あおみ労務事務所
CONTENTS
事務所案内
労務記録
経営情報
随想
案内板HOME
随想
「晴耕雨読」という言葉を、今しみじみ味わっています。
「晴れた日には畑を耕し、雨の日には読書する」すこぶる人間らしい気がします。
宮澤賢治が「雨ニモマケズ 風ニモマケズ・・・」と手帳に記したように、このページでは、心に浮かぶままの考え・感想や日常での出来事、変わりゆく景色などを、詩やエッセイなどの形で、気軽に綴っていきます。
2009.04.26(San)
名鉄ハイキング

  西端「春の蓮如ウォーク」
  ルート:応仁寺−無我苑−康順寺−栄願寺−西端陣屋−応仁寺

へ行くはずだったのに、なぜか
「名鉄ハイキング」に紛れ込んでしまった。
それで、やむなく

 
  北新川駅―(徒歩約5分)―久沓公園【スタート】…哲学たいけん村「無我苑」…(哲学の
  小径)…応仁寺…油ケ渕遊園地…油ケ淵…広藤園…碧南中央駅【ゴール】

のコースをたどることになった。風が強い。天然湖沼・油ケ渕がまるで怒涛の海のように荒れ狂っている。いつもは穏やかな油ケ渕だけに、初めて目にする光景に少し驚いた。

まぁ、人と同じなんだ。笑う日もあれば、怒る日もあって、それでなんとか心のバランスを取りながら生きていける。

おかげで、藤の名刹・広藤園へ久しぶりに行けた。今日は茶会などの催しがあって、人出で溢れていた。広の長藤は、幾分短くなったように感じられた。色彩もだんだん淡くなっていく。

はじけていた笑顔が、泣き顔に近づきつつあるといったところか?
まぁ、人と同じで、また笑顔を取り戻せる日もあるだろう。

ということで、今日は妻と一緒にただ歩いただけの話。



2009.04.11(Sat)
川柳七句

いい人に逢えそう豆の蔓延びる

恋人の胸に泊まって温もれり

人波を上手くただよう軽い靴

紙風船高く飛ばして高く澄む

雨の日があって程よく火傷する

幾冬を越して賢い妻となる

賢さを胸にたたんで母老いる



2009.04.05(San)
桜を見に行く!

桜が満開だというのに、花曇り。“飲めや歌えや”は、やはり晴天の下がいい。
桜の古木がどこまでも延びて、青空をピンクの花で染めていって欲しい。

そこに漂うのは、自由。みんな伸び伸びと飲み、はしゃぎ、歌っている。
中には踊っている連中もいて、周りもつられて踊りだす。

そんな景を浮かべるが、花曇りの空では、そうは陽気ではないだろう。
先週は、岡崎川柳研究社主催の「岡崎桜祭り川柳大会」に参加。

入選句は、下の五句(その内一句は二人の選者から選ばれる)。
読者の方には、「なぁんだ」と思われるかもしれないが、まだまだこの程度の力だ。

 遠い日の翔べない羽根が今もある      (兼題・羽根)

 海光る彼からもらうプロポーズ        (兼題・直感)

 泣きたくて時々泊まる母の膝         (兼題・泊まる)

 憎しみで切るたび錆びてゆく鋏        (兼題・鋏)

 ひとしきり笑ったあとの座が温い       (席題・賑やか、共選)

今、少し日が差してきた。
空は相変わらず白雲を覆っているが、何となく気持ちが晴れそうな雰囲気。

もう一度、桜を見に行こうか・・・・。



2009.03.28(Sat)
桜を見に行く!

