままだと笑顔でさよならを言えなくなるわ」(ジョーン・フォンティン「旅愁」)が甦る。

花模様マスクが温い親子連れ     都築典子

コロナ禍での一光景だ。世界中を震撼させている疫病下にあっても、心を癒す材料はいくらも存在する。典子さんは、花模様のマスクを付けた母娘連れを美しいと感じたのだ。手作りの温もりとともに、母娘の絆をも感じたに違いない。

孫を抱く初めましてと五分間     古橋文子

子と孫の可愛さの違いを、「毎日食べている白いご飯と、たまに食べる味の付いたご飯の違い」と言った人がいるが、愛情の量は同じでも、その姿かたちは違ってくるものだ。初めて抱く孫との数分間は、まさに至福の時である。

太陽の匂いが僕のパワー源     杉浦康司

「人間らしい生き方って何」と時々考える。それは人それぞれ違うが、「晴耕雨読」が原点のような気がする。いつも畑仕事にいそしむ康司さんは、そうした自然の営みから力を貰う。とりわけ太陽の匂いが生きる活力となっているのだ。



もう少し見ている夕暮れの電車



2020.08.02(Sun)
炒飯の具にして悔しさを食べる

俳句仲間のBさんからメールをいただいた。
仲間とは言っても、ネット句会で知り合っただけで一面識もない。

ネット句会のBさんの作品をこちらが一方的に知っているだけで、私は一度も投句していない。
何かの加減で誤ってネット句会の参加者に名を連ねてしまったようなのだ。

メールから察するに、Bさんは岐阜市出身。
年齢、職業不詳。どんな経歴の人かも不明である。

だが、メールの文章からは怖ろしいほどの詩性がほとばしる。
どこを押しても、引いても、叩いても、詩人の匂いがする。

「岐阜便り」と名付けた近況報告は ↓


昨晩、網戸をばたばた叩くものがあり、網戸を開けてやったらカブトムシが入ってきました。ツノはなく雌です。残念、と思ったけれど、やはり女性に好かれるのは気持ちがよく、写真を撮ってやりました。

…… で、部屋に樹液があるわけではないので、玄関脇のシラカシの幹に放してやりました。
すると上へ上へと登って行きました。

この4、5日前には、日暮れどきと、翌朝暗いうちに、わが家の裏近くで、蜩が鳴きました。カナカナ〜と、忘れ物を思い出そうとしても思い出せないような、そして、消え入るように、鳴いていました。

岐阜市のはずれでカナカナを聴くことは滅多にありません。

美濃市、郡上まで北上すれば、よく聴くことができますが、岐阜市周辺では珍しいことです。

(郡上おどりは、今夏はライブ配信です)

いまは、すっきりとした夏空です。
クマゼミが盛んに鳴いています。


Bさんがカメラに収めたカブトムシ ↓
梅雨明けの光のように晴々した気持ちになった!






2020.07.26(Sun)
豆ごはんふっくら炊けた読後感

梅雨の長雨とでも言うのか、雨が止まない。
大抵は夏休み前に梅雨明けはあるが、今年は容赦ないようだ。

各地に甚大な被害をもたらした上に、記録的な日照不足。
農産物は今後、軒並み高騰することが予想される。

長期に亘るコロナ禍で人の心は疲弊、このまま地球は滅亡するのでは、と疑いたくもなる。
「ノストラダムスの大予言」の著者・五島勉さんが先月亡くなったことが報じられた。

「1999年7月、空から降ってくる恐怖の大王によって、世界は滅亡する!」
怪人ノストラダムスによって、地球と人類の未来はこう予言されたのだ。

この予言は幸いにもハズレたが、違うカタチで人々に迫り来るような気がする。
人類滅亡の危機は、すべて人間の驕りに元凶があるからだ。

五島さんの死と新型コロナの発生が同時期なのは必然と思えてならない。
神様の怒髪天をもたらしたのはやはり人間なのだから。


さて、岡崎川柳研究社では8月句会から、一部講座を始める。
句会後(または句会前)の30分ほどだが、どんな形にするか思案している。

レジュメ(テキスト)も作らねばならず、8月1日(土)に間に合うか?
この一週間、楽しみながら準備をしよう!



2020.07.19(Sun)
黴臭い句集に海を見せてやる

高浜市文化協会で毎年開催される文芸コンクールの短歌の部でご指導いただいている歌人・佐野美惠さんからお便りをいただいた。

先日、今年の開催要項を持参して挨拶に伺った折、戯れに詠んだ歌を見せたところ、「これは短歌の見本です。私の主宰する歌会で会員に披露したい」と仰られたことを思い出した。

手紙には、私の短歌が会員の皆さんの大きな刺激になったことと、当日の互選用の会員の作品に対して指導して欲しい旨が書かれていた。

ちなみに私が持参したのは ↓ の五首。


 遮断機の下りてゆくよう草を食みキリンの首に秋透き通る

 立ち漕ぎをして青春を追いかける九月の雨はまだ優しくて

 淋しくて空と話してみたくなる夏の星座がしばらく続く

 洋風のトイレの窓に光射し回転木馬は音もなく来る

 無気力がクルクルバスに乗っている思考停止の時間が過ぎる



短歌は全くの素人ゆえ、作品の良し悪しを論ずることはできないが、雰囲気は分かる。
それは、川柳、俳句といった短詩系文芸に多くの時間を費やしてきたからだろう。

先輩諸氏の作品を論ずることは僭越だが、心に残った歌を抽出した。
抗いがたい雰囲気だけで選んだものだが・・・・


 天が罰を下しているか執拗にパラソルを打ち続ける夕立   宮沢実

 「ぞうさん」の唄を歌って昼寝さす母が恋しい涙を拭ひ   鈴木栄

 無観客なんとさみしい野球場ビールの売り娘笑顔に会いたし   久野和夫

 世の中の仕組みに慣れよ新社員雨ニモマケズ風ニモマケズ   本田伊都子

 足首の萎えしを姉は擦りつつ奪はれてゆく幸せを言ふ   佐野美惠




2020.07.12(Sun)
平和への道筋ナスのやわらかさ

歌人の岡井隆さんが亡くなった。
と言って岡井さんと接点があるわけでなく、岡井さんのことはほとんど知らない。

どんな歌集を残したのか、どんな短歌を詠んだ人だったのか?
それらも知らないで、ただ名前だけは存じていた。

それは、中日新聞で連載されていた「けさのことば」の力だ。
毎日、紙上で短詩型文芸を取り上げ、論評をされていた。

それを楽しみにしていたと言えば嘘になる。
熱心な読者と言うには遠く、たまにそのコーナーを覗く程度だった。

それが、ある日の「けさのことば」の俳句には釘付けにされた。
その様子を、我が川柳句集のあとがきでこう述べた。


 レモンいれて紅茶薄るる朝から雪  内藤吐天

それまで現代詩を齧っていた私が、短詩型文芸に触れるきっかけとなったのは、その当時、中日新聞に連載されていた岡井隆さんの朝刊コラム『けさのことば』の中の上の俳句でした。

こんなに自由に、やさしく、そして柔らかい一行詩を詠めたらいい。
破調も気にせずに、ありのままの日常を詠める俳句っていいなと思ったものでした。


その感動はいつしか萎んでいったものの、身体の芯のどこかに残っていたのでしょう。
短詩型という水を求める心の芽が、いつしか芽吹いていったのです。(以下略)


短詩型文芸の中でも、虜になったのは川柳。
その後、縁あって俳句は細々だが続いている。

そして、短歌に・・・・・というところには至ってないが、どう転んでいくか?
棺に入るまでわからない。

さて、塚本邦雄、寺山修司とともに前衛短歌三雄の一人と言われた岡井さんの代表作 ↓
2020年7月10日没、92歳。


耳は眼を覆わむばかり 雨少女ザムザザムザムわれに蹤きくる 

桜なんか勝手に咲けよまだすこし怨念がある昨日の夢に

海こえてかなしき婚をあせりたる権力のやわらかき部分見ゆ

蒼穹は蜜かたむけてゐたりけり時こそはわがしづけき伴侶

くッと言ふ急停車音広辞苑第三版を試し引き居れば

スラリ一すぢ白色灯を差しかへて脚立を下りる時の眩暈        『ウィキペディア』より



2020.07.05(Sun)
父の落書き帳にニッポンの夢

7月に入り自粛モードが融けてきた。
碧南市にある釣りの公共施設・つり広場もそうで、久しぶりに行った。

曇天と思いきや、途中から夏の光が射し込み、肌が露出する部分はすべて軽い火傷状態。
家人と二人で、ハゼ2匹、カサゴ2匹が今日の釣果。

川柳句会の方は、我が高浜川柳会は6月から平常通り。
除菌、マスク着用、ソーシャルディスタンス、換気を徹底させた上での開催である。

面倒くさいこと数多であるが、生きるとはそういうこと。
苦行からは生涯脱する事は出来ないのだろう。

最近恒例になってきた、会員の近詠の推薦句と鑑賞は ↓
私が言うのは何だが、なかなかいい!


きれいな目マスク美人につい見とれ     杉浦康司

働いている人の目は概して美しい。それは、働くという行為が人のお役に立つからに相違ない。この時節、医療関係に従事されているマスク美人によく遭遇する。一応にキラキラと光り輝く目をしている。

十万円待たず壊れた洗濯機     羽柴悦子

新型コロナ感染拡大防止に端を発して、政府はすべての家計へ支援を始めた。十万円の給付金を何に使おうか?羽柴家では洗濯機の買い替え。「支給されるまで洗濯機よ壊れるな」の願いも虚しく、あの日から洗濯機は動かない。

美食家の原点母の煮た大根     山口清和

昔、大根の売り声は「でぇーこ、でぇーこ」と、泥付きで瑞々しく聞かせたそうだが、この句の場合「大根」は「だいこ」と読ませたい。母の味が食の原点になっているのは、誰にも思い当たること。故郷へのノスタルジーに似ている。

認知症この世の苦労ひとつ脱ぐ     都築典子

一読して、鳥取県の川柳作家・新家完司さんの名句「あきらめたとき美しくなるこの世」を思い出した。「あきらめ」は「明らかにすること」という意の仏教用語。典子さんは、認知症の効力を「苦労を脱ぐ」ことだと見抜いたのだ。

バイク音ことりと朝を置いて行く     古橋文子

新聞配達の光景だろう。朝刊を新聞受けに配る様を「朝を置く」とすることで詩になった。夜明け前、配達人が「ことり」と朝を置く。それはまるで生みたての卵のように。その卵はすぐに力強い朝へと変化する。




2020.06.28(Sun)
無印で生きるサラダ巻になって

散歩コースから少し外れた民家に10bほどの樹が聳え立っている。
遠目から「桑の樹か?」と思ったが、近づくとびっしり実を付けている。

それは梅の実よりもやや大きく、堅そうである。
「あんず?」「すもも?」とも思ったが、葉の形が違う。

葉は大きく、柏の葉ようにしっかりしている。
スマホで撮った画像を調べてみると、九分九厘、クルミだった。

後日、その樹の持ち主に聞くと、やはりクルミ。
クルミは胡桃と書き、栗鼠が棲んでいそうな気配。

町中に栗鼠など棲むことはないが、近所の大山緑地公園には半世紀前まで栗鼠がいたことだし、栗鼠は胡桃の樹にはぴったりの取り合わせだ。

胡桃の樹は ↓


胡桃


今日の当初の予定は、鈴鹿市民川柳大会。
コロナ禍においては叶わぬ大会となったが、選者の顔触れが凄い。

青森の麒麟児・濱山哲也さんや薩摩おごじょ・石神紅雀さん。
京都長岡京の鬼才・西山竹里さんなど、全国区の強者ばかり。


これら選者に挑むのは、これまた全国を股に掛けて活躍する悪党たち。
強者と悪党が抜き身を構えて死闘を演じるのである。

今大会は、内容一切を換えず来年に延期。
栗鼠のように胡桃の実を齧りながら待つことにする。



2020.06.21(Sun)
棚卸やっと自由になりました

和歌山市在住の川柳作家・たむらあきこさんが「前田咲二の川柳と独白」を送って下さった。
「川柳瓦版の会」の前会長・前田咲二の遺句集ということで、たむらさんの監修である。

あとがきを読むと、遺句集出版への並々ならぬ情熱が垣間見える。
情熱は、亡き恩師の魂を消してはならぬという焦燥の裏返し。

「生前どれほど活躍されても、年月とともにその名は忘れられてゆく。そのことを思えば、遺句集をなるべく早い時期に出さないことにはいたたまれなかったのである」

と、結ばれているように、かつて川柳の東の横綱と称された師の偉業を残すには、句は無論のこと、その独白を含めたものでなければならなかった。

独白の多くは、「川柳瓦版」に書かれた巻頭の言葉。
そのどれもに温かいまなざしが感じられる。

「句は、つくったらあかん」

「(時事句とは、眼前に生起するアクチュアルな事象を、ある限定された時間の中で捉えた句とされるが)事象には、四季折々の我われの身辺を去来する些事雑事も含まれる」

「現在を生きているあなたの生活そのものが時事である」

猛暑でもクーラーを付けず、網戸の隙間から入ってくる虫たちと共棲した前田氏。
あのダンディーな身なりからは想像もできないことだった。

しかし、生前、句集を出すことを良しとしなかったことを聞き、なるほど野武士然とした孤高の川柳家であったと納得した。

ぼろぼろになるまで何度も読み返したい遺句集であることは確か。
下は、川柳の東の横綱の遺句の一片。


わたくしの干潟が満ちるまで遊ぶ

黒木瞳が死んでと言えば死ぬだろう

寿命との追っかけっこはやめにする

男ひとり皿を汚さぬように食う

切っ先をいつも自分に向けている

水の底を水が流れている輪廻

お笑いください涙あふれて止まらない

主役にはなりたくないという写楽



2020.06.14(Sun)
にんげんが好きで雑学には強い

夕刻の散歩は、いつもどおり吉浜の海岸へ。
鯊(はぜ)や鰻が釣れ出す頃だから、釣り人が数多。

シーバス狙いか、鯊か、鰻かは、その姿かたちからして一目瞭然。
鯊釣りの多くはベトナムからの実習生だ。

コロナウイルス感染拡大の影響で、企業は残業、休出、夜勤がほとんどなく、平日でもこの時間帯はこうした釣り客で賑わう。外国人実習生にとって、釣りは金の掛からない健全な遊びなのだ。

鰻狙いの釣り人の群れの中に、Kさんがいた。
Kさんは近所の釣り愛好家で、齢八十少し前(たぶん)。

毎晩腕が鳴るようで、五月を待ってあちこちの漁場へ出没。
天然湖沼である油ヶ渕や長田川、猿渡川に繰り出し、その雄姿を他の釣り人に見せていた。

Kさんが吉浜の海岸に姿を見せたのだから、この先仲間も一斉に繰り出すに違いない。
夕の散歩が賑やかになりそうだ。

帰宅後、一風呂浴びてから大河ドラマ「麒麟がくる」が日曜夜のパターンなのだが、コロナウイルス感染拡大の影響でロケができず、今日からしばらく放映中止。

残念だが、まあいいか。「桶狭間の戦い」も終わったことだし、次回放映までゆっくり待とう。
忍耐を養うにはこうした時もなければいけないのだ!



2020.06.07(Sun)
終息のきざしが見えぬ蚊の羽音

我が庭のラズベリー(木苺)が実を付けた。
ほどよい酸味と甘みがヨーグルトに合い、食後のデザートとして賑わせてくれる。

ブラックベリー(黒木苺)と違い、ラズベリーは真っ赤な色彩のまま食用時期を迎える。
桑の実もそうだが、ブラックベリーの食べ頃は黒く熟してから。

ラズベリーとの違いは、その実りのときの色彩と収穫時。
およそ一月ほどのずれがあるから、ラズベリーの後はブラックベリーに移行。

甘酸っぱい夏の香りが我が庭に充満する。
これから一月ほどはこれらデザートを楽しめるという寸法だ。


敬愛する川柳作家 丸山進さんのブログに、広瀬ちえみさんの句集が紹介されていた。
広瀬さんは仙台在住の川柳作家で、川柳杜人社の代表的な書き手。

句集のタイトルは、『雨曜日』(2020年刊 文學の森)。
タイトルからして、「やられた」という気になった。


遅刻するみんな毛虫になっていた

いっぱいになったポタリが集まって

楽しんでいただく崖の予約席

金曜日の味がしたなら大成功

向こうからまるで原野がやってくる

レシートをもらう向日葵畑から

さよならをバシッと決めるフォアハンド

咲くときはすこしチクッとしますから

体内の大きな合歓の木が揺れて

うっかりと生まれてしまう雨曜日


かつての代表句(と思う)「このバスでいいのだろうか雪になる」
に見られる不安材料をすべて払拭したような句姿だ。

川柳は、これでいいのだろう。
丸山さん、感謝しながら引用させてもらいました。



2020.05.31(Sun)

揺るぎない足跡ですか現在地

鉢植えの孔雀サボテンが満開の時期を迎えた。
一鉢は赤い花で、もう一つは白い花。

曇天の下にあってさえ、この大ぶりの花はとても鮮やかだ。
まもなく梅雨入りという季節の中で、しばらく目を楽しませて欲しい。


「川柳おかざき 風」の表紙絵の印象吟が、また三作溜まった。
下の絵はいずれも豊田市下山地区在住のイラストレーター・なかむらひろこさんの作品。

この絵をイメージしての印象吟を受け持ってからはや半年。
好きなように書かせてもらっているが、これでいいのかという気持ちは拭えない。

およそきれいな詩は川柳に似合わない。
ちょっと毒を混ぜて・・・・が課題かもしれない!


4月号


少年に還るツバメの宙返り

気高く伸びやかに四月の風に乗って舞い飛び、パチパチと嘴を鳴らして虫を咥える燕たち。木曽福島(長野県木曽郡木曽町)は彼等にとって別天地だ。商店街や民家の軒下の巣は人の手が届きそうなところにある。とある街角の看板【燕 低空飛行中につき 徐行 お願いします】


5月号


ぶらんこが風に甘えている五月

ブランコの揺れを「ゆあーん ゆよーん」と詠んだのは中原中也。「幾時代かがありまして茶色い戦争ありました」で始まる「サーカス」という詩。時は変わり、令和のブランコはどんな擬音を奏でるのか。ゆっくりと揺れるブランコは五月の風に甘えているのだ。


6月号


滝のごと落ちる銀河の甘い水

梅雨時期から夏にかけて見られる幻想的な光。雨上がりの夜は特に美しく、夏の訪れを感じさせてくれる蛍。〈じゃんけんで負けて蛍に生まれたの〉は、池田澄子さんの有名な俳句。生まれたばかりの蛍さえ、銀河の甘い雫を待ち侘びているのだ。



2020.05.24(Sun)
新作の風のカタログです かしこ

眠る前の一時、「点鐘叢書 墨作二郎集(現代川柳点鐘の会)」を捲る。
この句集は、「解かる、解からない」ではなく、「何を感じるか」に力点があると言ってよい。

だが、何を感じるかの「何」が掴めない。
手掛かりとして、まず全100句からチクッと心を刺したものを抜粋する。


人は誰もが淋しさに生き 花は葉に

蝶は溺死 雨のにおいを着こなして

みほとけの耳にいくたび 山河の賦

空缶に金魚が沈む 嘔吐の冬

銀座どしゃぶり ノート一冊傷だらけ

珈琲茶碗 街のパズルは硝子越し


いずれも、詩の匂いはするが、それ以上はお手上げ。
平宗星さんの解説を読むと、これらの句は「二句一章」というものらしい。

二句一章とは、
17音の句が詩として自立するための手法である。
そのためには、17音をさらに二つのパーツに分けて詠んでみる。

そのとき大切なのは、この二つのパーツが意味の上で断絶しており、しかも繋がっていること。
二つが、付かず離れずの関係でなければいけないというのだ。

一見何の関係もないようで、二つはイメージの奥に通底するものがある。
これが作品のドラマ性を生み、新しい世界を現出させる役割を果たす(二物衝撃)。

この考え方は、「人間の存在はつねに両義性を持って生きている」(実在主義)というところから発生する。それは、上半身が人で、下半身が魚の尾に終わっている人魚のように。

墨作二郎は、常に両義性を持つ「人間の存在」を探求し、哲学にまで高めようとした。
その手法として、二句一章という形を用い、新しい現代川柳を創造しようとしたのだ。

墨さんが亡くなったのは、平成28年12月23日。
あれからもう三年半が経った。..




2020.05.17(Sun)
のほほんと妻のレールに乗っている

「桑の葉を収穫したい」という家人のリクエストに応えて、昨日は久しぶりに稗田川を歩いた。
稗田川沿いの堤防には桑の木が30本近く植わっていて、浅い緑の色彩を放っている。

持参したビニール袋いっぱいに、丁寧に摘んだ桑の葉を入れる。
それからの行程はよく知らないが、これが桑の葉茶となるらしい。

どくだみやゴーヤ同様の健康茶なのだろう。
桑の木には桑の実が少しずつ色づいていて、これまた収穫の時期が近づいている。

5月も半ばが過ぎ、バラの真っ盛り。
ということで、今日は西尾市内の「憩いの農園」へ。

植木や苗木、鉢花など産地直売方式で提供する総合ショッピングセンター。
約1,000種類、四季折々の品揃えに定評があり、今は春のバラ祭り開催期間中。

しかし、家人が購入したのはバラではなく、「ひな祭り」という種類の紫陽花。
季節を先取りしているのか、遅れているのか・・・・?



憩いの農園・バラ園



紫陽花・ひな祭り

帰り道、一色さかな広場に立ち寄り、海老せんべいと烏賊せんべいを購入。
今年初めてのかき氷を、海の見える丘で並んで食べた。




2020.05.10(Sun)
車座になればいい人だと分かる

昨日は、高浜川柳会当日のはずだったが、会場である公民館が休館。
ウィルス感染拡大防止のため仕方ないことだが、前月のようにファックス、メールによる句会。

味気なさはこの上ないが、この世には耐えなければならぬこともあるから、あえて甘受。
会員の近詠の推薦句と鑑賞を書かせてもらったので、ここに披露する。

ヨタヘロ期ギッコラギッコ三輪車     古橋文子

健康寿命と平均寿命の間のおよそ十年が「ヨタヘロ期」。ヨタヨタ、ヘロヘロとよろめきながら三輪車の速さでこの世を進む。しかし、「ギッコラギッコ」のオノマトペは明るい。

一万歩歩いた今日の満足度     杉浦康司

吉浜の海岸線を毎日のように歩くが、歩行後のほどよい疲れは何物にも代え難い。そして、一風呂浴びてからのビール。康司さんも、畑仕事とウォーキングの後は格別なのだろう。

自粛中監視は無しで自粛します     羽柴悦子

自粛とは、自発的に行いを慎むこと。そこには他人の監視は存在せず、己の強固な意志だけが頼り。とは言え人間は弱いもの。下五の字余りが、何とも不安な気持ちを描いている。

教科書がなくても野バラ咲いて散る     山口清和

散歩の途中にイノバラをよく見掛ける。コンクリートの隙間から蔓を伸ばし、花を咲かせるほどの強靭な生命力。教科書どおりにしかできない人間の弱さを思い切り知らされる。

老いの身にアップダウンの世がきつい     都築典子

「アップダウン」は人生の浮き沈み。若い頃には耐えられた苦しさが、老いとともにきつくなってきたのだろう。だが、同時作「悩みごと先送りしてぼかす知恵」にあるように、苦しみをぼかす知恵もちゃんと身に付けているのだ。


連休最終日の今日は、家人と連れだって松平郷〈豊田市松平町〉へ。
松平郷は、徳川三百年の礎となった松平氏発祥の地。

我が家からは、県道419号、伊勢湾岸自動車道、東海環状自動車道と乗り継ぎ、豊田松平I.Cで下車、そこから一般道で10分。全長50分ほどの道のりである。

松平郷園地、松平東照宮、高月院、松平城址、松平郷展望テラスなど、主要箇所を一巡。
歴史に埋もれた静かな佇まいにしばし時を忘れた。

鶯が鳴いていた。
寄席でかつて聞いた声帯模写・江戸屋猫八そっくりである。

東照宮の狛犬は阿吽ともにマスクをしていた。
手拭いで作った少し雑なマスクであったが。

帰りに、(株)ふるさと本舗で土産の松平まんじゅうを購入。
黒蜜と自家製の餡を使った、皮のふわふわ感が絶品のまんじゅうであった。



2020.05.03(Sun)
にんげんの証泣きます笑います

土・日曜の午後は、家人と一緒に海までの散歩。
海まで片道20分、海岸線を20分といった塩梅で、散歩の時間は1時間を要す。

顔見知りに遭遇したり、可憐な草花を見つけると、さらに時間が掛かる。
ということで、今日は1時間50分ほどを陽光の下に身を晒した。

海岸線の斜面のところどころに、小さな白い花々。
野性のバラだろうか、花木にいっぱい棘がある。

昨日手で折ったものを花瓶に挿すと、これがいい空間を作り出す。
今日の散歩では、家人は鋏を持参したほどで、ちょっとした海からの贈り物であった。



イノバラ


「川柳おかざき 風」(岡崎川柳研究社)5月号が届いた。
句会中止が相次ぐ中にあって、会員諸氏の近詠が光る。

近詠は、今の自分の姿、今の自分の想いを表明するもの。
「私」の中の露わな感情を綴っていくものである。

5月号での私の近詠は ↓


とりあえずって鳥の言葉のようで好き

老人になっても食べるチョコパフェ

誤解ってじわりしわりと押し寄せる

ハッピーエンドなんていらない唐辛子

マンネリにならないように海へゆく



2020.04.26(Sun)
愛妻家ですかと妻が訊いてくる

週末はまたもや無精髭で過ごした。
スーパーへの買い物の当番日ではあるが、当節はマスクで顔を隠せる。

ウイルスの恩恵は、唯一こんなところだけだ。
が、自由を謳歌したい身には、週末の日常はあまりに退屈。

1時間ほど吉浜の海岸を散歩して、さてそれからどう過ごそうか?
宅配便が来た。

川柳マガジン5月号を開く。
今号は、「懸賞川柳2020 第2回 如月賞」の発表号でもある。

課題「恋文」に、3950句が寄せられた。
天位(最優秀賞)に十万円の賞金というのは、実に見事な仕掛け。

私も第3回目から投句を始めた。
この企画、大会、句会が軒並み中止される中、柳人の士気を高めてゆく。

さて、どんな作品が上位を射止めたか?
書き写すことで、学ばせてもらおう!


 【天】  トリセツをお届けします愛してね   高橋くるみ

 【地】  最高の恋文でした遺言書   吉道あかね

 【人】  ラブレター2円不足で帰宅する   辻本みや子

 【秀】  細胞の総立ち恋文がとどく   高橋蘭

      恋文の一文字ずつが脈を打つ   小川道子

      恋文か脅迫状か分からない   門脇かずお

      水茎の跡さわやかに恋香る   寺尾麦人

      恋文が届くドドンと大花火   森口かな江

      ラブレター開くとこそばゆい昭和   笹重耕三

      若さっていいね句読点もハート   宮沢和子

      うなじにも乳房にも火の散らし書き   きさらぎ彼句吾

      毎日が恋文になる日記帳   秋貞敏子

      僕を忘れた妻の恋文読み返す   兵頭俊子




2020.04.19(Sun)
嬉しさを拡大コピーするいつも

この地域のソメイヨシノはほとんどが散った。
木の下やその周辺には夥しい花弁で満ちている。

代わって咲き出したのが、ハナミズキとフジとモッコウバラ。
ツツジも新緑の葉の隙間から花をいくつか付け始めた。

風が何となく甘いのは、これら花々のせいだ。
ウイルスが蔓延している中でさえ、季節はしばらく甘い香を放つのだろう。

川柳、俳句の会がすべて流れている。
よって、土、日の時間を持て余し気味になっている。

人に会わないから髭も剃らない。
休ませたことのなかった髭は、土、日の二日間だけで立派な無精髭である。


先週の土曜日は、高浜川柳会当日。
高浜市から施設使用の自粛要請もあり、投句による句会とした。

互選句は事前に一覧にして、ファックスにて配布。
二点句1句、一点句4句を各人から返信してもらい、集計。

課題句と雑詠は、選者へファックスにて送付。
選者から選をしてもらい、回収。

これらすべてを取りまとめて、会員へ結果報告。
雑詠の選評に代えて、会員一句ずつの推薦句を書いた( ↓ )。

しばらくはこんな形の句会が続く。
とりあえず、推薦句を書くことで学ばせてもらっている。

未練残る布団の温み畳み込む     都築典子

「春眠暁を覚えず」とか。春は寝心地がいいので寝坊したいところだが、家事一切を預かる主婦には到底無理な話。未練の残る布団を跳ね上げ、今朝も戦闘が始まる。

戦争だ外に出ません勝つまでは     古橋文子

戦時中の標語「欲しがりません勝つまでは」からの着想だが、ウイルス感染の勢いは、まさに「コロナ戦争」である。一個人として何ができるか。「外に出ません」と誓う作者。

新型に飛び乗り逝ったコント王     杉浦康司

トヨタ自動車の車種「コロナ」と新型コロナウイルスとを掛け合わせた一句だが、決して死を揶揄するのではなく、コント王だった志村けんへの鎮魂歌として心に響く。

宵の星地球の異変知ってるかい     羽柴悦子

宵の星は金星。日が暮れて夜の帳に包まれる頃、西の空に燦然と現れる。地球はというとただ今コロナ戦争真っただ中。ウルトラマンのように金星よ、地球を救ってくれないか。

珈琲の夜空斜めに斬る流星     山口清和

珈琲色をした夜空なのか、ガラス張りの珈琲屋から見える夜空なのかは判らないが、「珈琲の夜空」の響きは瑞々しい。二十億光年の彼方から星が降ってくるのもまたお洒落である。



2020.04.12(Sun)
桜色にコピー一人きりの夜は

秋田の猪一郎さんちから川柳「湖(うみ)」第10号が届いた。
誌上大会である「ふるさと川柳」の10回目の結果報告である。

ふるさと川柳は年2回の開催だから、初回から数えて丸5年。
(ということは、猪一郎さんが秋田へ帰郷して5年半が過ぎた計算だ)

毎回、最優秀賞1句、優秀賞9句、予算に余裕のある時は特別賞の増設もある。
千を超える句群(第10回は1136句)からの受賞は容易ではない。

ということで、前回までは惜しくも賞は逃がした。
が、今回は奇蹟的に優秀句三席(9点)に輝いた。受賞句は ↓ ちなみに課題は「風」。

新作の風のカタログです かしこ

点数は、秀句3点、佳作2点、入選1点が配点され、12人の選者の合計点で決まる。
↓ の同時作は1点獲得。

食べ頃の風です春のごちそうです

参考までに過去9回の私の作品と点数を記す。
今回の優秀句と比較してみるのもおもしろい。


第1回(課題 「花」)

花になる冬のブランコ漕ぎながら  (3点)

さみしくて花屋の多い町へ行く  (2点)

第2回(課題 「霧」)

癒されにいきます霧の時刻表  (3点)

霧よ元気かラジオ体操しているか  (5点)

第3回(課題 「雪」)

上から目線ですね降ってくる雪も  (5点)

いちめんの雪歯ブラシが上下する  (1点)

第4回(課題 「荒」)

許そうと思う荒地でいることを  (7点)

海は荒れるクツを揃えている間  (2点)

第5回(課題 「静」)

ハンカチで包んでからは海しずか  (6点)

頭撫でなで海が静かになるように  (1点)

第6回(課題 「彩」)

夕焼けの色になりたいのだ蚯蚓  (4点)

第7回(課題 「力」)

洗面器この明るさはチカラです  (3点)

えいえんに乳房に勝てぬ男たち  (4点)

第8回(課題 「流」)

激流の桃はマシンのように来る  (1点)

流れ流れて来たみずいろの手紙  (5点)

第9回(課題 「生」)

大丈夫光合成で生きている  (2点)


今回の「風」作品の中で私の一押しは ↓ の句

クモの巣にかかった風のやわらかさ   石田一郎

風は見えないし、掴めない筈なのに、クモの巣は見事に風を掴まえてしまう。
この着想がすばらしいと思った。



2020.04.05(Sun)
難問を解くかのように逆上がり

火曜日、エッセイ集「アラレの小部屋」が届いた。
柳友の鈴鹿川柳会の橋倉久美子さんからである。

かつて「教育文芸みえ」「川柳すずか」「文宴」等に発表したものを一冊に纏められたようだ。
装丁のスズランの小花が清々しく、品のよい黄緑色の文字が好ましい。

小説とは違い、エッセイはどのページからでも楽しめる。
気分で開いたページを目で追っていくだけでよい。

読みながら眠ってしまってもいいし、涎を垂らしても構わない。
日常の仔細を眺めて頷いたり、時には首を傾げたり、人生論として読んでもいい。

作句力に定評のある作者だから、どのページを読んでも面白い。
意図的に面白くしたわけではなく、目の付けどころが面白いのだろう。

まだ全部読み通してはないが、とりあえず印象に残った二つを紹介する。
「エンマさまにお見せする句」と「まじめにふまじめ」である。

「エンマさまにお見せする句」とは、鈴鹿川柳会の重鎮・吉崎柳歩さんの言葉。
名刺代わりにあの世へ持っていく一句を物せよということだ。

「あの世へ持っていく一句は、なにも格調の高い、句品のある作品である必要はない。
閻魔様に、腹を抱えて笑って貰える一句こそが名刺代わりとしてふさわしいのではないか」

「まじめにふまじめ」は、作句姿勢について述べている。
真面目に真面目な句を作るのではなく、真面目に不真面目な句を作る。

「しょうもない発見や取るに足りないできごと、ちょっとしたふざけ、人にはなかなか言いにくい本音、自分の弱いところや汚い、恥ずかしい、隠しておきたいところ」を詠むといい川柳になると言うのだ。

例句を挙げている。

 団体のお客は来ないラブホテル   吉崎柳歩

 捨てるには惜しい豆腐はまだ切れる   橋本征一路

「しょうもない発見は、川柳の基本」と思えるほど、このエッセイ集には説得力がある。
これこそが久美子マジックなのかもしれない!



2020.03.29(Sun)
平和への答えだ友と茶をすする

昨日今日、吉浜の海岸への昼の散歩のついでに大山緑地公園(高浜市春日町)へ。
五分咲きの大山千本桜は健在だったが、花見を楽しむ人は例年の二、三割。

自治体の花見自粛要請の中だけに、花見客の八割ほどはマスク着用。
車座になっての飲めや歌えやの大宴会は皆無と言ってよかった。

園内の河川沿いには、桜の他に花桃が鮮やかな色彩を放っていた。
通称、花桃通り。花の蜜を求めてメジロが忙しく木から木へ飛び回っていた。

本来なら、今日は高浜市文化協会主催の「大山桜ものがたり」当日。
桜撮影会、茶会、文芸コンクールなどが繰り広げられる予定だったが、止む無く中止。

何とも虚しさだけが残る春である。
岡崎川柳研究社の春の市民川柳大会(4月4日)は誌上大会に切り替えた。

4月5日の豊川桜まつり川柳大会は中止、4月25日の川柳なごや春の川柳大会は秋に延期。
4月29日の三川連川柳大会も中止と決定された。

ということで、虚しさを埋めるため、夕刻から川柳マガジンの「懸賞川柳2020」に挑戦。
今月は「川柳弥生賞」(3月31日消印有効)ということで、課題は「日本」。

1月、2月とパスしたので、肩に力が入る。
ましてや懸賞金が懸かっているので尚更である。

柳友の青砥和子さんの名句「蛇口から日本チャチャチャ滴って」も絡まって頭は爆発状態。
無心にならなければいいものは書けないと悟った次第。

昨日届いた川柳マガジン4月号には、第1回川柳睦月賞の入選が発表されていた。
課題は「感謝」。上位入賞者は ↓ のとおり。

【 天 】 戦いに負けても帰る家がある     勢藤潤(群馬)  

【 地 】 完走の道に一礼して終わる     田辺与志魚(広島)  

【 人 】 ありがとうが溢れて陽だまりになった     鈴木かこ(大阪)  

【秀 1】 返せない恩は大地に蒔いておく     石川典子(愛知)  

【秀 2】 土砂降りの真ん中人間に会えた     佐藤文子(愛知)  

【秀 3】 わたくしを縫う一本の神の糸     鈴木かこ(大阪)  

【秀 4】 つっかい棒の角度は感謝されている     大嶋都嗣子(三重)  

【秀 5】 路地裏のカフェにわたしの椅子がある     冨永紗智子(福岡)  

【秀 6】 一本の藁を死ぬまで忘れない     浅野滋子(愛知)  

【秀 7】 アフガンの荒地アリガトウが芽吹く     小池一恵(福岡)  

【秀 8】 給料をもらって好きな仕事する     嘉山和美(静岡)  

【秀 9】 グラッチェと片手を上げて父が逝く     加藤ゆみ子(神奈川)  

【秀10】 丹念に磨いています自前の歯     佐野かんじ(千葉)



2020.03.22(Sun)
とれかけのボタン穴から飛行雲

金曜日、川柳きぬうらクラブの発行誌「川柳きぬうら No.391」が届いた。
今月はウイルス感染拡大防止のため句会は中止、宅急便による配達となった。

高浜川柳会のような一桁の人数でさえ気を使わねばならないのだから、三十人ほどの句会出席者がいれば、中止は止むを得ないのだろう。

さて、391号では、「波光集」に読み応えがあった。
「波光集」とは、前月号の「きぬうら抄(近詠)」から選び出した推薦句とそのコメント欄。

毎回、6人が推薦者となり、それぞれが心に残った句を7句拾い上げる。
推薦人の川柳観や生き様までがクローズアップされるようで、いささかの緊張感がある。

推薦句を詠むと、そうかそうかと納得したり、また逆もあったりで楽しい。
今回は、391号の波光集から、恐縮だが私の推薦句を記す。

柳人諸兄のご批評をいただければありがたい。

推薦句

心配の一つや二つ混ぜごはん   今村美根子

枯渇した脳が催促する追肥   木原恵子

土手鍋が海の青さを映し出す   木村久世

ヤマ掛けた問題はずれ土砂崩れ   榊原美沙子

懸念なくガム噛めるって若さかな   眞島ともえ

おばさんと呼ばれ怒ったつい昨日   石川直

百ヶ日終えた途端に風邪を引く   石川典子

推薦コメント

還暦を過ぎた今でも甘い夢を見る。
それは大学祭の一齣であったり、サークル活動での異性との会話だったりする。

まだ夢の中で青春を追いかけているのだろう。
「いい人と歩くきれいに甘えよう 中島和子」という句が堪らなく好きだ。

推薦句は、そんな甘い気分の中で採らせてもらった。




2020.03.15(Sun)
ふるさとに象形文字の山と川

毎月第2土曜日は、高浜川柳会の定例句会日。
昨今の新型ウイルス拡散防止対策を考えると、通常通り行うことを躊躇する。

高浜市からも、公共施設の利用自粛のお願いがあったが、あえて強行。
その代わり、メンバーにはあらかじめファックスで次のように通知した。


高浜川柳会の皆様へ

いつもお世話になります。

新型コロナウイルスの拡散防止が叫ばれている昨今の状況に対応するため、3月14日(土)の句会に関しては次のように進めてまいりますので、ご協力くださいますようお願いします。

@句会では、連絡事項と互選のみ行い、課題句と雑詠に関しては、それぞれの担当者から入選句を集めます(当日の選評はなし)。結果は後日、通知します。

A句会会場へは、事前に手洗い、うがいをして、またマスク着用で入場ください。

B体調が万全でない場合は、無理をなさらないようにしてください。


ということで、メンバーに不安はあっただろうが、全員出席。
普段は2時間みっちりやるところ、1時間弱で切り上げた。

毎回、雑詠の選と選評は私が担当しているので、今日は一人一句ずつ、推薦句ということで選評(鑑賞)を書き上げた。 ↓

棘々の闘志が雲に突き刺さる     山口清和

「闘志」は英語でファイト、戦おうとする気力。この気力が満ちているから刺々しく見える。だが、雲に突き刺さるような闘志で立ち向かえば、人生何だってできる。

ポケットの夢が膨らむ褒め言葉     都築典子

誰かに褒められ、ポケットで温めていた夢が膨らんだ瞬間。それは少年にとって、小さな勇気が芽生えた一瞬でもある。教育の要は褒めることだ、と教えられる。

無観客慣れて力士の力こぶ     古橋文子

大相撲春場所は、初の無観客興行。序の口の相撲を見ているようだと言った著名人がいたが、力士の力瘤は変わらない。力士たち、カメラの奥の茶の間の歓声が聞こえるか。

身の丈でずっと来ましたこれからも     杉浦康司

人生はなるようにしかならない。どんなときもあらがったってしかたない。水は上から下にしか流れないのだから、と神々の声。願わくば、美しい身の丈でありますように。

銅も銀も越えて金婚いつの間に     羽柴悦子

結婚七周年が銅婚式。二十五周年が銀婚式。そして金婚式は五十周年。二人で過ごしてきた長い年月は黄金のように尊いという意。二人の旅人は五十年もの間、美しい景色を見続けた。



2020.03.08(Sun)
愛されたころの記憶をまだ飾る

岡崎川柳研究社の発行誌「川柳おかざき 風」の表紙絵は、豊田市下山地区在住のイラストレーター・なかむらひろこさんの作品である。

私の手元にある一番古い柳誌が、2003年(平成15年)4月号。
そこにはすでになかむらさんのペンによる、彼女のアトリエがある奥三河の風景画。

これら風景画は、12枚組のカレンダーとなっていて、1月に始まり12月で完結。
今年の柳誌もすでに3枚のイラスト絵が使われた。

川柳には、印象吟というものがある。
これは、あるイメージ(絵や写真、記号など)をみて句を詠むというシステムである。

言葉によるお題ではなく、イメージとしてのお題。
イメージゆえの言葉を越えた突飛な発想がいいのだろう。

「川柳おかざき 風」に、今年から表紙絵をイメージした印象吟が載っている。
昨年12月初めに私に白羽の矢が立った。

一年を通して印象吟を書けという訳である。
すでに三作。これでいいものか柳人諸兄の批評を待ちたい!


1月号


初恋は檸檬丸ごと噛むように

「れもん」を漢字で書くなんて無理。辛うじて読むだけはできる。「薔薇」もそう。人はみな歪な知識しか持たず、それでも充分この世をやりくりしている。難しいことは考えず、ありのままで生きていけばよい。


2月号


向き合おう幼い頃の青空と

豆撒きの日が終わり、立春。暦の上では春だ。しがらみの中で生きてゆく私たちにも新しい季節は訪れる。ほら、蕗の薹が顔を出した。日だまりにころんと寝そべると、立春の空が青く透き通る。


3月号


新作のチョコ今年も春があり

雪の降らない地方に「雪解け」という輝かしい春はない。今冬の西三河地区がそうだった。バレンタインデーから二週間。不貞腐れていた子に届いた遅いチョコレート。雪解けや菜の花にも勝るピカピカの春が来た。



2020.03.01(Sun)
無頼派の父ですいつも風の中

窓辺の花台に置かれた鉢植えのポインセチアが色褪せてきた。
十二月の初めに貰ったものだから、丸三ヶ月が経つ。

ポインセチアの赤は、寒々しい季節の中を心に賑わいを与えてくれた。
まだ鑑賞には堪えられるが、三月の声を聴いてこれから一枚ずつ葉を落とすことになろう。

今日はあったかな一日だった。
家人と名鉄ウォーキングの参加を予定していたが、新型ウイルス感染拡大防止のため中止。

県内一の梅林!佐布里池梅まつりと佐布里五箇寺めぐりは、かくして幻に終わった。
鬼は笑うだろうが、これは来年の楽しみにしておこう。

替わりに、刈谷市のハイウェイオアシスと洲原公園へ。
ハイウェイオアシスはやはりウイルス感染拡大の懸念もあって、客足はいつもより少な目。

反対に、洲原公園はと言うと、洲原池を一周できるコースに人が溢れていた。
あったかな一日は、人を散策へと導くのだろう、印象画の絵のように人に光を誘って。

夜、いつものように吉浜の海岸を散歩。
二十代の男女二人連れが海へ糸を垂らしていた。

一昨日も同じ場所で若者が、シーバスフィッシング。
こちらはボウズだったが、二人連れの方はハゼを数匹上げていた。

産卵を終えたばかりのハゼだろうか、丈はあるが痩せている。
それでも二人はうれしそうに、釣り上げたハゼを見せてくれた。

海岸線をいつものように歩き、八時前に帰宅。
それからの楽しみは、大河ドラマ「麒麟がくる」。

一度も見たことがなかった大河ドラマを見るようになったのは、得意先の社長・Fさんの薦め。
別に約束したわけではないが、やはり何かを探しているのだろう。

それは、これからの行く末だろうか?
今朝の新聞・中日歌壇にこんな短歌があった。


「試し酒」の高座に五升呑みつくし客を酔はせて権太楼酔はず   三井一夫


本当はこの歌を鑑賞してみたかったが、酒に酔いながら今日の日記を綴るのみ。
ポインセチアの赤が、酔眼の目を弓のように射る!



2020.02.23(Sun)
リコールしよう雪ひとつない窓辺

二月も残り一週間となった。
今冬、この地(西三河地方)は積雪のないまま過ぎ去ろうとしている。

寒い冬には暖かい冬を望むが、暖かい冬には積雪を願うのも悪くない。
雪のない地方に、雪は子供たちの歓声を連れてくるからだ。

 あたたかな二月の画用紙を選ぶ

かつての拙句である。
寒いゆえ、二月にはあたたかい画用紙を選ぼうとする。

物理的な気温だけでなく、心の中も寒い冬だったのだろうか?
その時の気持ちは思い出せないが、心の凍てつく日常があったようだ。


昨日は、岡崎川柳研究社の「風輪の会」。
毎年、二月の第4土曜日に西尾市江原町の妙喜寺で開かれる句会である。

世話人は西尾川柳会で、平成18年から途絶えることなく続いている。
岡崎川柳研究社の二代目主幹・曾田規世児さんの句碑建立を記念してその年、初句会。

この上ない青空の下、岡崎メンバーだけでなく曾田さんと親しい柳人が県内外から集まった。
妙喜寺住職の第一声、「今日は皆さんに青空を用意しました」が忘れられない。

愛川協の協会誌「あいち」42−1号(平成18年7月15日発行)を繙くと、次の記述がある。


西尾川柳会の仲間が十八年二月二十四日、規世児の句碑を建てた。
愛知文化協会会長になった祝いの意味から出た話が、俄かに広がったのには訳がある。

会長の市川栄一のふところの大きい英断。
句は妙喜寺の天井絵の一つにある〈旅人に情けの深い道しるべ〉。

石は斎藤保夫の兄さんになる榊原市議からの寄附の恵那石。
住職の奥さんの在所が石屋さん。下村修身が檀家総代。

これほどの川柳の仲間のつながりの深さと、ほかの仲間も諸手を挙げて賛成だったことで、とんとん拍子に出来上がった。

川上三太郎句碑の再建につづく句碑で、岡崎を中心とする三河に川柳の足跡を残すことになることがうれしい。(曾田規世児記)


この中には記されていないが、妙喜寺の住職が西尾川柳会の会員であることも大きかった。
毎年、句会前の住職の話と昼食の味噌おでんを楽しみにしている出席者が何と多いことか。

句会結果です。

平和への答えだ友と茶をすする  「茶」

茶が好きでいつも緑の風といる  「茶」

難問を解くかのように逆上がり  「問」

なぜなぜと困らせながら子が育つ  「問」

土に還るみんな無欲な貌をして  「無」 軸吟


今日は、川柳きぬうらクラブの定例句会日。
令和2年度の総会もあり、審議事項はすべて賛成多数にて承認。

総会のために、投句後の雁宿公園への散策ができず残念。
小雨が降っていたので、丁度よかったといえばよかったが・・・・

句会結果です。

ふるさとに象形文字の山と川  「文字」

カラフルな値札が躍る春キャベツ  「文字」

掛け違うボタンそれから旅ひとり  「ボタン」

ハミングしながら危ないボタン押す  「ボタン」

とれかけのボタン穴から飛行雲  「ボタン」



2020.02.16(Sun)
だいこんの素性をあばく鍋の中

雨の中、いつものように芳川の海岸を散策。
傘を差すほどの雨ではないが、霧が深い。

1`先の貨物専用高架やさらに2`先の衣浦大橋が全く見えない。
引き潮の海は遠浅で、歩いて渡れるようにも思える。

1時間近く歩き一風呂浴びてからの大河ドラマ「麒麟がくる」が楽しみだ。
謎に満ちた明智光秀がどう描かれるのか?


