あおみ労務事務所
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「経営」という言葉を辞書で引いてみますと、「計画に基づいて事業などを行うこと。又そのためのしくみ」 とあります。畢竟、経営とは「経営指針(経営理念、経営方針、経営計画)を作成し、それを誠実に実践していくこと」ではないでしょうか。
このページでは、その時々の経営にかかわる情報を取り上げ、発信していきます。
2008.09.13(Sat)
書道

萩の花が見頃を迎えている。
萩は野のものだから、いたるところに放射状に茎を伸ばし、見る者にさわやかな彩りを与えている。

隣家の手の良く加えられた萩の木が切られて数年。
九月中旬の目の保養源は失われたが、代わりにブラシの木が赤い花をつけた。

まだまだ昼の残暑はきびしいが、風がひときわ涼を運ぶようになった。
秋空には巻雲(絹雲)。ふうっと息で吹き飛ばしたくなる。

手元に「書道」(大貫思水編書)の本。副題として「楷・行・草の書き方と鑑賞」と書かれている。
習字を習い始めて一年ほどたった頃、父に買ってもらったものだ。

とっくの昔に無くなっていてもおかしくない本だが、手元に残しておいたのはなぜだろうか?
記憶に残っている言葉と少し違ったが、こんなフレーズがあった。

 「手質がわるい」とあきらめてはなりません。心をこめた練習!
 書道上達の秘訣はこの一事に尽きるといえましょう。

 古来器用な人よりも、悪筆に発奮して名手となった人の方が多いのです。

不器用を自認していた身には、いくらか勇気がわいてきたのを覚えている。
それで、身から離さずにいたのだろうか?その言葉を抱きしめるようによく練習した。

「人の倍練習する」と習字の先生から聞いた話を、いつか母がしてくれた。
不肖の息子は、努力しか取り柄がなかったのだろう。

わが子も習字を習っているが、何か大切なものが育っていないように思えてならない。
心・技・体のおそらく心の部分なのだろう。

その本質を言い当てるのは容易ではないが、例えば、「墨をする」という作業はどうなのだろう。
かつての少年少女は、「墨をする」ことが習字の基本だった。

「墨をするのは、心を落ち着かせるため」と言われたが、墨をすることで、何か大事な“行”に入っていく心構えを習得したのではなかったか?禅僧が座禅を行う前の、水行のようなものだ。

それが今の子にはないのではないか?
墨汁は私の頃にもあったが、与えられたものでは、“呼吸”が整わないのかもしれない。

再び、「書道」の言葉をかみ締めている。「多書よりも清習」。
「書道」!道であることを忘れてはならないと思う。

 ただやたらにあっちこっちと習っても、上達はいたしません。
 同じ手本をくり返しくり返し、細かに観察してていねいに習うことです。

 そうするうちに、気づかなかったことに気づき、習い直すたびに、新しい手本に向かうような気持ち
 になるでしょう。これが大切です。十分清習を積むというようにしたいものです。



2008.09.06(Sat)
今風成績向上論

 新人にパワハラ骨折 「ノルマこなせず」暴力

昨日の中日新聞・朝刊にショッキングな記事が掲載されていた。
自動車販売会社「ネッツトヨタヴェル三重」の店長が、新入社員に繰り返し暴行を加えていたのだ。

「民家100件を訪問して、セールスのきっかけとなる車の査定を7台以上してくるように」との指示に、暴力を受けた新人は訪問・83件、査定はゼロ。これに店長が激怒、暴行に至ったのだった。

上司による暴力の原因は、「仕事ができない」「態度が悪い」など。この記事のケースは、仕事が「できない」というより、「しない」ことを注意され、ふてくされた態度をとったのではないか?