桜を見に、ちょっとした散策。
大山緑地公園と専修坊(センジュボウと呼びます)。

大山緑地は、ざっと二分咲き。これでは飲めや歌えやの宴が盛り上がらない。公園の北側に淡墨桜が三本。花弁の真ん中が薄い赤色で、花と枝の弱々しさが、逆に清楚に感じられた。

専修坊の枝垂桜は、すでに満開。少し峠を越えたところで踏ん張っているといった様子。
樹齢百年にもなるのか、古木に支え棒がいくつも施してあって、何とも歴史を感じさせる。

専修坊の枝垂桜は、何もかも見てきたのだろう。
栄枯盛衰に花を咲かせては散らせ、人の喜怒哀楽を慈しんできたのだろう。

経済は時に不況の真っ只中。百年に一度の金融危機とも言われている。
百年前のおなじ状況を、この枝垂桜が見ているならば、どんな対策を立てたらいいか?

花に問うても詮無いことだ。花は精一杯の癒しを人にくれている。
それだけでいい。



2009.03.22(San)
能楽堂

昨日は、中小企業家が集まる異業種交流会の支部総会。
場所は、豊田市能楽堂。勿体ないような能狂言の舞台を借りての総会だ。

総会終了後、お決まりの狂言を楽しんだ。太郎冠者、次郎冠者は相変わらず健在。
主人はこの二人の了見にはなはだ呆れ返っている様子。

狂言の本寸法は、人間の愚かさを余すところなく描くところだ。
美談を好まず、人間の本音を垣間見せるところは、落語ととても似ている。

狂言の演目は、「棒縛り(ぼうしばり)。
あらすじはと言うと・・・・

用があって外出する主人は、太郎冠者、次郎冠者の召し使い二人に留守を言い付けます。
しかし、二人は留守をするといつも酒を盗んで飲む悪い癖があります。

主人は一計を案じ、太郎冠者は後に手を縛り上げ、次郎冠者は長い棒に両手を括り付けてしまいます。不自由な身の上になってもやはり酒を飲みたいもの。

酒蔵の戸を開けた二人は目の前の酒壷を見て大喜びし、苦心惨憺しながら、縛られた手でお互いに酒を飲ませ合い、上機嫌になった二人は、飲めや謡えやの酒盛りを始めます。

その真最中に戻って来た主人は、賑やかな酒宴を見つけて腹を立てて、そっと背後から忍び寄り、二人を打ち捉えようとします。二人は慌てて逃げ出します。

たわいもない設定だが、人間が逆境にあってもそれに甘んずることなく知恵を働かせ、骨折り苦心して、逆境を乗り越えていく様子が見事に描かれている。

両手が不自由になった二人のする苦労は「酒を飲むため」だし、働かせるのは「悪知恵」だが、自分の求めるものに向かって突き進んでいく姿は、力強く陽気で愉快である。



豊田市能楽堂


小原木踊



2009.03.14(Sat)
川柳七句

少年の眠りをさそう雨の音

風船がふわり仏の掌に召され

残り火を誰にたくそう春の酒

合格のいちにち春の陽が溢れ

指切りの指の温さで生きられる

銀婚の妻の背に描く二重丸

駈け抜けて少年やがて風になる



2009.03.08(San)
啓蟄

白木蓮が咲き出した。
ここ数日で、あっという間に春の花が開いて、町を華やかにしてくれている。

そうか、雨が多かったからだろう。
温かな春の雨で、花々は冬の眠りから目を覚ましたというわけだ。

矢車草も眼にした。イメージでは、鯉幟の季節に咲く花だったが、早々と咲いているのは、何か死に急いでいるのでは・・・と勘ぐってしまいそうだ。

海の底を描いたような深い蒼色が矢車草のいのちだ。鯉幟の頃の花は、そんなに早く咲かなくても、初夏を思わす温かな日差しの中で咲いていて欲しい。

ゆっくり、ゆっくりでいい。
春の扉が開いても、慌てず、騒がず、蝸牛の歩みで扉から出てくればいい。

啓蟄。春の陽を目指して、また一匹の虫けらが這いあがっていく!