本棚を整理していたら、すっかり忘れていた刈谷文化協会の作品集が出て来た。
「刈谷市制六十五周年記念 文芸祭作品集(平成28年3月発行)」。

短歌、俳句、川柳の全応募作品が一万二千点とある。
作品集はその中の入選作品だけだが、三百六十点ある。

パラパラと捲っていくと、すぐに目に留まった作品。
短歌 小学生の部 市長賞

息とめてセミのたんじょうじっと見る最初の息はいっしょにすおうね  鈴木統偉(東刈谷)

短歌 中学生の部 市議会議長賞

どうしてだ 平和のために作られたそれが日本の九条のはず  福岡伽月(依佐美)

短歌 高校の部 市議会議長賞

君の声無性にききたい夏休み補習も君に会える口実  山村修平(刈谷)


俳句、川柳はまた後日・・・・


中馬のおひなさん(豊田市足助地区)



2020.02.09(Sun)
まだ少し投げられそうな変化球

本棚の隅に、ある日古書店で見つけた書籍「川柳はチャップリン」。
今は亡き、北海道の雄・斎藤大雄さんの名著だ。

チャップリン映画にある笑いとペーソスと人間愛こそが川柳のモチーフ。
それゆえに、川柳とはチャップリンの歩みそのものと言うのだ。

大雄さんが亡くなられたのは、平成20年6月29日。
もうすでに十年一昔を過ぎている。

北海道を川柳王国にしようと情熱を燃やした“熱血漢”。
急行の停まる町ごとに川柳結社を創った。

あの頃、夢中で読んだ名句の数々が懐かしい。
凍てつく夜は大雄さんの句で温まりたい。


手で囲うマッチいのちの音で燃え

母の手を握るやさしさごっこする

いくたびか心で別れ夫婦古り

ぐい呑みに魂が棲む酒とろろ

奴凧帰るしかない酔いの果て

火の酒を煽れば吹雪赤くなる

天国にないものがある冬景色

さよならを言えない恋を抱いて寝る



2020.02.02(Sun)
さみしさを化学反応して老いる

今年もひと月が過ぎ、早や2月。
我が部屋のカレンダーは、北極の写真に変わった。

見渡す限り氷で包まれた北極の壮大な景色。
ホッキョクグマが、近づくクルーズツアーの客船の前方を過ぎる。


昨日は、岡崎川柳研究社の本社句会。
編集人が病気入院のため、柳誌「川柳おかざき 風」2月号はお預け。

名古屋番傘川柳会会長の重徳光州さんの続き物(本能寺の変とは何だったのか そして明智光秀とは何者だったのか)を楽しみにしていたので残念。

そして、「私の好きな句」も楽しみの一つ。
月替わりの担当者が感銘した10句を鑑賞するのだ。

先月号は私の担当だったので僭越ながら紹介したい。
ピンボケな鑑賞文をご批評いただければありがたい。


 私の好きな句(令和元年十二月号より)

踏み石のすきまに咲いた花に水   加藤千恵子

この句は「花に水」によって川柳になった。「踏み石のすきまに凛と咲いた花」では、花鳥諷詠に過ぎない。「花に水」のひと手間が、人間諷詠の詩にしている。

おでん種うわさ話は聞き飽きた   青山恵子

素直に読めば、「人の噂をおでんが聞き飽きた」となるが、「おでんのつぶやきを人が聞き飽きた」とも取れる。そうすると、銅壺の中で煮立ったおでんたちの声に耳をそばだてている恵子さんの姿が浮かび上がる。

趣味ひとつふたつと減って隙間風   今井多未

人生のレシピそろそろ種切れに   今井多未

多未さんの心の内を察してみる。「隙間風」「種切れ」がキーワードだが、それは歳月による心の変化である。歳を取ればシンプルがよくなる。大切なものは一つ、二つでよい。無一物で生まれた肉体はやがて無一物に還る。

奇跡など期待はしない葱きざむ   土佐昌子
現実と夢が近頃すれちがう   石川美代子

「奇跡」と「葱きざむ」の対比を、「夢」と「現実」に置き換える。奇跡も夢も遠い所にあるが、地に足の着いた暮らしの中にこそ見えてくるものだ。幸せの青い鳥はいつでも、日々の暮らしの充実感の中に棲んでいる。

へそくりを叩き国産土瓶蒸し   会津庄一郎

昨夏の「老後二千万円問題」を思い出す。国産の松茸よりも安価な外国産を、と現実派なら誰もが思うところだが、時にはへそくりを叩くことも心の豊かさである。

草むしり蟻の豪邸土砂崩れ   古橋文子

日常生活にはさまざまな発見がある。文子さんは「草むしり」から蟻の生活を垣間見た。そこには蟻たちの豪邸があり、土砂崩れが起こる。観察力の優れた作品。

好きというだけでこんなに頑張れる   神谷とみ鼓

確かに好きという行為はやる気を産む。「社長が好き」「同僚が好き」「仕事が好き」ならば、これ以上のモチベーションはない。ブラック企業に見せてやりたい川柳。

達筆の父の手紙はなくさない   小嶋順子

「達筆の手紙」に順子さんの父親像が浮かび上がる。誠実で几帳面で子を思いやる力に満ちていた。たとえ手紙を失くしても、心の中にちゃんと父が棲みついている。


本社句会の入選句は ↓

酸欠にならないように貼る湿布  「貼る」

百年の背なに夕陽を貼りつける  「貼る」

ダイコンの温みをかじる空の下  「大根」

ダイコ干す空へとつづく滑走路  「大根」

だいこんの素性をあばく鍋の中  「大根」

無頼派の父ですいつも風の中  「雑詠」

リコールしよう雪ひとつない窓辺  「雑詠」

愛されたころの記憶をまだ飾る  「雑詠」



2020.01.26(Sun)
こだわってみよういのちが若返る

令和元年度の「きぬうら作品年間賞」が発表された。
応募作品全68句から、最優秀句賞、優秀句1席、優秀句2席、そして佳作7句の合計10句である。

やはり令和元年を代表する川柳だけあって、佳句揃いである。
↓ に記すことで、私もまた名吟を味わわせてもらう。


最優秀句賞(10点)
 桜満開 何のごほうびなんだろう   佐藤弘子

優秀句1席(9点)
 美しく果てるドミノの使命感   木原恵子

優秀賞2席(8点)
 成分の違いで浮かび上がれない   今村美根子

佳作(6点)
 ゆっくりと点滅怖いものはない   猫田千恵子

 暗闇の正体それは母だった   根木宏美

 愚直さにファジーを少し足すとよい   石川直

佳作(5点)
 病室の一日時計の足も病み   榊原幸男

 やんわりと掴まれている首根っこ   睦吾朗

 思い出と一緒になってくる小言   睦吾朗

 美辞麗句うらもおもても吟味する   伊賀武久


(点数は、秀句3句、佳作5句を依頼した選者6人の合計点。
秀句に3点、佳作に2点を配し、獲得合計点により年間賞を決定)

健闘むなしく惜しくも賞を逃がした次の二句が拙句。


 平成が終わるどんぶり飯喰うか

 玉葱の焦げ目もいちど恋をする


「平成が終わる」の方は、選者の佐藤文子さんから秀1に選んでもらった。
その選評が揮っているので、紹介したい。

振り向けば悲喜交交の来し方。振り返ってばかりでは進化なし。句点として何もかも呑み込もう。
どんぶり飯の比喩にユーモアがあり、生き方の潔さに共鳴致しました。


さて、今日の句会の入選句。


石鹸をかじり泡立ちよいねずみ  「子(鼠)」

月蝕はネズミの喰った鏡もち  「子(鼠)」

どちらかって言うと雪の日は眠い  「自由吟」

初球ではわからぬ愛も憎しみも  「初」



里山美里・水彩画



2020.01.19(Sun)
常温の水でしあわせだったかい

大寒の入りが近づいてきた。
年明けの6日が小寒、そして21日が大寒の入りだ。

一年で一番寒いとされるのがこの時期で、毎年、“凍てつく”思いをするのがこの季節。
ところが今年はどうだ、初春のような暖かさ。蝋梅が匂い立つようだ。


古民家の蝋梅


今日は、先週に続き、またもや“釣り人”に変身した。
出先は、豊浜漁港・釣り桟橋。知る人ぞ知る初心者でも楽しめる人気釣りスポット。

先日、近所の釣り愛好家から、青物(回遊魚)が釣れ出したと聞いた。
イワシの群れの中に釣り糸を落とすと、勝手に針に喰いついてくれる。

ならば行かねばならぬと家人と意気揚々、釣り桟橋へ。
最初はもたもたしたが、サビキに切り替えると、1時間ほどでバケツ一杯の釣果。

「過ぎたるは及ばざるがごとし」とはよく言ったもので、釣れ過ぎるのも食傷気味になる。
誠に人間(私だけかもしれないが)は、勝手な生き物だと悟った次第。

さかな広場内の食堂で、海鮮丼1,310円(税込)をかっ込み、帰路についた。
さてと、これからイワシの刺身で一杯、「久保田 純米大吟醸」をチビチビ飲ることにする。

その前に、昨日の俳句の会(ペンキ句会)の結果を記しておこう。
12名参加、1人5句出句。選句は1人6句、内1句を特選。

冬の陽を浴び美しいわたぼこり (1点)

手をつなぐ人いて北風に向かう (1点)

朱欒剥く海が大きくなってくる (3点 特選1)

ピリ辛の雑煮ベトナム人と喰う (2点 特選1)

働き方改革ですねふゆごもり (3点 特選1)



豊浜漁港夕景



2020.01.12(Sun)
水のあるしあわせ水のある詩集

午後から、家人と碧南市にある「つり広場」まで。
寒の季節というのに夥しい(ちょっと言い過ぎ)釣り人たち。

いったい何を狙っているのだろうか?
青物(回遊魚)が三河湾にも入ったから、イワシ、サバ、アジあたりを釣りに来ているのだろう。

つり広場前に広がる海にはボラの群れ。
ボラは餌にはなかなか食いつかないから、「引っ掛け」がよい。

引っ掻けとは、エサを使わず、トリプルかダブルのフックをボラの群れに投げ、勢いよく引いてフックをボラの体に引っ掛けて釣り上げる方法。

つり広場では禁止されている釣り方だが、何人かは引っ掛けをしていた。
相変わらずクロダイ目当ての釣り人がいたが、釣果は芳しくないようだった。

右端にはカサゴ狙いの家族連れ。
まずまずの釣果ということで、嬉しそうな顔をしていた。

河岸を変えて今度は、衣浦海底トンネル(碧南側)の釣り場へ。
30人ほどいたが、ほとんどがルアーでのシーバスフィッシング。

数人の人に釣果を尋ねたが、すべてポーズ。
海の青を吸いに来ただけの愛しい釣り人ばかりだった。

帰路、「あおいパーク」に寄った。あおいパークは、産直市の他、レストラン、ハーブ風呂などもあり、また旬の野菜などがもぎとり体験できる体験型交流施設。

そこで、「酒フェア」のチラシを見つけた。
チラシには、「碧南の酒蔵、酒販店で取り扱う銘酒の数々を試飲・販売いたします」とある。

主催は、碧南商工会議所。
今日一番の収穫であった。

興味のある方は ↓

酒フェア  
https://nishio.mypl.net/event/00000351961/



2020.01.05(Sun)
まだ飛べぬスーツケースの中の鳥

昨日は、岡崎川柳研究社の本社句会。
書き初めならぬ、川柳の詠み初めである。

本社句会も曾田さんの頃に比べて、出席者が随分減った。
半数まではいかないが、欠席投句を入れて20名ちょい。

従って、一課題に70句ほどが投句されるが、入選数は旧態以前を引き摺っている。
秀句(天・地・人)3句、佳句5句、平抜き20句の合計28句。

実に入選率4割の勘定となる。
これでは呼名しても、喜びは少ない。

出席者減少は、無論、あの世へ召された方が多いのが原因。
毎年平均2名が亡くなると、5年後には一桁の参加者になってもおかしくない。

組織の維持は会員増を図る以外にないが、まず現会員が意識の中に「会員増」を入れ込むことだ。
一人が一人連れてくれば、一瞬で倍になるのだから。

今日は、高浜市文化協会の新年祝賀会。
会長挨拶でも会員の目減りに触れていた。

文化は人の心を豊かにするが、無くても生きていけるのがまた文化である。
生きていくことに必死の世の中では、文化は育ち難い。

と、途方に暮れていても仕方ないので、秀句を目指すことに専念したい。
よい句を発信していけば、誰かが気づいてくれるだろうから・・・・

本社句会の結果です!

薔薇を吐くように笑っている女  「笑う」

満面に笑みお日さまに敵わない  「笑う」

少子化を遠い目で見るねずみ算  「子・鼠」

秒針はネズミの生きてゆく速さ  「子・鼠」

人懐っこいのも困るハリネズミ  「子・鼠」

釣れずともカモメと話して帰る  「雑詠」 軸吟



2019.12.29(Sun)
身の丈で生きる埴輪の顔をして

壁に残されている1枚のカレンダーも、あと残り2日。
(カレンダーの)アメリカ・アイオワ州の雪の荒野には、ポツンとたたずむ穀物用倉庫。

季節によって寒暖の差が激しいアイオワシティの冬。
雪が多く、気温も氷点下20℃前後になるという。

翻って、ここ西三河地方は常春の季候である。
温暖な地で私たちは、いつも埴輪の顔をして生きている。

夕刻の散歩では、まだハゼを狙う釣り人に遇った。
そうか、これだけ暖かい年の瀬なら、浅瀬にもハゼはいるのだろう。

昼は師崎でキスを釣り、夜は吉浜の海岸でハゼ釣り・・・・
温暖化の波は、吉浜の海にも押し寄せていて、笑顔を振り撒いているのだ。


さて、今年の総決算!と構えてみても、これといった出来事もない。
あえて言うなら、十数年ぶりの釣りと短歌への挑戦が今年の刺激あることだった。

下は、JA誌と高浜市の文芸コンクールで特選をもらった歌(出来過ぎ)。


・遮断機の下りてゆくよう草を食みキリンの首に秋透き通る

・立ち漕ぎをして青春を追いかける九月の雨はまだ優しくて


俳句も短歌もやってはいるが、川柳を忘れたわけではない。
今年も多くの柳人から我が句を秀句に採っていただいた。

ここに感謝の意を込めて掲載する。
人様の琴線に触れるものが一句でもあれば!

地下街を歩く孤独を捨てながら

風になりたいのか糸を切る凧よ

生き方にAもZもあるものか

象の鼻キリンの首にある初心

にんげんに百面相という至芸

綿アメのように膨らむ春の声

ペコちゃんのほっぺに幸せの音色

しあわせへ恵方の的は外せない

平成の小窓しばらく開けておく

平成が終わるどんぶり飯喰うか

死んだ気になればいらない命綱

底冷えがする少子化の窓ばかり

幸せなときも山葵はツンとくる

壜詰にしようサクラという吐息

怠けていないかびっくり水を差す

羊水にいるころからの泳ぎ下手

玉葱の焦げ目 もいちど恋をする

勝鬨をあげてピンクになる桜

五月来るさみしき人の断面図

落としどころ見つけて茜色の海

笑おうよ大きな波が避けてゆく

五月病ですねピカソの絵が笑う

麦の穂となれ草食系の男たち

ときどきは放任主義もいいですね

徐行して下さいツバメが通過中

美しい嘘メビウスの輪のように

あおぞらよ責めるな俺の無力感

精根が尽き原っぱになっている

精出すってそうねソーダ水の泡

休もうよ大きな雲になるために

海ひとつ抱えおとこよ淋しいか

スルメ焼く俺の闘志が反り返る

嘘ひとつ運命線が流れだす

手を洗うまではガキ大将でした

あおぞらが野心を持ってから歪

爪痕を残すこの世が好きだから

期待値が高まるジャムのいい匂い

大吉を引いてしばらく胸騒ぎ

土踏まず淋しい人のいる隙間

青色にしよう曇りの日の付箋

新しいチカラが海のまま走る

暇というしあわせもある凪の海

心まだひらがなでいる夏の雨

火の匂いさせて男は立ち上がる

正解はいらないアユの掴み取り

文庫本と焼酎だけのマイブーム

逆上がりみんな入道雲になる

いい夢を見よう木陰のハンモック

木から木へ風は冒険くりかえす

少年に風が見えるだなんてウソ

老いという反乱軍が来ています

寸劇が始まる空が掻きくもる

この道でいいんだタップ踏みながら

元気です心に海を光らせて

魚からヒントをもらう魚釣り

さるすべり散り永遠を出ていった

どれほどの甘さか水を選る蛍

C難度生きてゆくのは難しい

海に石投げれば夏がまだ匂う

咳込んでいます逝く夏への余韻

ネジひとつ壊れ男になっている

諍いはこれ位です紙ずもう

幸福度2くらいだろうペアルック

鳥になるつもりで入る試着室

神様のいたずらだろうバラに棘

マシュマロの包容力は妻である

落とし穴見つけてしまう倦怠期

ポパイにもなれるわたしの力瘤

身の丈で生きる埴輪の顔をして

あたらしい時代へ夜行バスが出る

まだ飛べぬスーツケースの中の鳥

水のあるしあわせ水のある詩集

常温の水でしあわせだったかい

こだわってみよういのちが若返る

さみしさを化学反応して老いる

冬の日を浴び美しいわたぼこり

まだ少し投げられそうな変化球



2019.12.22(Sun)
ポパイにもなれるわたしの力瘤

昨日は、大井漁港(知多郡南知多町大井)まで、釣り餌を泳がせに。
何を釣るでもなく、家人とただ海の青を吸いに。

常春の知多半島と言えども、冬至の海と対峙すれば底冷えがする。
1時間ほどで30aのアイナメと10aのメバル一匹ずつ。

カサゴやキスを上げた人もいたが、どの釣り人も数匹止まり。
夏の頃に比べると釣果は痩せていき、やがて骨と皮だけになりそうだ。

夜は半田港へ、これまた家人と見学。
ヒイカ目当ての釣り人が20人ほどいたが、いずれの釣果も芳しくない。

すぐに見学先を半田緑地公園東の堤防に移して情報収集。
この寒い中を一昼夜釣るという人が、すぐに20aのハゼを釣り上げた。

この時期のハゼは数少ないが型がいい。
十匹ほど上げると、刺身にして一杯飲れる。

そんな空想を描いてみたが、すべてにままならぬのがこの世。
今日昼からは、そのハゼを狙いに出掛けたが、チップ一つできず、すべてカラ振り。

隣で釣っていた老人から15aのカサゴを二匹もらって帰宅。
帰宅時には雨が降り出し、何とも身体の芯から凍えた午後だった。

夜は、家族で恒例のクリスマス会、くら寿司の握り寿司とパピヨンのケーキを食べた。
あったかいお吸い物もあって、心が融けていくかのようだった。


いとう良一色鉛筆画




2019.12.15(Sun)
マシュマロの包容力は妻である

家庭では、日曜のスーパーへの買い出しと風呂掃除を仰せつかっている。
買い出しは、牛乳、鶏卵、オロナミンC他、チラシに載る安売りの品である。

買い出しのご褒美として、一品だけ酒の肴を買う。
大抵は、刺身半身ほどで、今日は脂のよく乗っていそうなブリ。

このブリで、これから一杯やるわけだが、その前に、「川柳きぬうらクラブ」の句会報告。
今年最後の句会出席者は25名、欠席投句者は5名(いずれも推定)。

我が入選句は ↓

冬の日を浴び美しいわたぼこり  「日」

褒められた記憶お日さまより温い  「日」 

日曜はなんにもしない哲学者  「日」

ひと昔前は野獣と呼ばれていた  「変わる」

まだ少し投げられそうな変化球  「変わる」

好天へ気持ちだけでも前向きに  「変わる」


投句後、句会会場近くの雁宿公園を散策。
紅葉した木々が、冬の日を受けて美しかった。


さて、一杯といきたいところだが、まだまだやることがある。
「みえDE川柳」の投句である。

  みえDE川柳のコーナーはこちら  https://www4.nhk.or.jp/P3167/

投句が完了するまでは、一杯はお預けである!



2019.12.08(Sun)
神様のいたずらだろうバラに棘

ポインセチアの鉢植えをもらった。
いつ見ても赤と緑の対比が鮮やかなクリスマスの花である。

花と書いたが、どこが花なのか一向に分からない。
赤い部分が花のように思えるが、定かではない。

調べると、赤い部分も緑の部分も葉である。
中心にある5ミリほどの黄色の小さなつぶつぶだけが花なのだそうだ。

そんなポインセチアを横目に、今日は俳句の会である。
私を除いて、メンバーの句は斬新で心を動かされる。

心に残った句は ↓


宿題を忘れたやうな葱の束   みさきたまゑ

バケツイッパイノアイニツキ十二月   二村典子

アラフィフの勝負マスクはユニチャーム   瀧村小奈生

モミの木の学名サンタサンタサンタ   櫻井誠

以下同文マスクして受く表彰状   稲垣三千代

Kawaiiにくるまるるバス冬日和   大須賀純

クリスマスキャロル一ミリ一ミクロン   瀧村小奈生


私の句は、次の二句以外は不発弾となった。
爆発する可能性はゼロに等しい!


短日やサカアガリマダデキマセン

人参の乱切り隙のない暮らし



2019.12.01(Sun)
鳥になるつもりで入る試着室

昨日今日と、釣りの連荘である。
凝るほどの釣り好きではないが、釣り餌が残っているからというのが最大の理由だ。

昨日は、碧南市のつり広場(碧南市港南町)へ。
家人と合わせてサッパ(ママカリ)を100匹ほど。

サッパは、コマセエサも必要ないサビキ仕掛けで充分。
釣り糸を垂れるだけで、魚が釣り針に勝手に掛かってくれる。

サッパだけでは面白くないから、もう一竿は釣り餌(ゴカイ)を泳がせて獲物を狙う。
セイゴかハゼか、はたまたタイが掛かれば儲けものである。

その魂胆が魚に伝わるのか、サッパ以外はボウズ。
それで、今日の吉浜海岸での鯊釣りに至ったというわけである。

風がなく焼けるほどの日差し。
クリスマスに近いこの季節に「鯊釣りとは」と、お日さまを見あげたほどだ。

釣果は、20aほどのハゼ3匹だけだったが、海の匂いを堪能できた。
手嶋吾郎さんの句「釣れずとも夫婦で海の青を吸う」を思い出した。


金曜日、名古屋川柳社発行の「月刊 川柳なごや」が届いた。
今号は「全国誌上大会発表号」である。

2句秀吟に取ってもらった。 ↓
その句評もここで紹介する。


水のあるしあわせ水のある詩集  「水」 赤井花城 選

水が本来秘め持つ無限の優しさを、「詩集」の語に込めて、水なるものへの作者渾身の賛歌を謳い上げている。


常温の水でしあわせだったかい  「水」 松代天鬼 選

平穏な夫婦の生活に対して、夫が妻に訊いている。「常温の水」の暗喩がすばらしい。夫婦間のドラマを思わせる作品である。



2019.11.24(Sun)
幸福度2くらいだろうペアルック

土曜日、午前9時30分に高浜市を出発して豊川市勤労福祉会館へ。
西三河から東三河への移動時間は、1時間40分ジャスト。

高浜川柳会メンバー4人での豊川市民川柳大会への殴り込みである。
老いてはいるが美男、美女それぞれ2人のメンバーは、いずれも実力者揃い。

11時30分、投句完了。
当日の選者である私を残し、他の3人は会館近くのレストランへ。

参加者合計、89名(出席65名、欠席投句24名)。
178作品との対峙、そして格闘である。

午後2時から披講(入選句発表)。
結果は ↓ (メンバーがゲットした特選句のみ)


課題「ピンチ」
特選  温暖化海から届く下剋上  都築典子

課題「香る」
特選  働いた汗の香沁みる明細書  都築典子

課題「薬」
特選  憂きことは薬に委ね余生生く  山口清和


何と、課題4つの内の3つの特選を我が高浜川柳会メンバーが独占。
典子さんに至っては愛知川柳作家協会賞(4課題の特選句の中の最優秀句賞)もゲット。

「高浜川柳会ここにあり」を見せつけた大会だった。
ちなみに私の入選句と選者吟は ↓


加齢臭ですがわたしの香りです  「香り」

薬よりよく効く母の褒め言葉  「薬」

この国を憂いさくらの狂い咲き  「ピンチ」 軸吟


帰路では、御油の松並木(豊川市御油町)と久しぶりの再会。
その昔、野次さん喜多さんが狐に化かされたという逸話の残る場所である。

松並木は、およそ600bにわたって271本の松の木が立ち並ぶ。
古き良き時代を今に再現させている。


御油の松並木


今日は、川柳きぬうらクラブの月例句会。
ここでも、課題「時代」(共選)の選者。

入選句は ↓


土ぼこり上げて男が勝負する  「土」

身の丈で生きる埴輪の顔をして  「土」

土の香が立ち込めてくる初トライ  「土」

いくつもの時代を生きて風が澄む  「時代」 

人はサーファー時代の波を乗り越えて  「時代」

あたらしい時代へ夜行バスが出る  「時代」


2019.11.17(Sun)
諍いはこれ位です紙ずもう

昼過ぎから、碧南市港南町の「釣り広場」へ。
数多の釣り人が竿を片手に奮戦する中、私と家人だけは傍観者。

と言っても、釣果や釣りのコツを聞いたりして、情報収集に余念がない。
釣り人の多くは高齢者で、釣り歴数十年の猛者ばかり。

時には、歴戦の一部を物語ってくれる。
クロダイやスズキとの格闘、エイとの攻防などをドラマチックに再現してくれる。

本日見た魚は、クロダイ、コショウダイ、セイゴ(スズキの幼魚)、ハゼ、サッパ(ママカリ)、オコゼ。
他にタイの種類がいくつかあったが、名前がわからない。

夕刻は、半田市の亀崎港と半田港へイカ釣りの見学。
昨日のラジオ番組で、「1時間でイカを20盃上げた」という読者からの投稿を聞いたからだ。

亀崎港は、5、6人、半田港はざっと50人は下らない人出。
現場へ行けば行くほど、釣り好きの多さに驚いている。

↓ は、「釣り」をテーマにした川柳。
魚釣りのユーモアやペーソスが垣間見える!


餌代と釣果秤にかける妻   久保木博

釣りに行く明日の天気が気がかりね   上渕幸八

釣りですかいやいやエサを泳がせに   加藤政時

釣れたかと聞けば手を振る向こう岸   浅田扇啄坊

釣れた日は少年の顔して帰る   西田邦子

                              「三省堂現代川柳必携」(田口麦彦編)より



2019.11.10(Sun)
さるすべり散り永遠を出ていった

昨日今日と、立冬に亡くなった叔父の通夜、葬儀。
身内の不幸をこの頁で書くことは憚られるが、書きたい理由がある。

それは、叔父も私と同様に短詩系文芸の書き手であったからだ。
叔父は元々は、名鉄系ホテルのホテルマン。

四十年超の歳月をホテルの接客に捧げた人だ。
穏やかな性格は、ここで培われたものだろう。

十代から油絵を描いていたようだが、知らなかった。
短歌をやっていると聞いたのは、十数年前。

そんなことはとうに忘れていたが、ここ数年、叔父の名を見る機会が増えた。
高浜市文化協会の「春日の森 市民俳句・短歌・川柳の集い」への応募作品である。

西尾市一色町に居を構える叔父がなぜ?と思ったが、すぐに高浜文協の会員であることを知った。
一色町文化協会の短歌部の仲間に誘われ、高浜文協にも入ったのだった。

高浜文協ではついに会えず終いになったが、叔父の作品が残っている。
いくつか書き写すことで、哀悼の気持ちを表したい。


梅雨冷のひそみし山の陰に来て額紫陽花のブルーと出会う

満ち潮に膨らむ海の水面より低きにありてデルタわが街

ここに吾勤めし日々あり廃駅の跡にたたずみ風に吹かれる

木漏れ日の坂を上がれば宗恩寺その裏山に父祖は眠りぬ

こどもらはスケッチブックに描きゆくそれぞれの海さまざまな秋

早春の野道を歩まん肩ならべタンポポの咲く川沿いの道

引き潮の渚にたちて沖を見る頬に冷たき早春の風

独り居の老女の逝きて誰もいぬ屋敷の隅に夕化粧咲く

空港のざわめきの中傍らを知らぬ言葉が通り過ぎゆく      鈴木日出夫

                              (西三文協短詩型文芸誌「やはぎがわ」より)




2019.11.03(Sun)
ネジひとつ壊れ男になっている

11月に入っても、日中の日射しは依然強い。
かつての11月は、もっと冷え込んでいたと記憶するが、これも温暖化の為せる技だろう。

寒くなると沖へ逃げるはずの鯊(はぜ)が、この時期になっても海岸べりの浅瀬を泳いでいる。
温暖化は地球にとっては迷惑な話だが、まだ鯊釣りができる私たちには有り難いことだ。

水曜日、「渡し場かもめ会」の神谷正巳会長から電話をいただいた。
渡し場かもめ会とは、先週紹介した嫁入り舟再現の立役者。

芳川渡し場まつりがメインの行事であるが、毎月の海岸清掃活動や「海の児童公園」の清掃・花壇の手入れ、海の水質調査などを行っている。

要は、ふるさとの美しい海の復元と嫁入り舟等の歴史文化の継承が目的。
が、どの組織でも避けられない状況にある会員の高齢化が最大の悩みの種だ。

会員増への“声掛け”か?と思ったが、違った。
要件は、渡し場まつりの時に投句した俳句が入選、表彰式への出席依頼だった。

すっかり忘れていた、と言うより半分覚えていない。
投句用紙と鉛筆を渡されたので、1,2分で書いて投句箱にポイ!

俳句になっていない代物では表彰式の品位を落とすので、最初、表彰式出席は断わった。
が、表彰式の後の反省会(懇親会)にも出席して欲しいとの熱心な言葉に負けて出席。

一杯飲ませてくれるとなれば、断る道理はない。
賞状の他に、副賞(吉浜の鶏卵30個入り1ケース)もあるらしい。

高浜市長、県議らの祝福を受けての栄えある表彰式。
好天に恵まれ、海からの風が心地好く、酔い心地抜群の反省会も楽しかった。

鶏卵1ケースを提げて、片道20分の復路をただ今帰還!
夕刻から、また吉浜の海岸へ家人と鯊釣りへ行く予定・・・・


参考までに入選作品10句は ↓


【令和元年第二十七回渡し場まつり俳句入選作品】

秋燕低く飛びおり嫁小舟  新美あさ子

秋風に嫁入り舟の影ゆらぐ  中嶋義一

渡し場に金管ひびく秋の空  梅田優奈

嫁舟と水面に映るいわし雲  神谷みち子

鯊釣りの海へ嫁入り舟がゆく  柴田比呂志

秋の陽が頬をそめたる嫁入り舟  吉岡初浩

ボラはねる渡しの舟の道しるべ  中川庄嗣

秋澄んで琴の音渡る衣浦に  神谷和代

秋の風ゆれる嫁舟幸せに  都築一雄

行く秋やふる里の精華(はな)渡船祭  杉浦節治



2019.10.27(Sun)
海に石投げれば夏がまだ匂う

昼過ぎから吉浜(芳川)の海岸へ。
いつもは夜の散歩で出かけるのだが、今日は“嫁入り舟”を見に行く。

この海岸は、「藤江の渡し」跡。
毎年この時期、「芳川渡し場まつり」が催され、嫁入り舟が再現される。

藤江の渡しは、江戸時代から三河と知多をつなぐ交通手段だった。
旅人や行商人のほか花嫁らも利用したといわれる。

昭和31年、衣浦大橋ができて渡し舟は廃止。
地元の保存会(渡し場かもめ会)の尽力で、平成5年から芳川渡し場まつりが開催。

嫁入り舟が再現されたのは、平成8年から。
毎回、二組のカップルが乗船する。

その他、金管バンドや大正琴、和太鼓にチアダンスのステージと海の日の標語の表彰式。
豚汁・綿菓子・だんご等の屋台が、祭りに彩りを添える。



嫁入り舟



「藤江の渡し」跡 説明板


 ひとりでも遊べる海に石投げて   新家完司

嫁入り舟を見ていたら、ふと完司さんの川柳を思い出した。
秋の夕暮などはとてつもなく似合う句だ。

完司さんは、「ひとりでも遊べる海に石投げて」のそのままの人。
純粋な少年の心をいつまでも持ち続けている人だ。



2019.10.20(Sun)
元気です心に海を光らせて

諸般の事情で、先月を最後に川柳塔社の「web句会」が休会となった。
毎月20日〆、25日前後が発表だっただけに、淋しい気もするが、肩の荷も一つ下りた。

このweb句会が始まったのは、2016年4月。3年半続いたことになる。
記憶の限りでは皆勤である。いい作品は一つも書けてないが、いい学びをさせてもらった。

句会、大会の発表誌同様に、web句会も入選句の結果が勉強になる。
川柳塔社のホームページに今までの結果があるので、興味があればご参照ください。

   
 https://senryutou.net/web-kukai-touku/


web句会に参加して、川柳に対する見方が少しずつ変わってきたように思う。
これは当然、選者の時の選句の仕方にも関わってくるが、まず、きれいごとや正義を言わないこと。

川柳は人生を詠むが、人生論を語るものではないこと。
いい句を詠むには、簡単に発表しないこと。

再考し、熟成させ、時には全く違うものにして世に問う機会を待つこと(勲二郎談)。
と言いながら、まだまだきれいごとを詠んでいる己がいる、情けない・・・・。

↓ は、最近ハッとした作品群(web句会発表)、新しい!


バス停が醤油くさくて町を出る  芍薬  「出る」

Wi-Fiと青いもの何かください  怜  「何か」

まっすぐに雨が降る日のイギリス語  エノモトユミ  「英語」

周波数あわせる時に混ざる海  エノモトユミ  「ラジオ」


「必要な人員や予算が確保でき次第再開いたします」とあるから、web句会もいずれ再開する。
しばらくは充電期間を持つのもいいだろう。

「待つ」ことは、何においても必要なことである!



2019.10.13(Sun)
この道でいいんだタップ踏みながら

昨日からの三連休は、12日(土)・岐阜県川柳作家協会川柳大会 13日(日)・俳句の会(ペンキ句会) 14日(月)・豊橋文化祭川柳大会と続くはずだったが、出鼻を挫かれた。

台風19号により、岐阜の大会は中止。
大垣の街並みの散策が叶わず残念だった。

が、当日の席題以外はすべて事前投句してあるので、大会は中止されても結果は残る。
追って、入選句と大会成績上位者の発表があるだろう。

今日は、俳句の会。
いつもと違う午前中の開催だったが、10名が出席。

川柳の句会、大会が重なる中で、準備不足もいいところ。
まだまだ俳句への意欲が欠けているのだろう。

提出句と点数は ↓


抜歯した窪みに沁みてくる夜長

かりんとうの甘さを抓む長き夜 (3点)

御嶽がよく見える日の落花生 (4点)

鯊釣りやまだ少年の日のぬめり (2点)

湖に霧ボートの上で擦るマッチ (1点 特選1)


「湖に霧」の句は、富沢赤黄男(とみざわかきお)の次の句の盗作。

一本のマッチをすれば湖は霧

赤黄男のこの句は、昭和16年太平洋戦争開戦の年の作品。
戦後、寺山修司が(おそらくは)この句に触発されて、次の歌を詠んだ。

マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや

私の盗作句は、学生時代の想い出を詠んだ。
友人と山中湖で貸しボート屋のボートを漕いでいた。

立ち昇る霧に一瞬のうちに包囲された。
ボートとオールと友の顔以外は見えない。

なす術もないから、煙草に火を付けて一服した。
霧が立ち去る以外にどうすることもできないからだ。

幸いなことに、数分後ボート屋のモーターボートが助けに来てくれた。
ボート屋にとって、“遭難”は日常茶飯のことだったのだろう。

あの日から40年近い、光陰は矢の如し・・・・


さて、明日は豊橋の大会。
句の用意はしてあるが、いいものがない。

時計の針は午後10時を回った。
黒糖焼酎を舐めながら、推敲とやらをしてみよう!



2019.10.06(Sun)
寸劇が始まる空が掻きくもる

土・日は、岡崎川柳研究社の本社句会と高浜川柳会の句会で明け暮れた。
それほど長くやっているわけではないが、作句という準備を含めると結構な時間になる。

5日、6日は国民文化祭の川柳大会が新潟で行われていた。
5日は前夜祭で、200を軽く超える柳人が再会を喜び合っただろう。

柳誌でしか知らない仲間と肩組めば、たちまち10年来の知己である。
背景に同じ志を抱いている者どうしの契りは、かくも深い。

今日は大会当日。
どんな句が特選に選ばれ、表彰されたのか?

明日には柳人のブログで知ることができようが、やはり参加が叶わなかった痛手は大きい。
しばらくはまた、ポッカリと心に穴が開くのだろう。

↓ は、昨日の本社句会の入選句。
何年やっても上手くならない!

どれほどの甘さか水を選る蛍  「レベル」

C難度生きてゆくのは難しい  「レベル」

海に石投げれば夏がまだ匂う  「投げる」

ちっぽけな秋を掴んで巴投げ  「投げる」

投げ竿が大きくしなる鯨だな  「投げる」

増税へムンクは叫び声上げる  「雑詠」

咳込んでいます逝く夏への余韻  「雑詠」

妻とだけ分け合う林檎一つ買う  「雑詠」


そしてこちらは、高浜川柳会メンバーのキラリ光る一句。


雑草の種までできたサボり癖   悦子

草むしり蟻の豪邸土砂崩れ  文子

おまけ好き九月に暑さもういらぬ  典子

地獄耳爺ちゃん忍者盗聴器  康司

悩んでも名句出てこぬ満腹後  清和

逃げ道はどこにでもあるソーダ水  比呂志


P.S.

国文祭にいがた表彰句(紋章川柳ブログより)



2019.09.29(Sun)
少年に風が見えるだなんてウソ

先週の日曜日から心に穴が開いてしまっている。
正確に言うと、大相撲秋場所千秋楽が終了した午後6時。

関脇・御嶽海の幕内最高優勝で幕が閉じられたのはいい。
中盤から、実力、風格ともに、幕内最強力士に見えたものだ。

同じく関脇・貴景勝を優勝決定戦で下したのもうなずける。
これからの角界を担う二人は、常に良きライバルとして競い合うことだろう。

秋場所は、@貴景勝の大関復帰 A平幕・炎鵬の勝ち越し を期待して、大相撲を見ていた。
この2つは難なく(?)達成されたが、千秋楽、貴景勝が負傷するという事態に見舞われた。

右膝の負傷から地獄を見た貴景勝が、またもや同様に地獄を見るのか?
その後の経過は分からないが、短期の治療で直ることを祈るのみだ。


月曜日は、愛知川柳作家協会の川柳忌・みたままつり句会。
この一年の物故者のみたまに祈りを捧げる日である。

久し振りに柳友のYさんにお会いでき、うれしいことだった。
Yさんのスケジュール帳のカバーには、私の句が二つ挟まれていた(↓)。


かなしみもあって桜の狂い咲き

リズムよく生きたか川という流れ


手本というのではないだろうが、拙句を評価してくれるのはありがたい。
お蔭で、前日からの心の穴が少し埋まったような気がした。

句会の結果です。

生きるため芸に磨きをかける象  「ノルマ」

木から樹へ少年の日の志  「志」

老いだろう少しずれてく周波数  「じわじわ」



2019.09.22(Sun)
木から木へ風は冒険くりかえす

昨日から「春日の森 市民俳句・短歌・川柳の集い」(高浜市文化協会主催)の小・中学生の応募句(歌)の選をしている。いわゆる一次選で、入選候補作品の選別である。

高浜市は、小学校が5校、中学校が2校あって、春日の森にはおよそ7千作品が寄せられる。
文芸部員が総出で、この7千を160まで絞り込む作業は見た目以上にキツい。

私は、港小学校と南中学校を担当。
小・中学校は俳句の作句を基本としているが、
南中学校の2年生だけが短歌。

選をして感じるのは、俳句の難しさだ。
字数が少ないだけに言い切ることができない。

省略の文芸ということが、生徒たちには解からない。
たとえ解かったとしても、高度なテクニックを必要とする。

それに比べて、短歌は最後の7・7で自分の感情を言い切ることができる。
生徒も伸びやかに感情の吐露ができるようで、読んでいても気持ちがいい。

角川春樹は、俳句の特質を次の3要素とした。

1 俳句とは映像の復元力である。

2 俳句とはリズムである。

3 俳句とは自己の投影である。

と、書いたところでこの域へ容易には到達できないものだ。
先ずは説明ではなく、映像が浮かび上がること。

そして、リズムは韻文であるがゆえ、言わずもがな。
自己の投影は、句の中に自分が存在するということだろう。

何とも難しい話だが、いい作品に多く触れることで、この3要素は見えてくるだろう。
生徒と一緒に学んでいきたいものである!



2019.09.16(Mon)
いい夢を見よう木陰のハンモック

行ってきました、4年ぶりの飯田。
2019年長野県県民芸術祭参加 第73回 長野県川柳大会。

7年前、4年前に続いて、3回目の来飯(らいはん)である。
例によって、県道419号線、伊勢湾岸道路、中央道と乗り継いでのおよそ2時間の道のり。

まだ暑いが、絵に描いたような秋日和。
青空の中に宝石のように光る鱗雲が初秋を演出していた。

飯田インターチェンジのりんご並木には、まだ青いりんごが鈴なり。
このりんごを見るたびに、飯田に来たんだと実感が湧く。

7年前、川柳きぬうらクラブの当時の会長・浅利猪一郎さんが選者のときに行ったのが最初。
誘われたわけではなく、全くの傍観者だったが、成績は合点で7位(飯田市議会議長賞)。

4年前はと言えば、合点10位の飯田天柳吟社賞を受賞。
そして、今年は合点5位、長野県川柳作家連盟賞である。

いずれの年も、↓ の秀句(天、地、人)が合点をはね上げた。
ちなみに、合点は、平抜き1点、佳句2点、秀句3点で計算される。


7年前  小さい秋どんな袋に入れようか  「袋」

4年前  愚痴こぼす日は何度でも歯を磨く  「合図」

今 年  この道でいいんだタップ踏みながら  「道」

  〃   元気です心に海を光らせて  「元気」 席題


↓ は、今年の入選句。

長生きはせんでもいいと父の背  「姿」

この道でいいんだタップ踏みながら  「道」

モラルって心の隅に射すひかり  「光る」

もうひと花咲かす六十歳の地図  「望」

天を衝くかみなり様の応援歌  「元気」 席題

元気です心に海を光らせて  「元気」 席題


今年の参加人数は、出席者84名、投句者69名の合計153名だった。
飯田での次の大会はおそらく4年後(長野大会は、長野、上田、小諸、松代、飯田の持ち回り)。

長旅(と言うほどでもないが)は、歳とともに堪えるが、頭を真っ白にするには最適。
浮世を忘れさせてくれるのは、川柳の効能である!



2019.09.08(Sun)
逆上がりみんな入道雲になる

待ちに待った大相撲秋場所 初日である。
贔屓力士は、関脇 貴景勝と平幕の炎鵬。

リアルタイムは無理だったが、大相撲中継終了前の録画では見ることができた。
結果、二人とも難なく(?)勝ちを収めた。

炎鵬はさすが相撲巧者、阿武咲に対し、目の覚めるような掬い投げ。
貴景勝は、一瞬ヒヤッとする場面もあったが、埼玉栄高の先輩 大栄翔を貫録の突き落とし。

とにかく、この二人が勝ってくれさえすればいい。
貴景勝は大関返り咲き、炎鵬は勝ち越しが当面の課題だが、二週間後は、神のみぞ知る、である。


さて、秋になり文芸の季節がやってきた。
昨日今日の川柳句会、大会の結果である。

7日 岡崎川柳研究社本社句会(岡崎市中町 参加人数20名)

少年に風が見えるだなんてウソ   「嘘」

ゆうやけと帰る鴉が鳴いている   「ぞろぞろ」

老いという反乱軍が来ています   「ぞろぞろ」

民主化へデモは牛歩の足並みで   「ぞろぞろ」


8日 中部地区川柳大会(名古屋港ポートビル 参加人数168名)

空仰ぐパズル一つが埋まらない   「仰ぐ」

寸劇が始まる空が掻きくもる   「劇」

一人の劇場しあわせごっこする   「劇」

逆転打わたしを包む風がある   「包む」

日曜のレシピに父が跳ねている   「ほのぼの」



2019.09.01(Sun)
正解はいらないアユの掴み取り

昨日、今日と近くの海岸へハゼ釣りに行った。
四半世紀ぶりで、何もかも忘れてしまっている。

しかし、釣竿と糸と錘と釣り針があればなんとかなる。
幸い釣竿と糸はかつてのものが健在、あとは錘と針とエサ。

近くの釣具店で、ないものを購入、エサは海岸でゴカイを探した。
こうして一応は釣りの格好を整えたが、腕の方はにわかには上達しない。

果たして、初日の釣果は中ぶりのハゼが一匹。
本日は、一時間ほどエサを泳がせたが、ピクッともしない。

二日でハゼ一匹とは畏れ入ったが、お蔭で浮き世を忘れることができた。
考えれば、魚釣りとは何と非日常の行為だろうか。

「野ざらし」という落語がある。
そのまくらに、“馬鹿の番付”というのが出てくる。

西の横綱は、「醤油を三升飲んで死んだ人」。
東の横綱を張ったのが、「釣りをする人」。

なぜ「釣りをする人」が馬鹿かというと、水の中に魚がいるかいないか判らないのに、そんな所にノウノウと糸を垂れてる奴は、馬鹿の親玉だということだそうだ。

ここから「野ざらし」の噺に入っていく。
立川談志は、このまくらの後、一つジョークを入れた。

「こないだ馬鹿の横綱を見たよ。釣れもしないのに、一日中、ジッと糸を垂れてる奴」。
「なんで一日中ってわかるんだ?」

「だって、俺、一日中、見てたもん」
「お前が、一番、馬鹿だ」

かくして非日常は過ぎてゆく。
秋が少し大きくなって来る!



2019.08.25(Sun)
火の匂いさせて男は立ち上がる

お正月は伊勢で過ごしませんか。
初詣と川柳の二本立て!

ローカルな始まったばかりの伊勢での川柳大会へ、比呂志さんの詩情あふれる作品をお待ちしています。ぜひ!!いらして下さい。

* 令和2年 新春“おいせさん”川柳大会
* 令和2年1月13日(月 成人の日) 10時開場
* シンフォニアテクノロジー響ホール伊勢4階大会議室
  (伊勢市観光文化会館 近鉄宇治山田駅前すぐ) 


三重川柳協会の東川和子さんが ↑ の手紙をくださった。
これぞ達筆と思わせる、毛筆書きの手紙には恐縮するばかりだ。

川柳を始めてから、こうした手紙をいただくようになったが、同世代ではまずあり得ない。
いずれも、一回り以上歳の離れた人生の先輩たちからだ。

私などは、パソコンで文章を作成して“よし”としてしまうが、古き良き時代の先輩方は、自筆(場合によっては毛筆)でなければ納まりがつかないのだろうか?