背景にあるのは、極端な“成果主義”。しかし、「売上が伸びない」社員を、暴力により“叱咤激励”しても、逆効果になるだけだろう。

この出来事は、パワハラの実態もさることながら、セールスの手口が見え隠れしている。
いきなり民家に飛び込んで、「車を買いませんか?」では売れないから、査定から入るようだ。

そして、査定をしたところには、何度も足を運び、顔を売ることで次に繋げていく。
統計的にも、査定できた何%かの確率で車は販売されるのだろう。

それにしても、暴力により成績向上を目指すというやり方は、時代遅れもいいところだ。
リーダーシップが、「統率力」と翻訳された戦争時の感がある。

今や、リーダーシップは、「統率力」でも「指導力」でもなく、「人間力」の時代なのに。
前ビー・エム・ダブリュー東京椛纒\取締役社長・林 文子氏の顔がふと浮かんだ。

林さんは、『ほめ殺しの林』と言われたBMW社の元女性セールス。
ぜんぜん成績の上がらない営業マンに対してもとにかく褒めたという。

『○○君、あのヤナセさんと迷っていたお客様どうした?』
『あ〜駄目だったみたいです』

『まぁ、あんなに一生懸命やっていたのに、どうしてかしら?』(ぜんぜん一生懸命やってない)
『さぁ・・・・』

『ヤナセさんにもう完全に決ってしまったのかしら、確認してみた?』
『いいえ、でもたぶん駄目です』

『ちょっと私をそのお客様のところへ連れて行ってくださらないかしら?
もう一度お願いしてみようと思うのよ』

そして、部下をしかる時は徹底的にしかったそうだ。
『ここがすばらしい、でもここが惜しい」と。

また「悔しい」ともよく言ったそうである。「あなたを見ていると悔しいです、本当に悔しい」
「こんなにいいところがあるのに、これがこんなだなんて、本当に悔しいね」

時にはつかみ合いの喧嘩にも・・・・
『あなたは、素晴らしい人なのに、なんでこんなルール違反をするの!』

林さんは言う。

『部下を育てるのは、今すぐ結果を求めず、子供を育てると思って、心を傾けてあげてください。
まず、心のベースを作ってから仕事のスキルをUPさせてあげてください。』

林さんによると、上司として大事なポイントは次の2つ。

@FACE TO FACE。肌で感じるのが一番人を感動させることができるということ。
Aホウレンソウ(報告・連絡・相談)は上司の方から。

これが今風、成績向上論である!



2008.08.23(Sat)
楽して、儲ける!

 山田昭男(未来工業・創業者)著「楽して、儲ける!」

読みたい、読みたいと思いながら読まずにいた「楽して、儲ける!」を最寄りのブックオフで見つけた。あの爺さんの笑顔が表紙からこぼれている。

「未来工業」を知らない人のために、少し解説する。

 未来工業(本社・岐阜県安八郡)とは、松下もかなわない電設資材のカリスマ・カンパニー。
 経常利益が常に15%以上、年末年始休暇は20連休、残業ゼロ、でも給料は地域一番。

 大事なのは「社員のやる気」。社員をして100%頑張らせるのが社長の仕事の信念のもと、
 「休め、働くな、よきに計らえ」をモットーにしている。売上高240億円、社員数950人。

こんなエピソードが載っている。

沖縄営業所開設当時、営業所に採用された女性事務員から、本社経理に電話があった。

「給料もらったけれども、数字が違っています」
「今までの給料の倍はあります。絶対計算違いです」

正月休み、その女性の母が

「あんたいつの間にクビになったの。なぜ正直に言わないの」

沖縄の正月休みは3日程度。それが20日も休みなのだから、母親には信じられなかったのだろう。

爺さんが声高に言う。

社長が変われば、社員も変わる。一人ひとりが変わっていけば会社が変わり、国も変わっていく。
この国の未来をつくるのは、額に汗して働いている国民一人ひとりの努力しかあり得ない。



2008.08.17(San)
蟹工船

「蟹工船」がブームなのだそうだ。「蟹工船」といえば、“小林多喜二の小説”で、“プロレタリア文学の代表作”くらいは知っているが、さて、さて、どんな物語なのか?