2009.03.01(San)
恒例行事満開

弥生三月。寒さもピークを過ぎて、やや張りつめた心が緩んでくる季節。
それで、この時期に風邪を引くというのが多いのだろう。

先週の日曜日は、長男坊の22回目のバースディ。
秋に祝ってくれたお返しに近くの焼き鳥屋へ誘い、ホッピーのぐい飲み。

焼き鳥は長男がすべて注文。私は食べ物の好き嫌いがないから、出たものはすべて平らげる。
要は、酒がありさえすればいい。酒は裏切らないから、どんな場面でも癒される。

昨日は、西尾川柳会主催の川柳大会(風輪の会)が妙喜寺で開催。
川柳の師匠・會田規世児の句碑がある寺だ。この日の兼題は二つ、「衣」と「味」。

 衣擦れの音さらさらと春が来る

 春衣いっぱい集まってくる天使

 次の世もおんなでいたい味加減

 この味を受けついでゆく形見分け

いずれの句も一夜漬けの代物だから、どれもいい評価は得られない。
オリンピックではないが、「参加することに意義がある」というところだろう。

今日は、家人と知多市の梅の名勝・佐布里池へ行った。これまた恒例。
暖かな日和で、花粉が飛び散っていたのだろう、目は痒いわ、くしゃみや鼻水は出るわ。

こうして、恒例行事の一週間が終わった。
徐々に形を変えながら、月日は足早に過ぎていく!



2009.02.21(Sat)
美しい人生を

居間の壁に張られた息子たちの習字の文字を見ている。
二男が書いた「夢を語る」と、三男が書いた「命の輝き」。

何ともまぶしいきらめきがある。ピアノもそろばんもそこそこの習いで終えたが、習字だけは中学生になってからも続けている。習字が好きなのだろうか?

中学生になると普通は学習塾へ通うものだが、二人はそこへも行かず、習字だけをひたすら続けている。何かいいことがあるのだろう。それもよし、だ。

手元に、杉井保之さんの言葉(書は落合勲さん)を載せたカレンダー「美しい人生を」がある。
ある方から頂いたものだが、タイトルどおり美しい言葉の数々。

 手を抜けば楽になる
 手を加えれば楽しくなる

 怠る者は不満を語り
 精出す者は夢を語る

 尊敬する人に接するように
 目の前の人に接していますか

 力を抜いて
 息をして

力を抜いて(そう見えます)書いた毛筆の文字がまたすばらしい。
いつでも、どこでも身も心も癒されるようだ。

 してあげたいと思うことが
 心と体を軽くする

 はずれを引かずに
 あたりを引こうと思わないこと

息子たち、こんな言葉も毛筆で書いてください。


落合勲筆「雨水」



2009.02.14(Sat)
川柳七句

初恋の味はおにぎり塩昆布

シンプルに生き抜くための隠し味

幾山河越えてハートが温かい

どれだけの愛を奏でた砂時計

手を繋ぎ少し汗ばむ恋を知る

初恋は片目つぶってレモン噛む

さよならを笑っていえる南風



2009.02.08(San)
中馬のおひなさん

「中馬のおひなさん」を見に行く。
言わずと知れた豊田市足助地区商店街の雛祭りの一大行事だ。

この地には、多くの商店や家庭で代々雛人形を残し伝えていく慣わしがあるようで、それは、「がんどう」という風習によるところが大きいように思う。

「がんどう」とは、おひなさんの日に子どもたちが「おひなさん見せて」と言って家々を回ると、お菓子がもらえるという、この地方に古くから伝わる風習なのだそうだ。

「がんどう」を一度でも体験した大人たちは、ゆえに、子どもたちのうれしい顔を見るのを楽しみにして、代々、雛人形を大切に保存してきたのではなかったか?

足助の町並みは、雛人形目当ての人がごった返し、年に何度かの活気が漲っていた。
今年で第11回目を迎えたこのイベントが、さらなる進化を遂げてくれるといいと思う。

「中馬のおひなさんマップ」をしみじみ見つめていると、塩の道であるこの地(飯田街道=中馬街道)を通ったいにしえの旅人の姿が浮かんでくる。

旅人たちは、この時期、「中馬のおひなさん」をうれしそうに見つめたのだろう。
マップのなかで、「いらすと : からさわ てるふみ」とあった。

あの、柄澤照文さんのことだ(僕だけが知っていることですが・・・)!