通信手段の多くがメールになっても、手紙という慣習は残って欲しいと思う。
自筆の手紙は、世知辛い世の中で棘とげになった心の襞を潤わせてくれる。

東川和子さんの名を出したついでに、 ↓ は、彼女の川柳作品。
いずれも洒脱で、川柳センスが光る。


プロポーズどちらの耳が聞いたのか

六月の花嫁だって風邪を引く

あなたには鳥の言葉で返事する

屑篭の中でも海の絵は青い

南瓜から包丁抜けず一大事

冷めないうちに召し上がれ 恋も

どうせなら明るい方にグレてやる

新妻の隠れ場所なら春キャベツ

点滅が始まってます初老です


出典
「三省堂 現代川柳鑑賞事典」(三省堂 田口麦彦)
「三省堂現代女流川柳鑑賞事典」(三省堂 田口麦彦)
「川柳よっかいち 2011 12」(四日市川柳会)



2019.08.18(Sun)
短歌の友人

盆の初日、久々に書店へ行った。近所の古本屋だ。
諸般の事情で十八日が閉店らしく、すべての商品が値札の半値。
まあ、そんなことは知らずに、ついでに立ち寄った店だが、二冊を購入。
そのうちの一冊が、穂村弘著『短歌の友人』(文庫200円)。

この本は、著者初の歌論集で伊藤整文学賞を受賞している。
2007年12月に河出書房新社より刊行。
文庫の方は、2011年2月初版印刷。
初出一覧を見ると、
2000年から2007年までに発表された作品群。
12年から19年前ということになる。

「短歌とは何か」「短歌はどのように変化してきたのか」「これから短歌はどうなっていくのか」が書かれているはずだが、お頭の弱い私には難解すぎて手におえない。

そもそも“ほむほむ”こと穂村弘は、洒脱なエッセイを得意とする軟弱な歌人が売りだったのではないか。例えば、「1%のラブレター」。



 目の前のカップルが、いつかどこかで出会い、時間の経過とともに微妙な眼差しや言葉や行為を
  交し合って、少しずつ関係を深めていったのだ。こいつらの全員がそれをやったのだ。
  『ふたりのやりとりの複雑さ』×『道のりの遠さ』×『カップルの数』を思って、ふーっと気が遠くなる。



穂村は、「怖くて結婚できない」などと平気で言う人で、それが軟派なイメージをもたらすのだが、『短歌の友人』を開けると、そこには硬派な言葉たちが缶詰のように詰まっている。
私が理解できたところは正直言って二か所。まずはその一つ。


現在(初出一覧から十六年前)の短歌の世界は、酸欠状態にあると言う。
酸欠とは酸素が少ない状態。では、酸素の正体は何か。
それは、人間の愛や優しさや思いやりだろうが、それらが本当に失われてきたのだろうか、と穂村。
そうではなく、今の世界には行き場を失った優しい心たちが、世界の至るところに虚しく溢れている。
そうした心を伝播循環する何かが欠けているから、心が迷子になったり、変形したりしているのだと。



 誰もが自分がいる場所を見失って、迷子の心で強く強く強く〈誰か〉を求めている。
  ときには目の前に〈きみ〉がいてもなお、〈誰か〉を求めるのである。


理解できた二つ目。ここでは、穂村が先輩歌人にケチョンケチョンに貶されている。どう貶されているかと言えば、第一歌集『シンジケート』に対して、何の感興も湧かないとか、チンプンカンプンで歯が立たないとか、物質観と生活感の欠如とか、もっと言うなら、自己とは何か、人間とは何か、人生とは何かということへの真摯な問いかけの欠如。もののあわれや無常観を根っ子にしたところの死生観の欠落を大いに嘆いているのである。そして、こうまで言っている。


 いや、もしかしたら私の歌作りとしての四十年は、この一冊の歌集の出現によって抹殺されるかも
  しれないという底知れぬ恐怖感に襲われたことを正直に告白しておこう。
 本当にそういうことになったとしたら、私はまっ先に東京は青山の茂吉墓前に駆けつけ、
 腹かっさばいて殉死するしかあるまい。



歌人論でありながら、このときの文章には引用句が一首もない。それほどまでの憤怒は、斎藤茂吉の作品を頂点とする「命の重みを詠う」という至上の価値に抗った作品に見えたということだろう。
これにより、穂村は、異質な作風の存在が人間性や人生そのものの否定に直結する詩型の特異性を強く感じたと言うのだ。


ところで、私も穂村の歌を知らない。
上の先輩歌人が激怒するほどのものなのか。作品を調べてみた。



 体温計くわえて窓に額つけ「ゆひら」とさわぐ雪のことかよ

 サバンナの象のうんこよ聞いてくれだるいせつないこわいさみしい

 「とりかえしのつかないことがしたいね」と毛糸を玉に巻きつつ笑う

 子どもよりシンジケートをつくろうよ「壁に向かって手をあげなさい」


いずれも、第一歌集『シンジケート』から引いた。作品の良し悪しは素人には分からないが、少なくとも同世代の私にとって、口語体も鉤括弧も内容も違和感はない。
しかし、ひと昔前の歌人からするとムカつく存在なのだろう。文語を愛し、命を詠う短歌だけを歌だと信じる世代にとって、台頭する新人類は、里に下りて来るイノシシやクマのような駆除すべき猛獣でしかない。


缶切が錆び付いて、『短歌の友人』の缶詰はこれ以上開かない。錆び付いているのは、私の凹んだお頭に他ならないが、錆を少しずつ落としながらこの本をもう一度味わってみようと思う。
短歌という谺が還ってくるような気がするのだ。

                                        (刈谷文協文芸誌「群生」寄稿)




2019.08.11(Sun)
心まだひらがなでいる夏の雨

夕刻の散歩は、涼風を求めて衣浦の海へ。
夏至の頃に比べてずいぶん日が短くなった。

片道二十分ほどの距離を歩けば、海に着くころには真っ暗。
百数十メートル離れた対岸の民家の灯が目に映るだけだ。

海岸は釣り場になっていて、数多の釣竿が並ぶ。
人の数はその半分にも満たず、竿の先端から発する光だけが力強い。

釣り人はウナギを求めて夜毎通ってくるようだ。
ウナギは、ハゼのようには食いつかず、よって仕掛けの数で勝負ということか?

ウデに加えて、潮の流れ、時間帯、釣るポイント、餌・・・・・
いくつかの条件が重なってウナギは釣れる。

一晩に七、八匹を釣る猛者もいれば、ボウズで帰るカナシイ人もいる。
釣り場には釣り人の悲喜こもごもが残されている・・・・


今日、午後からは「俳句の会」(11名出席)。
面白い句が数多!上位得点句を紹介します。


5点句
採れたての茄子へ白紙委任状   比呂志

4点句
秋暑し名簿発注者の名簿   三千代

3点句
骸とは軽くなること甲虫  当卯

脳天に枇杷の葉っぱの土用灸  風子

らむね玉からからから旅の果   しょう子


「芸術の基準は“美”」という主宰の言葉が印象的だった!



2019.08.04(Sun)
新しいチカラが海のまま走る

寝る前のひと時、いつものように柳誌の拾い読み。
どこでどう手に入れたものか、おかじょうき川柳社の「月刊おかじょうき」。

「2018 4・5月号」とあるから、1年数ヶ月前の発行の柳誌だ。
作りはモダン。センスの良さはピカイチ!

おかじょうき川柳社の代表はムーさんことむさしさん。
編集は、まだ40代ながら柳歴20年以上を誇るSinさん。

柳誌のモダンさもさることながら、柳人の句もまたモダンである。
下は、3月例句会、4月例句会の天位句と評(たぶんSinさんの)。


3月例句会

席題「耳」 守田啓子・熊谷冬鼓 選

湖になるところに耳を置いておく  奈良一艘
 * きれいな映像が見えてきます。最期は湖に・・・。

トランプの耳がチクワになっている  小野五郎
 * チクワとは言いえて妙。

宿題「もたもた」 土田雅子 選

今朝はまだごはんを食べてないのです  鳴海賢治
 * この肩すかし感がたまらんです。

宿題「務」 小野五郎 選

アンパンでいるのがきっと妻の義務  徳田ひろ子
 * アンパンと妻の取りあわせが絶妙。平和が続くか、波乱含みか。

宿題「自由詠」 きさらぎ彼句吾 選

カタログと違う家族がやってくる  月並与生
 * 恐いですね。それも、家族のカタログが有るなんて。


4月例句会

席題「オノマトペ一切」 奈良一艘・守田啓子 選

たかが雨ふつふつふつと煮るりんご  まきこ
 * 闘志の煮方に賛成一票!

ピコピコと筋肉一人ぼっちです  北野岸柳
 * ユーモアの中に哀愁が漂っている。うまいなァ。

宿題「やれやれ」 須藤しんのすけ 選

深呼吸して爪痕を舐める  奈良一艘
 * やっと終わった〜やれやれ・・・。

宿題「目」 小野五郎 選

あんぱんの割れ目 人間の裂け目  守田啓子
 * あんぱんの割れ目から人間の裂け目へと一気呵成にもっていった背筋力。
    恐ろしいほどの噴出、表現。

宿題「自由詠」 むさし 選

泣いてるか泣いていないか嗅いでみる  奈良一艘
 * 泣いてるか泣いていないかなんて、みんなで嗅いでみればすぐ分かる・・・。


最後に、席題「祭り」でのむさしさんの一句。
祭りの威勢良さが一句に凝縮されている!

祭りだ花火だぎゃあてえぎゃあてえ蝉の羽根





2019.07.28(Sun)
土踏まず淋しい人のいる隙間

金曜日、川柳マガジン8月号が届いた。
いつも10分ほど目を通すだけで、そのまま本棚へ直行の雑誌。

だが、川柳界の出来事はおよそこの雑誌で知れる。
川柳という世間をこと細かに教えてくれている。

全日本川柳協会主催の「川柳文学賞」を徳永政二さんが受賞した。
先の浜松大会で知ってはいたが、活字になると政二さんの作品が甦ってきた。

7、8年前だろうか、徳永政二という川柳作家を知ったのは。
他の作家とはどこか違う、ふんわりとしたものを感じた。

「ふんわりの正体は何だろう」とやはり考えたくもなる。
思考が苦手は私には、そんなテーマは重荷でしかないが・・・・ともあれ、政二作品!


悲しみはつながっているカーブする

一本の木から汽笛を聴いている

よかったねよかった帽子ぬぎながら

そうですねそれは涙に近いもの

生きているみんなころがるようにして

君の全部僕の全部と橋の上

くりかえすことのうれしさバッタ跳ぶ


なんでもない夜よみかんに種がある

やわらかいタオルひとりというものよ

空を押すように金魚の浮くように


二人の川柳作家のコメントを紹介する。

「たいせつなひとに贈る、たいせつなひとことが書かれた特別なポストカードみたいといえば、イメージが伝わるだろうか」(川柳家・なかはられいこ)

「〈君の全部僕の全部と橋の上〉 いいなあと橋の二人を見上げている。
見上げながらドキドキしている」(川柳家・芳賀博子)



2019.07.21(Sun)
爪痕を残すこの世が好きだから

大相撲とは長く縁が切れていたが、近頃復活した。
貴景勝の大関取りがその契機だったから、去年の九州場所くらいからか?

順調に大関に上り詰めたのはいいが、その後の怪我で先場所途中休場。
今場所全休により、来場所の大関陥落が決まった。

貴景勝の不在で、今場所はつまらないと思っていたが、どっこい。
やはり名古屋は一波乱も二波乱もある場所である。

横綱・鶴竜が久し振りの安定した取り口。
終わってみれば、14勝1敗の幕内最高優勝。

この人は人柄がいいだけに、勝負師には不向きと思っていたが、思い違いだったか?
やるときはやる!武士道が似合うモンゴルの侍である。

今場所、特に注目したのは、“炎鵬”。
名の通り火の玉小僧だが、小よく大を制すの見本品である。

往年の舞の海をさらに小さくした感じ。
公式では、168a、99`とか。上背は私より低い。

この火の玉小僧が、今場所はやってくれた。
先場所が7勝2敗からまさかの6連敗。

さらに今場所は、7勝3敗からの3連敗。
何と十度目の正直で勝ち越し、千秋楽も白星で飾り9勝6敗。

今場所9勝6敗の十両二枚目の石浦は、来場所間違いなく幕内へ復帰。
横綱・白鵬の土俵入りの太刀持ちと露払いとして、二人の勇士にお目に掛かれるだろう。

秋場所が今から楽しみだ。

さて、参議院選挙の結果が出る頃だ。
テレビに張り付いてこの国のかたちを見定めよう!



2019.07.14(Sun)
嘘ひとつ運命線が流れだす

かつての詩を読んでいると、いい詩というのは止め方のうまさにあると感じる。
止めが全体をまとめるのではなく、詩そのものを膨らませていくのだ。

教師が嫌になった
嫌いな子もたくさんいるのだ
ひいきしたい子もいる
好きな子といっしょにいやな奴を苛めたいが
もらるは
それをゆるさない
                    (伊藤比呂美「さるすべり」)

初夏
反歯の教師にSVCの文例問われた
I feel fine.
ぼくの答えに振りむいた女の子

くるり
プールサイドでしたことは
解かれて薄暮
膝がなきそうだった・・・・・・

それもこれもくるりくるり
女の子も
英語に振りむくなんてあれっきりだろう
                    (阿部恭久「生きるよろこび」)

火葬場ではぼくを
えりわけることなどせず
ぜんたいへ優しい火を
はなってもらおう

草を刈ってしまったら たったこれだけの人だった
なんて
君が空を見あげて
悲しまない ように
                    (松下育男「除草」)

めはうるみにうるんで川となり
やがては海、とは行かず
たいていはそのまま終わるのだが
たかが川までの、という威勢を
ためているということで
生地アマゾンもときにちいさく見える
そら、あくがれの
四ツ足であるぞ
さみしい鰐の通い商い
そんな目の高さが
夏の日の底でどこか
おおごとのものとして
見当たる
                    (荒川洋治「さみしい鰐のめぐすり」)


川柳の方では、昭和の六大家の一人・川上三太郎が、「句とは十七字にちぢめる事ではなく 十七字にふくらむ事である」と言っている。

十七音に膨らますカギは、やはり中七、下五の言葉選びだろうか?
突飛なものではなく、一見違和感を持たせながら、なるほどと思わせるもの。

あった、あった。
なかはられいこさんの下の句が参考になる。

スタンプを集めてもらう真空地帯

UV対策終わりましたか有事です

ファスナーを下げて引きずり出す国家

エプロンと海岸線をつけたまま

寄せて上げて寄せてきれいな月つくる

                    (なかはられいこブログ「そらとぶうさぎ」)

こんな佳句ができ上がるまで何年掛かることだろう!



2019.07.07(Sun)
スルメ焼く俺の闘志が反り返る

中元が届く。
夏場だから、缶ビールや冷麦・素麺の類が多い。

お客さんが気を使って下さるのはありがたいが、こちらとしては却って身構える。
本当は、いの一番にこちらから持参しなければいけないところだが、この時期は業務多忙だ。

だから、お返しの品を持参できるのは七月の中旬以降。
それも、疲れ切った体に鞭を打った挙句であり、些か情けない。

昨日は、二か月ぶりの本社句会。
席題の選者が待っているから、渋々と言ったところ。

席題「戦う」。
参議院選挙の公示があり、二週間後が投票日。

そんなところを題意に秘めたが、「選挙戦」に関しての句はゼロ。
やはり、敗戦の苦い思い出や日々の暮らしといった切り口が多かった。

「生活は戦いであり、職業は武器である」
高校の頃の教師の言葉が甦った。

フランスの技術者養成専門学校の校訓だ。
教師は、この校訓がよほど気に入ったとみえて、生徒に何度も話した。

今思えば確かにそうで、生活という戦いを噛み締めているが、学生の身にどれほど伝わっていたか?平穏な暮らしが当たり前の甘ちゃんには、試練などまだまだ先のことだった。


プチプチを潰すひとりの日曜日  「暇」

暇というしあわせもある凪の海  「暇」

心まだひらがなでいる夏の雨  「雑詠」

ディズニーの夢を見ている水枕  「雑詠」

戦いがはじまるソーダ水の泡  「戦う」 軸吟



2019.06.30(Sun)
あおぞらが野心を持ってから歪

昨夜からの雨が夕刻にピタリと止んだ。
梅雨時でも雨と雨との切れ間は必ずあって、一瞬だが、強い光が射し込んだ。

青い街・シャウエン(モロッコ)が写し出された六月のカレンダー。
明日には一枚捲られ、七月の景色が顔を出す。

いよいよ本格的な夏だ。
その前に、やらなければならないことが山と積まれているが・・・・


先週、鈴鹿市民川柳大会でご一緒させて頂いた川柳塔社の編集人・木本朱夏さんが、「川柳塔No.1106」を送って下さった。分厚い!さすが、麻生路郎が育て上げた川柳塔誌である。

同人、誌友の雑詠の他、句会報告、排風柳多留研究、初歩教室、川柳鑑賞など読み応え満点。
これ以上の中身を持つ柳誌は、外に見当たらない。

中でも、上方芸能評論家の木津川計さんの「川柳賛歌」(前月号鑑賞)は圧巻。
木津川さんが先に発刊した「人生としての川柳」(角川学芸ブックス)のファンである私には堪らない。

例えば次のような鑑賞文。

 
ぶらんこの揺れに任せる花の午後   山岡冨美子

宮本輝の『花の降る午後』は、「異国情緒にあふれる街・神戸」を舞台にした恋愛小説だった。
神戸に花が降るのなら京都には何が降るのかを問うと『雪の降る午後』が似つかわしかろう。

ことにうっすらと雪化粧の金閣寺がいい。
すると大坂には何が降るのか。

遺憾ながら、『銭の降る午後』という他はない。
どの都市にも町にも降ってくるものがあろう。

“愛情は降る星の如く”、そんな街で冨美子さんは幸せのぶらんこに身を任せたに違いない。


格調の高さは他の追随を許さない。
読書量もモノを見る目もやさしさも、一級品である。


新家完司さんの「愛染帖」(投句選・評)もよい。
浜松(全日本川柳大会)と鈴鹿と二週に亘ってお会いできたことは光栄だった。

↓ は、愛染帖の上位二句の完司評。

 
詫びながら左右に揺れる草刈機   上村夢香

そうか、あのエンジン音は「ゴメ〜ン ゴメ〜ン」と言っているのか。
人間の為に作られた道具のほとんどは動植物の敵。


 再雇用され上座から下座へと   月並与生

定年のあと同じ職場で再雇用して貰ったのは良いが、肩書は外れて給料はダウン。
さて、これからが人生の深い味である。



青い街・シャウエン



2019.06.23(Sun)
手を洗うまではガキ大将でした

鈴鹿川柳会の過去の会報誌を繰っている。
手元のモノは、「第10回 鈴鹿市民川柳大会号」とある。

平成24年7月号と記されているから、7年前だ。
川柳に本腰を入れ始めたのが、確か平成23年5月。

そうか、翌年にはもう県外の川柳大会に参加していたのだ。
デビューの年の入選は、1句だけ。

風が見えなくなって少年期が終わる  「自由吟」(天根夢草選)

その後の変遷を辿ってみよう。
平成25年。

ふるさとの訛りに返る電話口  「気楽」(吉崎柳歩選)

手に取ればこんなに軽い鬼の首  「残る」(荒川八洲雄・田中五十鈴選)

凹んでるときにもパンのいい匂い  「自由吟」(新家完司選)


平成26年。

天窓が結ぶ非日常のそらへ  「結ぶ」(青砥たかこ選)

理想論いつも迷子になっている  「外」(鍋島香雪選)

しあわせへ回転ドアは故障中  「耐える」(伊勢星人選)


平成27年。
この年は、選者として登壇した。

ハンカチを忘れて少しだけ自由  「自由吟」(吉崎柳歩選)

どんぶりを割りたい曇天の虚ろ  「どんぶり」(軸吟)


平成28年。


冷奴こんないい手がありました  「適当」(宮村典子・加藤友三郎選)

テキトーを許さぬ全開の蛇口  「適当」(宮村典子・加藤友三郎選)

溺れてもいいかな美しい海に  「自由吟」(森中恵美子選)


平成29年。

桃缶が冷え憎しみは半分に  「憎い」(真島久美子・高柳閑雲選)

炒飯の具にする苦手意識など  「苦手」(猫田千恵子選)

夏だから恋は薄めの睨めっこ  「自由吟」(井上一筒選)

剃刀のようです雨の日の手紙  「自由吟」(青砥たかこ選)

竹筒のようかん恋は奥手です  「筒」(丹川修選)


平成30年。

バカボンのパパによく似た人格者  「人格」(吉崎柳歩選)  

ピノキオの鼻はいらない人格者  「人格」(吉崎柳歩選) 

復讐のかたちで雨は横なぐり  「自由吟」(木本朱夏選)

海に石投げて大人になってゆく  「大人」(小林祥司・浜野みさえ選)

雑巾を絞りきれいにするこの世  「絞る」(田沢恒坊選)


さて、第17回 鈴鹿市民川柳大会へ、いざ出陣!
どうやら一日もちそうな天候である。


※ 鈴鹿市民川柳大会の入選句

あおぞらにヒコーキ雲という未練  「未練」

どしゃぶりは青空になる通過点  「自由吟A」

高波となりニッポンを洗う海  「自由吟A」

準備体操まだ坂道を上がれない  「自由吟B」  

記憶ってキリンレモンの泡なんだ  「自由吟B」



2019.06.16(Sun)
海ひとつ抱えおとこよ淋しいか

梅雨晴れ間の日の川柳大会だ。
大会は大会でも、全日本川柳協会(日川協)主催の大会ともなれば600を軽く越す人の群れ。

会場は地割れを起こしたかのように深くて暗く低い音。
「鬩ぎ合い」という言葉があるが、投句作品と選者とが湖底で対峙する一瞬である。

昨日が、東海市市民川柳大会。
日川協大会前夜祭参加のために、選者の入選発表(披講)の途中で退席。

東海市民センター会場を後にしたのが2時30分。
すぐに車を飛ばして、JR刈谷駅前駐車場に3時10分着。

刈谷駅発車が3時22分、豊橋市着が3時57分。
さらに豊橋駅発車4時、浜松駅着が4時35分。

ここで初めて、予約ホテルの地図を確認するも、土地勘がないので何度も迷う。
浜松駅から東へ徒歩3分の「くれたけインアクト浜松」のチェックインは、すでに5時を回っていた。

少し心を落ち着かせてから、前夜祭会場へ。
会場の受付には、北海道から台湾までの数多の人の山。

山を掻い潜り(受付を済ませ)席次表のテーブルについたのは、開会(5時30分)5分前。
後は惰性で二次会(カラオケ)まで楽しい一時を過ごしたのだった。

本日の入選句は ↓


正体は青空とても目がきれい   「さすが」

新しいチカラが海のまま走る   「走る」


帰宅したら、東海市民川柳大会の結果がファックスで来ていた。
武久さんありがとう。 入選句は ↓

私心なく生きて観覧車は回る   「私」

土踏まず淋しい人のいる隙間   「隙」

人参の乱切り隙のない暮らし   「隙」

青色にしよう曇りの日の付箋   「色」

百均にありますしあわせの翼   「翼」


娘からの宅配も届いていた。
父の日のプレゼントだ。

獺祭(清酒)三本セット。
心して飲むことにしよう!



2019.06.09(Sun)
期待値が高まるジャムのいい匂い

雨期に入り、苺の収穫がほぼ終わった。
食卓を日々賑わせていた赤い彩りがもうすぐ無くなる。

不揃いの苺をそのまま抓んだり、手製のヨーグルトを掛けて食べたり、ジャムにしたり・・・・
初期の頃の薄味だった苺は、うっとりするほどに甘さを増してきた。

苺よさらば また来年!と手を振っておこう。
さて、我が家のこれからは、ラズベリーとブラックベリー、こちらも楽しみだ。


今日は、ペンキ句会(俳句)の月例会。
総勢12名の強者が一堂に会しての俳句の読みの会である。

12名は、私を除いていずれも精鋭。
従って11名の精鋭+1名のヘッポコが本当のところである。

俳句を作句する場合、大切なことは「季語を効果的に使うこと」。
そこには次の2つの意味がある。

@どの季語を選ぶか
A選んだ季語をどう使うか

季語をどう使うかとは、仮に数ある季語の中で「夏草」を選んだとする。
「夏草や」にするか、「夏の草」にするか、また句の初めにかぶせるか、終わりに据えるか・・・・

こうした問題を一つ一つ解決する必要がある。
その解決のためのキーワードが「季語の本意」。

春は万物の命が目覚める季節、夏は涼しさを求める季節
秋は夏を越してほっと一息つく季節、冬は暖炉の火のように華やかな季節

新年は年の初めのめでたい季節
これが四季と新年それぞれの本意である・・・・

学べば学ぶほどあまりに深くて溺れそうになる。
溺れながら、藁にもすがる思いでやっている俳句だ。

今日の作品と点数 ↓


からからと一人芝居のラムネ玉(2点)

太陽を殴ってあしたからは雨期(1点)

クルクルと回るや梅雨の理髪店(2点)

麦の穂が尖るしあわせって何だ(2点)

夏めくや少年鍵穴を抜ける(3点 特選1)



2019.06.02(Sun)
精根が尽き原っぱになっている

小降りの雨の中の散策だ。
傘は差さず、運動帽を被っていれば大丈夫。

稗田川(ひえだがわ)沿いの遊歩道は、今、桑の実が無数に落ちている。
熟した果実は、風が吹けば落ちて、歩道を紅色に染める。

それを目印に、桑の木を数えてみた。
散策コース約4`の道のりに8本。

小枝を引き寄せて、その熟した果実を口に入れる。
品の良い甘さが口中へ広がってゆく。

桑の実は、物が溢れていない時代のかけがえのないおやつだったのだろう。
今は、目にいいとされる“アントシアニン”がブルーベリーの3倍あることで知られる・・・・


昨日は、「きぬうら」の川柳大会。
高浜川柳会の仲間たちと、総勢5名で殴り込み。

出席者123名、欠席投句者60名の、合計183名が参加。
一課題あたり、2句の出句だから、366句が選者の俎上に乗る。

入選句は、平抜き32句、佳句5句、秀句3句の、合計40句。
入選率は、実に11パーセント弱の厳選だ。

高浜川柳会の仲間の戦績は、入選1句が2人、全没2人、私が辛うじて4句。
4句の入選の内、秀句1句、佳句1句だったが、返り討ちにされた格好。

4句を紹介します ↓


美しい不意打ちだった雨の音  「自由吟」 佳句

爪痕を残すこの世が好きだから  「自由吟」 秀句

元彼のかたちで雲になっている  「元」

ポーズする一番星になるために  「ポーズ」



半田市赤レンガ倉庫内(地ビールが飲めます!)



2019.05.26(Sun)
麦の穂となれ草食系の男たち

麦の穂が黄金色に色づいてきた。
風が吹くと、ガサガサと乾いた音を立てる。

梅雨に入る前のひととき、麦の穂は自己を主張しているようだ。
今日も日中の暑さはなかった。真夏日に匹敵する暑さだ。

各地で猛暑日、最も暑い5月に 熱中症疑いで2人死亡・・・・

と、ヤフーニュース。
上空に暖かい空気が入り込んだ影響らしいが、北海道佐呂間町では39・5度を観測。
猛暑日とは、気温35度以上を言うが、風薫る五月にこれでは先が思いやられる。


昨日は、高浜市文化協会の平成30年度定時総会。
運営スタッフの一員であるため、総会開始1時間以上前から会場設営。

高浜市長始め錚々たる来賓を迎え入れる準備は疎かにはできない。
“おもてなし”は何もできないが、気持ちのいい総会の場を作り上げることだけだ。

総会の方は何事もなく終了。
私の出番はそれからだ。

毎年、総会後に「大山さくらものがたり」文芸コンクールの表彰式がある。
その司会・進行と作品の披講をここ数年仰せつかっている。

「大山さくらものがたり」とは、高浜市文化協会の メイン・イベントの一つ。
毎年、大山緑地を会場として、桜の開花時に撮影会、茶会、文芸コンクールが繰り広げられる。

文芸コンクールには、投句総数64作品が寄せられた。
一日だけの投句箱の設置に、これだけの作品なら御の字。

それを文芸部門で厳選して、入選作品を表彰するのである。
今回の受賞作品は ↓


短歌の部

天賞  光まとい心字池に散る花よ池の鯉らの頭上の花見  神谷治

地賞  ホーホケキョ春告げ鳥の心地よさわが携帯も鶯の声  神谷京子

人賞  よどみなき光の立春迎えたり新たな御代に希望あるべし  平澤悦子

俳句の部

天賞  張りつめる茶室の所作や花明り  新美あさ子

地賞  まっさらのノートにひらり春の風  吉岡初浩

人賞  新元号目出度く決まり春爛漫  田嶋冨久子

川柳の部

天賞  次の旅覇気は上々八十路前  都築典子

地賞  さくら花ハローニーハオのおもてなし  古橋文子

人賞  縦揺れや横揺れも越え金婚譜  杉浦康司


俳句の地賞に輝いた吉岡初浩さんは、現高浜市長。
この人の文学的センスは前々から感じていたが、市長にしておくにはもったいない人である!



2019.05.19(Sun)
五月病ですねピカソの絵が笑う

五月も半ばを過ぎ、この季節の景が定まってきた。
樹木や草の新しい芽がすべて出揃ったかのようである。

稗田川の堤には、ツバメが楽しそうに飛び交っている。
巣作りを終えたツバメたちよ、その自由を謳歌すればよい。

桑の実が鈴なりになった。
昨日まで気付かなかったが、すでに熟している実も多い。

桑の枝を引き寄せ、熟している実を抓んで口に入れる。
甘みと酸味のバランスが絶妙、妻にいくらか摘んでいこうか・・・・


今日は朝から名鉄線、近鉄線を乗り継ぎ、三重県津市へ。
「津市民文化祭参加川柳大会」である。

毎度のこと、一夜漬けの代物(川柳作品)を携えて出陣。
楽しみは、会場(JR津駅前ビル アスト津4F)隣の昭和食堂での一杯。

出句してから開会までの二時間近くはフリータイムだ。
それで、昼食を兼ねて生ビールを!の積りだったが、開いてない。

扉を叩くのも野暮。それで、津駅南の飲み屋街を探索するもすべて支度中の看板。
やむなく駅構内のサイゼリヤへ。

「タラコソースシシリー風」(399円)と「シーフードパエリア」(599円)を注文。
生ビールはあきらめた。

この心掛けがよかったものか、大会では優勝に値する「津市長賞」をゲット。
受賞句は ↓

 あおぞらよ責めるな俺の無力感  「厳しい」 阪本きりり選

きりりさんからは「いくらか出せ」と言われたが(勿論冗談)、応ぜず。
受賞句がしたためられた短冊(竹尾久扇筆)をもらい、帰路についた。

帰宅は、午後5時30分。
それから夕方の散歩に出た、というわけだ。



2019.05.12(Sun)
五月来るさみしき人の断面図

夕暮れの散歩を終え、畳の間で寛いでいる。
部屋の片隅には、川柳に関係する頂き物の雑誌の山。

頂き物は頂き物だけに、積読になり易い。
ごく稀に気の向いたときだけ、柳誌を開け、ページを繰る。

先日、愛川協総会・大会の時に頂いた「川柳豊橋番傘」令和元年5月号。
大会の選者として隣同士だった豊橋番傘川柳会の鈴木順子会長がくださった。

柳誌を開けると、まず「好句往来」(前月号近詠鑑賞)。
三重川柳協会の東川和子さんの洒脱な文章にうっとり。

この人の鑑賞は、人生を教えてくれる。
何か探している(悩んでいる)人にとっては、バイブルにもなる名文である。

後は、斜め読みならぬ、飛ばし読み。
その時間、五分と掛からない。

久保田元紀さん(故人)の講演録「雑詠とは?近詠とは?」がよかった。
この講演録は元々、「せんりゅうくらぶ翔」の平成19年7月の柳誌に掲載されたもの。

その一部を紹介しよう ↓


「(題詠として)効果的に練習するのに、特に大事なのは動詞ね。
今日も「返す」と「使う」というのが出てますが、こうゆう句会、レベルが高いんですよ。

で、皆さんね、「返す」「使う」でしょ。
句を作る時にね、使えるもん使こたら、共倒れになるんですよ。

ハサミを使うとかナイフを使うとかね。誰かが同じように使うから。
だから私は言うのね、使えない物を使ったら絶対良い句になるんですよ。

例えばね、食べるという題が出たとします。
食べられない物を食べたら良い句になるんです・・・・」




2019.05.05(Sun)
平成の小窓しばらく開けておく

連休中に壁のカレンダーが一枚捲られ、新しい景が目に飛び込んでくる。
それまでは、ワシントンD.C.(アメリカ)の国会議事堂前の満開の桜。

この桜は、日本から贈られた正真正銘の日本産のソメイヨシノだ。
開花期間中には「全米桜祭り」が開かれるという。

新しい景は、「天井のない美術館」と呼ばれるブルージュ(ベルギー)。
縦横に張り巡らされた運河の両側には、春になると花が咲き誇り、水の都に彩りを添える。

元号が変わり、令和元年五月。
かつて、詩人の清水哲男さんが歌った五月は ↓


 美しい五月

唄が火に包まれる
楽器の浅い水が揺れる

頬と帽子をかすめて飛ぶ
ナイフのような希望を捨てて
私は何処へ歩こうか

記憶の石英を剥すために
握った果実は投げなければ
たつた一人を呼び返すために
声の刺青は消さなければ

私はあきらめる
光の中の出合いを

私はあきらめる
かがみこむほどの愛を

私はあきらめる
そして五月を。


もう美しすぎて頭がくらくらする。
頭の中を数羽のツバメが交差するようだ。

連休中に詠んだツバメの句 ↓


改元を告げにツバメがやってくる

赴任地のツバメとまずはお友達

徐行して下さいツバメが通過中


令和のツバメたち、平成の小窓は開けておくから飛び込んで来い!


連休中の句会・大会の入選句は ↓


三重県川柳連盟川柳大会

真実はキャッシュカードの残高に 「カード」

サヨナラを予約してから饒舌に 「予約」

平成よサヨナラ 竹の花が咲く 「終わる」

終焉は磯の香りがするように 「終わる」

やあやあとハグ美しい初対面 「しばらく」

夫から離れたとこで見るツツジ 「夫」

プチプチを潰しています夫です 「夫」

赤チンが叱ってくれた少年期 「自由吟A」

五月病ですねピカソの絵が笑う 「自由吟B」


愛知川柳作家協会川柳大会

遺伝子が尖ったままの北の国 「尖る」

麦の穂となれ草食系の男たち 「尖る」

散り際はぼんやりでよい梨の花 「ぼんやり」 軸吟

赴任地のツバメとまずはお友達 「任」


岡崎川柳研究社本社句会

ソーダ水の海に溺れている策士 「策」

秘策はあるドラえもんの玩具箱 「策」

子育ての呪文空から降りてくる 「育てる」 

ときどきは放任主義もいいですね 「育てる」

徐行して下さいツバメが通過中 「雑詠」

どう生きる答えを探し鳥は飛ぶ 「雑詠」

美しい嘘メビウスの輪のように 「雑詠」

雨の日の涙はすこし物足らぬ 「涙」 軸吟



2019.04.28(Sun)
平成が終わるどんぶり飯喰うか

事務所の出窓のサボテンがいくつか花を咲かせた。
調べると、白玉殿(はくぎょくでん)という種類。

これからひと月くらい楽しめそうだ。
花は散るのではなく、花を付けたり、引っ込んだりで、まるでモグラ叩きのモグラのよう。

どんな生体になっているのかと思うが、それも種の保存のための知恵なのだろう。
人は何も考えず、花の可愛さだけ愛でていればよい。

今日は、川柳きぬうらクラブの月例句会(愛知県半田市)。
連休中の句会、大会は、今日を手始めに4日間ある。

いずれも一夜漬けの作句となるが、どんな句ができるかは楽しみだ。
さて、今日の結果は・・・・

五月来るさみしき人の断面図  「面」

内面はナイーブでしたうぶでした  「面」

冷奴きれいな面を上にして  「面」

落としどころ見つけて茜色の海  「治める」

笑おうよ大きな波が避けてゆく  「治める」


明日は、三重県川柳連盟主催の川柳大会(三重県津市)。
もう午後9時を過ぎた。

8題16句を今から作句しなければならない。
芋焼酎を一気飲みしてからフル回転である!


サボテン三兄弟



2019.04.21(Sun)
玉葱の焦げ目 もいちど恋をする

夕刻、稗田川沿いの小道を歩く。
いつもは夜歩く道だが、まだ明るいうちの散策は久しぶり。

ツバメが川の水面や堤の草すれすれを飛び交っている。
夜には気付かなかったが、いつ頃飛来してきたのか?

昨日行った木曽福島(長野県木曽郡木曽町)にも多くのツバメがいた。
巣作りや餌探しのため身体を休める暇もなく飛び回っていた。

民家や商店街の軒下には、判を押したようにツバメの巣。
それも人の手が届きそうなところにあった。

木曽福島はツバメの別天地のように思われた。
それは、住民の理解という礎の元に成り立っているのだろう。

八沢地区には、ドライバーに向けての”つばめに注意”の看板が ↓

『つばめ 低空飛行中につき 徐行 お願いします』

その下には、英語表記も記されていた。


「地酒で乾杯!」発酵食品の街 木曽福島と権現滝をトレッキング

昨日は、JRのさわやかウォーキングを家人と二人で。
7.6` 所用時間 約2時間20分。

桜が満開のコースはと言うと・・・・


木曽福島駅(スタート) → 中善酒造店(中乗さん醸造元) → 小池糀店 → 権現滝 →

興禅寺 → 御料館(旧帝室林野局) → 福島関所資料館 → 高瀬資料館 → 

七笑酒造 → 木曽福島駅(ゴール)


権現滝が良かった。
小池糀店からわずか1.4`だが、山の斜面を這うようにして歩くコース。

勾配がキツイ分、滝に辿りついたときの達成感は格別。
権現滝は、源氏の武将・木曽義仲にまつわる伝承が残る滝。

義仲が平家追討の兵を挙げるにあたって、この滝で沐浴し、御嶽大権現に戦勝祈願したことからその名が付いたとされる。義仲の挙兵は、治承4年(1180)。実に839年も前のこと。

権現滝から下山すること約半時間。次は興禅寺である。
興禅寺は、義仲の墓があることで知られる臨済宗妙心寺派の寺。

ここの満開のしだれ桜(時雨桜 しぐれざくら)は、それはそれは見事。
登山のほどよい疲れを癒してくれた。

コースの最後は、七笑酒造。春の蔵開き真っ最中。
「木曽の酒といえば七笑」は、日本酒党の常識。

そして、七笑の利酒は酒飲みの期待をつゆほども裏切らない。
特に、袋吊りによるしぼりたての一品は、香り、味覚、喉越しとも最上。

美味い酒をほどよく飲んで、さて、ゴールへ。
木曽福島のツバメにさよならをして、「特急しなの」に乗り込む。

車中では、夢の中で権現滝へ続く斜面をいつまでも登っていた。


権現滝




2019.04.14(Sun)
幸せなときも山葵はツンとくる

年に数度、ウイスキーが欲しくなる。
今はほとんど芋焼酎で作られた身体だが、この身が欲するようだ。

ワイルドターキーとジャックダニエルを買ってきた。
ワイルドは、七面鳥のラベルで有名なバーボンの王道。

アイゼンハワー大統領をはじめ、アメリカの歴代大統領が愛飲していたウイスキー。
原材料はトウモロコシがほとんどで、癖のあるモノ好きには、最高の逸品だ。

ジャックダニエルは、分類上はテネシーウイスキー。
生産地がアメリカのテネシー州に限定されていて、バーボン味。

レギュラーボトルのブラック(Old No.7)は、世界で最も売れている単一銘柄。
往年の大スターであるフランク・シナトラは、ジャックダニエルをこよなく愛した。

薀蓄はこのくらいにして、さて、ワイルドとジャックをそれぞれのグラスに注ぐ。
まずはストレートで飲み比べ。そしてロック、水割りへ。

麦茶のように一気に多量を飲るわけではなく、舌で転がす程度だ。
懐かしい味が舌に沁みてくる・・・・。

と、どこからかあの日の僕らの声が・・・・。
大学に入って、下宿して、高校の頃の学友とその時飲んだのがウイスキーだった。

そうか、この時期にウイスキーが飲みたくなるのは、あの頃を思い出すからだろう。
酒の怖さも、限界も知らない若者は、酒を飲むたびに吐き、強くなっていった。

 もう一杯ください夢が醒めぬよう    比呂志  



2019.04.07(Sun)
壜詰にしようサクラという吐息

ソメイヨシノが散り初めの季節を迎えた。
枝にしがみついていた花は、風の誘いによって落下を余儀なくさせられる。

落花落日 窓の心が哀しいね

と詠んだのはもう十年も前のこと。
窓という字の「心」があの頃、哀しく思えて仕方なかったのを思い出す。

今日、名鉄ハイキングで行った城山公園(尾張旭)の桜も花吹雪状態。
人間の吐息だけでも花は散っていくかのようだった。


昨日は、岡崎川柳研究社主催の「岡崎さくらまつり協賛 春の市民川柳大会」。
運営スタッフの一員であるため、早い時間からの“出勤”。

大会会場は、名鉄・矢作橋駅すぐの岡崎市西部地域交流センター(やはぎかん)。
ここ数年、会場の模索を続けてきたが、今後はここが拠点となる手応え。

「帯に短し襷に長し」はどの場面でもあり、主催者には悩ましいところだ。
だが、その中でどう方向性を見出していくかということも、主催者の役割。

足りないところを何で補っていくか、どう折り合いをつけていくか、だ。
大会の方は、運営スタッフ全員の努力で何とか乗り切ったという感じ。

無論、過不足は多いが、今後どうすべきかが少なからず明確になってきた。
もう少しで壁をよじ登れるところまできた、と思ったのは私だけではないはずだ。

出席人数141名、欠席投句者数58名、参加合計199名は新記録!
早くからの会場設営を始めとした縁の下の力が、数の上からも報われた一瞬だ。

以下は、大会受賞句と私の入選句。


岡崎市長賞  改めて開くみやびな万葉歌  (改める)  松原ヒロ子

岡崎市議会議長賞  米作りいざ黎明の水を張る  (水)  岡戸君江

岡崎市教育委員会賞  傷百態それでも守るものがある  (傷)  本条みさ子

岡崎市観光協会賞  心奥を覗いて諭す水かがみ  (水)  西尾美義

岡崎市文化協会賞  のり越して慌てふためく春帽子  (うっかり)  加藤田鶴子

愛知川柳作家協会長賞  棒一本引いてここからやり直す  (棒)  宮内多美子

中日新聞社賞  ひな祭り雛一体に傷のあと  (傷)  橋本恭治

東海愛知新聞社賞  うっかりは無い守り抜く子の命  (うっかり)  渡辺美保子

東海愛知新聞社賞   改める規則に夫婦異議はない  (改める)  恵利菊江

世直しへ棒が啖呵を切っている  (棒)

逃げ水のようにいっぱい嘘ついた  (水)

うっかりとイヌノフグリを踏んでいる  (うっかり)

訃報欄さえピンクに染めている桜  (うっかり)

俎板の鯉よしあわせってなんだ  (傷)

傷のあるリンゴ大人の味がする  (傷)

改元を告げにツバメがやってくる  (改める)



城山公園の桜(スカイワードあさひを背景に)




2019.03.31(Sun)
底冷えがする少子化の窓ばかり

今日は、「大山桜ものがたり」当日である。
「大山桜ものがたり」とは、高浜市文化協会のメイン・イベントの一つ。

毎年、大山緑地周辺を会場として、桜の開花に合わせた桜撮影会、茶会、文芸コンクールが繰り広げられ、薄墨桜やソメイヨシノの鑑賞とともに、春の一日を楽しく過ごせるよう工夫されている。

「千本桜の大山」へは、朝早くから“出勤”。
無論、受付会場の設営と文芸コンクールの投稿の管理人である。

短歌、俳句、川柳の作品は、後日、主催者の選によって文化協会定時総会後に表彰式を行う。
1日だけ設置された投稿箱には、それでも三桁の作品が寄せられる。

投稿開始1時間後、私も作句の準備に掛かる。
今日の気分は、俳句でも川柳でもなく、短歌。

材料集めに大山緑地公園内を散策。使えそうなフレーズをメモ。
10分ほどで集めた言葉たちは・・・・

 ・東海銀行高浜支店   ・鈴和建設   ・洋風のトイレ   ・まちづくり協議会

 ・大だぬき   ・愛知用水   ・桜の古木に絡む蔦   ・ポケモンゲット 運をゲット

ここから、歌に仕立て上げなければならないが、寒の戻りでやけに寒い。
その上、風が強く、日が陰ると泣きたくなるほどの心持ち。

気を取り直してようやく詠んだ歌は・・・・ ↓


提灯に昔の名前で出ています東海銀行高浜支店

洋風のトイレの窓に光射し回転木馬は音もなく来る

ポケモンをゲットするよう神様に捧げてみよう祈りを一つ

無気力がクルクルバスに乗っている思考停止の時間が過ぎる

まちづくり協議会にて舟を編むこの町のよさ残すアルバム

春泥を掻き分けながら行く人よ鈴和建設第二処分場



2019.03.24(Sun)
にんげんに百面相という至芸

少し寒が戻ったせいで肌寒い。
室内の温度計は、日昼にしては低めの13度。

数日前まで20度近くあったのだから、肌寒いというのは正常な感覚だ。
ソメイヨシノもこれで数日開花日が延びることだろう。

今日は「川柳きぬうらクラブ」の句会日で、2ヶ月ぶり。
先月が岡崎川柳研究社の幹事会と重なった為、きぬうらは欠席投句だった。

「川柳きぬうら」2019年3・4月号を見ると、「夜」「平成」で作った全句が入選 ↓


愛されてより美しくなる夜景

酒瓶を転がし夜は更けてゆく

梟になれる気がする夜行バス

平成の小窓しばらく開けておく

平成が終わるどんぶり飯喰うか

続編が気になる平成のドラマ


そして、今月の句会はと言うと、これまた全句入選(課題「水」「明るい」) ↓
「人間万事塞翁が馬」だから、この先どんな不幸が待ち受けているかわからない。


怠けていないかびっくり水を差す

水のない砂漠さ生きてゆくことは

羊水にいるころからの泳ぎ下手

玉葱の焦げ目 もいちど恋をする

洗面器その明るさをオレにくれ

父さんの開花予報がよく当たる


投句後、句会場近くの半田市雁宿公園へ行った。
展望台への斜面に咲き誇るユキヤナギが美しかった。




雁宿公園のユキヤナギ


2019.03.17(Sun)
ペコちゃんのほっぺに幸せの音色

曇天の日曜日だ。
ときどき薄日が射したり、細かな雨が降るくらいの振り幅しかない一日。

家に籠っていては憂鬱になる。
ならば、パッと出掛けるのがいい。

2019年春 名鉄ハイキング電車沿線コース

「一足早い早咲き桜 西古瀬川の河津桜で花見」コース


というわけで、朝八時半には我が家を出発。
知立駅前の駐車場からは、いつものリュックを背負った中年の二人連れ。

知立駅9時11分発の急行で、国府(こう)駅着は9時39分。
ここから約10`のコースは、以下・・・・


国府駅(スタート) → 国府観音 → 守公神社 → 東三河ふるさと公園 →

御油神社 → 御油の松並木資料館 → 船山古墳 → 西古瀬川の河津桜 → 

とらや製菓舗 八幡店 → 八幡駅(ゴール)


本当は一つ一つをじっくり見て歩くのがいいのだが、旅人はいつも駆け足。
コースの中では、御油神社が少し心に残っている。

とても奥深いところにある神社という印象。
御油の松並木を陽とすれば、御油神社は陰である。

参道がとてつもなく長い。
石段は、数えてはないが300段くらいはあるか?

中年ならいいが、老人になれば並の体力では持たない感じ。
神仏を尊ぶことは、体力を必要とすることだとわかる。

神社には由緒謂れがあるが、この御油神社のそれはよく分からない。
文安元年(1444)が創設年というから、古いのは古い。

熊野族が紀州本宮よりこの地に移り、御油城を築いたことに由来するとか。
その後どんな道を辿りながら、ここまで来たのか?