あんちょこ(虎の巻)を取り出すと、およそ次のようなあらすじ。


「蟹工船」の舞台は1920年前後の北海道。函館港を出港し、カムチャッカ沖でカニ漁を行って、船内でカニの缶詰を加工する工船“博光丸”での出来事を描いている。

異様な臭気が漂い息苦しささえ感じる船底に押し込められた無数の労働者達。監督官は人を人とも思わぬ仕打ちで過酷な労働に従事させ、少しでも多くの水揚げを上げるために働きの悪い労働者には容赦なく暴力をふるってでも、ノルマを達成させることに懸命になっている。

監督官の目的は“いかに利益を上げるか”であり、利益を上げるためには労働者が疲れようが、病気になろうがお構いなしに過酷な労働を強制し、時には領海を侵犯したり、他の蟹工船が仕掛けた網を横取りしたりと法を犯してでも手段を選ぶことなく利益を追求していく。

一方で蟹工船を運営する資本家は、カニの缶詰という高級品を販売して高い売上を上げているにもかかわらず、労働者への報酬は微々たるもので、まさに労働者から搾取するだけ搾取しておいて、利益のほとんどを懐に入れている始末。

そして、仕事を続ける内に自分達が搾取されていると気付いた労働者達は一致団結して待遇改善の要求をするが、エスカレートした監督官の暴力や国家権力の壁にぶち当たることになる・・・・。


つまり、「蟹工船」ブームは、極限状況にある過酷な労働現場の描写が現実と重なり、また昨今の格差社会の到来に何の手立てもない労働者の共感が背景にあるようだ。

「企業が利益を上げる一方で、労働力を非正規雇用者に頼り、パートやアルバイト、契約社員、派遣社員を最大限に活用するものの、労働者の立場を保全していない」

「売上が落ちれば、人員整理を行って自社の利益を守るなど、人を人として扱っていない」

など、「蟹工船」とオーバーラップするところが多いのだろう。果たしてそうか?

現代の企業にとって、利益の搾取などありえない話で、企業間の国際競争の激化によって、正規社員から非正規雇用者に泣く泣く切り替えているのが実態だろう。

「正規社員だけではやっていけない!」事態を察するのも、労働者としては必要なことで、さりとて一層の企業努力を求めることも同時にしなければならないのだろう。

現代が抱えている“痛み”は、労使ともに分かち合う必要がある。
“痛み分け”というのが本当のところではないか?企業、労働者、どちらも辛いのだ!

しかし、「蟹工船」の場合は命がかかっているが、今は食うに困らないという根本的な違いがあることも忘れてはならない!



2008.08.10(San)
スケジュール帳

今朝の中日新聞サンディー版・300字小説「スケジュール帳」(早川健太朗 三重県四日市市・学生、18歳)から。


 ふと見ると、部屋の隅に赤い手帳が落ちていた。先週遊びに来た彼女の忘れ物だろう。

 軽い気持ちで、それを開く。

 思わず笑みがこぼれた。ページには、スケジュールだけでなく、その日の実際の出来事が、
 日記風に、細かく書き込んである。僕とデートしたことや、寝坊して遅刻したことなど・・・。

 読み進みながら、思い出し笑いをしていた僕だが、途中で表情がこわばった。

 背筋が寒くなる。でも、やめられない。さらにページをめくっていく。

 そして、とうとう最後まで読み終え、愕然とした。

 その手帳には、1月から12月まで、まだ決まっていないスケジュールや起こっていない出来事、
 その日の感想までもが、ぎっしり記されていたからだ。


淀川長治さん調に言えば、「怖いですねぇ!恐ろしいですねぇ!」ということになるが、経営者としての発想からすると、これなどは「経営計画」そのものだ。

そもそも「経営計画」とは、逆算の産物。目標を設定して、その達成に向けて数値・日程を逆算していく。そこには、細かいスケジュール管理が要求されるのだ。

大阪のK米穀の社長。30年で売上日本一の米穀店にしようと考えた。 30年で日本一にするためには、15年で大阪一に。15年で大阪一になるためには、7年以内に地元・寝屋川市で一位に・・・。