2009.01.25(San)
オレの飲り方

ガラス越しに冬の陽差しが暖かい。
外は風が大分あるようで、町角に立つ安全運転のノボリなどを揺らしている。

雲の流れが速い。ときおり雲が日差しを遮るが、すぐに雲はたち切れてまた元の暖かい陽を差し掛けてくれる。

久しぶりに本箱から「オレの飲り方」(ビッグコミック編集部編・小学館)を取り出し、ページを繰っている。各界有名人が“熱烈酒ライブ”を語っている。

酒の履歴や酒の上の失敗談が多く語られていて、心がうらぶれたときにはずいぶん癒される。


心が渇いていた。やけるように熱いものが欲しい。
「世界一、強いカクテルをくれ」

バーテンに言った。出てきたグラスを軽く「クイッ」。大したことはない。
「全然、効かないじゃない?これが世界一強いカクテルなわけ?」

バーテンの薄ら笑い。2杯目も「クイッ」何ともないよ。よし、飲めるだけ飲んでやれ。
3杯目の途中で・・・・ブッ倒れた。

アブサンとジンとウイスキーのカクテル。人呼んで“アブジンスキー”。(原田芳雄編)


最近は、もっぱら芋焼酎のお湯割り。美味さは別として酔い心地は悪くない。
飲むほどに、酒が五臓をかけめぐる。

何かを探しているのだろうが、それが分からずにただ飲んでいる!



2009.01.18(San)
不動心

早いもので一月も下旬に差し掛かっていく。
うかうかしていると、梅・桜が咲いたという季節になりはしないか?

今年も大晦日から元旦にかけて、地元の氏神様へ参拝。
“蜜柑やお菓子を貰いに”と言った方が当たっているようなせわしさは、相変わらず。

三日、四日は、日間賀島へ。日間賀観光ホテルは三度目。
気取らないもてなしと海の幸がいい。風が冷たいが、日間賀島を一周するのも楽しみ。

そして、五日の仕事始め。ここからあっという間に日めくりが捲られる。
お屠蘇気分は長いこと続かないのが世の常で、経済も家庭もみんなそうだ。

先週、久しぶりに触れた句がある。
永い間暖めてきたものだが、この時代にどうやら生きてきた。

 侘助やもとより無一物のわれ      西澤信生

そして、異業種交流の会報誌には次のように書いた。

 不況風が吹き荒れています。
 経済はまるでジェットコースターのように高みから滑り落ち、その勢いを止めません。

 こんな時に必要なのが、“不動心”ではないでしょうか。
 おろおろせずに、腰を据えて活路を開こうとする“思い”です。




2009.01.11(San)
川柳七句

止まり木を描いて翼が輝ける

死に急ぐ人から注ぐ冬の陽よ

もう逢えぬ人に逢いたい陽が零れ

引き際を決めて明日が美しい

友を待つ駅にやさしい牡丹雪

未来派を演じ明日を待ちわびる

驕る日は破れた靴で出掛けよう



2008.12.28(San)
切なさは一等?

今年作句した川柳を眺めている。
どれもこれも一夜漬けならぬ浅(朝)漬けの代物だ。

しかし、一瞬をしたためたものだけに、デキは別として少なくとも本音が透けて見える。
見果てぬ夢や別離の果ての哀しみを歌ったものなど、切なさだけは一等だと自惚れている。

自選で恐縮だが、平成20年のベスト5を選ばせてもらった。
自分の句を自分で選ぶのは、誰にも迷惑を掛けることがないから気儘なものである。


 ネクタイの結び目恋が踊り出す

 遠花火あなたに合ったルビを振る

 恋をしてみな抜け殻が美しい

 バスを待つうしろ姿にある安堵

 寄り添って吹雪の中にいる温さ


「ネクタイ」の句は、不器用な若者を描いた。ネクタイの締め方が下手で、傍にいる女性に結び目を直されたときに突然、“恋”が降ってきた。女性は幼なじみだろうか?