よく分からないというところに価値があるのかもしれない。
人間と同じで、底が知れてしまっては威厳が無くなる。


御油神社参道


河津桜は、満開を通り越し、葉桜へと驀進中。
だが、桜と菜の花のコントラストが美しい一枚の絵に仕上がっていた。


西古瀬川の河津桜



2019.03.10(Sun)
地下街を歩く孤独を捨てながら

出窓の縁を激しくたたく雨だ。
久し振りのまとまった雨から洗礼を受けているような浅い春。

この時期は、菜種梅雨と呼ぶのだろう、数日ごとに雨が降る。
梅や早い桜のせいか、雨は淡いピンクを帯びているように見える。


元川柳結社ふらすこてん(昨年末で解散)の主宰・筒井祥文さんが六日朝に亡くなった。
いろいろな方のブログから察するに、肺の病のようである。

とにかく、1に煙草、2に煙草、3・4がなくて5に煙草ほどの煙草好き。
愛用は、両切りショートピース。それを一日40本を吸い続けた果ての入院。

入院先でも隠れて吸っていたことは想像に難くない。
棺の中の祥文さんは、口に煙草を咥え、胸の周りに両切りショートピースが散らばっていたという。

祥文さんとの接点が一度だけあった。
川柳みどり会(一昨年解散)主催の「第23回センリュー トーク」(平成26年10月25日)である。

祥文さんは選者、私は句会の一般参加者。
句会後の懇親会で挨拶させてもらった。

祥文さんは、きれいな奥様を連れており、この世の栄華を一身に纏ったような風情。
この時、同じく選者であった奈良のひとり静さんともお話しさせてもらった。

数日後、祥文さんから「ファイル1〜19」と「ふらすこてん第34・35号」が届いた。
驚いた。ファイル1〜19は現代川柳について綴られた正真正銘の論文である。

あの顔(失礼)から繰り広げられる理路整然とした川柳論。
加えて、ふらすこてん誌に連載中の「番傘この一句」の格調の高さ。

「知らないとはいえ、失礼しました」と、京都の空へ頭を下げたのだった。
後日、「筒井祥文を偲ぶ会」が行われるようである。

連絡係は、「川柳北田辺」主宰のくんじろうさん。
きれいな奥様はどこかへ消えてしまったのだろうか?



2019.03.03(Sun)
しあわせへ恵方の的は外せない

カレンダーが変わり、三月。
それもすでに三日が過ぎようとしている。

この二か月間、何をしてきたのだろう?
胸に問うてみるが、慌ただしさが残るだけで、答えは出ない。

湯殿で一月、二月の垢を落とし、湯舟に入って目を閉じる。
蜜柑の香がツンと鼻をくすぐる。

我が家では、冬の間じゅう蜜柑の皮をパックに詰めて湯舟に浮かべる。
冬至の日に柚子を湯舟に浮かべる要領だ。

春になってからも、この習慣は蜜柑があるうちは続きそうだ。
湯舟の中では、蜜柑の香が身体中の細胞に付着する。


老舗造り酒屋での利酒と蟹江の美味いもの巡り

このキャッチコピーに惹かれて今日は、JRの「さわやかウォーキング」。
スタート駅は、関西線 蟹江駅。

コース距離は7.6`。
コースは、ざっと・・・・


JR蟹江駅(スタート) → 富吉神社 銭洗尾張弁財天 → 源氏塚公園 → 

「みちくさの駅 楽人」まちなか交流センター → 蟹江城址 → 歴史民俗資料館 → 

山田酒造 → 観光交流センター「祭人」 → JR蟹江駅前(ゴール)


「富吉神社 銭洗尾張弁財天」「源氏塚公園」は、前を素通り。
「町中交流センター」は、寒空の下のハーブ茶の振る舞いが有り難かった。

「蟹江城址」は、秀吉と家康が争った蟹江合戦の舞台となった蟹江城の跡地ということだが、城址の石碑と本丸跡の井戸の跡があるだけの小さな公園で、やや見どころにかける。

「歴史民俗資料館」と「観光交流センター」では、「蟹江町 新商品お披露目フェア」と銘打った蟹江の新しい名物の紹介があったが、いずれも今ひとつ。

残るは山田酒造。水郷の町の運河沿いにひっそりとたたずむ酒蔵。
蟹江町は水郷の町と聞いているが、半田市にある運河ととても似ている。

醸造業が栄えたのも、共通点。輸送に水郷という地の利を利用できたからだろう。
運河沿いを右に降りていくと、酒蔵らしい風情の建物。

その中に100人はいるだろうか、人、人、人の群れ。
さらに、酒蔵に隣接する倉庫前には、おつまみ用の屋台の出店販売にも数多の群れ。

一般酒の利酒のあと、純米大吟醸酒(価格:1升5,400円)を半合(有料 価格:300円)いただく。
少し降り出した春の雨の中、飲み終わった口中に吟醸香が余韻となって広がった。

 山田酒造のホームページ  
http://yamadashuzo.com/


2019.02.24(Sun)
綿あめのように膨らむ春の声

暖冬を覆すこともなく二月が終わろうとしている。
三寒四温真最中の今日は花粉がかなり舞っていた。

お蔭で大きなクシャミが何度も出たが、春先の陽気だ。
季節は、このまま春へという流れなのだろう。

先週綴ったように、今日は、白老(澤田酒造)の酒蔵開放へ出かけた。
美味良酒 マルアを出発するマイクロバスには17人の強者が乗り込む。

いずれも日本酒大好き人間で、一時としてお猪口を離さぬ面々。
半数ほどは見覚えのある顔だが、店の主人以外は名前を一人として知らない。

と言って、一行は、旧知のように笑顔を振りまき、言葉を交わす。
酒というものは、こうして見知らぬもの同士の絆を育んでいく。

白老の酒蔵開放は、昨日今日の二日間。
おそらく入場者は五千人に達したのではないか?

春の気温と晴天が幸いしたが、極寒であっても雨天であっても、足を運ぶのが真の呑み助である。
この勇者たちに神様は拍手を送ったことだろう。

試飲した中での一押しは、白老 純米大吟醸 あらばしり ↓
これは、絞りたての原酒をつめた「蔵人だけしか呑めぬ酒」の大吟醸版。

こんな酒を飲んでしまったら、他が飲めなくなってしまうので要注意!
720ml 3,024円(税込)。



白老 純米大吟醸 あらばしり


白老の酒蔵の裏には伊勢湾が広がっている。
右に常滑競艇場、セントレア。

左にはまばゆく光る水平線。
伊勢湾を臨みながら、あらばしりの余韻に浸っていた。



2019.02.17(Sun)
象の鼻キリンの首にある初心

「2019 美味良酒 マルア 春のお酒だより」が届いた。
春の息吹を感じるフレッシュなしぼりたてが並ぶ(↓)

「酔鯨純米吟醸吟麗未濾過すっぴん生酒」(高知)
「爽醸久保田雪峰純米大吟醸速醸仕込み」(新潟)

「天領ささにごり無濾過純米吟醸原酒」(岐阜)
「蓬莱泉はるのことぶれ純米大吟醸生原酒」(愛知)

「三千盛春出し生純米大吟醸生酒」(岐阜)
「萩乃露特別純米十水仕込み雨垂れ石を穿つうすにごり生酒しずり雪」(滋賀)

これだけでは、何が美味いのかさっぱりわからない。
美味さがわかる秘訣は、まず飲むこと!それしかない。

飲んで、飲んで、己の舌で吟味することだ。
舌が拒絶反応するまで飲めば、その酒の良し悪しが見えてくる。

酒だよりには、続いて「白老(澤田酒造)酒蔵解放参加」の案内。
「いよ、待ってました!」と声を掛けたくなる。

日  時 : 2月24日(日)
定  員 : 20名
参加費 :  6,000円(バス代・通行料・昼食代・酒代 税込)

当日スケジュール(ざっくり)

 
9:00 マルア(高浜市)マイクロバス出発  →  9:20 刈谷駅南口 マイクロバス乗車出発

  →  10:00 白老(澤田酒造)着・酒蔵見学・試飲  →  12:30 澤田酒造出発

  →  12:45 常滑屋にて昼食(白老のお酒と共に)、その後「やきものの散歩道」散策

  →  16:30 刈谷駅着・解散  →  16:50 マルア着
 

興味ある方は、↓を開いてください。
春の息吹を存分に感じてみましょう!


  https://www.marua-jp.com/hpgen/HPB/sakedayori/tayo19sp.pdf



2019.02.10(Sun)
風になりたいのか糸を切る凧よ

俳句を始めて三年が経とうとしている。
調べると、ペンキ句会(船団愛知句会)の初参加が、平成28年3月13日。

「理想とは遠いところで麦を踏む」(5点 内特選1)がデビュー作。
この頃教わったのは、俳句は「季語が主役」ということ。

妙に納得したものだが、最近この定説を覆す事案に遭遇した。
角川春樹である。

たまたま調べものがあって、ネットを辿っていくと、春樹の次の文章。


新作のパンが並びて春立ちぬ   石橋 翠

「春立ちぬ」の一句は、石橋翠一代の名吟。
私が特選にとった理由は、一行詩の中で季語が自己主張していないことにある。

つまり季語が季語として威張っていないことだ。
これを「純粋季語」或いは「季語の純化」とも言う。

「春立ちぬ」という季語が、上五中七の「新作のパンが並びて」という、誰もが記憶を共有出来る映像に対して「春立ちぬ」が実にさりげなく置かれているからだ。

それでいて、季語が充分に働いているではないか・・・・


となると、季語=主役、とは言い切れない。
これは、懐の深い春樹の為せる業であるが、俳句の懐の深さでもあろう。

俳句の懐の深さに甘えて、今日提出した句は ↓
俳句としての体裁を整えているのだろうか?


何もない二月の海に降るひかり(4点)

春はまたジルバを踊りながら来る(1点)

鈍行にしましょう春に会えるから(7点 特選4)

綿あめのようにふくらむ春の声(2点)

ビー玉に春が閉じ込められている(3点)


2019.02.03(Sun)
独り酌む冬のインクが滲みてくる

今日は節分。
我が家も「稲荷の玉」で名高い市原稲荷神社(刈谷市司町)へ!

実は、先週が節分祭当日だと思い出掛けたのだが、一週間早かった。
「立春の日の前の日曜日」を「節分の日の前の日曜日」と思い込んだのがいけなかった。

というわけで、先週は、同じく刈谷市の「刈谷ハイウェイオアシス」へ。
ここは「食べる」「買う」「遊ぶ・楽しむ」「観る」が揃った刈谷では珍しいパワースポット。

観覧車有り、天然温泉有り。隣接する岩ケ池を散策するのもよい。
ということで二週続けての刈谷市入り・・・・

さて、豆撒き。
節分祭も毎年となると厭きが来るものだが、この熱気はやっぱりいい。

半ば揉みくちゃにされながら、人と人との触れ合いを感じる一瞬だ。
それから、振る舞いの数々。今年も豚汁と汁粉をいただいた。

ところで、「稲荷の玉」である。
立札には、「諸願成就の霊石。由緒不祥なれど霊験あらたかなり」とある。

その由来は、

昔々、全国各地を旅する一人の老人がいました。
老人が市原の地に来た時、一夜の宿を探していた様子で、時の宮司が宿を貸しました。

そして明くる日、その老人から「この境内には御神宝に勝るとも劣らない立派なものがある。
それを丁重にお祀りすれば、より一層繁栄するでしょう。」と言い残し去って行きました。

言われるがままに境内を隈なく探してみると、御本殿の脇より大きな石の玉が出てきました。
その後、お祀りし、参拝に来た人がこの玉に触れてみたところ・・・・

子宝に恵まれたとか病気が治ったとか数え切れぬ程の霊験を聞くようになり、所願成就の石の玉として知れわたってきました。


稲荷の玉




2019.01.27(Sun)
ユメが編めそう吟醸のひとしずく

高浜文化協会のAさんからお誘いを受けていた講演会は、今朝が開催日。
日曜日の朝は、日課の買い物や風呂掃除があるからすっかり忘れていた。

講演会の演目は、「歌集『滑走路』を読む〜社会の詩学」。
講師は、テレビ・新聞・雑誌などで幅広く活躍する政治学者・姜尚中(カン サンジュン)さん。

これだけでは解からない。
パンフレットにある歌集の注釈(↓)を読むと少し見えてきた。


歌集滑走路 

著者 萩原慎一郎

1984年東京都生まれ。私立武蔵高校、早稲田大学卒。
17歳の時に短歌を始める。りとむ短歌会所属。2017年6月逝去。

若き歌人・萩原慎一郎さんの歌集「滑走路」は平成の時代を映す短歌集です。
2017年12月に刊行されると、NHK「ニュースウオッチ9」や「クローズアップ現代+」で取り上げられるなど、大きな話題をとなり、発行部数は歌集としては異例の2万部に達しています。

萩原さんがつくる三十一文字の世界には、不安や孤独、生きづらさだけではなく、日常にあるささやかな希望も歌われています。著者の純粋な表現が同時代の心に響く一冊です。


さらに調べていくと作者の死は、自死である。
中学、高校時代にいじめを受け、高校卒業後はいじめの後遺症に苦しむ。

大勢の前に出ることができなくなり、精神科に通う日々。
通信制の大学を卒業した後、27歳の時に非正規の仕事に就いた。

仕事は事務センターで、コピー用紙の交換、シュレッダー、広報紙の発送の手伝い、資料の整理。
精神的な不調のために、自分が望んでいた仕事につけない悔しさがあったという。

死の半年ほど前から、仕事も休みがちになっていた。
そして自死。死ぬその日も短歌を作っていた(↓)。



あらゆる悲劇咀嚼しながら生きてきたいつかしあわせになると信じて


以下は、萩原さんの歌集から。
一冊がまるで長い長い遺書のように感じられる。


非正規の友よ、負けるな ぼくはただ書類の整理ばかりしている

夕焼けをおつまみにして飲むビール一編の詩となれこの孤独

要するにみんな疲れているのだろうせわしき朝のバスに揺られて

至福とは特に悩みのない日々のことかもしれず食後のココア

かならずや通りの多い通りにも渡れるときがやってくるのだ

きみのため用意されたる滑走路きみは翼を手にすればいい

家にいるだけではだめだぼくたちは芭蕉のように旅人になれ

日常の小さな達成集めては自信に変えてしまおう良夜

シュレッダーのごみ捨てにゆくシュレッダーのごみは誰かが捨てねばならず

夜明けとはぼくにとっては残酷だ朝になったら下っ端だから

コピー用紙補充しながらこのままで終わるわけにはいかぬ人生

消しゴムが丸くなるごと苦労してきっと優しくなってゆくのだ

かっこよくなりたいきみに愛されるようになりたいだから歌詠む



2019.01.20(Sun)
美しい祈りナイフを砥ぐように

夜空を仰ぎながらの散歩が日課となっている。
外気は冷たいが、冬の良さの一つは星空がきれいなところ。

冬の大三角と冬の大六角形(冬のダイヤモンドと呼ばれている)がまばゆい。
北の空には、カシオペア座と北極星が見える。

一月も後半となり、今日は大寒の入りだ。
一年で一番寒い時だが、この時期を無事に過ごせば立春となる。

春を待つ喜びは北国でなくとも、この地域にもある。
三河湾を囲む常春の町々にも、春を待つ喜びが横溢している。

昨日は、JAあいち中央主催の「碧南地区 農業まつり」。
旬の農産物の販売やイベント、試食、試飲も多々あり、屋台が所狭しと軒を並べた。

我が家の関心事は、「もぎたて野菜(大根、蕪、人参)」の無料配布。
配布券をJA碧南営農センターで受け取り、あおいパークへ野菜をもらいに行くという塩梅だ。

ついでにと言っては失礼だが、あおいパーク内も見学。
隣接する植物園では、オカリナコンサートがまさに始まるところだった。

演奏者は、オカリナデュオ・水平線。「中部国際空港セントレアを望む海辺の町・愛知県常滑市出身のしぶおんぷ とやまねこの二人で2000年に結成したオカリナユニット」とある。

ブーゲンビリアの花の下、オカリナの優しい音色。
リクエストした「コンドルは飛んでゆく」に、それはそれは癒された。

水平線のホームページはこちら  http://sibuonpu.ciao.jp/



2019.01.13(Sun)
泣き虫のわたしを叱咤する母港

ホームグラウンドである岡崎川柳研究社の発行誌「川柳おかざき 風」(1月号)が届いた。
表紙絵は、地元の画家・中村広子さんの「2019年 四角いカレンダー」を掲載。

毎年、中村さんのアトリエで数冊購入するこのカレンダーを、許可を得て使用させてもらっている。
私の手元にある一番古いものは、平成15年4月号、モノクロの銅版画である。

それから15年以上の歳月が流れているが、すべてに中村さんの画が使われている。
西三河地区の原風景と言おうか、懐かしい景には古き時代の素朴な味わいがある。



岡崎の柳誌も、少しずつ変わってきた。
読み物が増えてきたのが一番ありがたい。

柳人は、句の鑑賞だけではなく、さまざまな川柳観を求めているものだ。
その一端を味わわせてくれるのが読み物である。

そこから作句のヒント、句の方向性などが導かれる。
「はっ」と思うことが、句に彩りを与えてくれる。

ということで、読み物の一つを紹介する。
以下は、私が担当した1月号(12月号より)の「私の好きな句」。

愛も恋も去ってカラオケ熱唱し   武井さわ子

恋愛を語る歳ではないと自重しているが、句の裏にホンネが透けている。
フラダンスを嗜み、カラオケを熱唱するさわ子さんだ。死ぬまで恋を語ってもらいたい。

歳重ね欲の皮まで張りがない   青山 恵子

淑やかな恵子さんのことだから、言葉にウソはないが、肉体はともかく、「欲の皮」の弛みはいささか気掛かり。「名句を残す」という欲は失わないでいて欲しい。

ストレスが溜まってますねレントゲン   宮碕 恵子

「ストレスに弱い器でヒトという」(浅利猪一郎)を思い出す。
病の影ではなく、ストレスの影を引き摺って人は生きる。
だから時々は胸の扉をノックすることだ。

独りならおばさんだって大人しい   犬塚ひろし

おばさんという存在は宇宙人のようだが、群れを離れれば哀しい生き物。
お誘いしてジルバなど一緒に踊りたいが、一晩中踊り狂って、目を回されても困る。

食三日抜きひもじさを懐かしむ   会津庄一朗

飽食の時代。誰もがダイエットに励むが簡単にはゆかぬ。なぜなら人類の歴史のほとんどは飢餓との戦いの連続であり、飽食の時代など最近の一瞬の出来事だから。

追い風も向い風にもエッサッサ   古沢 一三

「エッサッサ」は、江戸末期に大阪で流行った「えっさっさ節」が由来だが、一三さんの生き方の理念と捉えたい。威勢よく、リズムよくこの世を生きているのだ。

立ち話釣瓶落しに急かされて   榊原 明代

晩秋の夕の美しい景が目の前に広がる。近所の奥さんとの立ち話もやさしい茜色に包まれる。
まだ話し足りない言の葉だが、釣瓶落としに今日が閉じられる。

強がりを言って右見て左見て   都築 典子

どんな強がりか気になるが、その強がりに多少の躊躇いがある。
強がりを言わなければその場を凌げなかったのだろう。
「右見て左見て」は典子さんのやさしさだ。

落葉踏む句帳に秋を詰め込んで   池田 康雄

康雄さんはなかなかの詩人だ。この路線でこの先ずっと突き進んでもらいたい。
そう、今年は猪突猛進の猪年。「秋を詰め込んで」の措辞の見事さに拍手。

酒代は減ったが増えた薬代   牧野 安宏

安宏さんともあろうお方がこんなことでは先が思いやられる。
「酒代に回すつもりの薬代」くらいの気概が必要。
いつの日か安宏さんと一献酌み交わしたいものだ。



2019.01.06(Sun)
十字架を背にやわらかい貌になる

フェニックス川柳会代表の丸山進さんが、「川柳フェニックスNo11」を送って下さった。
柳誌は毎号、「会員近詠集」「瀬戸川の畔(句評)」「川柳プロムナード(エッセイ)」などで構成。

地元瀬戸のFMラジオ番組「川柳の時間」の投句作品の紹介もされており(パーソナリティの高橋ひろこさんは川柳フェニックスの会員)、川柳大好き人間の集いの場所、という風情である。


川柳音痴(私のことです)には、会員作品はなかなか理解できないが、それでもエッセイの中に選句のエッセンスが説かれていて、参考にさせてもらった。以下紹介したい。

まず、三好光明さんの選者観。
(これは、「川柳の理論と実践」の著書・新家完司の選者理念を三好光明さんが引用したもの)

選句は、心を動かされたか!心が動くということは、一読して「良くない句を見破る力(理性)と「良い句に感動する力(感性)」の二つの力を備えるように鍛錬が必要である。

次に、北山おさ虫さんの選者観。

私のスクリーニング方法であるが、私は句の形を重視する。

@表記が正しいか
A変なリズムでないか
B課題にピントが合っているか
C意味が通じているか
D既視感がないか 等々である。

そして次の段階の秀句選びでは内容を重視する。

E発想のユニークさ・新鮮さ
Fインパクト
G川柳の技巧 等々がポイントになる。


何気なく書かれた選句に対する想いが、次の世代へ綿々と繋がっていく。
川柳家の川柳魂をどんどん読んでいきたいものである。



2018.12.30(Sun)
うつくしい余白だろうか充電期

夕方、いつものように稗田川沿いを散策。
冬至前には暗かった道が、同じ時間、まだ夕焼けに包まれている。

ヌートリアの親子が堤の草を食んでいる。
母親の後ろに小さないのちが二匹。

これからの寒さを思うと少々心配になる。
が、動物たちは人間よりも遥かに賢いから、生き抜く術は心得ているのだろう。

川沿いの木々のほとんどが葉を落とした。それにしても、裸木の美しいこと。
それ自体が完結した作品であるかのように、どの木もバランスが見事。

桜の木が細かい花を付けている。冬の桜には、寒緋桜(カンヒザクラ)や緋寒桜(ヒカンザクラ)、寒桜(カンザクラ)などがあるが、稗田川の桜はそのいずれかだろうか?

五十分ほどの散策で、辺りはかなり暗くなってきた。
見上げると、空に冬の星がひとつずつ点る。


さて、今年の総仕上げ。以下は、川柳大会、句会で秀句に採っていただいた句。
一年を生きてきた証である!

失ったものがバケツを深くする

犬掻きのままで七合目が過ぎる

犬の遠吠えさえうつくしい影絵

山茶花はらりと力みのない別れ

かなしい恋です損益分岐点

遠吠えも犬死にさえもみんな夢

よれよれの襷に父の夢がある

さみしさを打ち消すように摘む蓬

敵ひとりいて紙ヒコーキを飛ばす

うつくしい人に逢いたい羅針盤

春を待つ春にならなければいいと

名医かも知れぬカルテを這う蚯蚓

自販機に詰める何でもない言葉

りんご剥く朝の光をほどくよう

三月が終わろうとする未決箱

にんげんをやり直す日は歯を磨く

足を組むこの世を少しだけ拗ねて

とっくり二本転がしている孤独

一線を越してはならぬマークです

海の絵が昔ばなしをしてくれる

生きてゆく大きな音を溜めながら

小麦粉を捏ねてひとりの誕生日

若者よ麦のチクチク感を持て

未来図の金魚鉢にもいるメダカ

滝つぼに残っています青い恥

シーソーの向こうに夏の地平線

水音を残ししあわせだったかい

次の世も生きてゆくなら鳥か魚

長いながい滑り台から湧いた夢

草の実が爆ぜてドラマは始まった

幾千のドラマだあおぞらは舞台

雑巾を絞りきれいにするこの世

淋しくて柱に頭突きしています

生きてゆくためのちいさな波頭

風は雲を呼ぶ討ち入りの時のよう

甘い水飲んでぞくぞくするホタル

夕焼けを泳ぐ溺れてしまいそう

責任者出て来いと言う四十度

耳洗うまた喝采を聞くために

母にまだ空襲という耳がある

四十度みんなムンクの絵のように

ツッコミとボケとで織り上げる夫婦

駅弁を開けるとうつくしい日本

ちまちまと生きる男にバラの花

仕合せが曇らないよう風になる

ていねいに盛ると機嫌のいい御飯

手弁当でしたあの日の輝きは

月色を手本にしますオムライス

雑草の背丈がボクを越えてゆく

苦労した分だけ若くなっている

嘘いくつ食べたか厚くなる仮面

ライバルと背中合わせでする会話

なで肩の母はスーパーマンでした

ピアノ弾くいのちの肩を尖らせて

海も狩人クジラまで打ち上げる

源流に大声のかあちゃんがいた

ゆっくりと齧ってみたい秋の空

相席にしましょう青い空だから

ポケットの深いところに冬の鍵

そこそこの生き方でいい答案紙

かなしみもあって桜の狂い咲き

中尊寺ですねその目のかがやきは

もう少しお飲みなさいと神の声

あおぞらも夕焼けもいる友の数

殴っても蹴っても青空は不死身

煩悩をセリフにすれば長くなる

A4にびっしり埋まる敵の数

うつくしい余白だろうか充電期

十字架を背にやわらかい貌になる

泣き虫のわたしを叱咤する母港

美しい祈りナイフを砥ぐように

婆ちゃんのボッケが駄菓子屋の金庫

ユメが編めそう吟醸のひとしずく

酒という友がいるから生きている

独り酌む冬のインクが滲みてくる


冬木立



2018.12.23(Sun)
煩悩をセリフにすれば長くなる

昨日の鈴鹿川柳会の忘年会で飲み過ぎたせいか、今日は不調。
飲み残りの清酒をもったいない精神で飲み過ぎたのがいけなかった。

それでも朝は、日課のスーパーへの買い物と風呂掃除はこなした。
さて、昼からは少々痛い頭を抱えて、川柳きぬうらクラブの句会である。

きぬうらの句会は、前半の互選研究と後半の課題吟の披講の二部構成。
互選研究は、前月の句会時に提出した互選課題吟を担当者がまとめて一覧にする。

当月手渡された一覧から三句を選び投票(そのうちの一句は特選とする)。
これを担当者(進行者)がまとめて、一句ずつ句を吟味するという塩梅だ。

互選研究をしている間に、後半の課題吟の選がなされるから万事そつがない。
私が投票したのは ↓ の三句。


知らぬ間に手は熱燗に持ち替える   鈴木恒夫

しみじみと生き方を問う冬隣   本田みよ子

不用意な一言でした以来冬   榊原幸男


「熱燗」の句は、擬人法を用いて、上手に手の意志を表現した。「持ち替え」は勿論、その人の意志によるものだが、「知らぬ間に」の表現で、無意識に手が持ち替えたことを強調した。

冷酒から常温、常温からぬる燗、ぬる燗から熱燗へと季節が流れていくのがわかる。
「冬」を読み込んでないが、冬の到来が目に見えるようである。

「冬隣」の句。「冬隣」は、俳句では秋の季語。
冬がすぐそこまで来たことを感じさせるような晩秋のたたずまい、が本意。

よって、課題「冬」としては少々違和感が残るが、川柳ならいいだろう。それより、「しみじみと生き方を問う」に、冬が来る前の覚悟が感じられて、この季節にとてもフィットする。

「不用意な」の句は、下五の「以来冬」という表現に意表を突かれた感じ。
違和感がないわけではないが、むしろ新しさを感じさせる表現がよい。

と、投票した句にコメント。
各人が句の選評をする中で、句への学びや気づきが生まれるのである。

ちなみに、「冬」での私の提出句は、「たこ焼きをひっくり返し冬が来る」で三点入った。
後半の課題吟の入選作は ↓


ユメが編めそう吟醸のひとしずく  「編む」

しがらみを上手に編んでゆく月日  「編む」

酒という友がいるから生きている  「酒」 

独り酌む冬のインクが滲みてくる  「酒」

飲むたびに銀河鉄道ひとまわり  「酒」



2018.12.16(Sun)
殴っても蹴っても青空は不死身

「川柳すずか」(鈴鹿川柳会)12月号が届いた。
青砥会長の編集後記を読むと、今号は創刊300号であるらしい。

それを記念しての行事はないようだが、折しも今月は忘年句会。
句会、忘年会に参加することで、晴れの通過点を祝うことにする。

柳誌を捲ると、「すずか路」前号鑑賞。
全国区の川柳作家の、切れっきれの文章がひときわ輝きを放つ。

今号担当は、卑弥呼の里川柳会代表の真島久美子さん。
私の句も取り上げていただいた。


無人駅ばかりを降りてきた自由

無人駅の先に広がる風景の美しさ。
それを簡単に塗り替えてしまうほどの淋しさに包まれている。

自分で選んだ駅であり、自分で選んだ自由こそが、どう生きても満足しない人間の業を表現している気がしてならない。最後の駅も無人なのだろうか。


驚いた。真島さんは川柳会ではまだ若手である。
子供の頃から両親の指導で川柳を書いているから、柳歴は長い。

それよりも、誰より自由という淋しさを知っている人であること。
淋しさゆえに自由を求めてきた人なのだろうか?

↓ は、過去に真島さんに取り上げてもらった句と鑑賞である。


やさしさに登ろう楠の木の上に
 (263号)

家の庭に、私と同級生の楠の木が生えていて「やさしさ」という言葉がぴったりの形をしている。ブランコを下げて子供達が遊んでいるが、あの楠の木の上に広がる空の色はまるで私の為にあるようだ。

居眠りをしてはならない交差点 (264号)

この交差点は、道路のことではなく「人間交差点」のことだ。
居眠りをしていると、大切なことを見過ごしてしまう。

大切なことを見過ごすと、大切な言葉を失う。
川柳家はここで居眠りをすることなど出来ないのだ。

これからは○×式に生きてやる (276号)

一人で生きているのなら○×式で生きることは可能かもしれないが、家族や友達が絡んでくるとそうもいかない。△だったり□だったりして、なんとか穏便に乗り切ろうとするものだ。意気込み通り生きられるのかが見物である。

死が少し物干し竿に掛けてある (294号)

川柳は人間を詠むものだということを、正面から突きつけられた一句だ。
物干し竿で揺れているのは、昨日の平凡でも今日の平凡でもない。

「死」そのものだとすれば、なんて無表情なのだろうかと笑いたくなった。
「少し」という言葉に縋りたくなる。




2018.12.09(Sun)
あおぞらも夕焼けもいる友の数

JAあいちの情報誌「ACT(アクト)」が届いた。
農業を生業としているわけではないが、我が家は古くからの組合員である。

定期貯金の金利がいいとか、料理教室の案内があるとか、産直で安い買い物ができるとか、家人に言わせると会員特典を有効利用しているのだそうだ。

私はもっぱら、アクトの俳句・短歌コーナーで遊んでいる。
このコーナーは、会員であれば自由に自分の作品を投句することができる(無料)。

川柳がないのが玉に瑕だが、私に言わせると川柳も俳句も短歌も一緒。
今の自分の姿、今の自分の想いを表明する文芸という共通点がある。

さて、今月号(12月号)。
自慢をするようで気が引けるが、俳句・短歌ともに入選作として、紙面を飾った。


【俳句】 怒っても泣いても秋は自然体

【短歌】 遮断機の下りてゆくよう草を食みキリンの首に秋透き通る



短歌は秀吟ということで、選者の後藤紘さんから ↓ の選評をいただいている。

 多く寄せられた作品の中で心に残った一首。不思議な味わいを持った一首である。
 作者の個性が巧みに表現され、目を見張る一首に仕上がっている。

 単純なようで、実に深いものを読む者に、気持ちを投げかけて、読者をうれしくさせる。
 一首で強く味わってほしい良歌である。


俳句・短歌を書く場合、気持ちのもちかたをどんなふうにしたらよいのか?
詩人の荒川洋治さんが、次のように整理していたことを思い出す。


【俳句】 五七五のあとにまだ七七があるつもりで、しかし、途中でぶったぎる。
      意味が生まれては俳句ではない。

【短歌】 五七五七七のうしろの七七にすべてをかける。
      自己の感情の充足を第一とすると、いい歌?になる。



2018.12.02(Sun)
もう少しお飲みなさいと神の声

師走に入った。
暖かな日が続いているせいかその実感はないが、間違いなく12月である。

残されたカレンダーは一枚。
サンタクロース村(フィンランド)を舞うオーロラが暦の上に浮かび上がる。


昨日は、岡崎川柳研究社 本社句会。
会場の両町公民館から車で5分ほどの処に岡崎東公園がある。

ここは、花菖蒲がつとに有名だが、紅葉のスポットでもある。
という訳で、句会前のひと時、ちょっと足を伸ばして紅葉狩り。


岡崎東公園の紅葉



岡崎東公園の紅葉



岡崎東公園の紅葉と柿


早足で30分ほど、それでも真っ赤に色づく季節を堪能できた。
公園内の池には、冬の鳥が人目など気にせずに優雅に泳いでいた。


句会の結果です ↓

港へはカラダひとつで還ります  「港」

泣き虫のわたしを叱咤する母港  「港」

血の匂い祈りはいつも生ぐさい  「祈る」

美しい祈りナイフを砥ぐように  「祈る」

オクターブ上げて祈りを深くする  「祈る」

蹴っ飛ばしてやろう空が蒼すぎる  「雑詠」

かなしい街もクリスマス色になる  「雑詠」

泣きたくて季節外れの海へゆく  「雑詠」

秋天へまだ果てしない観覧車  「旅」 軸吟


今日は、刈谷文化協会の表彰式と「文化を語る会」。
「刈谷文化奨励賞」を頂けるとのことで、颯爽と刈谷市総合文化センターへ。

今年度は、刈谷文化賞2名、刈谷文化奨励賞13名、そして長老栄誉賞43名である。
表彰状と楯と金一封(1万円)を頂き、名誉なことであった。

続いて、文化を語る会。
こちらは「出席者がそれぞれの文化を語る」というのが趣旨だが、忘年会・懇親会の風情。

気心の知れた仲間どうしが集い、余興(大正琴、民踊)を楽しんだ。
もっと違うやり方があると思うが、長年慣れ親しんだ流れから這い出す術がない。

さて、今年も残り一月。
いくつかの忘年会が待っている。

「もう少しお飲みなさいと神の声」
冬の空から、こんな声が聞こえてくればいい!



2018.11.25(Sun)
かなしみもあって桜の狂い咲き

朝晩の冷えが厳しくなった。
それはそうだ、11月下旬といえば、炬燵を出し始める頃。

これまで暖かかったせいか、今年は狂い咲きを目にした。
桜もそうだが、花海棠(はなかいどう)や藤のごく一部が花を咲かせていた。

「狂い咲き」とは、季節外れに花が咲くこと。また、その花。狂い花。
(比喩的に)盛りを過ぎたものが、ある一時期、勢いを盛りかえすこと。

季節の花は美しいが、季節外れの花は痛ましいように思う。
人もまた、盛りを過ぎれば自然と同化しながら慎ましく生きるのがいい。


今日は、川柳きぬうらクラブの11月句会。
連休を遊び呆けていたので、まともな句ができていない。

それも一杯飲みながらの作句だから、納得できる代物はできない。
独創性や伝達性のない句の量産ばかりだ。

本日、何とか入選できた句は ↓

やわらかな秋だね神さまと遊ぶ  「神」

もう少しお飲みなさいと神の声  「神」

しあわせな耳いい人に囲まれて  「周辺」

あおぞらも夕焼けもいる友の数  「周辺」

駅裏に立ち飲みという蜘蛛の糸  「周辺」  軸吟



2018.11.18(Sun)
そこそこの生き方でいい答案紙

午後4時少し前、久しぶりに明るいうちの稗田川沿いを散策。
緑、黄、オレンジ、赤と樹木の葉が皆いい色を奏でている。

まだ暖かい11月の空気が頬に心地よい。
晩秋とは思えない季候に、いくぶん緊張感も欠けてゆくが・・・・

昨日は、高浜文協のメイン・イベントの一つ「春日の森 市民俳句・短歌・川柳の集い」の表彰式。
ここ数年、表彰式の進行と作品の披講を担当している。

厄介なのは、私が毎回、受賞者の一人であること。
以前は、式の中で何とか二役をこなしていたが、どうにも格好が悪い。

というわけで、昨年から息子に代理出席をお願いした。
昨年は三男、今年は長男が賞状・商品を受けた。

昨年は、「秋刀魚焼く海の青さを残さずに」(俳句)が高浜市観光協会長賞。
今年は、「八月の風をあつめる帽子店」(俳句)が県議会議員賞、という塩梅。

主催者側の投句は慎まなくてはならないが、入賞句数(分子)に対する総投句数(分母)を増やそうとの努力だけでやってきたことで、来年からは考えものである。

ちなみに今年の総投句数は、7,457作品。
内、101作品が入賞。

作品の披講は、短歌が一番楽しい。
三十一文字(みそひともじ)のリズムがとても心地よい。

それに比べ、俳句・川柳では心地よいと感じるには短すぎるのだろうか?
今年の受賞作品(短歌)をいくつか引いてみると、やはり調べがよい。


今に生き今の社会に腹立てる昔の父と似てるな私   都築典子

大切な人が亡くなるのはまるで空き地にいるみたいにさみしい   齊藤虹輝

外見れば草木がとても生い茂り視界を戻すと白紙の回答   岩倉春菜

雪の音あの人とともにさりゆけば残るものは二人の足跡   柴田直子

くじけても支えてくれた仲間たちもう外さない俺のシュート   中薗陽丸

夕暮れの砂浜の上立ちつくす海が夕日をそっと飲みこむ   藪本天

お互いが相手の気持ち分からずに想い続ける画面の向こう   伊藤萌



2018.11.11(Sun)
ポケットの深いところに冬の鍵

眠る前の一時、ほんの十分ほど柳誌を読む。
いや、読むというよりは目でページを撫でる。

気分で開いたページ、気分で目にした行。
そこで見つけた句をとりあえず目で追う。

下は昨夜出会った句。
「川柳文学コロキュウム創立15周年記念全国誌上川柳大会」の特選句である。

 空が澄むキリンの舐めたところから   加藤ゆみ子

難しいことは何ひとつ言っていない。
しかし、空が澄むために必要なものはまさにキリンの舌なのだ、と作者は言っている。

奇抜な発想だが、なるほどそうかという気持ちになってくる。
黄砂やPM2.5で翳んだ空や大気汚染をも含めた社会悪に立ち向かうキリンの姿が見えてくる。

それは、現代社会を見る作者の目である。
社会批評を十七音という詩に託しているのだ。

この誌上大会は、八人の選者の共選である。
選者評を読むと、川柳作句の勘所が見えてくる。

参考のためにいくつか記してみたい。

【新家完司】

創作で最も重要なことは独創性であるが、川柳という文芸に於いては伝達性も考慮しなければならない。伝達力を持たせながら独創を目指すのは難儀なことではあるがそれが川柳における「創作力」である。

また、独創性に重きを置くがために「一読明快」が失せるのは止むを得ないが、難解に陥ることなく「何か感じさせる力」を持たせたい。

【P霜石】

いい句というものは、素直な表現ほど読者をチクチク刺激したり、やんわり啓蒙させる海のように深いものなのだなあと思った。

【柳本々々】

俳人の佐藤文香さんが選の基準をこんな風に話されていたことがある。<できるだけ社会の役に立ちそうもない句>。この言葉をよく思い出す。

すぐに何かに貢献したり奉仕したりする言葉ではなく、一見行き場所がないように見えるがその<うろうろ>している言葉のようすが、この世界のどこかで<うろうろ>しているひとの生とシンクロしてしまうような言葉。それが川柳なのではないか。

【徳永政二】

川柳を新しく書く。
そのことを意識して書く。

そして、大切なことは味わい。
暮らしの中から生まれる人間の味わい、こころの味わいである。

【なかはられいこ】

善人が書く善意溢れる作品はつまらない。
正しいことを言うのは川柳のしごとではないと思うのだ。

かといって偽悪的な作品には嘘っぽさを感じてしまう。
善と悪、夢と現、好きと嫌い、そんな二元論から離れたところで書かれた作品に魅力を感じる。



2018.11.04(Sun)
ゆっくりと齧ってみたい秋の空

晩秋を迎え、風の冷たさが気になるころだ。
昼前から降り出した雨は、夕方には止んだ。

空気が乾いているから雨はありがたいが、これでまた頬の冷たさが加速する。
今年も残り二ヶ月を切った。

一年の計をそろそろ振り返らなければいけない。
やり残したことは?あと二ヶ月成すべきことは?

そんなことを言いつつ、何もせずに終わるのがこれまで。
今年は違うぞ!と言っても、だれも信用してくれないが・・・・

昨日は、全日本川柳浜松プレ大会兼第52回静岡県川柳大会に参加。
名鉄とJRの一時間半の車中は、未知の地へ行くようで気もそぞろ。

川柳の大会へはこれまで、東は豊橋までが守備範囲。
その壁を突破しての旅は、川柳の書き手として幅が広がるか?

そんなことを考えながら、会場へ到着。
出席者178名、欠席投句者209名の計387名。

二句出しだから、一課題あたり774句。
その中で、佳句35句、秀句5句、特選3句が入選。

何と5.5lの入選率。これでは全没が当たり前でないか。
と思っていたが、神の計らいか、下の二句が入選、「かなしみ」の句は秀句をゲット。


最善を尽くすと皺が増えてくる   「善」

かなしみもあって桜の狂い咲き   「急かす」


団ちゃん(選者)、秀句をありがとう。
静岡の皆さん、お世話様でした。

来年6月16日、また来ます!
おまけ・・・・投句後に鈴鹿の仲間と行った地ビール工房は ↓


はままつ地ビール工房 マイン・シュロス



2018.10.28(Sun)
相席にしましょう青い空だから

暑くなく、寒くなく、いい季節を過ごしている。
家庭での話題は、「今年の紅葉狩りはどこにしようか?」が主流派。

「今年も京都にしましょう」と、家人の一言で決定。
三千院、詩仙堂、東福寺などが候補。秋の「哲学の道」もいいだろう。

昨日は、犬山川柳社創立十五周年記念川柳大会。
この大会へは二度目。五年前にしっとりとした犬山を味わって以来だ。

五年前はどんな句が入選したのか?
そして、今年はどんな句を作句したか?

進歩があるのかないのか、入選作を比較すると見えてくるものがあるだろう。
自省の意味でも、こんな試みはいいかもしれない。


平成25年】

罪深いにんげんだから白が好き  「白」

おどけてみよう人生は一度きり  「おどける」

晩秋の風がおどけてばかりいる  「おどける」

春夏秋冬 窓は回転木馬だね  「窓」

告白というには安い花を買う  「告白」

焼酎と文庫欠かせぬ冬ごもり  「必要」

必要とあらば見せます力こぶ  「必要」


【平成30年】

相席にしましょう青い空だから  「席」

海鳴りがまだ棲んでいる父の耳  「戻る」

弓なりに咲いて戻ってゆく故郷  「戻る」

凡という由緒正しきものを噛む  「由緒」

水戸納豆でしたか由緒ある粘り  「由緒」


今回は一課題減っているので、入選数は比較にならない。
要は内容(なかみ)。五年前の方が生き生きとしてはいないか?

そうであるなら、どこかに弾けるものを置き忘れてきたのかもしれない。
弾けるものとは、ピュアな心だろうか?

日常の発見を素直に言葉に乗せる作業が疎かになっているのか?
「相席にしましょう」は、この日、秀句・天となり、犬山市文化協会賞を受賞した作品。

実は、前夜まで他の句を用意していたが、いまいち納得できずにいた。
朝、目覚めとともに「相席にしましょう青い空だから」は降ってきた。

秀句というものはそんなものだろう。
ピュアな心を作為のない言葉で綴っていった結果ではないか。

受賞は出来すぎだが、いいことを教えられた。
帰路、名古屋川柳社のKさんと金山で一杯飲った。

久々の柳友との一献は、秋の夜長の楽しい一齣だった。




2018.10.21(Sun)
苦労した分だけ若くなっている

久し振りに本を買った。
最近は、本屋へ足を運ぶこともないが、たまたま行った東浦町のイオンで二冊。

「五代目三遊亭圓楽 特選飛切まくら集」(五代目三遊亭圓楽)
「作家の遊び方」(伊集院静)

当代の圓楽は六代目で、いわゆる楽太郎の円楽。
思えば、五代目は私が追っかけをした一人。

学生の頃は圓楽全集(カセット)を求めて、名駅まで足を運んだ。
圓楽に飽きると志ん朝、談志、小三治、圓窓、米朝、圓生、三木助(三代目)へ。

落語の語りが心地好く、毎夜、落語のカセットを聴きながら眠った。
「特選飛切まくら集」は、圓楽の噺のイントロ集である。

「作家の遊び方」の方は、伊集院静の生き様が描かれているようだ。
伊集院が作家として飯が何とか食べられるようになったのはなぜか?

それは、「ある期間、生きることを放棄して遊び呆けたから」、と述懐する。
「遊ばねば見えないものはある」と後書きが締めくくっているように、何かが見えてきたのだろう。

さて、眠りに就く前のひととき、圓楽、伊集院と少し遊んでみよう!








2018.10.14(Sun)
月色を手本にしますオムライス

 時代をつないで犬山発心 〜犬山市産業振興祭と名経祭〜

昨日は名鉄ハイキングに参加。
稲の穂のように心も体も実ってくる十月半ば。

コースは、なぜか懐かしい匂いのする犬山。
下の順路に沿って約10`の道のりを歩いた。

名鉄小牧線 羽黒駅(スタート) → 小弓の庄 → 犬山産業振興祭会場 → 鳴海てがし神社

 → 小弓鶴酒造 → 名古屋経済大学 名経祭会場 → 田県神社前駅(ゴール) 


スタート地点の羽黒駅は、一昨年の国民文化祭の川柳大会の会場となった犬山市民文化会館の最寄駅。懐かしさの要因はこんなところにもあるのだろう

小弓の庄。犬山唯一の現存する明治期の擬洋風建築。
「擬洋風」とは、和風建築に洋風を取り入れた建築様式。

元々は、加茂銀行羽黒支店として建てられた建物で、その後は愛北病院羽黒診療所として利用。
現在では、犬山市が羽黒のまちづくり拠点施設として活用している。


小弓の庄・玄関ホール


小弓鶴酒造。創業は、江戸時代の末期、嘉永元年(1848年)。
嘉永と言えば、ペリーが黒船で来航した頃だ。

この地が「小弓の庄」と呼ばれたことから、名付けられた「小弓鶴」。
無論清酒の酒蔵だが、ビール工房が併設されていて、とてもお洒落な店構えだ。

ここで、ウインナーとクラフトビール「犬山ローレライ麦酒」を堪能。
犬山名物げんこつ飴(厳骨庵)を三袋買って、目指すは名古屋経済大学キャンパス。


小弓鶴酒造・犬山ローレライ麦酒館

小弓鶴酒造から約5`。
穂の垂れた水田ばかりしか目に入らない農道を黙々と闊歩。

小高い丘までは緩やかな坂道。
このあたりになると歴戦の兵でも苦しくなる場面。

徐々にペースが遅くなった家人を大きく引き離して名古屋経済大学のゲートまで。
ゲート入口にはイチョウの木が二本。その下にはギンナンが甘い香を放っていた。

大学祭のテーマは「天真乱漫」。
「爛」ではなく、「乱」が祭の気分を象徴しているようだ。

様々な模擬店(屋台)の中に、「学長酒場」なるものがあった。
学長自らが酒場の主になって、酒を振る舞うという趣向。

犬山の地酒が五本と、なぜか長野の銘酒「真澄」が一本。
無料の利き酒会である。

学長はこの時不在。等身大の看板写真だけ。
学長補佐が注ぎも注いだり、こちらが待ったを掛けたほど。

ここで泊まるならいくらでも飲めるが、そうはいかないので「待った」。
学長酒場、恐るべしである。

模擬店の焼きそばと五平餅を平らげ、酔いも醒めたところで大学を後に。
犬山の懐かしい匂いを残して帰路についたのは午後三時。

今月の27日、再び犬山を訪れるが、今度は川柳大会である。
大会終了後、犬山の酒を存分に堪能したいものである。



2018.10.07(Sun)
ライバルと背中合わせでする会話

スポーツジム車で行ってチャリをこぐ

「ちがうだろ!」妻が言うならそうだろう

ノーメイク会社入れぬ顔認証

効率化進めて気づく俺が無駄

電子化について行けずに紙対応

「マジですか」上司に使う丁寧語

父からはライン見たかと電話来る

「言っただろ!」聞いてないけど「すみません」

減る記憶それでも増えるパスワード

ほらあれよ連想ゲームに花が咲く


上は、今年5月に発表された「サラリーマン川柳」入選作上位10句。
「スポーツジム」の句が1位で、「ほらあれよ」が10位である。

サラ川では、「分かち書き」の表記だが、あえて正しい表記に書き直した。
分かち書きというのは、例えば、

恋人の膝は檸檬のまるさかな

という川柳なら、

恋人の 膝は檸檬の まるさかな

という具合に、5・7・5の「・」の部分に空きを入れて表記すること。
分かち書きは勿論邪道なのだが、そんなところを含めてサラ川を批判する川柳人は多い。

しかし、サラ川批判の川柳人に異を唱えた野武士がいた。
今は亡き「やしの実川柳社」主幹の鈴木如仙氏(平成28年1月永眠)である。

如仙氏の主張は、その著書「三千題五千句集 如仙の川柳お好み焼き」の中の、NHK学園文芸センター編集主幹・大木俊秀氏の序文にこう書かれている。


狂句まがいもあり中傷誹謗の内容もあるサラリーマン川柳がなぜ売れるのか。
それは、作者が位置づけ出来て、その作者のホンネが感じられるからである。

ただやみくもにサラリーマン川柳を非難するのではなく、言いたいことのある人たちのホンネを、同人誌川柳の中で言わせることが必要ではないか。

俵万智という人が出て昭和の与謝野晶子と騒がれた。
二人の短歌にはほんとうのホンネのことばが流れている。

ホンネがそれほど受けるということは、世の中がホンネを求めているから。
ホンネの作品を読んだときには納得もできるし、感動も伝わる。


昨日、知多郡阿久比(あぐい)町で川柳大会があった。
見出しの句(ライバルと背中合わせでする会話)はそのときの町議会議長賞を受けた作品。

西部劇のガンマンのライバルとの会話を思い描いた。
背中合わせで互いが逆方向に歩き、やがて振り向き銃を打つ。

現実の中にも、この光景はあるだろう。
ライバルとの会話は常に背中合わせでするものなのだ。

課題「会話」のこのときの同時作は、

さみしくて海と会話をして帰る

こちらも佳句を頂戴したが、事実ではなく「虚」である。
思春期の頃ならともかく、今の暮らしではありえない気持ち。

こんなところが選者の評価に繋がったのだろう。
如仙氏の「ホンネ川柳」・・・・心に留めておこう!



2018.09.30(Sun)
駅弁を開けるとうつくしい日本

川柳マガジン10月号が届いた。
パラパラと捲っていくと、「近代川柳作家作品」合評のページ。

今月号は、「安川久留美(やすかわくるみ)作品研究」。
合評者の一人として名を連ねてから1年、最後の合評である。

振り返れば、新葉館出版のtakeこと竹田麻衣子氏から電話を貰ったのが、昨年の9月半ば過ぎ。
「合評者をやってください」の依頼に即承諾。話が早いのが私の取り柄だ。

細かい話は一切なし。こちらも聞かない。
この時期の依頼なら、来年からか?と思っていたが、10月3日にメールあり。

第1回目の合評原稿依頼である。
メールのポイントは ↓


・第1回目の合評は時実新子の5句

・合評目的は、作家論ではなく、作品探求を主とした鑑賞、川柳論

・一作品に対し最少100字〜最大200字の間

・締切り 平成29年10月15日(日)


出版会社の原稿依頼とは、かくも緊急なものかと実感した次第。
時実新子の合評鑑賞は、この項の↓の方を探せば出てきます。

ということで、最後の合評鑑賞を載せます。


ハッと目が覚めれば妻子生きている

一家心中の夢でも見たのだろうか。
作者は、日常によほど気になることを抱えていたのだ。
人は多かれ少なかれストレスを抱いて生きているが、夢でさえ妻子を死に追いやるほどのストレスとは何か。昨日、北海道で震度7の地震が発生した。不可抗力には太刀打ちできなくても、生きていれば何とかなるのがこの世の中だ。
悪夢はやはり五臓の疲れだろう。


万物の霊長きょうは人を蹴り

「万物の霊長」とは、万物の中で最もすぐれているもの。すなわち人間のこと。
作者は「本当にそうか」と疑問を抱いているのだ。見渡せば霊長として欠けている人間ばかり。
人を蹴る、人を殴る。昨今話題の体操界もそうだが、人間の尊厳を貶める事例は枚挙にいとまがない。
しかし、人間とはそういうもの。だから互いが叱咤激励しながら人格を高めていく以外ないと作者は言っている。


命日を忘れてうまい葱と酒

親の命日を問われて即答できる人の割合はどのくらいか。
たいていの人は日常に追われて命日を忘れているのではないか。
それほどに死者に対して薄情なのが人間。といって、一周忌、三年、七年の法要を忘れないのも人間だ。死者を敬いながら、死者を忘れている。
私が死者であるなら、命日を忘れて葱で一杯やっている息子のところへ繰り出し、一緒に一杯やるだろう。


鉛筆の折れたと思う置手紙

この句は置手紙を貰った側の句だ。
置手紙の書きようから推察して、鉛筆を折りながら書いた手紙と判断したのだ。
字の太さ、筆圧、掠れ具合、紙に付着している芯の粒子など。
それは、書いた側の強い思いの表現である。どんな手紙かと気になるが、色恋の話ではなさそうだから、さほど興味はない。
が、メール配信ですべてを済ませられる昨今、置手紙はとても新鮮である。


み仏の指現金を所望かや

見たさまの句。確かに仏さまは指で輪を作っている。
これを「現金所望」と発想するのはいたって健全。みんなそう思う。
だが、一方で仏さまの慈悲にすがりたいのも庶民。
現金を所望する仏さまに賽銭を入れるのも健全な人間たる所以である。
そこには人知を超えた大きな力が存在している。
「天地指す御仏の指ためらわず」斎藤大雄さんの名句を思い出さずにはいられない。




2018.09.23(Sun)
ちまちまと生きる男にバラの花

土曜日は、愛知川柳作家協会主催の「川柳忌・みたままつり句会」。
名古屋港に隣接する「名古屋港ボートビル」が会場だ。

ポートビル前の道路を挟んで東側に、「名古屋港ガーデンふ頭臨港緑園」。
北側には「名古屋港水族館」と、土・日・祭日は、家族連れが群れを成す。

美しい水平線に美しい緑地と水族館。
吟行会なら最高のシュチゥエーションだが、句会となるとイマイチ。

遊び気分が横溢してしまい、作句の真剣味が薄れる。
句会会場はそこそこ体を成していればいいと思うのは、私だけではあるまい。

ということで、入選句は ↓ の2句だけ。
しかし、この2句とも秀句賞を獲得し、図書券2枚ゲット。


苦労した分だけ若くなっている  「意外」

嘘いくつ食べたか厚くなる仮面  「仮面」


今日午後からは、先日訪れた
岡崎市の額田地区・鳥川町(とりかわちょう)へ。
「延命水」を汲みにひたすらエンヤコラどっこいしょである。

4か所の湧水群の内、今日は3か所
「延命水」「産湯の滝」「大岩の水」である。


「延命水」でポリ容器に水を詰めてからは、水の飲み比べ。
「どこも同じ味」などと言うのは野暮なこと。

どこか違うところがあるだろうと舌と喉をフル回転させたが、わからない。
焼酎の水割りで試そうと、ペットボトルに一本ずつ汲み分けた。

さて、これからどういう結論が出るか、答は次回!



2018.09.16(Sun)
仕合せが曇らないよう風になる

稗田川の堤防の彼岸花が満開の時期を迎えた。
金色の品種は珍しく、花は丈夫で長持ちである。

金色の花はとても華やかで、稗田川をやさしく彩っている。
梅雨を思わすような不順な天候の中で、いつまでも微笑んでいて欲しい。

昨日はJRの「さわやかウォーキング」。家人とともに豊橋鉄道終点の地・田原市へ。
終日曇り空の予報のもと、折畳み傘と水分補給のペットボトルだけを持参。

夏の雨はやさしいから小雨を気にすることはないが、それでも準備は大切。
昨今の異常気象ではないが、どんな想定外が起こるとも限らない。

JR豊橋駅からは豊橋鉄道で終点・三河田原駅まで。
田原の町中を歩くのは実に四十年ぶり。

「再会」という言葉は大袈裟だが、かつて訪れた地はさまざまな思いを連れてくる。
今回のコースは ↓


豊橋鉄道・三河田原駅 → 城宝寺 → 田原市民俗資料館 → 田原市博物館 →

崋山会館・崋山神社 → 池之原公園 → 道の駅田原めっくんはうす → 豊橋鉄道・三河田原駅


城宝寺。渡辺崋山の墓があることで知られる寺。
学生の頃、行き当たりばったりの旅の宿にさせてもらった寺だ。

あれは桜の花の咲く頃。学生にとってはまだ気儘な春休みの最中。
三河湾を歩いて一周しようと名鉄蒲郡駅を出発して二日目の夜。

旅の垢を流そうと寄った銭湯で地元の人から町の情報収集。
そこで知った崋山ゆかりの寺であり、渥美半島最大級の古墳があるという城宝寺へ。

境内の南の丘に聳える弁天堂に無賃乗車という塩梅。
仏さまに桜の花が供えられていた記憶は鮮明だ。

翌朝、無断で宿泊した非礼を詫び、心経を唱えて退出。
冷や汗三斗の旅は、この日を皮切りに現在まで続く。



城宝寺古墳(この上に弁天堂)


池ノ原公園。
渡辺崋山終焉の場所。

崋山は田原藩の家老であったが、実は江戸生まれの江戸育ち。
その著書「慎機論」が鎖国政策批判にあたるとして罪に落とされた。

田原にいたのは、謹慎処分を受けてから自刃するまでのわずか二年間。
その謹慎の間住んでいた池之原屋敷跡が、今の池之原公園である。

「崋山はここで砂糖黍を搾り、生計の足しにしていた」とガイドさん。
貧しい暮らしの中で、海の向こうを夢見ていたのだろう。


池ノ原公園・渡辺崋山像


池之原公園から道の駅・田原めっくんはうすへは2.7`の道のり。
渥美特産といえばメロン、夏の風物が所狭しと並んでいた。



田原めっくんはうす


今日は、川柳きぬうらクラブの吟行会。
吟行先は、名鉄知多半田駅からすぐの明治時代の洋館・旧中埜家住宅。

この建物は、中埜半六(ミツカン酢の社長)の別荘として、ドイツの山荘をモデルに建てられた。
木造の骨組みにレンガを使用し、屋根はスレート葺。国の重要文化財である。


旧中埜半六別荘


吟行会の結果は ↓

百年の栄華を雨漏りが語る  「吟行吟」

トンガリ屋根もずいぶん丸くなってきた  「吟行吟」

ささやかな旅です半田中埜邸  「吟行吟」

余計なことは言うまい指定文化財  「吟行吟」

掻き揚げの具にする家中の笑い  「笑う」

君はまだ月にいるのかかぐや姫  「月」  

月色を手本にしますオムライス  「月」

月蝕のようだね欠けている僕ら  「月」



2018.09.09(Sun)
母にまだ空襲という耳がある

朝、大坂なおみの全米オープン優勝を伝える速報がテレビに流れた。
そして、大会初戦から決勝までのハイライトが映し出された。

立ち姿も、身のこなしも、インタビューの言葉もすべて美しい。
勝者というだけでなく、大坂なおみがここまで身につけた美しさだと思った。

決勝戦の相手・セリーナは、四大大会優勝23回の実績を持つ歴戦のつわもの。
その貌も引き締まって美しいが、今回はなおみの方が勝った。

昨日、高浜川柳会の句会後に恒例の納涼会。
当然ながらテニスの話題も飛びだした。

庶民というものが情けないと思うのは、すぐに賞金の話になる。
全米オープンの優勝者の賞金は、他の大会とは雲泥の差であるらしい。

何と、380万ドル(約4億1800万円)。
大坂なおみが優勝者になれば、これまでの獲得賞金を超える莫大な金額が得られる。

そんなことが私の脳にインプットされていたから、優勝と聞いて賞金額が浮かんだ。
実に嘆かわしいほどの庶民の発想、情けない。

優勝者は賞金の使い道を問われると「自分はお金を使うタイプではないので、私にとって家族が幸せなら私も幸せです」と控えめにコメントした。これには感動した。

生き方はかくあらねばと思ったしだい。
美しい生き方を今後の目標としよう!

P.S.

本日は名古屋市港区にて「中部地区川柳大会」。
石川県、静岡県からの出席者を含め、183名が健吟を披露した。

入選句は ↓


袋綴じ開けると雨は横なぐり  「ハード」

鋭角に曲がって淋しさをはらう  「ハード」

節穴はたぶんこっそり覗くもの  「こっそり」

手弁当でしたあの日の輝きは  「弁」

弁解はしない曇りの日も雨も  「弁」


大会終了後、柳友のYさんから「シャリキン」(甲類焼酎 宮崎本店)をいただいた。
この人もとても美しい人。

「シャリキン」にはホッピーが一番合う。
さて、そろそろ一杯と行こうか!


シャリキン


2018.09.02(Sun)
耳洗うまた喝采を聞くために

午後、家人に誘われて岡崎市鳥川町(とりかわちょう)へ。
鳥川町といえば鳥川(とっかわ)ホタルの里がつとに有名。

もちろんホタルを見に行こうというのではない。
水汲みである。

実は二年ほど前、「鳥川ホタルの里湧水群」は、環境省の主催する名水百選選抜総選挙で「秘境地として素晴らしい名水」部門の1位に選ばれている。

数日前のテレビでこれを目にした家人が、この日何も予定のない私を誘い出したというわけだ。
鳥川町は岡崎市額田地区。旧名は、額田郡鳥川村。

山と谷しか見当たらないまさに秘境。
そこへ水汲みにエンヤコラどっこいしょである。

さて、さてそのお味は?
「甘い」「柔らかい」の形容詞だけで会話ができた。

軟水というやつだろう。
こちらも酒蔵で鍛えてあるからすぐわかる。

湧水群は四か所。
「産湯の滝」「大岩の水」「庚申(こうしん)の水」「延命水」である。

ここが一番美味いという「延命水」を20g入り容器に2本。
容器を運ぶ役割は当然私。明日は筋肉痛である。

ちなみにテレビ番組の影響か、先客が2組。
私たちが水を汲んでいる間に、あれよあれよと5組ほど。

秘境の地で、これほどの人口密度は稀なことだろう。
というわけで、今から焼酎の水割りを飲る。

五臓六腑に沁みわたるだろうか?


延命水



2018.08.26(Sun)
四十度みんなムンクの絵のように

四十度近い日の多かった夏がまもなく過ぎる。
「過ぎてしまえばみな美しい」と歌詞にあるように、酷暑もまた懐かしい。

と言って、真夏日はまだ繰り返すかも知れず、油断できない。
人命のことを考えれば、ノスタルジアで生きることもやや躊躇いがある。

金曜日、懸案だった仕事が一段落し、肩の荷が軽くなった。
とは言え、羽が生えるまでにはまだ数ステップを要し、こちらも油断できない。

ムンクの絵のように、人は死ぬまで悩みを抱えて生きていくのだろうか?
だからこそ逃避行するところが必要なのだろう。

というわけで、今日は「川柳きぬうらクラブ」の句会へ。
選者を拝命されていたので、意気揚々と出陣。

宿題は、「織る」と「座敷」。
発想が広がりにくい兼題だけに、同想句のパレード。

私の結果はというと ↓


ブランコを漕いで小さな虹を織る  「織る」

ツッコミとボケとで織り上げる夫婦  「織る」 秀句

枝豆のふくらみながら夢を織る  「織る」  佳句

枝豆とビールがあればいい座敷  「座敷」  

西郷どんが座っていそう奥座敷  「座敷」


来月は吟行会で、ミツカン酢の里へ。
現実逃避にはもってこいの企画である。



半田運河



2018.08.19(Sun)
責任者出て来いと言う四十度

夏の暑さがようやく例年に戻った。
無論、台風の影響もあるが、ひとまずは酷暑を回避したようだ。

四十度近くあった温度計が今朝方はぐーんと下がり、寒さを感じるほどだった。
小さい秋が目に留まるようになるのはこの頃。

萩の小花が、まだ日中は生温かい風に揺れている。
少しずつ長くなる影とともに、風も緩やかにその体温を落としていく。

昨日は、高浜川柳会の定例句会。
会員の句に著しい進歩はないが、それでも随所にキラッと光るものがある。

その光を増やしていくこと、これが皆の課題だろう。
そのためには多読と多作しかない。

いい句を十分に鑑賞し、その句の良さを自らの作句に生かす。
「学ぶ」の語源は「真似ぶ」、すなわち真似ることである。

日頃から佳句に目を留める訓練を怠ってはならないのだろう。
会員の作品は ↓


舌下錠小さな嘘をひとつ消す   典子

節電の言葉も溶かす四十度   悦子

天高したった一匹焼くサンマ   清和

物置に忘れられてたラブソング   康司

甲子園熱気あふれて猛暑打つ   文子

薄情な夕日だ夏を置き去りに   比呂志


見出しは、川柳きぬうらクラブ7月句会の拙句。
不思議なことに40℃が懐かしくなってきた!



2018.08.12(Sun)
淋しくて柱に頭突きしています

木曜日、毎日放送制作のバラエティ番組「プレバト」の“俳句炎帝戦”を見た。
この夏の俳句王を名人、特待生の中から作句のレベルで決定しようというのだ。

特待生7人の中から予選を勝ち上がった2人と名人5人の計7人。
7人の俳句を俳人・夏井いつきがプロの目で査定した。

お題は「ラジカセ」。上位3人の句はさすがに凄い。
結果、無冠の帝王・梅沢富美男が今夏の炎帝戦を制した。


短夜や付録ラジオの半田付け   FUGIWARA藤本

村祭ラジカセが笛担当す   フルーツポンチ村上

旱星ラジオは余震しらせおり   梅沢富美男


こんな句を作りたいが、そうはいかないのが素人の悲しさ。
「先は永いから、一段一段上がって行こう」という気にさせた。

今日は、俳句の会(ペンキ句会)。出席者11人、投句者2人。
出句したのは ↓ 括弧内は、互選の点数 

バリカンの流れるように夏の音 (3点 特選1)

たよるものなき少年の籐の椅子

ひきだしに入道雲の湧いており (2点)

吊り革のおなじリズムや涼新た (1点)

地球儀のここら辺りで草を引く (3点)


本日学んだこと。「蛾」「香水」「蜥蜴」は、夏の季語。
「底紅」は、木槿(むくげ)の中でも、白の一重花に中心が赤い底紅種のこと。



2018.08.05(Sun)
雑巾を絞りきれいにするこの世

稗田川沿いを颯爽と歩く。
夜の帳が下りてもまだ熱風がほとばしる。

無風に近いせいか汗が止まらない。
先週からの左足裏の痛みはようやく取れた感じだ。

それにしても足裏の痛みは何だったのだろう。
思い当たるのは“痛風”だけだが、疲れから来ているとも思う。

何しろ、四月以降の業務量は半端じゃなかった。
まだその流れを引き摺ってはいるが、ようやく出口が見えてきた。

暗闇から見える淡い光は、まさに降臨。
みすぼらしく憐れな一庶民にうるわしい神々が降りてくる。

北西の夜空に金星、そして東には火星。
これらはきっと神なのだろう!


昨日は、岡崎川柳研究社の本社句会。
夜に花火大会を控え、街中に浴衣姿の男女の群れ。

団扇片手に炎天をゆくのはいつもの光景。
乙川河川敷を家人と歩いた30年も前の光景が思い出された。

昨日の入選句は ↓

耳洗うまた喝采を聞くために   「耳」 秀句 

片耳の隅にたたんだ褒め言葉   「耳」

母にまだ空襲という耳がある   「耳」 秀句

父という寂しいもののいる安堵   「安心」 佳句

火星接近シャンプーのいい匂い   「自由吟」

遊泳禁止でしたかあおぞらを泳ぐ   「自由吟」

四十度みんなムンクの絵のように   「自由吟」 秀句

失恋にサンドバッグも痛かろう   「痛い」 軸吟



2018.07.29(Sun)
幾千のドラマだあおぞらは舞台

東京都内のある居酒屋の「張り紙」がネット上で話題になっている。
客のビールの頼み方に応じて、↓のように3段階の料金を記載しているというのだ。

「おい、生ビール」 1,000円
「生一つ持ってきて」 500円
「すみません。生一つください」 380円(定価)

料金の下には、「お客様は神様ではありません」
「当店のスタッフはお客様の奴隷ではありません」との記述も。

張り紙はさらにもう一枚。

「当店はブラック企業のため、少人数での営業を余儀なくされています」
「お客様の空よりも広く、海よりも深い大地のように寛大なお心に免じて、温かく見守って下さい」と。

このアイデアは、フランスのカフェの看板画像からヒントを得たというが、店のコンセプトの一つ「売れることより面白いことを!」の一環としてのジョークツールと言う。

事実、、「おい、生ビール」と頼まれたからといって1,000円でビールを提供したことは一度もなく、ただ、「スタッフはいつもより“ほんの少し”嫌な思いをしますが」と付け加えるのも忘れていない。

つまり、本音をジョークに上手に忍ばせた手口で、客に対して警鐘を発している。
最低限のマナーを求めることで、店と客がお互いに気持ちよい時間を過ごしましょうと・・・・




江ノ電・七里ヶ浜から稲村ヶ崎へ


2018.07.22(Sun)
草の実が爆ぜてドラマは始まった

四十度近い気温は異常である。
このまま続けば、命に関わるさまざまな事態が発生しかねない。

実際、熱中症で亡くなられた幼い命や年老いたいのち。
それらを目の当たりにして心の詰まる思いがする。

太陽はかくも容赦のない構え

文句あるかと太陽は容赦なし

責任者出て来いと言う四十度

ペン先から発せられるのはこんな句ばかり。
ペンは剣より強しと言うが、自然を抗うことはできない。

意地はっていやがる太陽の奴め

と詠んだのは松江の芳山さん。
この異常気象、ミラクルを使ってでも止めたいものだ。


火曜日、大垣川柳社のHさんが、今は亡き未来工業の創始者・山田昭男さんの句稿を送って下さった。十代後半から二十代前半の作品と言うが、確かなものであった。

寒流へ妻の温みは散らすまい

雑音を閉ざして耳は生き伸びる

年の瀬か雪はひもじき貌となる

疲れたる貌騒音を舐めつくす

雑念の中で生き抜く力あり

自意識と決別の夜のみこし吊る

あえぎつつ歩む地平のその果ては

烈風の中に枯木は今日も佇ち



2018.07.15(Sun)
長いながい滑り台から湧いた夢

暑い日が続く。クーラーのよく効いた部屋では感じられなかった“不快指数”は、扇風機部屋となった今、急上昇。これ以上気温が上がれば、人間も枯れ掛けてくる。

蜘蛛枯れて血のごと細き糸遺す  中川智正

中川智正は、先週死刑執行された元オウム真理教信者。
麻原彰晃の主治医的役割だった彼は、収監されてから俳句を詠んだ。


木肌食う冬鹿のごと鉛筆噛む

三途ふと何級河川か春一番

かなぶんのくせにぶつかると痛いね

同室が誰とは知らず蠅生まる

一会なく訃報ありけり麦の秋

虹ひとつ消えて我らの前の虹

平成をこの辞書と生く竹の花

クロールに息継ぎのあり日の平和
      俳句同人誌「ジャム・セッション」より引用


これら句群を詠みながら、中川の夢は何だったのだろう、とふと思う。
凡庸にはわからない、長いながい滑り台から湧くような夢があったのだろうか?


昨日は、岐阜県川柳作家協会の川柳大会。
選者を依頼されていたので正装にて出陣。

とは言っても、スーツ姿ではさすがに暑いから、手提げ袋にスーツを折畳んで持参。
席題をやっつけてからはやることもなく、選者室で終始雑談。

課題句はすべて事前投句なので、一か月も前に選は完了、発送済み。
選者は当日、豪華弁当を平らげ、披講するだけだから、楽ちん!

私が秀逸として採った句は ↓

帰ろうか 千年杉の老いぬ間に   佐藤文子

何時の日か女神はポンと降りてくる   村上延江


選後評を次のように記した。

言うまでもなく課題は「題意」を持つ。
「何時か」には、過去の不定の時を表すものと未来の不定の時を表すものとの二つがある。

人は過去を振り返り、未来を標榜する。
それら背景にあるものは「人はいかに生きるか」ではないか。

秀逸2の「千年杉」に見られる命を慈しむ気持ち。
そして、秀逸1の「女神」を信じる心意気。

限られた命ならせめて、女神の降りてくるのを信じたい。


大会終了後、打ち上げの懇親会は名鉄岐阜駅に隣接する割烹「日本海」。
選者はすべて声を掛けられたが、同行したのは私だけ。

ビール、焼酎、清酒と美味い酒を三種混合ガンガン!
新家完司さんが乗り移った!




2018.07.08(Sun)
次の世も生きてゆくなら鳥か魚

おそるべき君等の乳房夏来る   西東三鬼

梅雨の長雨が去り、夏到来である。
ある事情から、夏の力の恐ろしさを知らされた。

数日前に、事務所のエアコンが壊れた。
二十一年数ヶ月使っていれば無理もないが、前触れもないエアコンの故障。

時期は、折り紙付の多忙な1シーズン。
山崩れが起きそうな仕事量を抱え、茫然自失。

急遽リリーフで登場したのが、壊れかけの扇風機。
倉庫からリリーフカーに乗って颯爽と・・・・

扇風機は「涼」という意味ではいい仕事をしてくれるが、負の部分がある。
書類を飛ばすという欠陥がある。

というわけで、ここ一週間、扇風機と友だちになれた。
夜、焼酎の水割りを啜りながら、新しい友と人生を語っている。



2018.07.01(Sun)
水音を残ししあわせだったかい

超多忙な日常を抱えてようやく7月。
確か今日は海の日と記憶していたが、カレンダーを見て違うことに気付いた。

海の日は、7月の第3月曜日。今年は7月16日だ。
「海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う日」とある。

夏休み前の子どもたちがワクワクするときだ。
いや、大人たちだって夏はウキウキする。

ビアガーデン、花火、スイカ、ヒマワリにアサガオ、そしてラジオ体操・・・・
昭和の頃のイメージと少しも変わらない。

さて、今週は川柳マガジンの合評原稿を書き上げねばならない。
とは言え、句の良し悪しを論ずるのではなく、鑑賞程度しかできないが・・・・

7月号(6月27日発行)の鑑賞文は ↓


【萩原夏絵鑑賞】    

突然の出逢いそばやで語る老い

「出逢い」とあるから、かつての恋人と数十年ぶりに遭遇したのであろう。
在りし日を材料に話題の尽きない二人。話の中心は老いのこと。

老いを語ることで行く末に思いを馳せる。
「夜の冷え母の蕎麦掻き思い出し」も夏絵の句。

蕎麦掻きとは、蕎麦粉に熱湯を加えて掻き混ぜた塊にそばつゆを付けて食べる素朴なおやつ。
子供の頃から蕎麦に親しんでいた様子が窺える。

我が町は小雨両手の荷と歩き

「我が町」と言いつつ思いは少し離れたあの町へ。
わが町は小雨だけれど、あの町は晴れているだろうか、と。

その町でそれほど親しくもない人と会う。
両手を塞ぐ荷物は、柳誌や川柳書籍の詰まったバッグ。

私の属する岡崎川柳研究社の初代主幹・稲吉佳晶(女性)は、川柳普及のために柳誌を名刺代わりに東奔西走したというが、夏絵もまた川柳普及のために諸国を行脚した一人。

歯も耳も目も幸せの中のもの

歯が痛む、耳鳴りがする、目が翳むなどは、幸せを損なう症状に違いない。
治療で時間を費やすのも鬱陶しい。

美味い物が食べられるのも、いい話が聴けるのも、目の保養ができるのも健康な歯と耳と目のお陰だ。それだけの句なら味わいは浅い。

老いてゆけば、身体の機能が低下するのは当たり前。
その時は、「見ざる」「聞かざる」「言わざる」が幸せの中に入り込む。

俎を一寸叩いて粥が出来

俎を叩くのは、粥に添える青菜を刻むため。
青菜は三つ葉か小松菜。大根や蕪の葉でもよい。栄養価があり、彩りがぐっと増す。

話は逸れるが、この季節、寄席を覗くと落語『青菜』の一席。「植木屋さん、ご精が出ますな」に始まり、「うーん、弁慶にしておけ」の落ちまで、高座に青い風が吹く。

青い風を演出するのは青菜と柳影。
粥が煮えるまで冷酒をちびりちびり・・・。

あるときは羽織にほしい雲の色

「雲は天才」と言ったのは石川啄木。
確かに、朝焼けや夕焼けのオレンジ色まで含めると実に変化に富んでいるのが雲。

その雲の色が欲しいと作者。
その昔、柳人十数名で「花紅会」を結成。

トレードマークである男性陣の赤いネクタイに混じって夏絵は紅一点で和服に赤いリボンをつけて全国を駆け回った。しかしその一方で、女性ゆえの非力を感じていたのだろう。

まだ女性進出が叶わぬ時代の話である。


いとう良一画



2018.06.23(Sat)
シーソーの向こうに夏の地平線

多忙な日々を送っている。
無論、それは日常の業務に追われてのことだが、6月は特に余裕のない月。

そんな時に限って川柳の大会が続く。
「きぬうら」「東海」はすでに終了。明日はいよいよ「鈴鹿」である。

句はこの時間(午後9時半)になっても揃っていない。
今から焼酎の水割りを舐めながら奮闘しなければならない。

今日は依頼されていた鑑賞文(「すずか路」前号鑑賞)をやっつけた。
やっつけ仕事のようだが、しごくマジメには書いている。

これは「川柳すずか」7月号に発表のため、前回(2月号)の鑑賞文を紹介する。


「すずか路」前号鑑賞  289号から

「二刀流」と言えば、当節ではプロ野球の大谷翔平選手を指すが、その昔、二刀流を標榜した川柳家がいた。右に大衆の剣を持ち、左に芸術の剣をかざした川上三太郎である。

自戒を込めて三太郎の語録を二つ。
「そこまでを句にするよりそこからを書くべきである」

「句とは十七字にちぢめる事ではなく、十七字にふくらむ事である」。
それでは、「すずか路」という大衆の剣を抜いてみよう。

想い出がだんだん妻とずれてくる   石崎 金矢

大海原へ出航する二艘の船を思い浮かべた。
型も性能も操縦士の腕も違う船は、みるみる離れていく。
まして方向も違う船。わずかな方位の違いが途方もない差となって表れる。
かくして妻との共通の想い出は、違った景色に見えてくる。

祝う日も喪の日も酒は同じ色   竹内そのみ

今日のビールはやけに甘いし、いつもより輝いて見える。
昨日のビールは最近では一番苦かったし、どんよりしていた。
何が違うのか?「それはお前の心さ!」と誰かが囁く。
心を縛る何かが、味も色も違ったものにさせているのだろう。

重箱がだんだん低くなる老後   福村まこと

重箱は四季を表わす四重が正式とされるが、庶民には手間も金もかかり、二重くらいで丁度よい。
ましてや老夫婦だけの家庭なら一箱で充分。重箱は老後の生活の比喩。
質素だが健全な暮らしぶりに満足している様子が窺われる。

日も月もみんないっしょに歳をとる   佐藤 千四

「歳月人を待たず」とか。この陶淵明の詩の一節は、「歳月は人を待ってはくれないから、嬉しいときは大いに喜び楽しもう。酒をたっぷり用意して、近所の仲間と酌み交わそう」の意。
いつの時代にも粋な詩人はいるものだ。

天までも昇ってきたわマッサージ   寺田 香林

鈴鹿のホームページをご覧になっていない方には恐縮だが、たかこ会長の「ルンルン」が真っ先に聴こえた。「ピョン」から「ルンルン」へ!今年も期待値大。
マッサージの心地よさはまさに天まで昇るほど。話し言葉がよく効いた一句。

スッピンが化けて電車を降りてゆく   瀬田 明子

同時作すべてが電車内で化粧する女性がモチーフ。
「寝坊」に始まり、「降りてゆく」までの数十分の物語。
「見ないフリ」とあるから、もちろん明子さんのことではないが、すっかり様変わりした車内風景に隔世の感を抱いたのだろう。

知らぬ間にゆっくりと効くいいくすり   澁谷さくら

即効性のある薬は概して副作用を伴う。
反して、漢方など即効性のないものは副作用もなく、じわじわと効いてくる。
薬のことを詠んでいるが、薬だけではあるまい。薬を人間に置き換えて読んでもよい。
「ゆっくり」がこの句の趣旨だ。

嵐呼ぶ男に着火されました   神野 優子

映画「嵐を呼ぶ男」の封切りは1957年。優子さんはその後の生まれだから、裕次郎のドラマーを見たのはリバイバル上映か、それともカラオケか?
封切りから六十年後の昨今、草食系ばかりが増えて、着火できる男が少なくなってきた。

笑われることにしっかり慣れておく   上村 夢香

加齢とは、笑われる材料の在庫を増やすことだろうか?
話がくどくなったり、同じことを何度も聞いたり。足が遅くなったり、膝や腰が痛くなったり。
でもそんなこと、ぜんぜん気にすることはない。なぜなら、誰もが通る道だから。

可愛いおとこ見ると振り向く癖がある   前田須美代

須美代さんはいったいいつまで色気があるのだろうか?
そうか、若さを保つ秘訣はこの癖なのだ。
同時作「そうでしたあれが別れのハグでした」も可愛いおとことのハグを彷彿とさせる。
須美代さんにいつか着火されたし!

コーヒーも酒も砂漠を潤さぬ   坂倉 広美

「砂漠を潤さぬ」とは、重症。どんな悩み事があるのか?
「砂漠」は自身の比喩だが、好きなコーヒーや酒を飲んでも鬱積は溜まる。
同時作「死ぬ日までの修羅消しゴムで何度消す」とあるように、どうやら原因は胸に巣食う修羅のようだ。

一年分一晩喋り夜が明ける   勝田五百子

娘さんとの一年ぶりの再会だろう。遠く嫁いだ娘と母が布団を並べて夜が明けるまで語り合う光景は何物にも代え難い幸せなひとときだ。
お孫さんは爺ちゃんの布団の中で、星のような寝息。
新家完司さんのいかつい顔が浮かんだ。

サンタさんお茶を出すのでいらしてね   中川 知子

数多いクリスマスの句の中で一番面白いと感じた句。
サンタが本当はいないことなど、小学校の高学年になればいやが上でも知らされるが、それでは夢がない。夢の続きが見たくて、メルヘンを追い求めるのは大人も同じ。

野球帽とるとやっぱり古稀の顔   吉崎 柳歩

化粧、髪型で別人のようになる女性と違って、男性はさほど変化しないものだが、スーツ姿の石橋芳山さんはまるで違った。野球帽姿の新家完司さんは青年に見えた。
別人を作るアイテムは豊富。纏えばその日は違う人生を生きていける。




2018.06.16(Sat)
未来図の金魚鉢にもいるメダカ

夕刻、稗田川の川沿いを散策。
夜の帳が下りるまでにはまだ半時間ほどある。

六月半ばの桑の実が気になっていたが、黄昏時の暗さで、結果は分からずじまい。
落下した跡がないところを見ると、桑は実を付けていないのか?まだこれからなのか?

桑には大別すると二種類あるようだ。
葉っぱを収穫する養蚕用の「ヤマグワ」と、果実の収穫が目的の「西洋桑」。

稗田川の桑はどうやら「ヤマグワ」らしい。
そうなると桑の実を期待しても詮無いこと。それが分かっただけでも良かった。


今日は、東海市民川柳大会で東海市立文化センター(東海市横須賀町)へ。
投句を済ませてから、聚楽園公園と併設する東海市しあわせ村を歩いた。

万緑の中、心も体も緑に溶けていくような感じ。
水の湧き出る音(天然の泉かと思ったが、ポンプでの汲み上げだろう)が心地好かった。

大会の結果は ↓

長いながい滑り台から湧いた夢  「夢」

前略と言う間もなくて波になる  「波」

草の実が爆ぜてドラマは始まった  「ドラマ」 

幾千のドラマだあおぞらは舞台  「ドラマ」

歳月のどこにも付いている鱗  「歳月」


東海市長賞(草の実が爆ぜてドラマは始まった)と文化協会長賞(幾千のドラマだあおぞらは舞台)のW受賞は出来過ぎ。禍福は糾える縄の如しと言うから、今後が心配!

さて、明日は俳句の吟行会(ペンキ句会)。
どうなることやら、神のみぞ知る!



2018.06.10(Sun)
若者よ麦のチクチク感を持て

青麦があっという間に褐色に色付いた。
この季節を麦秋と言うが、人間の世界では梅雨。

三河地方も数日前にようやく梅雨入り。
雨の音が心地好いリズムとなって耳を突く。

昨日は、高浜川柳会の月例句会。
新メンバーEさんの加入で活気ある句会となった。


孫の住む街の天気もチェックする


Eさんの雑詠10句の内の一つ。
お孫さんの大学進学で離ればなれになった様子が描かれている。

その淋しさを、淋しいと言わず、孫の住む街の天気を気にするようになったと詠んだ。
「想い」を書くのではなく、「こと」を書くのが川柳の大切なところ。

「こと」を書けば、「想い」が伝わる。
読み手の想像の翼が広がっていく。


今年また洗濯竿を低くする


こちらはFさんの句。
検診のたびに背が縮まる様を、「洗濯竿を低くする」と詠んだ。

こちらも「こと」を書いただけの川柳。
なぜ洗濯竿を低くしたのか、読み手には容易に理解できる。

川柳は「こと」だけを書けばよい。そうすれば「想い」が伝わる。
高浜川柳会メンバーの句から学ばせてもらった。



2018.06.03(Sun)
生きてゆく大きな音を溜めながら

隣家のビワの実が色付いてきた。
食べ頃になるまでにはまだ時間を要するが、色の濃くなる様は見ていて気持ちがよい。

ビワの木の下には、鉢植えの孔雀サボテン。
こちらはすでに満開、鮮やかな赤を周囲に見せている。

我が家にも同種の孔雀シャボテンがあるが、一向に蕾を付けない。
家人に聞いてみると、冬の雪で樹皮を傷めたようだ。

夏草もぐんぐん伸びてきた。
わが世を謳歌している草々よ、雨期を前に背丈をどんどん伸ばせ!

昨日は岡崎川柳研究社の本社句会。
業務多忙のため、作句が疎かになっているが、それでも二句が天を射止めた。

入選句はこちら ↓

恥多き生きかた甲羅干しにする  「恥」 佳句

滝つぼに残っています青い恥  「恥」 秀句

踊り場でくすぶっている自尊心  「階段」 佳句

懺悔かもしれない石段を上がる  「階段」 佳句

幸せになれとツツジの置手紙  「雑詠」

シーソーの向こうに夏の地平線  「雑詠」 秀句

お宝はやすみりえから来た手紙  「手紙」 軸吟


軸吟の「お宝はやすみりえから来た手紙」は、当初「やすみりえ」を「くんじろう」にしたが、おかざきにはくんじろうを知っている人は一人もいないので、やすみりえに直した。

絵手紙の先生であるくんじろうの方が味があるのにナ・・・・
くんちゃんには悪いことをした。
  


夏の日の土手道



2018.05.27(Sun)
とっくり二本転がしている孤独

眠りに就く前のひとときが安らぎの時間である。
昔は、布団の中で古典落語を聴いたものだが、今では柳誌の寝読み。

柳社には交換誌がたくさん送られてくるので、句会のごとに1、2冊いただく。
それを寝る前の数分、開いたページを目で撫でていくだけの読み方。

昨日は、「川柳文学コロキュウム」(No76 2017.4)を開いた。
岡崎守さん(北海道川柳連盟会長 札幌川柳社主幹)の鑑賞文がすばらしい。

ご本人が言われるように、川柳家の鑑賞(読者)は添削者としての視点を持ち合わせている。
よって、句の奥行き(背景)と句の良し悪しとを合わせて鑑賞しようとする。

例えば・・・・


宝石はガラス玉です 再稼働   北田惟圭

一字あけの句である。一字あける必要があるのだろうか。
「宝石はガラス玉 原発の闇」として、反転の余情を引き出す必要がある。

「宝石はガラス玉です 再稼働」であれば、流れの余情で一字あける意味が薄れてしまう。



夜を来る足音を聞く 梨を剥く   笹田かなえ

「梨を剥く 夜を来る足音を聞く」としたなら、反転の余情が生まれるだろうか。
「夜を来る足音 梨の断片」としたならば、一字あけの一拍が増幅すると思うのだが。

それほどに難しい課題を含んで、一字あけの句は存在している。
その奥行の深さに、のめり込んでいく。

燃えやすい私 火傷にまだ懲りぬ   伊藤玲子

一字あけが気になる。「火傷にまだ懲りぬ燃えやすい私」。
反転させても意味が深まりはしない。

意外性を引き起こすのが、一字あけの役割。
その役割を熟知して妙味を引き出すのが余情である。

余情とは、心の彩の結晶であり、私の生きる証しでもある。


と、こんな感じの淀みのない鑑賞文。
本当は、書斎で端座して読まねばならないのだが・・・・



2018.05.20(Sun)
海の絵が昔ばなしをしてくれる

水曜日、岡崎川柳研究社のS女さんが電話をくださった。
そして謹呈させてもらった句集の礼を言われた。

本社句会のメンバーへは、一人一人句会時に手渡したが、欠席だったS女さんへは郵送した。
火曜日に入院先から一時帰宅、そこで句集の存在を知られたようだった。

S女さんは、電話口でも言われたが、齢97年3ヶ月。
しかし、その矍鑠たるや誰にも負けない。頭脳明晰ぶりも相変わらず。

近頃心臓が弱くなってきたようだが、医師に言わせるとその歳では当たり前の症状とか。
来し方を振り返り、川柳がどれほど励ましになったかをとうとうと語られた。

私の句もいくつか取り上げて批評してくださった。
特に心に留まった句は次の句だと言われた。


かなしみを砕くたっぷり笑わせて

軽トラにまだ青春が乗せてある

許そうと思う荒地でいることを


俎上に載せられたものは、すべて幸せな句であろう。
一時であれ、誰かの口を突いて出た句は句としての本望がある。

S女さんとの会話はほんの数分であったが、私の中に新緑が広がった。
いつまでも元気で、本社句会にもたまには参加くださいますように!



2018.05.13(Sun)
足を組むこの世を少しだけ拗ねて

駅前の「なつかし処昭和食堂」からファックスが届く。
「春宴会ご予約承ります」とあるが、もう初夏だしなぁ・・・・

もう一通は、「ビール好きにはとっても嬉しい!!」のキャッチコピー。
その下に、私の心を見透かすように・・・・

「飲み放題ワンコイン500円(税別)」
「生ビール何杯飲んでも1杯100円(税別)」

う〜ん、税抜きなら考えてもいいな。
生ビール10杯で、千円ぽっきり。

税はどうも野暮ったくていけない。ポケットがジャラジャラして困る。
さてと、どうするか?頬杖を付いて考える・・・・


今日は、俳句の会(ペンキ句会)。
精鋭たちに囲まれて、私だけが素人!

参加者は12名(内投句者1名)。投句数は1人5句。
全60句の中から入選句は、1人7句(内1句は特選)。

私の結果は↓ イマイチ進歩が見られない!


叶わない恋なのだろう五月闇  (2点)

剃刀の刃さえ匂える初夏となり  (3点)

苺狩たくさんジャムを煮るように  (1点)

復讐はちいさきことよ麦の秋

からっぽの日曜豆飯が炊ける  (3点 特選1)


ちなみに私が選んだ句は↓


夏燕メビウスの輪を抜けて来し(特選)

春愁はふとんの国へ亡命す

足裏に人体のつぼジギタリス

企画書の添削の山明易し

企みのないこともない薔薇のジャム

誰にでも罪はあるもの石鹸玉

薫風やホワイト急便通過する



2018.05.06(Sun)
にんげんをやり直す日は歯を磨く

長い黄金週間がようやく終わろうとする。
麦の穂がすくすく伸び、ややチクチク感に襲われる。

しかし、それが心地好さとなって身体の芯を覆う。
まだひと月ある雨期までのあいだ、この気分は続いていくだろう。

昨日は、岡崎川柳研究社の本社句会。
3月がインフルエンザ、4月が川柳大会だったため3ヶ月ぶりだ。

句集(ベストコレクション)発刊から2ヶ月弱。
本当なら一番初めに謹呈しなければいけない仲間が最後となった。

句集は、本社句会を基軸として発表した句を中心に添えた。
それゆえ、本社句会は私の作品の原点であると言ってよい。

今朝、本社句会の仲間・柳友のRさんからメールをいただいた。
過分な褒め言葉にくすぐったい感もあるが、素直にうれしかったので紹介する。

さっそく帰りの車内で読ませていただきました。
いつもは句会の疲れがでるのでしょう、最寄りの勝幡駅まで乗車時間は一時間弱。

心地よい揺れにあらがえず、眠ってしましますが、昨日は違いました。
「ふー」 洩れるため息聞こえませんでした?

秀句を前に、同じ川柳の作り手として、身につまされ、固まる時にふともれるそれです。
どのページをくっても、素晴らしい句が並んで、慌てています。焦っています。

例えば、五月の今、爽快な五月がそこにあります。
溽暑と大暑の到来を前に穢れのない五月がそこにあります。

<どこを切り取っても謎のない五月>
<指切の指に五月が絡みつく>

家に帰り、さっそくYさんに、句集を読んでいただきました。
本に顔を向け、集中する静かな時間が流れます。

読後、「やさしい句たち、いいね。それに光がある」
そして、さらに「その光は淋しさの、哀しさの裏返しかもしれないな」

「生きる哀しみ」、この印象に私も同感。生きる哀しみを知っているから、比呂志さんのポリシー「励まし」「希望」が立ちのぼり、やさしさの気がただよう。

そうです。「句は人となり」。心の姿、隠しようもなく句に現れます。だから句は怖い!
その「励まし」「希望」は己へ、己を囲むすべての人たちへ向けて。

この一点が揺るがないから、決して叫ばず、平明な言葉で詩的なオブラートに美しく包んで、我々に提示する。憎い! 