「遠花火」の句は、洋画のスクリーンの字幕を思い浮かべた。字幕とルビではずいぶん違うが、好きな人へのフレーズを遠花火にルビを振るように記したのだった。

「恋をして」は、瞬間に飛び出した句。脱皮した成虫ではなく、「抜け殻」に眼を向けているのはなぜだろうか?今なら、天女の羽衣を想像しなくもない。

「バスを待つ」は、いくつか書いたバスシリーズの中の秀句(?)。自分の安否を気遣ってたずねてきてくれた友が、安心してバスに乗って帰ろうとする後姿を描いたものだ。

「寄り添って」の句は、吹雪の中での男女の温かい情景。

いずれの句も、明るく仕立て上げられている。「切なさ」はどこにもない。
そうなると、「切なさは一等」というのは錯覚なのだろうか?



2008.12.21(San)
立川談志

  
人生、成り行き  ― 談志一代記 ― 

上は、久しぶりに近所の書店で買った本の題名。
言わずと知れた、落語会の鬼才・立川談志の一代記である。

聞き語りの形をとっている。聞き手は演芸作家の吉川潮(よしかわうしお)さん。
落語立川流の顧問という立場を利用して、談志に一代記の連載を直談判。

「立川談志という稀代の芸人の人格形成の過程、“技神に入る”とまで言われる域に達した落語家の秘伝を明らかにしたい」という願いが通じたものか、ここに見事な一冊。

目次を見ただけで、心が躍る。

「最初から、自分がうまいことに気付いた」「あたしのことだ、一年もやりゃあ、政界の要領はおぼえました」と談志語録がこれまた踊る。

あぁ、読むのが楽しみだ。まずは読書。それから感想を書くことにする!



この本を買ったのです!        談志の遺影?



2008.12.14(San)
川柳七句

バスを待つうしろ姿にある安堵

別れから見果てぬ夢を追い続け

情念が冬日に揺れる姫リンゴ

恋人の背にそれぞれの時がある

悔恨を画鋲に留めてゆく月日

恋終るいつもの時が擦れ違う

美しい嘘で自分をさがす旅



2008.12.07(San)
柚子湯

湯舟に柚子が浮かんでいた。
先日、お客さんから貰った柚子だが、もうそんな季節になるのかと改めて思った。

柚子は冬至に付物だから、ちょっと早い冬至の匂いをかいでいる。
これからやってくる寒さの前に、この贅沢な匂いも悪くない。

湯殿で体を洗うと、左膝の左とすぐ上に、傷痕が残っている。
この夏に負傷したものだが、ずいぶん薄くなっている。

左側の傷は、酒場帰りに自転車で転倒した折に付けたもの。
膝上の傷は、たこ焼きパーティーで付けたものだ。

名誉の負傷ではないが、ずいぶん懐かしい気がする。たこ焼きパーティーでは、たこ焼きを引っ繰り返す際に勢い余って飛び出したものが、左膝上にくっ付いてしまった。

まだ半焼けのグジュグジュだったから、手で払いのけても落ちない。おかげでささやかな火傷。
全身火だるまの火傷では、懐かしいという感慨には浸れなかっただろう。

まだいささか早いが、一年を振り返るのに、冬至の柚子湯はいいものだ。
柚子の香が匂う湯殿で、生傷が絶えぬ体をしばし眺めるのもいい。

「“融通”が利くように柚子を湯舟に浮かべる」、というのが冬至の柚子の由来らしいが、融通が利かなくとも真っ直ぐ生きたい気がする。

やがて来る未来のために・・・・!