そうすることが人の心に深く深く届くことを、かつ、それが文芸の真の役割であることを比呂志さんは知っている。最後に、

<欠けているとこがやさしさなんだろう>

この句、句意の見つけもさることながら、なんとやわらかい!
「はい!」って返事をしている素直なRがいます。


麦の穂



2018.04.29(Sun)
りんご剥く朝の光をほどくよう

名鉄三河線・三河高浜駅から三重県総合文化センター(津市)までは、アバウト2時間の道のり。
着いたのはジャスト10時。さて、今から生涯学習棟 大研修室に於いて戦いが始まる。

平成30年三重県川柳連盟川柳大会。
記憶を繙いていくと、初参加は平成26年(三川連会報にて確認)。

その時の招待選者は、「展望」主宰の天根夢草さんと「川柳きぬうらクラブ」の浅利悦子さん(三川連大会では、県外から2人招待選者を呼び、他は三川連会員から選者を出す)。

「泣けるだけ泣けば鏡の奥に春」(課題「春」)が秀句に輝いている。
確かこの時は「川柳きぬうらクラブ」の会長・浅利猪一郎さんが運転するマイクロバスで行った。

27年の招待選者は、NHK学園川柳講座編集主幹の大木俊秀さんと「川柳グループ草原」の竹内ゆみこさん。ゆみこさんの若さと明るさは魅力的だったナ。

続いて28年の招待選者は、「やまと番傘川柳社」会長の阪本高士さん1人。
「旅プラン鴎が一羽どこへ行く」が平抜きの止め、秀句までもう一歩だった。

29年、大阪府の吉道あかねさんと「大垣川柳会」の武山博さんが招待選者。
「人情に飢えたライオンだっている」等が入選。

そして30年、何と、ぬぁぁーんと私が招待選者!
もう1人は「堺番傘川柳会」の会長の岩田明子さん。

「一線を越してはならぬマークです」(課題「マーク」)が秀句賞、出来過ぎ。
懇親会も無料ということで、遠慮しながらの(?)飲食であった。

入選句は ↓

バカボンのパパになりたい日暮れどき  「のんき」

駅裏の酒場に過去をキープする  「過去」

目に映るものを笑いの種にする  「笑う」

もう少し枠を広げて生きないか  「枠」

竹の子をぐーんと伸ばす雨マーク  「マーク」

一線を越してはならぬマークです  「マーク」

あおぞらは何も忖度してくれぬ  「自由吟B」

一度だけさまよえばいい五月病  「自由吟A」

揉めごともあって甘酸っぱい苺  「揉める」 軸吟



2018.04.22(Sun)
自販機に詰める何でもない言葉

火曜日、縦長の郵便物が届く。差出人欄には、「大垣観光協会」。
郵便物の表下には、「奥の細道むすびの地 大垣」とある。

中を覗くと、「春の芭蕉祭 入選」と記された(7p×37p)の短冊。
先日、投句した俳句が入選作として日の目を浴びたのだった。

封筒には、短冊の他に挨拶文と「春の芭蕉祭」入賞句一覧と図書券千円分。
受賞句はと言うと ↓

 薫風や堀の小滝の青となる

すっかり忘れていた。
そもそも大垣の地まで行ったのは何だったのか?

記憶の紐が解けると何と言うことはない。
4月8日(日)のJRのさわやかウォーキングだ。

この日は仕事が入っていたが、直前にキャンセル。
元々大垣に行く予定だった妻に合流したという訳だ。

コースは ↓


 大垣駅(スタート) → スイトピアセンター → 四季の広場 → 奥の細道むすびの地記念館

 → 御菓子つちや本店 → 大垣城 → 田中屋せんべい総本家 → 武内酒造 → 渡辺酒造場

 → 大垣駅(ゴール) 


旅の目的は、当然ながら造り酒屋での試飲!後は、付録のようなもの。
試飲してびっくり!得も言われぬほどの美味。

地酒はその地で飲むのが一番美味いと言うが、水の町・大垣の面目躍如といったところだろう。
「芭蕉祭り」は偶然の産物で、堀川沿いを歩いていると投句用紙を手渡された。

大垣は、俳聖・芭蕉の終焉の地。
それゆえ、俳句文化が深く根を下ろしているようだ。

芭蕉庵でお茶をいただきながら二句捻り出したが、投句した瞬間から忘れ果てていた。
気持ちは試飲、試飲であったのだ。

という訳で、入選作品が短冊で送られてきたが、薫風は夏の季語(天分)。
滝も夏の季語で、季重なりは免れないが、小滝としたところが技ありだったのかもしれない。



水門川舟下り・大垣



2018.04.15(Sun)
春を待つ春にならなければいいと

夕刻の稗田川沿いの散歩を終えて帰宅。風が強い。
そのせいか、黒くなり始めた空に星がきれいだ。

北の低い空に煌々と輝くのは金星。久しぶりに会えた。
西の上空には、オリオンと冬の正三角形。シリウスが眩しい。

春といえば、春の大曲線が東の空に見える。
北斗七星の尾を伸ばしていくとオレンジ色のアルクトゥールス、そしてスピカへ続く曲線。

もう少し空を見上げていたいが、風が強いのであきらめる。
晩酌は芋焼酎・紅芋の「小さな小さな蔵で一所懸命に造った焼酎です」と奄美黒糖焼酎!

ここ一週間はワイルド・ターキーの8年物を飲んでいたが、やっぱり焼酎がいい。
黒糖焼酎は気紛れで購入。どんな出会いがあるか?

昨日は高浜川柳会の例会日で、いつものメンバーと見学者が一人。
互選句の投票と選評、課題句の入選披講、そして雑詠の選と選評でみっちり2時間。

途中、地震で建物が揺れたが、何事もなく過ぎ去った。
生きていればいろいろなことがあるから驚かない。

見出しの句は、岡崎川柳研究社本社句会の自由吟で秀句を得た句。
この日は、インフルエンザにより欠席投句だったが、翌日、柳友Rさんがメールをくださった。↓


「春を待つ春にならなければいいと」
秀句賞
おめでとうございます。選者・勝司さん、選んだのはさすが。

人間のアンビバレントな心理を平明な言葉でちゃん表現した。
唸りましたよ。いい句だなー。悔しいー(笑)



2018.04.08(Sun)
うつくしい人に逢いたい羅針盤

名鉄三河線・三河高浜駅前の「なつかし処 昭和食堂」からファックスが届く。
先回初めて紹介したが、今までも四季毎には来ていた。

今回は、何と!・・・・・


飲み放題がワンコイン500円(税別)


何と!と言うほどのことではないが、小生にしてみれば生ビール10杯は軽くいけるし、芋焼酎の水割りなら15杯といったところだから、まあ安い。

安さだけで勝負している店だからやむを得ないが、昨今のお店は理念がしっかりしていて、その中にお客さんの健康も企業理念としてしっかり入れてある。

そのところを考えれば、昭和食堂は売上さえ上がればいいのだろうか?
自分の身は自分で守らねばならないから、企業に理念を要求しても無理なのだろう。

さて、4月8日から12日までと15日から19日までの期間中、行くべきか、行かざるべきか?
ハムレットの心境になって考えている。


昨日は、岡崎さくらまつり協賛 春の市民川柳大会。
季節的に仕事で多忙な折、稚拙な句ばかりを投句した。

お茶を濁すような作句は褒められたものではないが、その分肩の力が抜けて良かったのかも知れない。お蔭様で2句が秀句をゲット。

その内の一つが天となり、天にも昇るような心持ちがした(シャレです!)。
入選句は↓



虫食いの地図しあわせをまだ探す  「地図」

陽気全開 生ビール飲むときは  「陽気」

たんぽぽのぽぽの陽気に敵わない  「陽気」

にんげんをやり直す日は歯を磨く  「クリア」 秀句

生きて死ぬいのち陽炎なんだろう  「はらはら」

足を組むこの世を少しだけ拗ねて  「組む」 秀句



閉会後、先日発刊した句集を謹呈させてもらった柳友のYさんからお礼の品を頂戴した。
句で天に選ばれたときよりも、遥かに天に昇る心地がしたものだった!



ハナミズキがすでに満開



2018.04.01(Sun)
敵ひとりいて紙ヒコーキを飛ばす

庭のクリスマスローズが見ごろを迎えた。
この柔らかいクリーム色の花はいつでも心を癒してくれる。

咲く時期としては早いのか、遅いのか?
桜の落花を横目に咲き誇っているようにも見える。


昨日は、「せんりゅうくらぶ翔15周年記念集会」(大会)で、三重県亀山市まで。
昨年10月下旬以来の亀山はなぜか懐かしい。

場所は、国道一号線沿いの「亀山あんぜん文化村」。
投句後に弁当と地ビール持参で行った神辺地区の桜並木が見事だった。

大会成績は↓


いい風が吹くまで羽は畳みます  「待つ」

誘惑の手がしなやかに掻き混ぜる  「渦」

さみしさだろうか逆さに渦を巻く  「渦」

父という哀しみがあり立ち泳ぎ  「立つ」

擦り切れるまで聴くロッキーのテーマ  「立つ」

風船がふわりこの世に厭きたのか  「ふわり」

水に浮く豆腐すきまのない暮らし  「ふわり」


大会後の懇親会、これが得も言われぬ楽しさ。
限りある時間が恨めしいことだった。



2018.03.25(Sun)
よれよれの襷に父の夢がある

句集をお送りした人から、手紙やハガキ、メールが届く。
いただいたそれらは、すべて宝物である。

句集全体の感想や気に入った句を連ねて下さり、それが参考になる。
一行の句評に、「あっ」と思うことがある。


生きてきた時代を軽く語れない

ひらがなで問うとやさしい詩になる

さみしくて花屋の多い町へゆく

散ることを教えてくれるいい花見

地図にない旅だ縄電車で行こう

あおぞらは友だち天窓を開ける

生きてゆくため片隅に置く光

人間になろう祈る日悲しむ日

縄跳びに空を一緒に入れてやる

ゆうやけを呼ぶ魂の泣くあたり


これらは、ここ数年の中で詠んだもので記憶に新しい。
そして、すべてが一本の線上にある句群である。

これからは、この線上にはない異次元の点、線を求めていくことになるだろう。
そのときはどんな作品群ができあがるだろうか、楽しみだ。

そうは言っても、人間の本質がそうそう変えられるものではない。
言葉と言葉のはざまに突き落とされなければいいが…・




2018.03.18(Sun)
遠吠えも犬死にさえもみんな夢

グッ!と爽快!!角ハイボール 何杯飲んでも1杯100円

「なつかし処 昭和食堂」から↑のファックスが届いた。
名鉄三河線 三河高浜駅前の昭和食堂のお店。

歩いても10分と掛からない地の利で稀に行くが、つくづく感動のない店だ。
まず、店員のやる気のなさ。そして料理が全体に美味くない。

それでも行くのは、見出しにあるような「安さ」。
ハイボール10杯飲んだとしても千円(税別)。

さらに、「幹事様1名分無料!!」とある。
つまり、飲みたいだけの人が行く店であり、小生もその一人。

でも、料理は期待できないからなぁ・・・・
冷奴とか胡瓜もみとか、素のままのものがいいかも・・・・

期日は3月31日(土)まで。
家内と子供4人の総勢6名で行こうか・・・・なんて考えている。


火曜日、出版元の新葉館から川柳句集が届いた。
「川柳作家ベストコレクション」と銘打っての企画ものである。

川柳マガジン通巻200号を記念して、川柳界の第一線で活躍する川柳作家200名の句集を集大成しようという試みで、小生も200人の中に名を連ねた。

冊数は200部。どう捌けばいいか?
まずはお世話になった人へ。そして名刺交換したり、手紙をいただいた人へ。

送りたくても住所を知らない人たちも多くいる。
この作業が楽しくもあり、苦しくもあり・・・・

↓は、K子のスカイラウンジより拝借!






2018.03.11(Sun)
かなしい恋です損益分岐点

出窓のサボテンが花を咲かせた。
ほとんど水もやらなかったサボテンだが、それが良かったのかも。

毎年咲いてくれる花だが、いつからここにあるのか?
妻は新婚旅行で買ったと言っているが、それなら30年前の話だ。

私の感覚では、まだ5年ほど。
妻が人知れず育ててくれたものだろうか?

新婚旅行は、宮崎〜鹿児島。
サボテン公園などあったから、そこで土産に買ったのか?

過去の糸を手繰り寄せても、サボテンが出てこない。
男とはやっぱり薄情な生きものだろうか?

 生きてゆくため片隅に置く光

こんな拙句を思い出した。
サボテンの花は、生きてゆくためのかけがえのない花になっているのだろう!



サボテンの花



2018.03.04(Sun)
山茶花はらりと力みのない別れ

佐布里池(そうりいけ)(愛知県知多市)の梅が満開になる頃だ。
多忙な日々を繰り返していて、梅のことなど忘れていた。

今年は冬が厳しかったせいか梅も椿も遅いようだ。
しかし季節は律儀なもので、その時期になるとちゃんと花を楽しませてくれるからありがたい。

木曜日、朝から微熱が続き、仕事を終えて主治医に診てもらうと、インフルエンザ。
その夜は39.3℃まで体温が上がったが、頓服を一錠飲むと、その後は37℃台で推移。

昨日の本社句会はそれゆえ欠席。
欠席投句をファックスで送り、務めだけ果たした。

結果を送っていただいたので報告↓



遊ぶ波さがして飛んでいるカモメ  「波」

生き下手へ波の数だけあるヒント  「波」 佳句

周波数合っていますか湯の加減  「波」

いい風が来るまで羽は畳みます  「ゆうゆう」

春を待つ春にならなければいいと  「雑詠」 秀句

熟年期まだトーキョーが待っている  「雑詠」 佳句

待ち人の来ぬ日も刻む春キャベツ  「雑詠」 佳句


今夜は4日ぶりの入浴で髪も洗った。
まだ微熱は残るが、もう大丈夫だろう。

今、焼酎の水割りを2杯目、味が分からない。
味の分からぬ酒を呑むことほど空しいことはない!



2018.02.25(Sun)
犬の遠吠えさえうつくしい影絵

昨日は、妙喜寺(西尾市江原町)にて、西尾川柳会主催の「風輪の会」(参加者40名)。
物故者の多い岡崎川柳研究社にとってこの数は、大健闘と言えるだろう。

「岡崎」を長年牽引してきた我が師・曾田規世児を昨秋亡くしてから7ヶ月。
曾田さんが西三河地区に開拓した川柳教室は、多い時期には10会場あったが、現在では6会場。

それぞれの教室が、独自の歩みを続けている中で、年に一度大同団結する。
その集合体が風輪の会である。西尾川柳会では12回目。

「風輪」とは、風の輪と書く。
岡崎の川柳誌「風」に寄り添う仲間の「輪」が、まさに風輪の会なのだ。

課題は、「梅」「鰻」「銀杏」の3題。
私は「鰻」の選を担当。

それぞれの天位を紹介する。


早春賦梅一輪のいのち詠む   都築典子

うな重の蓋のあたりにほーら春   山下吉宣

耐え抜いて故郷へ錦大銀杏   角谷実苗


風輪の会メンバー(住職も会員)



2018.02.18(Sun)
犬掻きのままで七合目が過ぎる

速報!たった今、小平奈緒がやってくれた。平昌五輪スピードスケートの女子500b。
オリンピック記録での金メダル。昨日のフィギュア男子・羽生結弦の金よりもうれしい。

大会の映像は後世に残るだろうからと、珍しくリアルタイムでテレビの前に!
日本選手団主将でもある小平のきりりとした滑り。感動をありがとう!


1週間前に届いた「川柳すずか」(鈴鹿川柳会・会報290号)を見ている。
今号では、「すずか路」前号鑑賞を担当した。

鑑賞文がどんなものか知らないままに書かせてもらっているが、これでいいのか、どうか?
選評とは違って、鑑賞は想いの振り幅が大きいものだろうから、見よう見まねでもいいか?

鑑賞文は↓


「すずか路」前号鑑賞  289号から

「二刀流」と言えば、当節ではプロ野球の大谷翔平選手を指すが、その昔、二刀流を標榜した川柳家がいた。右に大衆の剣を持ち、左に芸術の剣をかざした川上三太郎である。自戒を込めて三太郎の語録を二つ。「そこまでを句にするよりそこからを書くべきである」「句とは十七字にちぢめる事ではなく、十七字にふくらむ事である」。それでは、「すずか路」という大衆の剣を抜いてみよう。

想い出がだんだん妻とずれてくる   石崎 金矢

大海原へ出航する二艘の船を思い浮かべた。型も性能も操縦士の腕も違う船は、みるみる離れていく。まして方向も違う船。わずかな方位の違いが途方もない差となって表れる。かくして妻との共通の想い出は、違った景色に見えてくる。

祝う日も喪の日も酒は同じ色   竹内そのみ

今日のビールはやけに甘いし、いつもより輝いて見える。昨日のビールは最近では一番苦かったし、どんよりしていた。何が違うのか?「それはお前の心さ!」と誰かが囁く。心を縛る何かが、味も色も違ったものにさせているのだろう。

重箱がだんだん低くなる老後   福村まこと

重箱は四季を表わす四重が正式とされるが、庶民には手間も金もかかり、二重くらいで丁度よい。ましてや老夫婦だけの家庭なら一箱で充分。重箱は老後の生活の比喩。質素だが健全な暮らしぶりに満足している様子が窺われる。

日も月もみんないっしょに歳をとる   佐藤 千四

「歳月人を待たず」とか。この陶淵明の詩の一節は、「歳月は人を待ってはくれないから、嬉しいときは大いに喜び楽しもう。酒をたっぷり用意して、近所の仲間と酌み交わそう」の意。いつの時代にも粋な詩人はいるものだ。

天までも昇ってきたわマッサージ   寺田 香林

鈴鹿のホームページをご覧になっていない方には恐縮だが、たかこ会長の「ルンルン」が真っ先に聴こえた。「ピョン」から「ルンルン」へ!今年も期待値大。マッサージの心地よさはまさに天まで昇るほど。話し言葉がよく効いた一句。

スッピンが化けて電車を降りてゆく   瀬田 明子

同時作すべてが電車内で化粧する女性がモチーフ。「寝坊」に始まり、「降りてゆく」までの数十分の物語。「見ないフリ」とあるから、もちろん明子さんのことではないが、すっかり様変わりした車内風景に隔世の感を抱いたのだろう。

知らぬ間にゆっくりと効くいいくすり   澁谷さくら

即効性のある薬は概して副作用を伴う。反して、漢方など即効性のないものは副作用もなく、じわじわと効いてくる。薬のことを詠んでいるが、薬だけではあるまい。薬を人間に置き換えて読んでもよい。「ゆっくり」がこの句の趣旨だ。

嵐呼ぶ男に着火されました   神野 優子

映画「嵐を呼ぶ男」の封切りは1957年。優子さんはその後の生まれだから、裕次郎のドラマーを見たのはリバイバル上映か、それともカラオケか?封切りから六十年後の昨今、草食系ばかりが増えて、着火できる男が少なくなってきた。

笑われることにしっかり慣れておく   上村 夢香

加齢とは、笑われる材料の在庫を増やすことだろうか?話がくどくなったり、同じことを何度も聞いたり。足が遅くなったり、膝や腰が痛くなったり。でもそんなこと、ぜんぜん気にすることはない。なぜなら、誰もが通る道だから。

可愛いおとこ見ると振り向く癖がある   前田須美代

須美代さんはいったいいつまで色気があるのだろうか?そうか、若さを保つ秘訣はこの癖なのだ。同時作「そうでしたあれが別れのハグでした」も可愛いおとことのハグを彷彿とさせる。須美代さんにいつか着火されたし!

コーヒーも酒も砂漠を潤さぬ   坂倉 広美

「砂漠を潤さぬ」とは、重症。どんな悩み事があるのか?「砂漠」は自身の比喩だが、好きなコーヒーや酒を飲んでも鬱積は溜まる。同時作「死ぬ日までの修羅消しゴムで何度消す」とあるように、どうやら原因は胸に巣食う修羅のようだ。

一年分一晩喋り夜が明ける   勝田五百子

娘さんとの一年ぶりの再会だろう。遠く嫁いだ娘と母が布団を並べて夜が明けるまで語り合う光景は何物にも代え難い幸せなひとときだ。お孫さんは爺ちゃんの布団の中で、星のような寝息。新家完司さんのいかつい顔が浮かんだ。

サンタさんお茶を出すのでいらしてね   中川 知子

数多いクリスマスの句の中で一番面白いと感じた句。サンタが本当はいないことなど、小学校の高学年になればいやが上でも知らされるが、それでは夢がない。夢の続きが見たくて、メルヘンを追い求めるのは大人も同じ。

野球帽とるとやっぱり古稀の顔   吉崎 柳歩

化粧、髪型で別人のようになる女性と違って、男性はさほど変化しないものだが、スーツ姿の石橋芳山さんはまるで違った。野球帽姿の新家完司さんは青年に見えた。別人を作るアイテムは豊富。纏えばその日は違う人生を生きていける。



2018.02.11(Sun)
失ったものがバケツを深くする

三連休の中日は「俳句の会」である。
基礎も学ばずに、見よう見まねで書いているだけの俳句。

もっとも、川柳も同じで、基礎をみっちりやったわけではない。
「詠み」と「読み」の中で、自分らしいと思える川柳が形作られればいいが、そんなに甘くない。

参考書をもう一度読み返そうかと思うが、一杯飲りながら古典落語を聴いている方が楽しい。
机の上に並べると、参考書の重さは一貫目ほどありそう。

春になったらこれらを読んでみよう!
このやる気も、一時間も経たぬうちに萎んでいくのが情けない。

我が家の本箱に眠っているのは↓

「楽しく始める川柳」(山本克夫著 金園社)
「早分かり川柳作句Q&A」(三宅保州著 新葉館出版)
「川柳の理論と実践」(新家完司著 新葉館出版)
「だれでも楽しく詠める川柳入門 上達のコツ50」(杉山昌善監修 メイツ出版)

俳句の本はと言うと↓

「俳句とあそぶ法」(江國滋著 朝日新聞社)
「あなたも俳句名人」(鷹羽狩行 西宮舞共著 日本経済新聞社)
「1億人の季語入門」(長谷川櫂著 角川学芸ブックス)
「超辛口先生の赤ペン俳句教室」(夏井いつき著 朝日出版社)
「夏井いつきの超カンタン!俳句塾」(夏井いつき著 世界文化社)

さて、「俳句の会」での戦績は↓
「凩」は、初冬の季語だからこの時期としては少々遅い、との指摘あり!


凩のなかにときどき失くす耳 (2点)

夜食にはソース焼きそば春隣

春浅し小便小僧よく耐えた (2点)

旅かばん春の改札までわずか (4点 特選2)

六感が外れた春のせいだろう (2点 特選1)



2018.02.04(Sun)
人形のくせに正論ばかり言う

寒い寒いと言いながら、立春に到着。
ここからは三寒四温を繰り返し春になっていく。

春を待つ喜びのある季節は、たとえ殺風景でもよいものだ。
やがて梅が咲き、桜・桃へと続く一本の道である。

川柳マガジン3月号の合評原稿を書いている。
3月号は、新田川草(にったせんそう)の作品を俎上に載せての合評。

新田川草の名前は知らなかったが、プロフィールを見てびっくり。
宮城県にある「川柳杜人社」の初代主宰で、現代川柳の確立に尽力した柳人。

「杜人」と言えば、広瀬ちえみ、佐藤みさ子、加藤久子など歴戦のつわものを有する実力吟社。
その初代主宰とあれば、相当な人物に違いない。そしてその句は詩性を帯びている。

合評句は↓ どんな作品論が展開できるか?
毎月毎月、手ごわい相手が続く!


指人形指を離れてむくろなる

煙突へ昇れば空が遠くなり

花一つ萎れ空ろな喫茶店

大衆と呼んで己の影を踏み

命への執着トマトの赤胡瓜の青



2018.01.28(Sun)
からくりを指人形の指が解く

午後から家人と一緒に、刈谷市の市原稲荷神社の節分祭へ。
節分祭は、毎年立春の日の前の日曜日に開催される。

その年の厄年・還暦の人が「福男」「福女」となっての豆撒き神事。
境内では振る舞い、野菜市が開かれ、毎年参拝者で賑わう。

2時からの豆撒きに合わせるように雲が陽を隠し、小雪がちらつき出した。
寒さは、この冬の大寒波で慣らされていたから、さほどでもなかった。

豆撒きの後は、豚汁、汁粉、甘酒、餅の振る舞いへ。
流れが速いので、長い行列も苦にならず3時には神社を後に。

豆撒きの風景は、↓




金曜日、「月刊川柳マガジン」2月号が届いた。
今号は、特別十句詠として作品を載せていただいた。

「川柳マガジン文学賞」受賞の記念としての作品である。
11月の下旬には原稿をメール送信してあるので、あれから2ヶ月。

業務多忙の折の作品で、推敲不足の印象が強かったが、こんなものだろう。
川柳観の異なる人には奇異に映るかも知れないが、これも立派な川柳!


冒険

冬というガリヴァーのいる玩具箱

うずもれてゆく珈琲の缶ばかり

えんぴつの芯尖らせて冬の色

哀しい色だね夕日になってから

いちまいの底が邪魔して笑えない

控え目に生きひかえめに打つ柩

立ち泳ぎしながら改札を抜ける

水攻めにされた不夜城などいいね

遠い町とおいところで笑う声

冒険が好きでまだこの街にいる



2018.01.20(Sat)
青空を食べた日カレンダーに○

暖かな大寒の日だ。
昨年は大雪に見舞われたが、今年は一味違う。

冬はいつもこうであればと思うほど、空の青がきれい。
暖かさは、日々の生活に喜びと活力を与えていく。

今日は、家人とJA愛知中央の「農業まつり」へ。
碧海5市の各地区で行われるこの祭りも、碧南地区を最後に終わる。

朝9時半、碧南会場(碧南営農センター 碧南市港本町)に到着。
すでに100bほど続く列の最後尾に並ぶ。

目的は、農作物(ダイコン、ニンジン、カブ)の引換券をゲットするため。
待つこと30分、ようやく列が動き出す。

その後は、ニンジンジュースやヤーコン茶、ハーブ茶の試飲、焼き芋の試食等々。
新鮮な地元農畜産物や特産加工品もいくらか買って、バイバイ。

あおいパーク(碧南市江口町)にて、ダイコンとニンジンを受け取り、そのまま西尾市西幡豆へ。
今日のメイン・イベントは、「尊王 新春酒蔵開き」だ。

11時30分、会場到着。
数多の酒飲みが所狭しと会場を埋め尽くし、酒・肴でもう出来上がっている老若男女。

「三河鳥羽の火祭」「尊王 純米酒」「「奥 夢山水二割二部」「奥 夢山水十割 生酒」
「雫原酒 幻幻」「山崎醸 夢吟香」「DREAM生酒」等々・・・・

イカの姿焼きを肴に無料・有料試飲で2合ほど。昼の酒はこのくらいが丁度よい。
それにしても新酒はいささか辛いが、これも新酒の宿命。低温でしばらく熟成させると旨くなる。

甘口、辛口と一本ずつを土産として帰路に。
明日のきぬうら新春句会に一本持っていこう!



西幡豆の海



2018.01.14(Sun)
留守電に寒くないかと母の声

稗田川沿いを歩く。
明るい内の散歩は久し振りだ。

いつもは、オリオン座と冬の正三角形を眺めながらの散歩だが、今日は空が青い。
空に残るいくつかの飛行機雲の線はすべて、崩れながら淡くなっている。

午後4時半、後1時間もしないうちに日没を迎える。
この時間帯の散歩は、夕焼けというやさしさがあるから好きだ。

夕ぐれの時はよい時、
かぎりなくやさしいひと時。

うろ覚えの堀内大学の詩を思い出す。
少しずつ日が永くなっていくのは限りない喜びだ。

今日は、俳句の会。
メンバーは俳句のつわものたちだから、力作揃い。

俳句詠みの顔をしてメンバーの一員に納まっているが、句がすべて物語っている。
本日の一人一句。

熱燗をすすれば別の命燃ゆ  憲一

包装紙プチプチつぶす寒燈火  三千代

ゴージャスな管弦楽団恵方巻  たまゑ

いやな客帰ってちょろぎひとつまみ  典子

七種の粥は真似事絵空ごと  風子

トロ箱に競らるる雑魚や雪催  当卯

紙コップ風に転んで冬の葬  しょう子

今井町冬晴れ映す古ガラス  みな子

虎造聴く微睡み寝言三ケ日  隆雄

介護バス五分早めの四日かな  誠次

寅さんをまた観たくなり松の内  健司

二錠ほど春の光を飲んでゆく  比呂志



2018.01.07(Sun)
軽く生きよと風船の糸はなす

新しい年が明けて7日目、七草である。
本来、七草粥を食べる日とされているが、我が家にはとんと縁がない。

年末、年始で荒れた胃を整えるには、春の若菜はいいだろう。
今年は、生活習慣として七草粥に挑戦してみようか・・・・

昨日は、岡崎川柳研究社の新年句会。
いつもよりやや華やいだ雰囲気。

来月97歳になる澄女さんが秀句を連発。
いい句が詠めるというのは、心身ともに健康である証拠、見倣いたい。

犬掻きのままで七合目が過ぎる  「戌・犬」 秀句

教科書は捨てて首輪のない犬に  「戌・犬」 佳句

犬の遠吠えさえうつくしい影絵  「戌・犬」 秀句

初めてのお使い風がやわらかい  「初」

青空をときどき食べて生きている  「雑詠」 軸吟

さて、今年の抱負は見出しの句のように軽く生きること!
何物にも縛られずに、自由に、伸びやかに・・・・



赤い風船



2017.12.30(Sat)
消印の町 父がいて母がいて

午後、墓掃除を終えて帰宅、これで年末の大掃除がほぼ完了した。
事務所のカレンダーを来年のものに差し替え、しばし今年のカレンダーを捲る。

フロイデンベルク(ドイツ)を写した2月の画像が目を引く。
木組みのモノトーンの建物が雪景色の中に浮かび上がる。

この街の家々は17世紀そのままの姿を維持しているとか。
画像はこんな感じ↓



フロイデンベルク(ドイツ)


さて、今年の総仕上げ。この1年間で秀句をいただいた句を恒例により掲載。
見返すと、納得できる作品の少ないこと!



煩悩の深さで赤くなるトサカ

熱燗に小指を入れるときが好き

お手玉をするのに丁度いい宇宙

欠けているとこがやさしさなんだろう

さよならが滑らかに出る倦怠期

太陽は見えぬスマホという樹海

躓いたとこに貴方がいてくれた

革命を起こそう空が青すぎる

青空を入れて愉快な水たまり

銀紙にくるんで空を持ち帰る

二錠ほど春の光を飲んで行く

人間の秘密が見える指メガネ

かくれんぼするすき焼の葱の中

すき焼の葱の下にもあるチャンス

巣箱から巣箱へ春を編む小鳥

子が巣立つ切取り線の向こう側

軽トラにまだ青春が乗せてある

奔放な妻のかばんにガムテープ

生きてゆく天動説をまだ信じ

リズムよく生きたか川という流れ

定型を崩さぬ滝がやわらかい

一本の滝になるまで矢を放つ

実像をぶれた写真が語りだす

電池切れだろうか空が曇りだす

また負ける涙の準備しておこう

どん底も愉快にやろうパンの耳

母さんが走る革命かもしれぬ

母さんがいて冒険がまだできる

あおぞらは友だち天窓を開ける

やわらかな線上にいる鳩の群れ

まださがす青春という遺失物

生きてゆくため片隅に置く光

初心などとうに忘れた草の丈

息継ぎを習って人の波へゆく

逢える日の下絵小さな朱を入れる

青を描く遥かな人に逢うように

フルートの音色またたく間に少年

菜箸でつつくと逝ってしまう夏

美しい角度であすを跳ねてみる

褒められて男は沖へ舟を出す

白黒はあなた自身で決めなさい

車にもしっぽが欲しい車間距離

雑音が聴こえぬほどの哀を抱く

躓いてみんな大樹の下に来る

青春の傷あと草の実はやさし

地球儀を抱くこの青は汚すまい

しあわせを抱く力なら捨ててない

砂時計の砂と眠りに就いている

喧騒をはなれて風はかぜらしく

許そうと思う荒地でいることを

満たされて行方不明になる祈り

響くまで眠りの中にいるワイン

ソーダ水飲み干し海と響き合う

子を許す母はいつでも傘だろう

戦いを終えて銀杏の黄が落ちる

マフラーを巻くには早い青みかん

消印の町 父がいて母がいて

場内放送ボクが迷子にされている

軽く生きよと風船の糸はなす

留守電に寒くないかと母の声

青空を食べた日カレンダーに○

少子化の波がいちども返さない

からくりを指人形の指が解く

人形のくせに正論ばかり言う



2017.12.24(Sun)
ソーダ水飲み干し海と響き合う

イブの一日は、鈴鹿市白子のコンフォートホテルの目覚めからだ。
昨夜は、このホテルの一室で14名が押し合いへし合いしながら「封筒回し」。

「封筒回し」とは、川柳家たちの座興で、全員が選者と投句者を兼ねた句会。仕組みはこうだ。
全員に配られた封筒に、それぞれ自分で出題した課題を書き込み、それを右の人に回す。

課題の書かれた封筒が来たら、2句(1句でもいい)を作って句箋を封筒に入れて、右の人に回す。
最終的に自分が書いた課題の封筒が回ってきたら、全員の投句が済んだということ。

後は、それぞれの出題者が選句をして発表(披講)。各人が2句ずつ作れば、26句になるが、1句の人もいるから、投句数はそれぞれの課題に20句ほどか?

入選は、秀句(天・地・人)と平抜き3句。
私の出題は「欠ける」。入選句は下のとおり。

平抜き   欠けてない方がうれしいビスケット  竹里

  〃     また太るためにいったん欠ける月  久美子

  〃     わたくしが欠けるとつまらないこの世  柳歩

人の句   欠けている茶碗の口にある悪意  舞 

地の句   月欠けてわたしの恋が終わりそう  夢草

天の句   品格に欠けても勝ちにいく張り手  久美子

  軸     やさしさが僕の一番欠けたとこ  比呂志

昨日の昼は、鈴鹿川柳会の忘年句会。
夕刻(午後5時)から、忘年会 → カラオケ → 封筒回し と続いた次第。

封筒回しを終えてからは、初恋談義そして雑談。
終了したのは、午前1時を軽く超えていたか?

自宅着は、ジャスト10時。
それから延々午後5時まで仕事!今ようやく終えて、これから当番の風呂掃除。

イブの夜は、家族でささやかなパーティー。
オードブルと寿司とケーキが食卓に並ぶのは、恒例の風物詩!



2017.12.17(Sun)
響くまで眠りの中にいるワイン

今日は、川柳きぬうらクラブの月例句会。
毎月第4日曜のはずだが、12月と1月は第3日曜に変更。

朝、家人に頼まれた風呂掃除と買い物を済ませ、昼食の準備も終えて、句の最終チェック。
この段階でどうにかなるものではないが、昨夜一杯飲みながらの作句では心許ない。

ゆえに、推敲をするわけだが、自分で言うのも変だが、ぎりぎりの及第点。
というよりは、忘年会等での飲み過ぎが祟って、推敲意欲の低下が原因だ。

妻は、四日市まで一人でJRのさわやかウォーキング。
コースを覗いてみると、味噌・醤油蔵(伊勢蔵)に酒蔵(神楽酒造)。

「いいな、いいな」と思いながら、きぬうらの句会へ。
結果はまずまずだが、どうもピリッとしない。概してスパイスが足らない。

からくりを指人形の指が解く  「人形」  秀句

人形のくせに正論ばかり言う  「人形」 秀句

にんげんが好きな土人形の眉  「人形」

バラを買うだけでニュースになる男  「ニュース」 佳句

心ないニュースは木枯らしのせいか  「ニュース」

残酷なニュースも夕焼けがくるむ  「ニュース」

さて、遅くなりましたが、11月の川柳結果報告です。


岡崎川柳研究社本社句会(11/4)

響くまで眠りの中にいるワイン  「響く」 秀句

ソーダ水飲み干し海と響き合う  「響く」 秀句

傘のなか繰り返される明と暗  「傘」

子を許す母はいつでも傘だろう  「傘」 秀句

落下傘ボクらはみんな自由だね  「傘」 佳句

戦いを終えて銀杏の黄が落ちる  「雑詠」 秀句        

食卓のなかにさざめく海がある  「雑詠」


阿久比川柳大会(11/4)

自分とは何か答えは出せぬまま  「自分」

供養などしてはもらえぬ足の裏  「供養」 軸吟

こんにゃくか豆腐か迷う針供養  「供養」

リセットをするかふれあいにも厭きた  「ふれあい」

ふれあうと命はにっこりと笑う  「ふれあい」


鈴鹿ネット句会(11/16発表)

マフラーを巻くには早い青みかん  「みかん」 秀句

蜜柑しかなかった頃の黄の温み


刈谷文協川柳大会(11/18)

極上の皮肉はマグニチュード8  「皮肉」

冬銀河殺し文句が冴えてくる  「殺し文句」

手土産を殺し文句にするリボン  「殺し文句」

見た目には逞しかった砂の城  「ほろ苦い」


きぬうら句会(11/19)

俺の番だと十一月のカレンダー  「カレンダー」

青空を食べた日カレンダーに○  「カレンダー」 秀句

十二月ひと皮むけたカレンダー  「カレンダー」 佳句

封印を解くとてっぽうみずになる  「破壊」


川柳塔ネット句会(11/21発表)

にんげんという坂道の七合目  「だんだん」


鈴鹿川柳会句会(11/25)


ごみ袋あさるカラスもボクの影  「あさる」

吉野家の牛丼あさるように食う  「あさる」

ブラックな企業を壺に閉じ込めよ  「壺」

夕焼けを入れて熟睡できぬ壺  「壺」

道草をたっぷりとして来いよ冬  「自由吟」

自転車のサドルを下げる冬の風  「自由吟」

四捨五入すると堤防らしきもの  「堤防」 誌上互選



2017.12.10(Sun)
満たされて行方不明になる祈り

月一の俳句句会だ。
俳句というものが分からぬままに続けているのは、心許ない限り。

一から俳句というものを繙きたいが時間がない。
見よう見真似、これが俳句に対する現在地だ。

とりあえず、いつもどおり五句を投句(↓)。
俳句の体を成しているのか、それすら分からない。


ユーモアの降ってきそうな冬隣

オルガンの音色に合わせ冬支度

徳利を振るとガサゴソ冬の音

ブランコも冬で小さな息をする

えんぴつの芯尖らせて冬の色


「ユーモア」と「徳利」の句がそれぞれ1人ずつ特選に選ばれた。
「えんぴつ」の句は総合点2点。

句会終了後に忘年会、これがよかった。
メンバーの素顔がしだいに見えてくる。

もう少し酒がまわると、もっと違った貌になるだろうが、時間切れ。
宴会の最中にミニ句会。「皿」「醤油」のお題で一句を作り投票で順位付け。参加者9名。


しょうゆ皿木枯らし少しずつ溜める


私の句が見事、一位を獲得。
何が良かったのか、さっぱり分からぬ!

帰り、名鉄三河線の小垣江、吉浜間で事故があり、復旧作業完了までは1時間ほどの見込み。
仕方なく7`の道のりを徒歩にて帰宅。

木枯らしに吹かれながら、最後は木枯らしになっていた!



木枯らし吹く日



2017.12.09(Sat)
許そうと思う荒地でいることを

師走に入り、慌ただしい日々が続いている。
仕事量もさることながら、気が急く分、落ち着きを失いがちだ。

午後9時、南東の空にオリオンの星たちと冬の正三角形。
シリウスが煌々と光を放ち、その存在を告げる。

夜の散歩を終え、いつもなら温まっている身体だが、冬の冷気が纏わりついて硬直状態。
昨日今日と寒さはうなぎ登りに上がり、まるで真冬のようだ。


川柳マガジン12月号を繰っている。
今号は、第15回川柳マガジン文学賞表彰号でもある。

先月号の誌上で準賞に選ばれたのを受けて、今号は誌上での表彰式。
喜びのことばと顔写真とで1ページ、これは自分史の1ページでもある。

文学賞と前後して、先月号から「近代川柳作家作品合評」の合評者を受け持つことになった。
6人の合評者が、作品論を展開するコーナーである。

11月号は「時実新子作品合評」。
以下は、作品と鑑賞文である。


君は日の子われは月の子顔上げよ

傷痍軍人の夫へ十代で嫁ぎ、夫から暴力を受け続けた新子の暗く悲しい半生。
自らを「月の子」と呼ぶのは、壮絶な日々が身体に染みついた故だろう。
「月の子」に対する「日の子」は無論、夫ではない憧れの君だ。
好きな男に身を尽しこれからを生きようと言うのだろう。
「顔上げよ」は、他ならぬ自身への応援歌である。


恋成れり四時には四時の汽車が出る

昼とも夕ともつかぬ中途半端な時刻に落ちているのは、全うな恋ではなく、許されぬ恋だ。
ところで、一日を眺めていると夕暮れに近づくほど太陽の光は弱まっていくが、夕暮れが近づいてくる一瞬、光が強くなる。時が後戻りするのだ。いつしか恋を忘れた女が、許されぬ恋に奔るのも午後四時という妖しい時間帯だからである。


妻を殺してゆらりゆらりと訪ね来よ

何とも怖い句である。もっとも、人殺しを奨励する句ではあるまいが、許されぬ恋を全うしようとする女の心の襞には「男よ、妻を殺して私のもとに来い」との願いが棲みついているのだろう。
「ゆらりゆらり」がその怖さを加速させている。
許されぬ恋の中で、女は男の覚悟を試しているのである。



いちめんの椿の中に椿落つ

春の一風景を切り取り心象を詠んだ句。
「椿」から連想されるのは赤。それは血の色だ。
そして、一枚ずつ花弁を散らす山茶花とは違い、椿の花は房ごと落下する。
それは自死する武士か、あるいは遊女に身を窶して死んだ女か。
ここにもまた生きる屍が晒される。
生きることの辛さ、切なさを詠んだ句であると解釈する。


墓の下の男の下に眠りたや

死ねばたいていの人は骨になって墓の下に眠る。
そこに愛した男がいるのなら、全うな愛だったことになる。
許されぬ愛だったのなら男はいない。
女の求めていたのは、全うな愛ではなかったか。その象徴としての「墓」。
死後を想うとき、ごくありふれたしあわせを羨望する眼差しだけがそこにある。



2017.11.26(Sun)
喧騒をはなれて風はかぜらしく

昨日は、 毎年恒例の家族だけの京都日帰り旅行。
京都と決めているわけではないが、やっぱり晩秋は京都だ。

今年はどんな顔をしているか、丸い顔か、尖った顔か・・・・
はたまた四角い顔に出合えるかもしれない、楽しみだ。

8時43分名古屋発のぞみ。自由席の乗車率は150lほどか?
3人に1人が座れない計算、我が家族は飛び込み乗車のため、無論座れない。

新幹線京都駅からはJR線で嵯峨嵐山駅まで。
これまでは阪急線で嵐山駅まで行っていたので、いささか趣が違う。

他の観光客の流れに身を任せて歩いていくと、ほどなく天龍寺前に。
渡月橋から続くメイン・ロードはうねりを上げるほどの人の波だ。

嵯峨・嵐山の旅は、やはり渡月橋を見なくては始まらない。
そんな思いで渡月橋まで歩くが、この数十メートルが進まない。

やっと渡月橋に着いた時には、少々うんざり。
人の波に飲み込まれ、溺れかかったかのようだ。

 
渡月橋 → 天龍寺 → 常寂光寺 → 二尊院 → 清凉寺(嵯峨釈迦堂) → 大覚寺

と歩を進めた。大河内山荘、化野念仏寺、愛宕念仏寺にも行きたかったが、時間切れ。
感慨深かった「常寂光寺」と「二尊院」を少し紹介(画像だけ)。

【常寂光寺】



【二尊院】


帰路は、黄昏の渡月橋を渡り、阪急線の嵐山駅から桂駅を経由して烏丸駅まで。
地下鉄に乗り換え、京都駅へ、そして夕食と買い物。

三男は、竹馬の友が住む京都御所近くのアパートへ直行のため、ここでバイバイ。
明日から、サイクリングで「しまなみ海道」を走破するとか。

名古屋駅着は20時29分。ここで名古屋市に住む長女とバイバイ。
JR線東海道線で刈谷駅まで、そしてマイカーにて我が家へ。

さて、今年の京都の顔は、ちょっと三角、ちょっと四角!
顔が貌になっていたかもしれない・・・・



2017.11.19(Sun)
砂時計の砂と眠りに就いている

11月の折り返しを過ぎるころから寒くなってきた。
まだ身体が寒さに付いていけず、肩や手足に力が入る。

昨日は雨の土曜日で、そぼ降る中を刈谷市文化祭川柳大会へ。
今年最後の大会は、想定内の結果。

期待が大きいと落胆も大きいから、こんなところがいいのだろう。
それよりも柳友との再会がいい。

話しはできなくても、顔を見るだけで心が和む。
「がんばっているな」と思うだけで、胸の奥底まで満たされる。


極上の皮肉はマグニチュード8  「皮肉」

冬銀河殺し文句が冴えてくる  「殺し文句」

手土産を殺し文句にするリボン  「殺し文句」

見た目には逞しかった砂の城  「ほろ苦い」


今日は、「川柳きぬうらクラブ」の句会日。
朝は雲と青空が半々の空模様だったが、午後からは怪しい雲行き。

ときおり小雨がぱらついたりしたが、何とか持ってくれた。


俺の番だと十一月のカレンダー  「カレンダー」

青空を食べた日カレンダーに○  「カレンダー」 秀句

十二月ひと皮むけたカレンダー  「カレンダー」 佳句

封印を解くとてっぽうみずになる  「破壊」



さて、遅くなりましたが、10月の川柳結果報告です。


岡崎川柳研究社本社句会(10/7)

天高しさみしい人の行くポスト  「集まる」

躓いてみんな大樹の下に来る  「集まる」 秀句

青春の傷あと草の実はやさし  「抱く」 秀句

地球儀を抱くこの青は汚すまい  「抱く」 秀句

しあわせを抱く力なら捨ててない  「抱く」 秀句

永遠はないのに風が吹き止まぬ  「雑詠」

砂時計の砂と眠りに就いている  「雑詠」 秀句

喧騒をはなれて風はかぜらしく  「雑詠」 秀句

青信号だから青春つっぱしる  「信号」 軸吟


豊橋文化祭川柳大会(10/9)

眠られぬ夜も歓迎します 恋  「どうぞ」 軸吟

光陰という矢を誰が放つのか  「誰」


鈴鹿ネット句会(10/17発表)

書斎では決して読まぬマンガ本  「読む」 

左遷され夕日の丘で読む聖書  「読む」


川柳塔ネット句会(10/22発表)

貧しさはみんな背中が寒いから  「貧しい」

青空の孤独が何となく分かる  「貧しい」 佳吟


きぬうら句会(10/22)

消印の町 父がいて母がいて  課題吟 「持つ」 秀句

菜箸でつつく気取りのない文化  課題吟 「俗」

孤高にはなれない笊そばを啜る  課題吟 「俗」

場内放送ボクが迷子にされている  「放送」 秀句

再放送が始まる空はいわし雲  「放送」

軽く生きよと風船の糸はなす  「上」 秀句

薀蓄を聴く長雨を見るように  「上」 佳句

神棚で発火しそうになる野心  「上」


みえDE川柳(10/27発表

徒競走しているような秋の雲  「スポーツ」


鈴鹿川柳会句会(10/28)


シーソーの片側にほろ苦い過去  「苦い」

丁寧に洗う普通でない足を  「普通」

普通ではいけない鉄人の料理  「普通」

石鹸でこすると新しいわたし  「自由吟」

エラ呼吸しているボクの進化論  「自由吟」

旅先で聖書を読んだことがない  「読む」 誌上互選


亀山市民川柳大会(10/29)

満たされて行方不明になる祈り  「祈る」 秀句

恋文を祈りのなかで書いている  「祈る」

髭を剃るまではながーい逃亡者  「逃げる・逃がす」

秋蝶のあおぞらまでの長い距離  「しっかり」

二度塗りをして美しくする記憶  「しっかり」



2017.11.12(Sun)
しあわせを抱く力なら捨ててない

昨日は、「春日の森 市民俳句・短歌・川柳の集い」。
今年から場所を「高浜市やきものの里 かわら美術館」ホールに移した。

高浜市文化協会のメイン・イベントの一つだが、このところ参加者は低調気味。
総投稿者2,837人、総投稿数7,548作品だが、そのほとんどが学生。

一般参加が毎年減っている。
高齢化の波がここでも押し寄せていると言ったところか?

ここ数年、表彰式の進行と作品の披講を担当しているが、こなすだけの催しになっている。
開催の趣旨はどこにあるのか?何を狙いにしているのか?

疑問符ばかりが頭を掠めるが、学生の作品は捨てたものではない。
特に高校生の短歌は大好きだ。


暗闇に大きな音で照らされた君の瞳に輝く花火   加藤あずさ

ねむたいの?ねそうな猫に問いかけた私も猫になれる気がした   杉野彩音

池の中水面うつる空のかお虹も出てたら一日いい日   毛利優月

「またあした」いつもかわすひとことが「またいつか」に変わる春の日   坂野虹歩


川柳の分野では、今日、奈良県で国民文化祭が開催されている。
出席は叶わなかったが、今頃は懇親会場の熱気は最高潮だろう。

「日本のはじまり橿原市へ、いざ川柳の祭典」
「川柳を愛する人々が集結!日本国はじまりの地「橿原」から川柳の魅力を発信!」

柳友が肩を組んでいる姿は想像に難くない。
去年の犬山の時と同じように!



2017.11.05(Sun)
地球儀を抱くこの青は汚すまい

夕刻、稗田川の川沿いを散策。寒い・・・・
寒いはずだ、空気は11月の風を孕んでいる。

もう11月か!今年もこのまま何もなさずに終わっていくのだろうか?
そんなことを毎年言っているような気がする。

昨日は、阿久比(あぐい)川柳大会。
知多半島のちょうど真ん中にあるのが知多郡阿久比町。

半島の真ん中にあるためか、知多半島では阿久比町だけが唯一海岸線を持っていない。
人口は2万9千人ほど。どこを見渡しても長閑な平野が横たわる。

毎年、ここの大会は阿久比米である「れんげちゃん」500gが参加賞として配られる。
今年は選者としての参加であったため、もう一つ日本酒が付いた。

阿久比町にある蔵元・丸一酒造の銘酒「ほしいずみ 辛口純米酒」だ。
若き名杜氏が醸し出す味わい深い酒である。

今日は、高浜川柳会の句会日。
会員のほとんどが連荘だったため、少々疲れ気味。

それはそうだ。句を詠むという作業は体力を使う。
ゆえに、川柳筋を日頃から鍛えておく必要があるのだ。


川柳マガジン11月号が届いた。
今月号は、第15回川柳マガジン文学賞の発表号である。

「後世に残る名句の誕生」と「次世代を担う作家の発掘」を目的としたこの文学賞は、日本一ハイレベルな川柳賞と言われるだけあって、格調がすこぶる高い。一作品は10句。

文学賞の大賞には、正賞として賞状・楯。そして、副賞として川柳句集が刊行される。
大賞を目指してどれだけの川柳作家が競っている事か!

前置きが長くなったが、な、何と、私が文学賞の準賞に輝いた。
大賞は逃がしたが、大賞と比べても遜色がない(自分で言ってどうする!)。

これは奇蹟に近い。夢、幻ではないか!と頬を抓って見る。
夢ではなさそうだ!


「いち抜けて」

地球儀を回す知らない町へ出る

吊革を掴むいのちという時間

さみしさから逃れ風船が割れる

誰一人乗らぬ夕焼け行きのバス

青春がまだハンガーにぶら下がる

大空へ飛ばす孤高というボール

水鉄砲たったひとつの空を撃つ

廃線という夕焼けを追っている

消印のまだ柔らかいふくらはぎ

いち抜けてこの世の天窓を開ける



夕暮れの廃線駅



2017.10.29(Sun)
青春の傷あと草の実はやさし

先週に続いて、またもや台風(22号)の襲来。
しかし、富士山に初冠雪があったので、上陸の可能性は薄いとか。

ともかく、今日は「亀山市民川柳大会」である。
主催者はよくぞ大会開催を決断してくれた。

亀山という異郷の地へ一年ぶり、いざ出陣である!
朝、8時過ぎ出発、開催場所の亀山文化会館到着は11時過ぎであった。

雨はさほどでもない、風はさすがに台風だけのことはある。
木々を揺らし、トタン屋根を鳴らし、傘を反り返らせる風、風、風。

風雨が暴れる前に、大会結果を報告!


満たされて行方不明になる祈り  「祈る」 秀句

恋文を祈りのなかで書いている  「祈る」

髭を剃るまではながーい逃亡者  「逃げる・逃がす」

秋蝶のあおぞらまでの長い距離  「しっかり」

二度塗りをして美しくする記憶  「しっかり」


秀句のおかげで「芸術文化協会会長賞」をゲット!出来過ぎ!
遠路はるばる、亀山の地へ行った甲斐があった。

次の土曜日は「阿久比川柳大会」で選者を務めることになっている。
何はともあれ、句作り、句作りである。



2017.10.24(Tue)
躓いてみんな大樹の下に来る

週末は、秋の長雨に加えて台風21号の襲来。
昨日の午前中まで強い風を残したが、午後からは穏やかな秋晴れを復活させた。

台風より、衆議院選挙の方が興味深いが、選挙の悲喜こもごもはいつも味わい深い。
話題の政党に思ったほど票が集まらず、話題の選挙区では思いも掛けぬ人が当(落)選。

希望の党が光より速いスピードで失速する様は、いい教訓になる。
裸の王様となった小池代表は、セーヌ川の畔で何を考えただろう?

健闘したのが、枝野代表率いる立憲民主党。
「排除の理論」に屈せずに勝ち取った議席は、数以上に意味があるように思う。

しかし、いずれもこれからが大切。初心を忘れずにやることだ。
さて、今から高浜市文化協会の理事会。来月の「文協祭」や「春日の森」など議題は満載!



討ち入りのように集まる秋の雲



2017.10.15(Sun)
白黒はあなた自身で決めなさい

秋の長雨の季節が到来した。
一雨ごとに寒くなるのは少しばかり辛い。

今を盛りの金木犀が、この雨で黄金色の十字の花を散らせてしまうだろう。
こちらは少しさびしい。

昨日は、高浜川柳会の句会日。
このひと月のあいだに、三つの大会と我が師・曾田規世児の死。

死は誰にでも来るが、やっぱり無念さを抱いてみんな死んでいくのだろう。
喜んで死んでいく人はいない。それが人間の共通点だ。

今日は、俳句の会(ペンキ句会)。
四句が入選(↓)、素人としては上出来だった。

秋高し希望の党と言われても

討ち入りのように集まる秋の雲

蟋蟀を放ち地球はしずかなり

ちっぽけな男を揺する秋祭


さて、先月の川柳結果報告です。


展望ネット句会(9/1発表)

待ち人がいるから目立つ時計台  「目立つ」 10点


岡崎川柳研究社本社句会(9/2)

倖せのかたちで縺れ合っている  「縺れる」

ベーゴマの渦またたく間に少年  「渦」 佳句

地下鉄の渦に抱かれている独り  「渦」

許そうか渦が小さくなっている   「渦」

十二色ないから秋が描けない  「雑詠」 佳句

菜箸でつつくと逝ってしまう夏  「雑詠」 秀句

靴下の穴よ夕陽を見せてやる  「靴」  軸吟


中部地区川柳大会(9/10)

美しい角度であすを跳ねてみる  「跳ねる」 秀句

十二色ならべて秋よ跳ねてみろ

てのひらで踊るかっぽれなど踊る  「和」 佳句


川柳塔ネット句会(9/23発表)

伸び代がボクを誘惑してくれる  「伸びる」

伸びてゆく破竹は宇宙だと思う  「伸びる」


川柳忌・みたままつり句会(9/23)

感謝する心へ積木くずれない  「感謝」

褒められて男は沖へ舟を出す  「褒める」 秀句

凡庸を褒められている風の中  「褒める」

あきらめの悪いおとこの冷奴  「和食」

肉じゃがの大きい方が私です  「和食」

さよならが残る九月の駅にいて  「献句」


鈴鹿川柳会句会(9/23)


栓抜きがない宅配で取り寄せる  「宅配」 誌上互選

惑星のようにも見える鼻の穴  「鼻」

鼻歌はスマップ何があろうとも  「鼻」

真直ぐに生きると嫌なことばかり  「嫌い」

嫌いならサンドバックになってやる  「嫌い」

唇の薄くなるまで投げキッス  「自由吟」

水枕してうつくしい夢を見る  「自由吟」


きぬうら句会(9/24)

鉢巻を締め炎天のアスファルト  課題吟 「巻く」 佳句

平成の次もしばらくネジを巻く  課題吟 「巻く」

単線の電車はきっとマイペース  課題吟 「単」

生きる意味問うて般若の面かぶる  「吟行吟」

ツユクサの青余生にはまだ遠く  「吟行吟」 佳句

夢いっぱい詰めて圧力鍋の湯気  「圧力」

白黒はあなた自身で決めなさい  「圧力」 秀句

お百度を踏み神さまを困らせる  「圧力」 佳句

完ぺきな男のしっぽ踏んでやる  「尾」

車にもしっぽが欲しい車間距離  「尾」 秀句


みえDE川柳(9/29発表

ちっぽけな男を揺する秋祭り  「祭」


2017.10.08(Sun)
褒められて男は沖へ舟を出す

秋祭りが各地で盛りを見せている。
我が隣町の半田市では、「はんだ山車まつり」が壮大に繰り広げられている。

豪華絢爛な山車31輌が勢揃い。
5年に一度、半田市が熱気で湧き返る瞬間である。



半田山車祭り


そんな光景を尻目に我が家族は、碧南市東山地区のお祭りへ。
ここでは毎年恒例の餅投げがメイン・イベントだ。

ビニール袋に包まれた一口サイズの餅に、手作りの商品券というか当たり券が入っている。
ここの良さは、ハズレ券がないこと。餅一つに、最低でもティッシュペーパー一箱が当たる。

我が家などは、これで1年分のティッシュが確保できるほどである。
戦績は、ティッシュ25箱、インスタントラーメン8個、ラムネ缶6本、白だし2本他、思い出せない・・・・

祭りでは、ちょっとしたエピソード。
な、何と川柳会の重鎮・三重県の橋本征一路(はしもとせいいちろ)さんにお会いした。

伊勢の半平屋のおやじがなぜここに!と思ったが、偶然とはこんなものだろう。
あの含蓄のあるあっけらかんとした川柳ととぼけたような披講を思い出した。

が、よくよく見ると他人の空似か?
真相はわからぬまま通り過ぎたが、やっぱり征一路さんであるはずはないな!

ということで、お詫びに征一路さんの句を紹介。
明日は、豊橋文化祭川柳大会の選者。暑い日になりそうである。


人の死とたしかを競う茄子の花

姉は鋏でいもうと指でちぎる封

落としたら割れるたまごを持たされる

夫婦別姓どちらの庭の桜の木

メーカー希望小売り価格で嫁に行く
                                   (三省堂現代川柳鑑賞事典から)



2017.10.02(Mon)
美しい角度であすを跳ねてみる

九月が終わった。残暑らしい残暑のない九月だった、というのが実感だ。
このまま本物(?)の秋へ突入していくのだろうか?

昨日は、次男坊の会社の運動会(フェスティバル)。
親会社の創立を記念してのグループ全体の行事だ。

グループの社員と家族、数千人が「やわらぎ森のスタジアム」(豊田市西広瀬町)に集結した。
次男坊は新入社員なので、その家族はゲストとして歓迎された。

幹事会社の手際の良い進行で、三時間ほどの開催日程は無事終了。
帰路には、「菊石」の銘柄で知られる酒蔵元「浦野酒造」に立ち寄った。

日曜は休業日だが、外で遊んでいた蔵の子供が家人を呼んで、売店を開けてもらった。
「菊石 ひやおろし 本醸造」一本を購入して、家路についた。

「ひやおろし」とは、春に火入れ(低温加熱処理)した後、低温保存して、秋口になってほどよい熟成状態で生詰めしたもの。

その熟成されたやわらかな旨味は、堪らない。
晩酌が進んだのは言うまでもない(いつもそうですが・・・)!



2017.09.24(Sun)
逢える日の下絵小さな朱を入れる

稗田川の河川敷の彼岸花が満開となった。
対岸から見ると赤と白と金色の花が無造作に並んでいる。

と言って、それは一つの法則性を帯びているようで、とても美しい。
晩秋の紅葉が、蔦・楓・七竈(ななかまど)・櫨(はぜ)を配して一枚の絵を構成しているように。

昨日は、愛知川柳作家協会主催の「川柳忌・みたままつり句会」。
参加者は245名(出席者167名、欠席投句者78名)と過去最高(?)だった。

この一年の物故者のみたまを祭り、しめやかに進められた句会。
無論、「大会」の規模ではあるが、黙祷を捧げるのがこの会の一番の目的だ。

物故者の中には、私の師である曾田規世児もいた。
九月九日に亡くなった“ホヤホヤ”の物故者である。 私の献句は


さよならが残る九月の駅にいて


人との別れは、やはり駅が一番絵になるだろう。
いずれかが旅立ち、もう一方がホームに残る。

別れた後にも駅のホームには「さよなら」が残っている。
さよならは、いつまでも胸にしまっておきたい置き土産である。


感謝する心へ積木くずれない  「感謝」 

褒められて男は沖へ舟を出す  「褒める」 秀句

凡庸を褒められている風の中  「褒める」

あきらめの悪いおとこの冷奴  「和食」

肉じゃがの大きい方が私です  「和食」



今日は、川柳きぬうらクラブの「吟行会」。
年に一度の催しで、吟行場所は、「住吉神社と赤レンガ周辺」。

少年が知らない街を探索するように、足取りは軽く、好奇心はいっぱい。
見慣れた風景が、今日は違う景色に感じられてとても新鮮だ。

ほぼ一時間の吟行を終え、句会会場は「住吉福祉文化会館」。
さて、互選研究そして吟行句と課題句の披講が始まる・・・・


生きる意味問うて般若の面かぶる  「吟行吟」

ツユクサの青余生にはまだ遠く  「吟行吟」 佳句

夢いっぱい詰めて圧力鍋の湯気  「圧力」

白黒はあなた自身で決めなさい  「圧力」 秀句

お百度を踏み神さまを困らせる  「圧力」 佳句

完ぺきな男のしっぽ踏んでやる  「尾」

車にもしっぽが欲しい車間距離  「尾」 秀句



2017.09.17(Sun)
フルートの音色またたく間に少年

九月も半ばとなり、銀杏(ギンナン)の季節到来。
ということで、今日は安城市和泉地区の八剣神社まで。

ここの銀杏(イチョウ)の木は小ぶりだが、良い実をつける。
家人によると、どのイチョウの木よりも実が大きく、剥きやすいとか。

今年の出来はどうだろうか?まだ落下には至ってないのでは?
という心配もなんのその、八剣神社のイチョウは人を裏切らない。

家人と一袋ずつ持参したビニール袋は、ものの十分ほどで一杯。
神さまに少し賽銭をはずんで、今しがた帰宅。

さて、ギンナンの香しい匂いが我が家に立ち込めるのはもうすぐ。
これもまた秋の風物詩である。


先月の川柳結果報告です。イマイチから抜け出せない・・・・


展望ネット句会(8/1発表)

俯いていては見えない時計台  「台」


岡崎川柳研究社本社句会(8/5)

逢える日の下絵小さな朱を入れる  「わくわく」 秀句

青を描く遥かな人に逢うように  「わくわく」 佳句

ハイボール飲めばこの世は宝島  「宝」

色のない風を宝にして生きる  「宝」 佳句

父母とおんなじ薬飲む日暮れ  「雑詠」 佳句

戦いがすんであいつと肩を組む  「雑詠」 佳句

八月の風をあつめる帽子店  「帽子」 軸吟


咲くやこの花賞(8/8発表)

梅雨さなか指名手配の空の青  「逃げる」 軸吟


鈴鹿ネット句会(8/17発表)

忍者にはなれそう壁を這うゴーヤ  「壁」


川柳塔ネット句会(8/23発表)

ツユクサの青やあやあと肩を抱く  「草」


鈴鹿川柳会句会(8/26)


競艇と酒と誠実さが取り柄  「ボート」 誌上互選

生きている実感三時にはおやつ  「午後」

逃避行するにはユメのない真昼  「午後」

太陽は真上たたかう貌になる  「午後」

僕のユメ伝えるためにある銀河  「伝える・伝わる」


きぬうら句会(8/27)

チャルメラの半音高くなって秋  「笛」 佳句

フルートの音色またたく間に少年  「笛」 秀句

懐手してみる武士になりたくて  「武士」 佳句

武士道がころころ笑いながらゆく  「武士」

「七人の侍」もう誰も生きてない



2017.09.10(Sun)
菜箸で突くと逝ってしまう夏

九月も三分の一が過ぎた。
秋の風が頬に心地のよい季節となった。

このまま秋日和といかないまでも、暑さの峠は確実に越えたのだろう。
稗田川の堤には、金色の彼岸花が花を付け始めた。

昨日は、高浜川柳会の句会日。句会後に納涼会という名の懇親会。
好きな川柳を語り、好きな杯を傾けるというのは喜ばしいことだ。

懇親会では、各人一句ずつ「渾身の句」を持ち寄り、その句の「真意」を披歴し合った。
句にはそれぞれ背景があり、それを語ることは「詠み」と「読み」の鍛錬になる。

肩の力を抜いて、自らの川柳を探っていくことで、思わぬ発見が得られるものだ。
深層心理というか、意識の外に漂うものが、仲間の何気ない言葉から腹に落とされる瞬間。

しみじみ酒を酌み交わしながら、川柳の良さを味わった懇親会であった。
私の一句は

 小さい秋どんな袋に入れようか

五年前の長野県の大会で秀句を得た句である。題は「袋」。
選者だった浅利猪一郎さんとはその時から交流を持つこととなった。

今日は、中部地区川柳大会(中日川柳会主催)。
私の句はすべてイマイチだったが、それでも一句が秀句に採られた。

 美しい角度であすを跳ねてみる

題は「跳ねる」。「美しい角度」とはどんなものか?日が短くなって、影が長くなってくる落日。
美しい角度で、鳥たちは遠い旅路に出るのだろうか?

大会では、隣の席に座らせてもらった豊橋番傘川柳会のYさんとお話しができた。
全日本川柳協会賞を貰ったことよりも遥かにうれしいことだった。


秋の風景



2017.09.03(Sun)
酒場放浪記

吉田類(よしだるい)の「酒場放浪記」がいい味である。ご存知、BSーTBSの月曜夜の人気番組。
「酒場という聖地へ酒を求め、肴を求めさまよう・・・」という冒頭のナレーションからしてグッとくる。

遊びの世界でしか味わえない快楽を目に見えぬ天糸蚕で手繰り寄せるときのトキメキとでも言おうか、やや時代がかったけだるさの中でふつふつと湧き上がってくるもの。モノトーンだが、人の心を擽る妖しいひと時だ。


私の家では、BSは見られないので、もっぱらインターネットの動画で見る。
リアルタイムから遅れて数日だが、一向に構わない。

お洒落とはとても言えない下町の酒場がとてもやさしい。
そこで酌む酒と肴の数々。


吉田さんは、酒場の紹介を上から目線ではなく、ただの客として自然体でとてもおいしそうに飲む。
そして、店主や女将や他の客とのふれあいと会話。

吉田さんがほろ酔いになって店を出る頃には、私もしっかり酔っている。
人間と酒場との絆がとても強く映し出されている好番組である。



ここは、熊野駅前「かわかみ」(東京都荒川区東尾久)。
日暮里・舎人ライナー線と都電荒川線とが交差したすぐのところに提灯が下がる。

西日を遮るように店へ入っていくと、人懐っこそうな主人と面倒見の良さそうな女将。もつ焼きの屋台を引いていた主人と実家がお好み・もんじゃ焼きの女将がこの地に店を構えて三十三年。屋台時代から続くタレを使った焼き鳥が人気の店だ。


まずは生ビールをグビッ。通しは「芋がら」。干した里芋の茎と細かく刻んだ油揚げを甘辛く煮つけたもの。茨城が故郷という主人の地元から取り寄せたものだ。

「牛串」と「とん串」が次に来る。皿は、かつて由美かおる似だった女将手製のもの。
肉の甘さが口中に沁みてきたところを生ビールで流し込む。これが堪らない。


二杯目は「紫蘇サワー」。常連が飲んでいたトロピカルな色彩に目が留まり、さっそくその爽やかさをいただく。口中がさっぱりしたところを今度は、「レバ」と「とりかわ」。

タレの馴染み具合が半端ではない。「周りに笑われるくらい鳥皮を食べ続けている」と常連客が話すほど、創業以来の変わらぬ味は客を惹きつけて止まない。

ここで、サワーから日本酒「万葉飛鳥」(奈良・生駒)へ。ぐい飲みも女将手製のもの。
コクとキレを併せ持つ奥深い酒は奈良酒の特徴だろうか。

次の一品は、旨い日本酒には定番の鮪の「なかおち」。これぞ下町の贅沢である。
なかおちを一切れ、万葉飛鳥をぐい飲みで一杯。これを繰り返すこと数度。そして「げそバター」へ。


料理が出来るまでの数分が常連客との挨拶時間だ。
氏素性の分からぬ同士が、家族を、仕事を、人生を語る。

利害関係のない分、そこに脚色の入り込む余地はない。たとえあったとしても一向に構わない。
酒を仲立ちにした愛しい者たちとの会話は何より楽しい。


奥の座敷には、常連客の娘が被写体となったカレンダー。
娘は歌手ということだ。

「ありがとうの笑顔も ごめんなさいの涙も あなたがあなたでいるために きっと大切なこと」
の文字が表紙には刻まれている。この景色もまた下町の人間模様である。

げそバターはどこか懐かしい味付け。
自分でもできるのではないか、料理してみようかと思うが、これができない。

酒呑みを虜にさせた三十有余年の歳月は、素人を寄せ付けぬ大きな砦となって客の前にあるのだろう。「この味は出せない」酒を喉に流しながらつくづく思う。

と、ここで再び奥の座敷へ。先ほどの歌手である娘が来店したのだ。
青いワンピースに愛らしい笑顔。乾杯の後にこんな会話。

「僕もリズム&ブルースを歌っているんですよ」
「存じ上げております」
この一言が二人の間をより近付ける。


締めは「切りいか 生姜 もんじゃ」。もんじゃ焼に合わせる酒は「鶴正宗 お酒屋さんのお酒」(京都・伏見)。創業以来扱っている酒である。

もんじゃを匙で掬い取り口へ。口中に広がるいかの香味と生姜の辛味。
そこへ鶴正宗を流し込む。その味は「ワンダーランド」へと化学変化する。


「ぐい飲みは絶対に離しませんね」と女将。もんじゃという愛情いっぱいの逸品に、ほど良く杯を重ね、店は下町のワンダーランドと化すのだった。

この日のエンディングは

 憑きものの喉より落つる紫蘇サワー  吉田類



ところで、吉田さんの本業は、イラストレーターでエッセイストのはずだが、「酒場詩人」とある。
若かりし頃に仏教美術に傾倒し、シュール・アートの画家として活動。

パリを起点に渡欧を繰り返し、後にイラストレーターに転身。
九十年代からは酒場や旅をテーマに執筆を始める。

俳句愛好会「舟」の主宰でもある。
吉田さんの俳句・・・いいなあ!


 徳利よりしろ蝶ほろと舞ひ立ちぬ

 ワンタン喰ふ春や乳房の舌触り

 人魚曳くひとすじ青き夜光虫

 定説を蜥蜴くるつと翻す

 ハイボール弾ける初夏のブルージーン

 立ち飲めば無頼の夏のよりどころ

 まどろみし酒樽ひとり言ちて秋

                                        (刈谷文協文芸誌「群生」寄稿)



2017.08.27(Sun)
あおぞらは友だち天窓を開ける

秋が目の前に迫ってきたせいか、風がとても涼しい日曜日。
昨夜は、「日本酒セミナー」があり、丸一酒造(知多郡阿久比町)の酒の“お勉強”。

「ほしいずみ 純米酒」「ほしいずみ 辛口吟醸酒」「ほしいずみ 純米吟醸酒」「ほしいずみ 純米大吟醸酒」の4種類を代わる代わる飲んだのだが、久し振りに酔い潰れる手前までいった。

今日は、「きぬうら句会」。
一夜漬けを予定していた宿題も、そんなわけでできず、朝に持ち越し。

浅漬けならぬ朝漬けで作句した川柳は、イマイチ。
最近このイマイチから抜け出せなくなった。結果は・・・・


チャルメラの半音高くなって秋  「笛」 佳句

フルートの音色またたく間に少年  「笛」 秀句

懐手してみる武士になりたくて  「武士」 佳句

武士道がころころ笑いながらゆく  「武士」

「七人の侍」もう誰も生きてない  「武士」


9月からは、「川柳 秋の陣」が始まる。
皮切りは「中部地区川柳大会」(中日川柳会主催)。

肩の力を抜き、心を入れ替えていかねばなるまい。
ネットで拾ったいい画像を眺めながら・・・・


新家完司撮影・秋の気配

  新家完司さんのブログはこちらです  
https://shinyokan.jp/senryu-blogs/kanji/


2017.08.20(Sun)
青を描く遥かな人に逢うように

木曜日、夏の家族小旅行。
妻と二人だけを予定していたが、三男が急遽合流。

郡上おどりの「郡上八幡」あたりに行こうと思っていたが、結局、「馬籠宿」へ。
ご存知、中山道の43番目の宿場だ。

「馬籠」「妻籠」と並べられるが、いずれも山あいの情緒あるしっとりした町並だ。
馬籠と言えば「水車」。これが、水力発電発祥の地を象徴している。

勾配の厳しい石畳の坂の両側に土産物屋が並び、一般の家でも当時の屋号を表札の他に掛けるなど、史蹟の保全と現在の生活とを共存させている。

午前中に五平餅一本、昼は、馬籠宿展望台脇の「恵盛庵」にて、ざるそばを二枚ずつ。
旨口の味噌だれと本場ならではの麺のコシを堪能。


馬籠宿から恵那山


続いて、「妻籠宿」。こちらはどちらかと言うと地味な町並み。
昼時ということもあったか、平日を思わせるような人出と景色。

馬籠が観光地化された「日間賀島」ならば、妻籠は、まだ鄙びた感の残る「佐久島」のようだ。
朴葉餅の和菓子屋に賑わいがあったが、結局、何も買わずじまい。



妻籠宿


さて、まだ時間は十分ある。道の駅・賤母(しずも)で見つけた資料を頼りに「苗木城跡」へ。
パンフで見る限り、風情のある見晴らしの良さそうな城跡だ。

近年、高田城跡など「天空の城」と持てはやされるところが多いが、苗木城跡もその一つ。
どんなところかと期待半分で車を走らせると、これが凄い!

まさに「天空の城」と呼ぶに相応しい格調ある城跡。
切立った崖を存分に生かした天然の要塞が垣間見えた。

天守台跡の南下に大岩があり、馬洗岩と呼ばれる花崗岩質の自然石があった。
この由来が面白い。

かつて苗木城が敵に攻められ、敵に水の手を切られた時、この岩の上に馬を乗せ、米で馬を洗い、水が豊富であるかのように敵を欺いたのだそうだ。


苗木城跡


妙に感心しながら、最後の目的地となる「岩村城跡」へ。
岩村城は、日本三大山城の一つに数えられる名城。

江戸諸藩で最も高い標高717mに城が築かれており、霧が発生し易いゆえに、別名「霧ケ城」。
女城主でつとに知られた名城だったとか。

岩村醸造の銘酒「女城主」を一瓶買って帰ってきた。
萩が花が付け始めていて、一足早い秋を見つけたようだった。



日本のマチュピチュ・岩村城跡



2017.08.13(Sun)
息継ぎを習って人の波へゆく

第2日曜日は、俳句の会である。
つい先日入会したように思うが、すでに1年が過ぎている。

近詠5句を持ち寄り、無記名にて投句。
これをシャッフルして、人数分に分け、各々が藁半紙に転記する。

10人いれば10枚の藁半紙ができる。
これを1回転させながら、各人が入選句7句(内特選1句)を選んでいく。

特段上手い人もいなければ、特別下手という人もいない。
ドングリの背比べというのが、互選の句会にはちょうど良い。

先週、我が俳句を引っ張り出したので、今日は他人の作品を紹介する。
これら作品から会の実力のほどが知れよう!


お静かに入道雲がふくらむわ   原しょう子

涼しさは四枚重ねの白き皿   清水みな子

先頭に汗の少年バスを待つ   稲垣三千代

推敲のメモ見失う秋暑し   鷲津誠次

朝ぐもり大きなプリン仕込中   二村典子

蝉時雨遣らずもがなが多すぎて   中島憲一

大あんまきコロンコロンと蝉の殻   山田隆雄

庄内は屋根瓦まで油照り   みさきたまゑ

命ある水や水母のかたちして   寺尾当卯



水彩画・鎌倉の海



2017.08.12(Sat)
初心などとうに忘れた草の丈

「川柳すずか」(鈴鹿川柳会)八月号が届いた。
今号では、「すずか路」前号鑑賞を載せてもらった。

選評とは違い、“心の赴くまま”というのが鑑賞である。
礼儀はあるが、そこには束縛も枷もなく、責任も問われない。

見よう見真似、これでいいものか、誰も教えてくれないから、自由気儘に書き殴っているが、どの世界でもやはりポイントというものはあるのだろう。


「すずか路」前号鑑賞  283号から

柳誌を捲る。新聞のチラシをちらと眺めるように、目でページを撫でてゆく。
と、そこに思いがけず素敵な一文に巡り会うことがある。

「川柳文学コロキュウム70」。
代表の赤松ますみさんが、自身の作句姿勢を書いておられる。


「水面下にまだ眠ったままの自分を掘り起こしたい」
「常に新しい表現、言葉を模索してゆく努力を惜しまない」
「作句に対する冒険心を忘れない」

こんな言葉に出合うから川柳が一層好きになる。
句を詠む気持ちがより湧いてくる。

カラオケで喉の具合を確かめる       岡ア美代子

その人なりの健康法があって、朝のカラオケもその一つ。
上手く歌えれば喉は快調、よい一日になること請け合い。
朝のカラオケはその日の準備体操だ。寝坊の人には特にお勧め。
ご婦人にとっては毛穴が開き、美容効果もありそうだ。

火葬して酒盛りをせよ僕の葬        日野  愿

若くして旅立たれた人の葬は涙が付きものだが、長寿の葬には笑いがある。
美味い酒になるのは長寿の葬だ。
だから人は永く生きねばならないと、これは酒飲みの弁。
さあ、地の酒を酌み、乾杯だ。「鈴鹿川」が飲みたくなってきた。

丹念にほどくか切るかもつれ糸       澁谷さくら

もつれた糸をどう解くかは性格にもよるが、その人の生きてきたプロセスに答えがある。
「西になし、東にもなし、来た(北)道さがせ、皆身(南)にあり」とは、一代でえびふりゃー(エビフライ)の「まるは食堂・旅館」を築いた相川うめさんの言葉。
もつれ糸、私なら切ってしまうだろうな。

トンネルを抜けるもう一人のわたし     上村 夢香

トンネルの中で自身を見つめたのだろう。そうしてこれからの行く末に思いを馳せている。
どう自分を変えられるのだろうか、と。川端康成はトンネルの先に雪国を見たが、夏のこと、比喩のトンネルを抜けると、万緑のど真ん中。

内緒です酒で転んだだけですが       前田須美代

内緒にしなくても、酒の上の失敗は笑って済ませられるもの。
いや、須美代さんは大変な酒豪だそうだから、メンツが邪魔をするのだ。
酔った振りもできず、酒豪には酒豪なりの厄介さがある。
かく言う私もそれで何度も苦労した。

痩せたかと思えばゴムが伸びただけ     西垣こゆき

川柳の面白さの一つは「落ち」。落語の落ちと同じだ。
落ち幅が大きいほど緊張が緩和され、笑いがどっと起こる。
こゆきさんの同時作「時々は深夜ドライブポストまで」も、ポストという意外な行き先が落ちとなり、笑わせてもらった。

水くれろなすやきゅうりが死んだふり    松岡ふみお

こちらも「死んだふり」に笑った。死んだふりは、生きとし生けるものの生命力だ。
表記を「ナス」「キュウリ」とせずにひらがなにしたことで、萎びた感がよく出た。
「水くれろ」とは、地獄の底の血の池から叫ぶカンダタの声だ。

ラクガキがある次のページもその次も    坂倉 広美

「ラクガキ」が書かれているのは、日記や手帳ではない。広美さんの人生そのものだ。
そして、それは自身の年輪に意識的に刻んだものだろう。
たかが落書き、されど落書き!「ラクガキ」は、生きてゆくためのメッセージでもある。

焼印を奇麗に消して恋をする        寺前みつる

焼印は、烙印のこと。「烙印を押される」とは、一生涯にわたって払拭されない汚名を受けることで、この句の「焼印」は比喩。罪深い私が生まれ変わって恋をしようというのだ。
みつるさんの同時作「妻の掌の温さ冷たさ日々変わる」にも、常温のやさしさを持てぬ人間の非情さが透けて見える。

うっすらと障子明るく今日始動       千野  力

障子のない家庭でも、障子を通して部屋に入ってくる朝の光は想像できる。
生気が漲るように、人に接吻してくれる朝の光のやさしさ。
「障子を開けてみよ、外は広いぞ!」と言ったのは豊田佐吉翁。
障子を開ければ世界が広がってゆく。

疲れたら猫をもふもふしに行こう      樋口 りゑ

帰るところがあるというのはありがたい。それを人は故郷と呼ぶが、心の故郷はどこにでもある。
愛猫のぺっとりと肌に吸いつく体温の懐かしさ。それは疲れたときの桃源郷だ。
でも、夏には毛を刈ってぼうずっくりにした方が涼しいな。

娘の古稀がとても意外な母の顔       眞島ともえ

「人生七十古来稀なり」は、中国の唐代の話で、現在の七十歳はそれは若々しい。
自分の歳も忘れてしまった母親であろうか?娘が古稀なんて信じられないというのだ。
痛ましいことだが、子へ還ってゆく母を看るのも娘の務めである。

指示はバントなのに絶好球がきた      佐藤 千四

奥様からの指示はバント。そう、走者を先の塁へ進めるための犠打。
長年の夫婦生活ですっかり信用がないからね。私には送りバントが丁度いいと言うのだろう。
ところが、投手からは打ち頃の絶好球。夫として、男として冒険すべきか?

怖いのは圧倒的な葉の白さ         青砥 英規

葉の白い植物と言えば、ドクダミ科のハンゲショウ。半夏生の頃に花を開き、葉が白くなる。
虫媒花で、虫を誘う必要から白く進化したと言われる。
ハンゲショウは半化粧とも書き、四谷怪談のお岩さんさながらのゾクッとする怖さ。



続いて、七月の川柳結果報告です・・・・

展望ネット句会(7/1発表)

蓄えた髭を損したように剃る  「損」 (6点)

岡崎川柳研究社本社句会(7/1)

しあわせを探して爆ぜる草の種  「種」

口笛が出そうな通いなれた道  「通う」 佳句

ざっそうの貌して夏を通過中  「通う」 佳句

質通いそんな時代の人が好き  「通う」 佳句

石鹸の匂い忘れたことがない  「雑詠」 佳句

表札の文字にちいさな芯がある  「雑詠」 佳句

幸せという字が少し痩せている  「痩せる」 (席題)  


咲くやこの花賞(7/8発表)

ごつごつの手触りそうか幸せか  「ごつごつ」


川柳塔おきなわネット句会(7/16発表)  

滑り台まだ人間を降りられぬ  「自由吟」

さくらんぼ命の種を吐いている  「自由吟」 佳作

川柳塔ネット句会(7/22発表)  

粗探ししてはいけない指眼鏡  「見る」  

股のぞきして美しくする未来  「見る」 佳吟


鈴鹿句会(7/22)

幸せという字が少し痩せている  「細い」 (誌上互選)

追伸の二行小骨が突き刺さる  「骨」

遮断機が上がりも一度恋をする  「自由吟」


きぬうら句会(7/23)

罪深いボクに海賊船が来る  課題吟 「舟・船」

まだ余白いっぱいあすへ舟を漕ぐ  課題吟 「舟・船」

猿山のサルからかなしみを習う  課題吟 「習う」

息継ぎを習って人の波へゆく  課題吟 「習う」

手を腰に当て牛乳を飲むマナー  「マナー」 軸吟

辻褄を合わせる力だけはある  「能力」

伸び代を信じて坂道を上がる  「能力」


みえDE川柳(7/28発表

この星で生きよう旨いもの食べて  「星」



2017.08.06(Sun)
生きてゆくため片隅に置く光

午後からは、刈谷文化協会の理事会。
何度もサボっているので、今日は真面目に出席。

と、議案書の中に「第3回刈谷文芸祭」のチラシを発見。
「あなたの一句を!俳句募集!」とあるではないか。

ちなみに、第1回は、「短歌、俳句、川柳を募集します。日常の暮らしや自然の中から感じた想いを表現してください!」。第2回は、「500字エッセイの募集!」だった。

俳句を初めて1年が過ぎたことだし、挑戦してみるのも悪くない。
果たして、この程度の地力で強豪(?)に立ち向かえるか?

丁度よい機会だから、この1年の俳句を眺めてみよう。
多数は川柳の焼回しか柳誌に発表した川柳作品。

「我が子」である川柳が、俳句として通用するかどうかを実験的にやっているので致し方ないが、これからはそんなことでは済まされないだろう。心して掛かりたいものだ。

理想とは遠いところで麦を踏む

コーヒー香るほどの贅沢椿咲く

春眠や始発のバスはとうに出て

パンジーの一鉢読み掛けの絵本

春愁や恋という字を撫でてみる

遅咲きのさくらは少しだけ無口

心地よい風よくるぶしから五月

粽解きいつしか少年へ還る

冷奴きれいな面を上にして

夕暮れの赤さをひとつ天道虫

更衣また少年の木が伸びる

夢いくつ食べたか文庫本の紙魚

逢いにゆく夏の星座を諳んじて

さようなら伐採された樹よ夏よ

遮断機の下りて夏海遠くなる

秋の星うつらうつらとまた眠り

優しい奴だったな夕焼けの絵本

平和ってトンボの目玉乾かない

逢いたくて秋を沸騰させている

秘密基地さがして秋の真ん中へ

ふるさとを想うキリンの首に秋

晩学の危うさツユクサが青い

花嫁を真ん中にコスモスの海

首筋に冬またバスを乗り換える

帽子屋の角を曲がれば冬の風

秋が逝くパラパラ漫画捲るよう

贅沢をひとつ打ち消すように冬

牙ひとつ欲しくて冬の野を駆ける

半人前が生かされている冬銀河

まだ木偶でいられる温さ冬木立

木枯らしと赤いベンチの話し合い

さかずきを干せば過激な冬銀河

あたたかな二月の画用紙を選ぶ

春が来る草木が原子語をしゃべる

ペン先はなめらか春の予定表

少年の微熱さくらはもう近い

新芽吹くポップコーンの爆ぜる音

二錠ほど春の光を飲んで行く

夜更かしは快適 春の星たちよ

空っぽの玩具箱から咲くさくら

どこを切り取っても謎のない五月

指切りの指に五月が絡みつく


紙ヒコーキ飛ぶ新緑の街にいる

逡巡の日々まだ青い夏みかん

炎天や雑誌束ねるようにして

どこまでも青春好きなラムネ瓶

万緑や一リットルの水を飲む

心太しあわせ少し痩せている 

八月の風をあつめる帽子店

水鉄砲たったひとつの空を撃つ

生きている付録のような砂糖水


2017.07.30(Sun)
まださがす青春という遺失物

第5週目ということもあって、平穏無事な土、日曜日。
そこはよくしたもので、参加しようか迷っていた国文祭の事前投句が片付いた。

明日投函すれば、一件落着である。
11月の当日はどうしようか?とりあえずは、交流会ともども参加に○。

今月は、仕事も川柳もとにかく忙しかった。「年更」「算定基礎」という定型業務は言うに及ばず、「川柳マガジン文学賞」、川柳「湖」のふるさと川柳、そして国文祭の事前投句。

その合間を縫って、例会やネット句会の作句・投句に近詠句、課題句の作句提出。
さらに依頼された鑑賞文の執筆等・・・・

昨日、川柳マガジン8月号が届いた。
「柳豪のひとしずく」は小島蘭幸(こじまらんこう)特集。

言わずと知れた川柳塔社の主幹である。
そして、今年6月、全日本川柳協会の理事長に就任された。

小島蘭幸といえば青春群像というイメージがある。
レモンライムのように口中に広がってゆくその爽やかさは、こんな感じ!


恋人の前でワントライを決める

鉛筆一本あれば私の文学よ

水平線を見ている迷い消えている

ふるさとよ大きなパンツ干してある

ライオンの風格に似て子が這うよ

妻の鼻のてっぺんにあるやすらぎよ

淋しい人が集まってくる樹になろう


三省堂「現代川柳鑑賞事典」(田口麦彦編)より



2017.07.23(Sun)
やわらかな線上にいる鳩の群れ

今日は、川柳きぬうらクラブの例会日。
課題「マナー」の選者を賜っていたので、雄々しく出陣。

共選ということもあって、もう一方の選者へは出句。
下の三句であるが、これがあろうことか全没。


人間を愛するためのマナー本

手に腰を当て牛乳を飲むマナー

群衆の中でマナーが咽(むせ)ている


日の目を見ることのなかった“我が子”であるから、この項に記させてもらった。
もう一つの課題は、「能力」。

こちらは二人の選者に二句ずつ入選。


辻褄を合わせる力だけはある

伸び代を信じて坂道を上がる


唯一、没になった句も、この際記しておこう。


無能さは柩に入ってからわかる


入選と落選(没)は、戦と同じで「時の運」。
無論、戦略や戦術、戦闘の良し悪しはあろうが、選者との相性は大きな要因だ。

そればかりに甘えていてはいけないが、それぐらいの大らかさが必要。
次のステップへ進むためには、枝葉は切り捨てるくらいが丁度よいのだ。

さて、次は川柳マガジンの文学賞作品(7/27締切)が待っている。
うかうか芋焼酎で一杯やっていてはいけない!



2017.07.16(Sun)
母さんがいて冒険がまだできる

梅雨が明けたものか、七夕過ぎから蝉しぐれが喧しい。
人はどうであれ、蝉の中では、梅雨明けは宣言されたようだ。

ここ数日は、はっきりしない天気。
夜の散歩も、星々が見えない日が続いた。

ずいぶん遅くなったが、6月の川柳の結果報告です。
明日は「海の日」。青い海原を冒険したくなる・・・・


きぬうら川柳大会(6/3)

あおぞらは友だち天窓を開ける  「開」 秀句 人位

石になるまでは戸惑い続けよう  「惑」

まっすぐに打たれる釘の世界観  「世界」

約束のようにツバメの来る世界  「世界」

詩人にはなれない恋が成就する  「自由吟」


岡崎川柳研究社本社句会(6/10)

巡る日へ時計の針は進ませて  「巡る」

逡巡の日々まだ青い夏みかん  「巡る」 佳句

裸の王様に似合いの夏が来る  「巡る」

敵対の眼は永遠の距離だろう  「視線」

失敗へモグラ叩きが止まらない  「雑詠」

まださがす青春という遺失物  「雑詠」 秀句 地位


咲くやこの花賞(6/8発表)

やわらかな線上にいる鳩の群れ  「線」 人


鈴鹿ネット句会(6/16発表)  

月一でさっぱりを買う散髪屋  「さっぱり」

厄介になる墓ていねいに洗う  「さっぱり」


東海市川柳大会(6/17)

逆上がりするとき猫の目がきれい  「猫」

靴箱に今日一日を閉じ込める  「靴」

生きてゆくため片隅に置く光  「光」 準特選

椅子ひとつ孤高の人を座らせる  「人」

素麺を啜るにんげんらしき音  「人」


川柳塔ネット句会(6/22発表)  

奪われぬように裸の王様に  「奪う」


鈴鹿市民川柳大会(6/25)


桃缶が冷え憎しみは半分に  「憎い」

炒飯の具にする苦手意識など  「苦手」

夏だから恋は薄めの睨めっこ  「自由吟A」

剃刀のようです雨の日の手紙  「自由吟B」

竹筒のようかん恋は奥手です  「筒」(席題)

捨て猫が数匹そこそこの暮らし  「暮らし」(誌上互選)

天窓を開けて暮らしの空を見る  「暮らし」(誌上互選)


みえDE川柳(6/30発表

初心などとうに忘れた草の丈  「誓い」



2017.07.02(Sun)
母さんが走る革命かもしれぬ

午後九時を回った。
世間の注目は、東京都議会議員選挙の結果と藤井聡太四段の連勝記録。

小池百合子率いる都民ファーストの圧勝は確定済みだが、将棋の方は・・・・
現在、藤井四段の劣勢が伝えられている。

連勝記録は、いつかは途絶えるもの。
また、勝負は時の運もある。

しかし、30(連勝)という数字を残したいのは地元の人の情だろう。
藤井聡太負けんなよ、劣勢を盛り返せ!と叫ばずにはいられない。

カレンダーが変わり、七月。
梅雨も後半を迎え、夏空が恋しくなる。

 夏空になるまで青を積み上げる

梅雨最中だから、青を積み上げねばならぬ。
そうすれば、少しくらいいいことが待っている気がする。



2017.06.25(Sun)
どん底も愉快にやろうパンの耳

今朝は、雨の一日を覚悟して鈴鹿市民川柳大会に出発。
無論、鞄の中には筆記用具や国語辞典の他、折り畳み式の傘。

曇り空のままなら、傘を開くこともないがどうなることやら。
人生を占うと言えば大袈裟だが、他愛のない賭けも時々は楽しい。

結果は、傘を一度も開くことはなかった。
日頃の心掛けの良さか、はたまた偶然の産物か?

鈴鹿の成績は下の通りだが、柳友との再会が格別うれしかった。


桃缶が冷え憎しみは半分に  「憎い」

炒飯の具にする苦手意識など  「苦手」

夏だから恋は薄めの睨めっこ  「自由吟」

剃刀のようです雨の日の手紙  「自由吟」

竹筒のようかん恋は奥手です  「筒」 席題


鈴鹿海岸



2017.06.17(Sat)
また負ける涙の準備しておこう

今日は、高浜川柳会メンバーで二年ぶりの東海市川柳大会。
梅雨晴れ間というより、一向に降らぬ入梅時に東海市へいざ参戦。

投句を終え、しばし柳友と挨拶、雑談の後、メンバーたちと大池公園まで。
文字通りの大きな池と深い森に身を置いて、魂が洗われる思いがした。

それが幸いしたものか、結果は5句が入選、内1句が準特選。
東海市教育委員会長賞ゲットという塩梅。

逆上がりするとき猫の目がきれい  「猫」 

靴箱に今日一日を閉じ込める  「靴」

生きてゆくため片隅に置く光  「光」  準特選 

椅子ひとつ孤高の人を座らせる  「人」

素麺を啜るにんげんらしき音  「人」


大池公園の花菖蒲


さて、遅くなりましたが、先月の川柳の結果報告です。


愛川協川柳大会(5/3)

ゆっくりと伸びればいいさ豆の蔓  「ゆっくり」

ネコの眼が光るネットの片隅に  「ネット」

シーソーが揺れるネットの裏側で  「ネット」


岡崎川柳研究社本社句会(5/6)

消えやすいとこから順に塗ってゆく  「塗る」 佳句

塗るたびに欠けたところが顔を出す  「塗る」

叱られてまだ曇天のなかにいる  「叱る」 佳句

叱られて波はいつでも聞き上手  「叱る」 佳句

青空へ歌舞伎役者が見得を切る  「雑詠」

今夜またチンで済ませている独り  「音」 軸吟


鈴鹿ネット句会(5/16発表)

また負ける涙の準備しておこう  「負ける」 秀句

負け方を覚えジャングルジムの上


川柳塔ネット句会(5/21発表)

人間の影を夕日が踏んでいる  「影」


鈴鹿川柳会句会(5/27)


横丁を曲がるとカレーだとわかる  誌上互選 6点

クセ球があるから口笛が吹ける  誌上互選 2点

父の日は父をくすぐる吟醸酒  「くすぐる」

ルビ振ると少しくすぐったい漢字  「くすぐる」

砂を噛むこれで男になれそうだ  「砂」

汗臭い男をかくす砂ぼこり  「砂」

真夏日へ狂ってしまえ砂時計  「砂」

沈黙という怖ろしいふたり旅  「自由吟」


きぬうら句会(5/28)

助っ人になってはくれぬ仁王様  課題吟「助ける」 

生きている助言をくれる空の青  課題吟「助ける」 

底辺に生き青空が好きになる  課題吟「底」 佳吟

どん底で愉快にやろうパンの耳  課題吟「底」 秀句

母さんが走る革命かもしれぬ  「母」 秀句

炊きたてのご飯に母である誇り  「母」 佳吟

母さんがいて冒険がまだできる  「母」 秀句

原色でいようスポーツ続けよう  「スポーツ」 佳吟



2017.06.11(Sun)
電池切れだろうか空が曇りだす

昨日は高浜川柳会の例会日。
高浜中央公民館から場所を変えて、ようやく吉浜公民館に落ち着いた。

仲間の句もずいぶん洗練されてきた。
コトバの選び方、表現方法、そしてリズムも申し分なし。

会員のピカリと光る一句。


新緑の風が悩みの消臭剤   康司

四十の二倍生きても日々惑う   文子

子供らのキラキラネームルビをふる   典子

四季咲きの花に男が試される   清和

噴水のベンチで父の日を過ごす   比呂志


今年から「川柳おかざき 風」の巻頭には、「川柳とわたし」が載せられている。
会員の持ち回りで、川柳に関するそれぞれの想いを綴ったものだ。

6月号は恥ずかしながら私の担当。
拙文ですが、ご覧下さい!