2008.11.22(Sat)
川柳七句

かなしみを搾ると明日が匂い出す

バス停をしっとり染めてゆく夕陽

温かい情景だけを借りにゆく

待ち人のところに続く空の青

ネクタイの結び目恋が踊り出す

干し柿に愛しい人を吊り下げる

バスを待つ何かいいことある明日



2008.11.16(San)
ニセアカシア

高浜中学校(高浜市湯山町)の正門横に、桜並木に混じってマメ科の落葉高木が続いている。
この季節、黄金色の葉を生徒たちの頭上や肩に降らし、風に舞って地に落ちていく。

初夏、卯の花のような純白の小花を咲かせるこの木の名前が前々から気になっていた。
図鑑で調べると、どうやら「ニセアカシア」らしい。

別名、ハリエンジュ(針槐)。名前からして、棘があるのだろうか?
昨日、久しぶりの長時間にわたる散策。この地には、ニセアカシアが多いのに気づいた。

この木の見事さは、盛夏の青々とした彩りではなく、いのちが枯れてしまう前の黄葉の色だ。
落日に照らされた黄葉が、言いようもないノスタルジアを誘い、しばらく感傷に浸らせる。

紅葉狩りの良さは、この辺りにあるのかもしれない。弾むような若い季節ではなく、しぼんでしまいそうな晩秋の日々に一番美しい色彩が宿る。

それはなぜだか、祈りに似ているという気がする。
人は、祈りの原風景に、自分の歳月を重ねているのだろう。

「ニセアカシア」はこんな木です。



ニセアカシアの梢



2008.11.09(San)
やがて来る冬

昨日は、JA安城農業祭り。会場が安城デンパークと隣接するため、参加者には、デンパークの入場券を無料でくれるので、その日空きのある家族メンバーと毎年のように出かけている。

小雨の中、傘を差して催し物や露天を覗く。豚汁の振る舞いもあって、野菜一杯の具と汁で心がしばし満たされる。晴れていればどんなに気持ちがいいかと思った。

火曜日、ささやかな別れがあった。出会いから別れまでの顛末は、今は触れてはならぬことだが、その間のしっとりとした心の日々を思いながら、数日落ち込んでいる。

同じ日、長男が今週末に「やきとりの扇屋」へ行こうと誘ってくれた。
誕生日祝いとかで、「僕が奢るよ」と言ってくれたのはうれしかった。

昨日夜、例のようにホッピーで乾杯。寒い夜だったが、心は温かかった。
長男と外で飲むのは久しぶりで、今年2月下旬の扇屋以来だった。

あの日は、特に寒かった。体中が凍えるような感覚だった。
梅の開花も幾分遅れ、春が待ち遠しい頃だった。

あれから、八ヶ月以上が過ぎ、今は晩秋。思えば過去、晩秋にあまりいいことがなかったような気がする。さびしさと嫌悪だけが身に染みている。それは、やがて来る冬のイメージか?

ささやかな別れの悲しみを纏い、しばらくは暮らすことになるだろう。
酒量が増えていかないように気をつけよう!



冬のデンパーク



2008.11.03(Mon)
佳句が匂いだす日

昨日は、刈谷市民文化祭川柳大会。三度目のチャレンジを試みた。
結果はというと、一夜漬けが効いたのか、奨励賞を受賞。

「踏む」の題で、選者・松原ヒロ子さんが、私の句を天に抜いてくれた。「天に抜く」とは、投句された作品の中で一番と思われる句を選者が選定することで、恥ずかしながらこんな句だ。