 レモンいれて紅茶薄るる朝から雪  内藤吐天

現代詩を齧っていた私が、短詩系文芸に触れるきっかけとなったのは、その当時、中日新聞に連載されていた岡井隆さんの朝刊コラム『けさのことば』の中の上の俳句でした。

こんなに自由に、やさしく、そして柔らかい一行詩を詠めたらいい。
破調も気にせずに、ありのままの日常を詠める俳句っていいなと思ったものでした。

その感動はいつしか萎んでいきましたが、身体の芯に残っていたのでしょう、短詩系という水を求める心の芽が、あの日を起点に芽吹いていったのです。


平成十五年、市の回覧板で高浜市文化協会主催の「川柳初心者講座」の募集を知りました。
俳句と川柳の違いはあるものの、ともに五・七・五を基調とした十七音の定型詩。

しかも川柳は、心の機微を表現する人間諷詠の詩。
これはやってみる価値はあると受講したのでした。

あれから、十四年。現在、高浜川柳会の世話人をしていますが、これからも柔らかく、やさしく、自由な目で日常(人間)を詠んでいこうと思っています。

 指メガネ覗くこの世は美しい



2017.06.04(Sun)
実像をぶれた写真が語りだす

近所の酒屋から「夏の酒だより」が届いた。
酒の専門店として市外からのファンも多い「美味良酒マルア」だ。

これまで日本酒の蔵開きツアーには何度も参加させてもらった。
一昨年は、半年にわたる日本酒講座(碧南市芸術文化事業)を事実上開催した。

さて、「夏の酒だより」の巻頭には

愛知のお酒を味わおう!日本酒セミナー

とあるではないか!
一昨年の碧南市エメラルド・カルチャークラブ講座をバージョンUPしたものだ。

6月〜11月の毎月第4土曜日 17:00〜18:30
やきものの里かわら美術館 第1スタジオ

各回2,000円(税込) 全6回申し込みの方は10,000円(税込)
もちろん、どの回のセミナーもご試飲付き!(各回とも4種類くらいの酒をたっぷり!)

初回は、「蓬莱泉・空」でお馴染みの関谷醸造・遠山杜氏による日本酒基礎知識@と試飲。
「杜氏さんから直接酒造りの話しを聞いて、お勧めのお酒を味わえる
おいしいセミナー」だとか。

ああ、前途がバラ色になってきた。
とりあえずは6月24日(土)の初回に参加してみよう。



2017.05.28(Sun)
一本の滝になるまで矢を放つ

吉田類(よしだるい)の「酒場放浪記」がいい味である。
ご存知、BS−TBSの月曜夜の人気番組。

酒場という聖地へ酒を求め、肴を求めさまよう・・・

私の家では、BSは見られないので、もっぱらインターネットの動画で見る。
リアルタイムから遅れて数年だが、一向に構わない。

お洒落とはとても言えない下町の酒場。
そこで酌む酒(日本酒が圧倒的に多いが、酎ハイやホッピーもあり)と箸を付ける肴の数々。

酒場の紹介を上から目線ではなく、ただの客として自然体でとてもおいしそうに飲む。
そして、店主や女将や他の客とのふれあいと会話。

吉田さんがほろ酔いになって店を出る頃には、私もしっかり酔っている。
人間と酒場との絆がとても強く映し出されている好番組である。

吉田さんの本業は、イラストレーターでエッセイストのはずだが、「酒場詩人」とある。
若かりし頃に仏教美術に傾倒し、シュール・アートの画家として活動。

パリを起点に渡欧を繰り返し、後にイラストレーターに転身。
90年代からは酒場や旅をテーマに執筆を始める。

俳句愛好会「舟」の主宰でもある。
吉田さんの俳句・・・いいなぁ!


徳利(とくり)よりしろ蝶ほろと舞ひ立ちぬ

ワンタン喰ふ春や乳房の舌触り
 
人魚曳くひとすじ青き夜光虫

定説を蜥蜴くるつと翻す

揚羽蝶ガラスのビルをぬけ去りし

ハイボール弾ける初夏のブルージーン

立ち飲めば無頼の夏のよりどころ

土手刈られ蟋蟀ももを露にす

酔ひ忘る路傍の闇の虫の音に

まどろみし酒樽ひとり言(ご)ちて秋






2017.05.14(Sun)
定型を崩さぬ滝がやわらかい

黄金週間が過ぎてまた日常へ還る。
思い切り羽を伸ばした分、この日常がとてもシンドイ。

ここのところ曇り空が多い。
スカッとした青空なら気分は晴れるが、そうはいかないのがこの世。

仕方ないので、餌をあさるスズメたちを眺めている。
スズメの寿命はいったいどのくらいなんだろう?

さて、先月の川柳結果です!

岡崎春の市民川柳大会(4/1)

お客様と呼ばれて膝が崩せない  「客」

善人もこころのなかに飼う刺客  「客」 佳吟

生きてゆく天動説をまだ信じ  「あべこべ」 秀句

かなしみの向こう笑っている桜  「あべこべ」 

リズムよく生きたか川という流れ  「リズム」 秀句

勝ち負けのリズムは青い空の下  「リズム」

開かねば愛は小さな痣のまま  「開く」


咲くやこの花賞(4/6発表)

深爪で恋を演じているのです  「切る」



鈴鹿ネット句会(4/16発表)

フツウとは違う何かを欠いた夜  「普通」


豊川桜まつり川柳大会(4/16)

新緑の頃のいのちがよく萌える  「グリーン」

逡巡の日々ゆっくりと書く名前  「巡る」


川柳塔ネット句会(4/21発表)

山笑うやはり大きな声だろう  「大きい」


鈴鹿川柳会句会(4/22)


電池切れだろうか空が曇りだす  誌上互選 11点

恋という魔物が胸に棲みついた  「ドキドキ」

切れ味を試され硬くなる南瓜  「試す」

蔵巡り杜氏のハナシより試飲  「試す」


きぬうら句会(4/23)

定型を崩さぬ滝がやわらかい  「滝」 秀句

銀河にも滝はあるのか星が降る  「滝」 佳句

一本の滝になるまで矢を放つ  「滝」 秀句

実像をぶれた写真が語りだす  「実像」 秀句

新緑のなかにわたしの現在地  「実像」 佳句

実像をたしかめにゆく散髪屋  「実像」 佳句


三川連川柳大会(4/29)

いい知らせ束ねて凪の海にする  「束」

桜散りくさかんむりの出番です  「チーム」

誠実に生きて畑に埋めるゴミ  「畑」

たましいを一つ畑に播いている  「畑」

古傷のせい遮断機が上がらない  「古い」

人情に飢えたライオンだっている  「自由吟」



2017.05.07(Sun)
生きてゆく天動説をまだ信じ

昨日は、岡崎川柳研究社の本社句会。
いつもより1時間ほど早く出て、本社句会の前に岡崎公園の藤棚を見物。

JRのさわやかウォーキングの日とも重なり、公園内は多くの人出。
藤は見頃で、まさに藤色の景色と香りを堪能させてくれた。

実は、岡崎公園内にある岡崎城の袂に川上三太郎の句碑がある。

 子供は風の子天の子地の子   

この句碑の建立に努力したのが、岡崎川柳研究社の創立主幹・稲吉佳晶と二代目主幹・曾田規世児である。三太郎率いる川柳研究社(東京)には、並々ならぬ恩恵を受けたのだろう。

後日談だが、岡崎川柳研究社主催の川柳大会で、ある日「碑」という題が出た。
トリの選者・曾田規世児が天に抜いた句が

 記念碑になっても邪魔にされている    青砥たかこ

曾田さんは、「これほど面白い句は初めて見た、私でも作れん」と、コメントしたそうだが、三太郎句碑がしばらく稲吉佳晶邸の庭に捨てるように放置されていた現実を思い出し、苦笑いしたのだろう。

青砥たかこさんは、現在、鈴鹿川柳会の会長。
私は、現在岡崎川柳研究社の幹事で、鈴鹿川柳会の誌友でもある。

面白おかしい関係が見えてくるではないか!



2017.05.03(Wed)
リズムよく生きたか川という流れ

我が家の食卓に苺がお目見えした。
まだ酸味の強い、相変わらずの不揃いの苺だ。

まだ、朝晩は幾分冷えるが、やはりそこは初夏。
日中、汗ばむことが多くなった分、風邪も引きやすいようだ。

世の中は、黄金週間ということで、浮かれている。
あらゆる緑が萌え、初夏の花々は咲き乱れ・・・・。

土曜日は、三重県総合文化センター(津市)にて、三重県川柳連盟(三川連)川柳大会。
この大会は、三川連に加入してなくても参加できるのでありがたい。

アットホームな雰囲気が満ち溢れ、いつもながらの纏まりの良い大会である。
吉崎柳歩会長は、留任。いよいよ長期政権の呈を帯びてきた。

入選句は以下。

いい知らせ束ねて凪の海にする  「束」 

桜散りくさかんむりの出番です  「チーム」

誠実に生きて畑に埋めるゴミ  「畑」

たましいを一つ畑に播いている  「畑」

古傷のせい遮断機が上がらない  「古い」

人情に飢えたライオンだっている  「自由吟」


今日は、愛知川柳作家協会(愛川協)の総会・大会。
こちらは、会員だけが出席できる純度の高い大会になっている。

入選句は以下。

ゆっくりと伸びればいいさ豆の蔓  「ゆっくり」

ネコの眼が光るネットの片隅に  「ネット」

シーソーが揺れるネットの裏側で  「ネット」


さて、川の流れのようにこれから多くの大会が始まる。
大会のリズムがすんなりと腹に落ちる季節になってきた!



2017.04.23(Sun)
子が巣立つ切取り線の向こう側

我が家のささやかな庭に、擬宝珠(ギボウシ)が咲いた。
斑入りの葉の間から茎が伸びて、その先に白い小花を付けている。

萌える新緑の季節に、花は身を寄せ合って何か囁いているようだ。
釣り鐘状の花を下垂らして、鈴蘭のようにどこまでも可憐な花々。

さて、遅くなったが前月の川柳結果です。
年度替わりというのは、とにかく忙しい!


岡崎川柳研究社本社句会(3/4)

光るものボクの中では足の裏  「光」

二錠ほど春の光を飲んで行く  「光」 秀句

竹光でよい人間を斬るのなら  「光」 佳句

ここだけの話が雲になっていく  「秘密」

シャボン玉 涙のわけは話さない  「秘密」 

人間の秘密が見える指メガネ  「秘密」 秀句

かくれんぼするすき焼の葱の中  「雑詠」 秀句

曇天をどう生きようか思案する  「雑詠」 佳句

狩人の眼となり家を捨てる猫  「雑詠」 


鈴鹿ネット句会(3/16発表)

過ちもしっかり包むオムライス  「黄」

水仙の黄にもしずかに加齢臭  「黄」


尾張旭川柳大会(3/20)

雑念を捨ててあしたも陽は昇る  「あさひ」

すき焼の葱の下にもあるチャンス  「チャンス」 秀句  

淋しくはないよチャンスが谺する  「チャンス」

遠い日の声が聞こえる耳の奥  「奥」

閂を掛けてこの世の奥を見る  「奥」

足跡を撫でる逢いたい人ばかり  「足跡」

足跡を見れば普段着だとわかる  「足跡」


川柳塔ネット句会(3/21発表)

目覚ましが鳴る日曜の青い空  「鳴る」

さみしさの底で背骨を軋ませる  「鳴る」


鈴鹿川柳会句会(3/25)

終電は行って眠りについた街  誌上互選 3点

悔恨の数だけぐい飲みが欠ける  「悔しい」

淋しくて点を繋いでいる星座  「点」

一点を見つめ桜が開花する  「点」

歯を磨く声が小さくならぬよう  「自由吟」

満開ってさくらにとって大仕事  「自由吟」


きぬうら句会(3/26)

飴ちゃんを配る善意の光る街  課題吟「配る」 軸吟

巣箱から巣箱へ春を編む小鳥  課題吟「巣」 秀句

子が巣立つ切取り線の向こう側  課題吟「巣」 秀句

雑魚はざこ万年床が性に合う  課題吟「巣」

相槌を打つには早い日暮れどき  「同意」

奔放な妻のかばんにガムテープ  「テープ」 秀句

青春をしている父のテーピング  「テープ」



古民家で見たギボウシ



2017.04.16(Sun)
すき焼の葱の下にもあるチャンス

4月も半ばになった。
今年の桜は花芽の開花が遅かったため、まだ八分散りを保っている。

今日は、そんな桜の麗しい桜ヶ丘ミュージアムにて、「豊川桜まつり川柳大会」。
無論、大会がメインだが、その後の懇親宴(花見)を楽しみに参加された柳人も多かったようだ。

大会は、3人の選者がちゃちゃっと披講を済ませ、すぐに表彰式。
その時間は1時間ほど。12時開会だから、1時には終了したことになる。

そして、八分散りの桜の下へ移動して、花見。缶ビールに清酒、芋焼酎が並べられ、肴は「豊川やしの実」メンバー手作りの天麩羅や旬の野菜の漬物など。

小吟社ならではの、小回りの利く大会と懇親宴。
大会の成績など誰も眼中にない、こんな会があってもよい。

懇親宴の後は、有志による三次会。場所を豊橋駅前繁華街の居酒屋「おかめ」に移し、夜が更けるまで語り合う。おかめのママもまた柳人である。

楽しい一時を過ごし、帰宅は午後11時くらいだったか?
途中社内で寝過ごし、一区間戻るハプニングもあったが、これもご愛嬌。

かくして春の一夜は過ぎてゆく!

 夜更かしは快適 春の星たちよ



2017.04.09(Sun)
青空を入れて愉快な水たまり

昨日、今日と花見には申し分のない満開の桜。
生憎の花曇りの天気が恨めしくもあるが、雨にならずよかった。

昨日は、高浜川柳会の例会日。桜の頃は吟行と洒落てもいいのだが、花より団子(酒)好きな連中だから、作句が危ぶまれて、まだまだ吟行句会はためらわれる。

まぁ、そのうち何か企画しなければならないだろう。
新緑の頃もいいし、紅葉のときでもいい、外に出ることで見えてくるものがあるだろう。

句会を終えて自宅に戻ると、宅配の包み紙。
「川柳瓦版の会」からの表彰盾が入っている。

盾には、「咲くやこの花賞 平成28年度第1位 柴田比呂志 川柳瓦版の会」と記してある。
5日(水曜日)が表彰式だったが、業務多忙で出席できずにいたものだ。

この世はたぶんに奇蹟というものが起こる。「咲くやこの花賞」という、年間を通しての誌上競吟での第1位は名誉なことだが、これが実力と錯覚してはいけない。

いいときもあれば悪いときもある、それが人生。
半世紀以上生きて、辛いことをいくつも経験して、得た教訓だ。

「咲くやこの花賞」には今年度もチャレンジするので、ここらで本当の力が分かるだろう。
今日は一人で乾杯といこうか?昨日も乾杯したはずだが・・・・。

今日は、俳句の会。
名句は生まれようもないが、こんな句を出した。

夜更かしは快適 春の星たちよ



春の大三角形


2017.04.02(Sun)
銀紙にくるんで空を持ち帰る

午後八時、稗田川沿いを歩く。西の空には、ずいぶん低くなった冬の大三角形。
ご存知、ベテルギウス、プロキオン、シリウス。オリオン座があるから一目で分かる。

そして、東の空には、春の大三角形。こちらの目印は、北斗七星だ。
北斗七星の柄の部分を伸ばしていくと、オレンジ色をしたアルクトゥールス。

またそのカーブを伸ばしていくと白色をしたスピカ。
その二つの星と、しし座の尾の先にある2等星のデネボラを結んだものが春の大三角形だ。

寒さを乗り切り、ようやく四月。
今年は桜が遅いのが玉に瑕だが、良い季節になった。

昨日は、「岡崎さくらまつり協賛 春の市民川柳大会」。
我が岡崎川柳研究社主催の唯一の大会だ。

司会という縁の下を担当したお蔭だろう、岡崎市教育委員会賞(3位)と岡崎市観光協会賞(4位)をゲット、出来過ぎ。入選句は↓


お客様と呼ばれて膝が崩せない  「客」

善人もこころのなかに飼う刺客  「客」 佳吟

生きてゆく天動説をまだ信じ  「あべこべ」 秀句

かなしみの向こう笑っている桜  「あべこべ」 

リズムよく生きたか川という流れ  「リズム」 秀句

勝ち負けのリズムは青い空の下  「リズム」

開かねば愛は小さな痣のまま  「開く」


今日は、高浜市文化協会主催の「大山さくらものがたり」。
写真撮影、文芸コンクール、茶会が行われたが、桜がまだチラホラで淋しい開催となった。

文芸(短歌、俳句、川柳)コンクールは三ケタにのぼる作品の応募があり、上々。
穏やかな青天が何よりの味方だった。




2017.03.26(Sun)
二錠ほど春の光を飲んで行く

先週の「三千盛」感謝祭ツアーから一週間が過ぎた。
その間、不思議なことに日本酒が縁を切ってくれない。

翌日の月曜日は、春分の日で「尾張旭川柳同好会創立三十周年記念川柳大会」に参加。
夕方からの懇親宴で、「純米吟醸 八海山」と「久保田 千寿」を痛飲。

日中、投句後に鈴鹿川柳会の美女二人と連れだって城山公園へ行ったものだから、懇親宴でも浮かれるように新潟の銘酒をごくんごくん。まぁ、このノリも悪くない。

火曜日は休肝日。
週二日の休肝日は、昨年の十一月以降続けている。

水曜日は、我が家で「純米大吟醸 越乃白雁」(中川酒造)。
落ち着いた吟醸香、口内でふくらむ上品な味わいが魅力の旨口タイプの酒。

木曜日は、異業種交流会のグループ会。二次会は場所を変えて、グループメンバーのお店へ。
ここで出された「一念不動 純米大吟醸原酒」(関谷醸造)がとてもおいしく、やはり痛飲。

金曜日は休肝日。
週二日の休肝日はいつまで続くか?

そして、土曜日は、神杉酒蔵の蔵開きへ。
JRのさわやかウォーキングに便乗しての無料試飲は果てを知らない。

さて、日曜日。明日は悲しい休肝日だから、今から「純米大吟醸 越乃白雁」を空けてしまおう。
そして火曜日からは、芋焼酎に切り替えるつもり・・・・!



2017.03.19(Sun)
革命を起こそう空が青すぎる

温かい春の一日。今日は「三千盛」感謝祭ツアー。
近所の酒店の主催で、マイクロバスを借り切って、蔵開きへ参戦。

行き先は、岐阜県多治見市笠原町にある蔵元・三千盛(みちさかり)。
知る人ぞ知る、超辛口の清酒を醸し出すことで有名な安永年間創業の蔵元である。

 
美味良酒マルア出発(9:00) → 刈谷駅南口(9:30) → 三千盛到着(10:30)

 → 試飲&屋台のおつまみを楽しむ(約2時間) → 製造蔵見学(約1時間) → 

 幸兵衛窯・市之倉さかずき美術館見学(約1時間) → 刈谷駅南口(4:00) →

 美味良酒マルア到着(4:30)


ざっと上の通りの行程だが、これで終わらないのが酒飲みの卑しさ。
さらに、マルア店内で打ち上げ(反省会)。午後8時、ようやくお開き。

蔵開き日和と言っても過言ではない春の彼岸の日曜日。
酒も良かったが、三千盛の女将さんと娘さんの着物姿がきれいだったのが印象的。


三千盛蔵開き風景



2017.03.12(Sun)
躓いたとこに貴方がいてくれた

この冬は日本酒に嵌っていた。普段は芋焼酎の水割りと決めているが、昨年、鈴鹿川柳会の忘年会で鈴鹿の銘酒「作(ざく)」を呑んでからというもの、日本酒が病みつきとなった。

1月以降を数えてみても、ざっと10品種くらいにはなるか?
覚えているものを書いてみる。

越乃寒梅 純米吟醸 灑(さい)
純米酒 作 穂乃智
純米吟醸原酒 尊王
吟醸 そんのう
鳴門鯛 純米 水ト米原酒
ふなぐち菊水 一番しぼり
久保田 生原酒
三河武士 純米大吟醸

よって、この春はいいさか疲労気味。
適度に呑めば百薬の長だが、呑み過ぎは万病の素だろう。

3月からは、今までどおり芋焼酎に変えている。
たまには日本酒が呑みたい。花見は「作」を持参で花の下へ行こう。

さて、恒例の川柳報告(1/28 鈴鹿川柳会以降)です。
日本酒ほど味わい深いものがないのは残念!


岡崎川柳研究社本社句会(2/4)

滑らかな朝ハミングを口にする  「滑らか」

さよならが滑らかに出る倦怠期  「滑らか」 秀句

奪い合う椅子がごめんなさいと言う  「椅子」 佳吟

冬の椅子 冬の景色と響き合う  「椅子」

孤高とは一枚残るさくらの葉  「雑詠」

煩悩を撫でる毛深くなっている  「雑詠」

逆上がり無心で蹴った日の青さ  「雑詠」 佳吟

逃げているようにも見える豆の蔓  「逃げる」 軸吟


鈴鹿ネット句会(2/16発表)

これ以上好きになってはならぬ線  「引く」


風輪の会(2/18)

これもまた縁だと思う向かい風  「縁」

躓いたとこに貴方がいてくれた  「縁」 秀句


鈴鹿川柳会句会(2/25)

冷えているのは青春の落し物  誌上互選 1点

みんな幸せかと地球儀は回る  「連続」

六感が外れた春のせいだろう  「外す・外れる」

人間がいないと完ぺきな地球  「外す・外れる」


きぬうら句会(2/26)

革命を起こそう空が青すぎる  「空」 秀句

青空を入れて愉快な水たまり  「空」 秀句

銀紙にくるんで空を持ち帰る  「空」 秀句

腹筋を鍛えています向かい風  「腹」

展望ネット句会(2/3発表)

恋をして好きという字が上手くなる  (6点)

恩返ししてくれそうな鶴が好き  (9点)



2017.03.05(Sun)
太陽は見えぬスマホという樹海

昨日は雛納め。雛の顔を吉野紙でくるみ、箱の中にはしょうのうを入れるのが由緒正しいやり方なのだが、我が家では、2月の初めに出し、3月4日に仕舞う、ただそれだけの年中行事。

雛人形の主(娘)が名古屋に就職、実家を出ているので、昨年から雛段を七段から五段にした。
余った人形を供養に出してスキッリ。人形の出し入れも、それは楽チン。

今日は、1ヶ月ぶりの名鉄ハイキング。ハイキングのメインは、「ごんぎつね」ゆかりの里山・権現山(ごんげんやま)。コースは・・・・

住吉町駅(スタート) → 新実南吉記念館 → 権現山 五郷社・植公園 → JAあいち知多植大 

→ 箭比神社 → 阿久比町勤労福祉センター(ゴール) 


「ごんぎつねの里」と言えば、半田市・矢勝川堤防の2百万本の彼岸花が浮かぶが、今日の散策は、対岸の阿久比町(あぐいちょう)の権現山。南吉の童話「ごんぎつね」の背景になったところだ。

山頂には、菅原道真の子孫によって祀られたという伝承が残っている五郷社(ごごうしゃ)が鎮座。
たかだか32bの山だが、運動不足の身にはこたえた。

権現山を後にして、もう一つ名のない山を登る。
その中腹に位置するのが、「
箭比(やひ)神社」。

深い森の中にある急な石段を登る。途中、赤い鳥居をくぐったが、後で分かったが、この赤鳥居をくぐると「おこり」にかかるそうだ。おこりとは、
発熱、悪寒などをともなう熱病。

苔むした石段を気を付けて登っていくと、やがて本殿。
一通り参拝して、帰りは石段ではなく、くの字に迂回した林に囲まれた道を歩く。

真っ直ぐに伸びたヒノキが厳かな雰囲気を作り出す。
深い森の息遣いがヒシヒシ胸に迫ってきた。

ゴールは、阿久比町勤労福祉センター。
ここでは、「お雛さまと吊るし飾り展」。

厳かな静けさから今度は、旅人で賑わうあざやかな巷へ。
家人は、ここが目当てだったらしい。

距離8`、所用時間2時間の散策は、かくして終わりを告げた!
昼食は、半田市内の有名店で、海老フライ定食。



新美南吉



新美南吉記念館



権現山



箭比神社



2017.02.26(Sun)
さよならが滑らかに出る倦怠期

「二月は逃げる」という言葉どおり、逃げていく二月。
大寒を越し、立春を迎え、冬と春とのはざまを光の速さで過ぎていく。

しかし、春などずっと先のこと。まだ冬はゆらゆら湯気を立てている。
日差しはすこしずつ強くなってきたが、暖かさはまだこれからだ。

鈴鹿川柳会の発行誌を眺めている。
昨年から、「すずか路」前号鑑賞を担当させていただいている「川柳すずか」。

半年に一度の鑑賞だが、夥しい句に出会い、視界は確実に広がっている。
拙い鑑賞文だが、春が来る前に紹介させていただく。



「すずか路」前号鑑賞  276号から

その昔、川上三太郎が愛弟子の時実新子を指導する時、三太郎は、新子が作句した川柳の頭に○×だけを添えて返したという。  

×朝からの雨コーヒーの香が恋し  
○味噌汁のどろりどろりと失意抱く 

「素顔の川柳であれ」というのが三太郎の一貫した姿勢であり、指導法。「どろりどろり」の中に新子の苦悩、本音を感じ取ったのだった。


新子の川柳は「私発」。「私の川柳は本音で読む川柳。かならず私を濾過し、自分の目で自分の言葉で自分の本心を表現している」。

訃報続いていっそう浸みる秋の冷え     北田のりこ

寒波のように賀状削除の訃報来る     加藤 吉一


好きな酒入れて別れをする柩     西野 恵子

「川柳界の巨星落つ」の訃報が続く。晩秋に尾藤三柳氏が旅立ち、今日(十二月二十四日)、墨作二郎氏の訃報に接した。お会いすることは叶わぬ二人だったが、句は脳裏に焼き付いている。

「乱世を酌む友あまたあり酌まん」(三柳)
「車座で読むアンネの日記 ビートルズ」(作二郎)

クリームを塗ってと拗ねる足の裏     鈴木 裕子

肌の乾燥する季節。「拗ねる」足の裏にクリームを塗ってあげるのも人の務め。「尊いのは足の裏」と書いたのは、詩人の坂村真民さん(故人)。一生を汚い処と接している足の裏だ。光を発するくらい丹念にクリームを塗り込んであげよう。

一瞬をフォーカスしたぞ猫パンチ     千野 力

愛猫が突然ボクサーのごと猫パンチ。その一瞬をパチリとは、力さんらしい好奇心の成せる業。しかし、猫は元々狩りをする動物。体内の襞に野性を溜めている。ここぞと思うところで猫パンチを繰り出し、生き抜いてきたのだろう。そしてその後は何事もなかったように、猫なで声を奏でている。

雪女粉雪らしいすぐ消える     小出 順子

雪女といえば、小泉八雲の「雪女」を思い浮かべるが、それも束の間、「すぐ消える」で順子さんにどんでん返しを喰らわされた。これが川柳味。レミオロメンの「粉雪」の歌詞「粉雪ねえ心まで白く染められたなら」に心のリセットを期待する私には、とうてい川柳味は身に付かない。

人類も絶滅危惧種かもしれぬ     高柳 閑雲

北極圏のトナカイの平均体重が、ここ十五年ほどで十二パーセントほど減ったという。温暖化の影響で雪が雨となり、草地が氷で覆われることが多くなったためだ。痩せ細ったトナカイだけでなく、サンタクロースもやがて絶滅危惧種となるのだろうか。

これ以上捨てると寒い不用品     西野 恵子

身の周りが不用品ばかりでは鬱陶しくてやり切れないが、かといって、すべてを捨ててしまっては場が殺風景になる。新聞、パンフ、週刊誌の類は捨てる。衝動買いした書籍も処分する。しかし、想い出多いものは本棚に大切に仕舞っておこう。冬ごもりに役立つに違いない。

間をおいてみればすんなり出るこたえ     澁谷さくら

江戸小噺を一つ。若者が昼寝をしているところに大家がやってきて「けしからん、若いうちはしっかり働け」と小言。「働いてどうなるんで」「働けば金が儲かる」「お金が儲かってどうなるんですか」「そうすりゃ、自分の店が持て、いずれ番頭を置いて、主人のおまえはゆっくり昼寝ができる」「ですが、大家さん。あっしはその昼寝を今やっているんです・・・」

落ち穂拾う時代があったミレーの絵     西垣こゆき

落ち穂とは麦の穂。脱穀の時にこぼれた麦の穂を拾い集めるのが「落ち穂拾い」。自分の労働では十分な収穫を得ることのできない寡婦や貧農の人々が命をつなぐための権利として認められた慣行だったという。この秋、朽ちた向日葵が「落ち穂拾い」の光景に見えて仕方なかったことを思い出す。

ひとり暮らしかもコンビニのおじいさん     坂倉 広美

デパートの休憩コーナーに座って漠然と人を見ていると、いつしかひとりの人を追っていることがある。あの人はどんな人なのか、どうしてあんなにうれしそうにしているのか。そばつゆを買って、やさしいお嫁さんにそばを作ってもらうのだろうか。想像の翼は次から次へ広がるばかり。デパートもコンビニも人間社会の縮図だ。

野菜高皮をむくのも惜しくなる     橋倉久美子

今年の野菜の高値は、主産地の北海道に台風が相次いで上陸した影響が大きいが、食べ残しの多い日本の食文化に一石を投じてくれたのも野菜高だった。「犯罪に近い宴の食べ残し」(新家完司)が、今更ながら胸に沁みる。野菜高の川柳をもう一句。「野菜高戦のように値があがり」(中根のり子)

百虫の王はゴキブリだと思う     吉崎 柳歩

かつて立川談志(故人)が「地球が滅亡しても蝿とゴキブリと噺家だけは生き残る」と言ったが、いつの時代も、嫌われ者が世を憚るのは同じこと。「百虫」は造語かと思ったが、カマキリ、スズメバチなどに「百虫の王」の冠をつけることがあるようだ。嫌われ者でも生きなければならないのは同じ。百虫の王よ、頑張れ!


2017.02.18(Sat)
欠けているとこがやさしさなんだろう

今日は、妙喜寺(西尾市江原町)にて、西尾川柳会主催の「風輪の会」(参加者41名)。
物故者の多い岡崎川柳研究社にとってこの数は、大健闘と言えるだろう。

「岡崎」を長年牽引してきた我が師匠・曾田規世児が病魔に倒れてから丸五年。
西三河地区に開拓した川柳教室は多い時期には10会場あったが、現在では6会場。

それぞれの教室が、独自の歩みを続けている中で、年に一度大同団結する。
その集合体が風輪の会である。

「風輪」とは、風の輪と書く。
岡崎の川柳誌「風」に寄り添う仲間の「輪」が、まさに風輪の会なのだ。

本日の入選句

 これもまた縁だと思う向かい風  「縁」

 躓いたとこに貴方がいてくれた  「縁」 秀句

結果、「躓いた・・・」が最優秀句となり、曾田さんの掛け軸をゲット。
ご本人の個性的な字で書かれている句は下。

 人生の挫折を救う母の声    規世児

大切にしようと思う。


妙喜寺にて(住職も会員)


2017.02.12(Sun)
熱燗に小指を入れるときが好き

今日は、「ねのひ蔵開き」(盛田 小鈴谷工場)を蹴って、俳句の会へ出席。
二村典子さん率いる船団愛知句会(ペンキ句会)だ。

搾りたての新酒の魅力がギリギリまで匂い立っていたが、縁あって参加させてもらっている句会だから大切にしたい、という気持ちの方が強かった。

出席者9人、投句者1人。結果は・・・・


生きるって大き目に編むニット帽 (1点)

あたたかな二月の画用紙を選ぶ (3点 内特選1)

春が来る草木が原子語をしゃべる (3点 内特選3)

ペン先はなめらか春の予定表 (4点 内特選1)

春を載せ回覧板がひとまわり (0点)


句会では、 技術的なこともさることながら、読みを中心に学んでいく。初心者にはこれが難しい!相変わらず的外れが幅を利かす。いつになったら的確な読みができるのか?


さて、恒例の川柳報告(12/23 鈴鹿川柳会以降)です。
こちらの方もピンボケが闊歩する!


咲くやこの花賞(1/6発表)

凄いでしょ化学反応後のわたし  「凄い」

ほんとうの凄さを知った空の青  「凄い」



岡崎川柳研究社本社新年句会(1/7)

罪状を告げて一番鶏が鳴く  「酉」 佳句

煩悩の深さで赤くなるトサカ  「酉」 秀句


生き下手な男のような門構え  「門」

花挟入れると消えてゆく鬼門  「門」

立ち飲み屋みんな冬木立になって  軸吟


川柳塔おきなわ(1/13発表)

熱燗に小指を入れるときが好き  「雑詠」

曇天のいつまで続く肩の凝り  「雑詠」


きぬうら句会(1/25)

地球儀をまねて洗濯機は回る  課題吟「ルーツ」

行く秋を惜しんで風の弾き語り  課題吟「弾く」

些かの憂いもなしに四捨五入  課題吟「弾く」 佳句

きれいに着飾る絶滅危惧の鳥  「酉(鳥)」  

啄木鳥のせい唇がヒビ割れて  「酉(鳥)」

大太鼓怒涛の海を呼び寄せる  「楽器」 軸吟

欠けているとこがやさしさなんだろう  「自由吟」 秀句


鈴鹿川柳会句会(1/28)

スマホ持つ少年の手が柔らかい  誌上互選 1点  

太陽は見えぬスマホという樹海  誌上互選 9点

転ばないようにいつでも腹八分  「転ぶ」

喝采を浴びるプランを練っている  「プラン」

気配りを忘れて春に来る寒波  「自由吟」




2017.02.05(Sun)
煩悩の深さで赤くなるトサカ

曇、雨、曇と、切取り線のように連ねた日曜日。
9時前からパラパラ降り出した雨をかえりみず、妻と名鉄ハイキングへ。

今日のコースはわが町・高浜市。ハイキングというより近所を散策している気分。
すべてが見慣れた景色。いつも通っている普段着のままの道々だ。

高浜港駅(スタート) → オニハウス(観光案内所) → 鬼みち → かわら美術館 →

大山緑地公園 → えびせん家族高浜店 → 中部公園 → おとうふ市場大まめ蔵 →

人形小路おいでん横丁(ゴール)

「高浜のカントリーロードを歩こう!鬼みちから人形小路おいでん横丁へ」
の呼びかけも、雨のため、いささか迫力がない。雪中行軍ならぬ雨中行軍の人出もまばら。

しかし、陶器瓦の町・高浜市の自慢はいくつもあって、一押しは、「衣浦観音」。
かわら美術館すぐ北の高台に位置し、高浜の町をやさしく見守っている。

観音寺境内にある高さ8mの陶管焼の観音像は、日本一の大きさとか。
境内へ立ち寄る人は少なかったが、ここはやはり癒しの空間。

高浜の鬼板師で「鬼長」の屋号を持つ浅井長之助氏の製作で、これを焼成したのは、陶管の窯元・森五郎作氏。歳月約4年の苦心の末、昭和34年3月完成。


衣浦観音


二押し目は、大山緑地公園内の「大たぬき」。
長い歳月、公園を行き交う老人や園内で遊ぶ子どもたちを、温かく見守ってきた。

昭和39年建立。陶管焼で高さは5.2m、胴回りは8m。
胴回りの長さは、陶管製の像としては日本一と言われているとか。

大山緑地公園は桜の名所。地元では、千本桜はつとに有名。
散り初めの桜の花びらが、大たぬきの頭に肩に降ってゆく。

今年もすぐそんな季節が来る。



大山緑地公園・大たぬき


2017.01.29(Sun)
旅人は祈りを込めて雲になる

YAHOO!ニュースから下の画像が飛び出した。
真冬のコスモス。季節はずれの色彩を辿っていくと、どうやら沖縄県。

「桃色の魅力に誘われて 沖縄・金武町 コスモス畑にぎわう」の見出し。
そうか、沖縄ではとっくに春。コスモスが咲いてもおかしくない気温なのだろう。


11月から3月までのあいだ、田んぼを休ませるため緑肥として植えられるコスモス。
それが、この時期(本土では一番寒い!)満開になっていく。

札幌の「雪まつり」や秋田県横手市の「かまくら」を思うと、やはり日本列島は東西に長い。
雪掻きで苦労している人たちとコスモスの海で縦横に羽を広げる人たち。

東西の中間地点、西三河地域はまた違う貌をする!



金武町伊芸区・コスモス祭(又吉康秀撮影)



2017.01.22(Sun)
さみしさが握る三色ボールペン

午後からは、仕切り直しの「きぬうら新春句会」。
1月下旬ということもあり、懇親宴は止めて、通常の句会だけとなった。

句会に先立ち、平成28年度「きぬうら作品年間賞」の授賞式。
各会員2句提出の応募作品全80句から秀句3句、佳作5句の推薦を6人の選者に依頼。

秀句に3点、佳作に2点を配点し、獲得合計点により年間賞を決定。
その結果は、何と、何と、最優秀句賞と優秀句一席を私が独占した。

 永遠を入れてかなしくなった箱  最優秀句賞(10点)

 お手玉をするのに丁度いい宇宙  優秀賞一席(9点)

これだけではない。平成28年度 誌上課題吟の部も第2位と健闘。
各賞状と副賞の図書券をいただいたのだった。

句会の成績はさほど揮わず、本来の実力が出た。
まだまだだ。今年は川柳を体系的に学んでいこうと思う。

句会の入選句は・・・・

 大太鼓 怒涛の海を呼び寄せる  「楽器」 軸吟

 きれいに着飾る絶滅危惧の鳥  「酉(鳥)」

 啄木鳥のせい唇がヒビ割れて  「酉(鳥)」

 欠けているとこがやさしさなんだろう  「自由吟」 秀句



冬木立



2017.01.15(Sun)
ユメのある時代を生きた正露丸

朝起きたら一面の雪景色。
雪国を思わす真っ白な光景が、まだ眠い眼に射し込んでくる。

今日の「きぬうら新春句会」は、早々に中止が決定。
楽しみにしていたが仕方ない。主催者はこんなとき本当に大変だ。

昨夜は、懇親宴用の差し入れの清酒「作(ざく)穂乃智」を買った。
準会員の身では、こんなことくらいしか役立てない。

この酒、知る人ぞ知る。
伊勢志摩サミットのコーヒーブレイクにて供された酒だ。

今晩一人でゆっくり味わおう。
川柳仲間に振る舞うのは、これからいくらでもできる。

さて、恒例の川柳報告(11/27 きぬうら句会以降)です。
我が頭上に、秀句よ降ってこい!


岡崎川柳研究社本社句会(12/3)

旅人は祈りを込めて雲になる  「浮く」 秀句

笛を吹く凡人だけがついてくる  「凡人」

凡人もたまには読んでみる聖書  「凡人」

生き下手の愛しいまでに冬の蝶  「下手」 秀句

お祭りの射的倒れたことがない  「下手」

狼にはなれない嘘が下手くそで  「下手」 佳句

欲深い街に小さな赤い羽根  「深い」 軸吟


鈴鹿ネット句会(12/16発表) 

かさぶたを剥いで夫婦になってゆく  「悟る」


きぬうら句会(12/18)

たこ焼の穴にも古きよき時代  「時代」

ユメのある時代を生きた正露丸  「時代」 秀句

温もりがレコード盤にある時代  「時代」

かけうどん一杯ユメを見る銀河  「ほかほか」

百年を生きるほっかほかの笑顔  「ほかほか」 佳吟

しあわせの在庫が増える土瓶蒸し  「ほかほか」


鈴鹿川柳会句会(12/23)

冬の風ボスにはボスの吹き溜まり  「代表」 誌上互選 5点

モネの絵をさがす印象派のとびら  「代表」 誌上互選 1点

こんなにも青い空です油売る  「売る・売れる」

体じゅう宙ぶらりんな片想い  「自由吟」

ていねいに洗った手から虹が出る  「洗う」 席題 3点

手を洗う人間臭を消すために  「洗う」 席題 3点


川柳塔(12/23発表)

さみしさが握る三色ボールペン  「持つ」 秀句



2017.01.08(Sun)
生き下手の愛しいまでに冬の蝶

茶を啜る。
寒い朝の対処法は、これに限る。

暖冬の正月から一転、寒波がこの三河地方にも来た。
雨が雪に変わることはないが、寒さが厳しくなるのはこれから。

昨日は、岡崎川柳研究社の本社句会。
新年句会ということで、いつもよりいくらか多い30名ほどの参加。

恒例の干支のお題では、二句が入選、幸先がよい。
「酉」では発想が広がらないので、やはり「鶏」。

罪状を告げて一番鶏が鳴く

煩悩の深さで赤くなるトサカ

岡崎川柳研究社の柳誌「川柳おかざき 風」1月号を繙く。
今年から、「私の好きな句」に選評(鑑賞)を載せることになった。

その第1回目は私が担当。
作句とは違う世界を作りだすのは、とても悩ましい!


私の好きな句(十二月号より)  

離れてよ皺が私によくなつく     加藤ミチエ

ご婦人にとって皺は大敵。小皺ならまだしも、パワーショベルで掘削されたような皺は「離れてよ」と言わずにはいられない。それでも懐いてくる皺は、長く生きてきた勲章。

バイキングだんだん元が取れぬ歳     加藤千恵子

「バイキング必ず元を取る自信」(青砥たかこ)「ウエストのラインが消えたバイキング」(山本鈴花)などの句を思い出す。元が取れないのは残念だが、歳相応の食欲があることを良しとしよう。

飲み過ぎか桂馬歩きの帰り道     会津庄一朗

「桂馬歩き」とは面白い表現。自分のことか、それとも酔っ払いを客観視しているものか。いずれにせよ飲み過ぎであることは確か。車道は危ないから、歩道をゆっくり桂馬歩きして下さい。

腹が減るとても呆けてはいられない     飯田 昭

ひもじさは辛いものだが、ひもじさを知らなければ呆けが進む、空腹ではとても呆けてはいられない、と昭さん。「犯罪に近い宴の食べ残し」(新家完司)が、呆けを加速させているのも事実。

三本の矢まとに当たった気がしない     小嶋 順子

アベノミクスを暗に批判した句。弓矢は的に命中してこそ価値を生むが、安倍さんが提唱した三本の矢は的に当たったのかどうか。主婦感覚では当たった気がしない、と。

毒舌がことさらはずむ快復期     瀬戸 澄女

お年寄りの毒舌は元気な印。ましてや、快復期には胸のつっかえ棒が取れた分、いっそう毒舌が冴える。家族もこれで安心だ。さて、これからは「寝たきり」老人ではなく、「出たきり」老人でいこう。

世渡り下手で信号運にめぐまれぬ     伊藤たかこ

「タイミング良く信号が青になるかどうかの運」が信号運。が、ここでの信号運は比喩。生きる運すべてを指している。世渡り下手、結構なことです。生きることが下手な人ほど神さまや仏さまに近いのですから。

たいていはコップの中で起きたこと     神谷とみ鼓

「コップの中の嵐」と言う。大した事はない、やがて落ち着く、という意味か。嵐の真っただ中にいると思えることも、振り返れば時間だけが流れていただけのこと。なるようになる、抗ってもしかたない、と作者。

野菜高戦のように値があがり     中根のり子

「戦のように」がこの句の命。今年の野菜の高値は、主産地の北海道に台風が相次いで上陸した影響が大きいが、食べ残しの多い日本の食文化に一石を投じてくれたのも野菜高。

酔うほどに知らない僕があっかんべ     黒川 利一

五代目小さんの「蒟蒻問答」を思い出した。こんにゃく屋の親父が寺であかんべえをしたのを、修行僧が『三尊の弥陀は目の下にあり』という仏教語だと勘違いをして敬服するという噺。「あっかんべ」は僕らの小宇宙。



2016.12.31(Sat)
土に還るみんなきれいな顔をして

大晦日の空が澄んでいる。
この時期は遥かかなたの山々がよく見える。

419号線沿いに車を知立方面へ走らせると、正面に恵那山。
そして、その後方右に南アルプス、左に中央アルプスの山々。

恵那山はまだ雪を冠ってないので、やはり今年は暖かいのだろう。
雪を頂いた恵那山は、革命が起こりそうなほど過激な貌をする。

中央アルプスから離れて手前左には、雪を冠った御嶽山。
西三河地方の住人には、やはり御嶽山が一番の馴染みだろう。

表題は、「川柳塔」のネット句会で秀句をいただいたもの。
お題は「みんな」。
今年の後半は、「川柳界の巨星落つ」の訃報が続いた。

晩秋に尾藤三柳氏が旅立ち、年末には墨作二郎氏も土に還られた。
お会いすることは叶わぬ二人だったが、句は脳裏に焼き付いている。

乱世を酌む友あまたあり酌まん  三柳

車座で読むアンネの日記 ビートルズ  作二郎

さて、今年の大会、句会で秀句をいただいた川柳を紹介する。
これらの句群も、冥土の旅の一里塚である。

夢をまだ探してサルは木に登る

爪を切りあすの仕種を軽くする

海原を染めるカモメという自信

招かれて今日一日をフイにする

恋は終わった黙祷を捧げよう

やわらかい人になろうと湯の町へ

やさしさを辿れば母といういで湯

メール打ちときどき少年へ還る

回り道したから解けた答案紙

その日から鴎になった旅プラン

注ぎ残しないよう今日を傾ける

カモメ舞う今が幸せならばよい

箱庭のキュウリが真直ぐに育つ

奇蹟だな一億人のなかの君

さみしさを抱えた人の来る花屋

未来へは伏流水になって行く

あおぞらのような人です謎がない

暴かれて海という名の水たまり

雨の日はすこし違った世界観

永遠を入れてかなしくなった箱

地図のない旅だ縄電車で行こう

椅子一つわたしの影を座らせる

巻き戻しすると悲しくなる時計

十七音母への想い書き切れぬ

危ないと思うきれいな底だもの

しあわせを呼ぶと返ってくる谺

ゆうやけを呼ぶ魂の泣くあたり

あすという仕切り最終便が来る

煙吐くエントツ永久という長さ

モノサシで測れぬしあわせの段差

いっぽんの滝が流れている微熱

平熱になっては翔べぬかもめーる

人柄が滲むあなたという魚拓

母に逢う靴の冷たいはずがない

激動の時代 湯舟の栓を抜く

淋しさを流そう全開のシャワー

向日葵になろう看護の目をひらく

梅干を真ん中ニッポンの文化

誤りに気づいて青いままの空

誤りを悔い一本の樹になろう

スナップを利かせる妻の言葉尻

肩車そこから明日が見えるかい

指メガネ覗くこの世は美しい

夕焼けは休み時間を知っている

さみしい街だ影だけがすれ違う

青空になるまで揺らすラムネ瓶

うれし涙は伏流水になってゆく

背伸びする踵がつくりだす宇宙

愛された日々幕切れはこんなもの