 落ち葉踏む地球が少し匂いだす

松原さんは、「“匂いだす”という部分が良い」と評してくださったが、松原さんの感性に少なからず触れたのは運が良かった。他の選者であれば、没句になったに違いない。

来賓挨拶は、塚本吉英刈谷文協理事長。わたしの随筆仲間だ。塚本さんは、俳句は嗜んでいるようだが、川柳は初めてだったようで、川柳の奥行きについて挨拶で触れていた。

川柳を始めて六年近く経つ。やっと佳句と駄句との違いが少しわかってきたように感じるが、まだまだだ。佳句が“匂いだす”ようになるには、何年かかることやら。

以下が、大会の我が入選句です。

 落ち葉踏む地球が少し匂いだす

 まだ青い独り舞台を踏んでいる            題「踏む」

 しみじみと語る手紙を抱いて寝る           題「語る」



2008.10.26(San)
滅びつつ・・・

さすがに十一月間近ともなると、夕方からめっきり冷えてくる。秋晴れの日中は、少し動くと汗ばむが、夕方は風が変わるのか、ひんやりした空気が足早に頬をかすめて行く。

晩秋なのだ。この季節には、(晩秋→寺山修司)という図式が出来上がっている。
それは、かつて暗唱した寺山の歌の影響だ。

 滅びつつ秋の地平に照る雲よ涙は愛のためのみにあり


先日、異業種交流会の広報誌に、この歌を冒頭に掲げた拙文を寄稿した。

 十一月。晩秋の夕の空を眺めていると寺山修司の歌を思い出します。
 落日を「滅びつつ」とうたい、「涙は愛のためのみ」と言い切った修司の限りない純粋性が
 真っ赤な雲間に浮かびます。
 最近、愛のために泣いたことがありますか?(以下略)

そして、さらに「編集後記」に、次のように書いた。

 “After all , tomorrow is another day.” 
 映画「風と共に去りぬ」のラスト・シーンで、ヴィヴィアン・リーがクラーク・ゲーブルに
 つぶやいたせりふ。「そうね、明日を待つことにするわ」の字幕が示すとおり、明日に期待し、
 未来を信じる言葉です。
 
「あすに向かって」第18号が発行されました。
 晩秋の風に押されながら、碧南・高浜地区は確かな足どりであすに向かっています。

晩秋の風が背を押す。いったいどこへ連れて行くのだろうか?
時には、心細さを抱いて寝るのもいいだろう。



2008.10.18(Sat)
鬼みちまつり

今日は高浜名物・鬼みちまつり。
“鬼みちまつり”って何?という人のために、高浜市の広報誌から・・・・

 高浜の文化的シンボルである「瓦」の歴史や表情を発見する“鬼みち”。
 そんな“鬼みち”の昼と夜の顔を楽しむ「鬼みちまつり」。

 今年で7回目を迎える「鬼みちまつり」は、ハロウィンをテーマとして「鬼あかり(ランプシェー
 ド)」が街並みを彩り、日暮れとともにロウソクを灯します。

 また、昼間のメインイベントとして昨年度までの「たかはま名物じまん市」でおなじみの
 “チャラポコ踊り”を行います。

後は、下の写真で想像してください。


小沢康典氏写真「ランプシェードに見とれて」 



螺澤鎭雄氏写真「点火を待つ鬼道まつり」



神谷浩造氏写真「ランプシェード」



中口雅弐氏写真「キャンドルに魅せられて」


鬼みちまつりから少し離れて、高浜市やきものの里・かわら美術館へ。
先週から「大道あや展」がやっている。

生誕100年(まだ存命です)を記念しての展覧会だが、華やかな明るい絵の数々。
絵本画の仕事が多かったせいか、子どもに親しみやすい花や鳥や動物が多く登場する。

大道あやさんの絵を時間をかけて、熱心に眺めている若い女性がいた。
絵よりもむしろ彼女の方が気になってしようがなかった。

どんな思いで絵を見ていたのだろうか?絵を見るポイントや絵の技巧がわかる玄人はだしの人なのかもしれない。ともあれ、大道あや氏の絵は下です。

「けとばしやまのいばりんぼ 表紙」絵本原画 1980年



2008.10.12(San)
川柳七句

雑草のごとくいのちが蘇生する

よそ行きの顔を詰め込む旅支度

眼の中に入れて郷愁持ち歩く

愛された日は遠く野に血がにじむ

秋ざくら揺れてあの日の忘れ物

この街に恋唄ながれ染められる

わたくしが違って見える蒼い月



  次へ   前へ 
あおみ労務事務所 社会保険労務士 柴田比呂志
愛知県高浜市湯山町8丁目8番地16

TEL:0566-53-7870 / FAX:0566-54-2066 / E-mail:
shibata@aomi.jp
Copyright (C) 2003 AOMI Personnel-Management Office All Rights Reserved.