1年の売上計画から半年の売上計画へ。そして、四半期の売上計画、1月の売上計画、1週の売上計画、1日の売上計画へと落とし込み、必ず達成させたという。

経営者は、「スケジュール帳」を経営目標に置き換えることだ。そして、まだ決まっていないスケジュールや出来事を一杯書き込み、感想まで綴るといい。

何をしなければいけないか、何が足りないかが、スケジュール帳から見えてくる!



2008.08.03(San)
何を撮るべきか弐

写真家・浅井愼平さんの「夕&Eye」、その弐。
この日の浅井さんは凄いことを言っている。

「映像を語るには言語が必要だ。知性が感性をどう支えるのか、と言い換えてもいい。
なぜその写真が面白いのか。どんな価値があると考えるのか。
それを説明できなければ大学、まして大学院で写真を学ぶ意味がない」

「“説明できません”。ビジュアルな仕事をする人間がよく使う言葉だが、講義ではそれでは許されない。“なぜ説明できないのか”を説明する必要がある。
それができないということは、自分自身についてわかっていないことになる」

「自分自身についてわかっていない」は痛烈だ。頭部をハンマーで打ちのめされた感じだ。
先週のこの頁を読んでいただけるとわかるが、私はこんなふうに書いた。

 「何がすごい」のかって問われたら、答えようがない。芸術は、つまり感覚なのだし、職人的な
 ものだから、教えることのできない世界なのだ。作品の凄さを説明できないことが本当なのだ。

浅井さんに言わせると、「説明できないのは、あなたがあなたについてわかってないからですよ」ということになるが、そうかも知れないな!

「感性」という言葉にすべてを集約させて、わかったようなわからないようなことを言っているのが“えせ芸術家”というやつで、浅井さんはそれを許せないのだろう。

「言葉で表現するにせよ、“ぼくには世界がこう見える”という概念が頭の中になければ、見る者を説得できない。もちろん理屈だけではダメで、それが写真に表れていない学生も多い」

そうか。浅井さんの言いたいことがだんだんわかってきた。つまり、「知性」と「感性」をシーソーの両端において、互いのバランスを考えながら写真を撮り続けよ、ということではないか?

「瞬間を見逃さないで撮るのは写真の基本だが、瞬時の判断を支えるのは観察する力と自分なりの理論」

言うこと成すことがカッコイイ人だ!



2008.07.26(Sat)
何を撮るべきか

昨日の日経新聞夕刊・「夕&Eye」に、写真家の浅井愼平さんの顔が写っている。1937年生まれ。「ビートルズ東京」でメジャーデビューした若者も、もうすでに70歳の坂を越えているのだ。

言うこと為すことカツコイイ人だった。写真の仕事よりは、テレビのクイズ番組や報道番組のコメンテーターの方に馴染みがあったが、本職の写真を見て驚いた。

「気分はビートルズ」の随所に見られる写真などは、あぁ浅井愼平だと思ったし、俵万智の短歌に写真を散りばめた「とれたての短歌です」などは、浅井さんの真骨頂を見た思いがした。

「何がすごい」のかって問われたら、答えようがない。芸術は、つまり感覚なのだし、職人的なものだから、教えることのできない世界なのだ。作品の凄さを説明できないことが本当なのだ。

その浅井さんが、今、大阪学芸大で学生に教えているという。教える内容は、写真のプロとしての経験だけ。それも技術的なことではなく、「何を撮るべきか」だけ。

「どうすれば写真の世界に近づけるか。二十代前半のころ、写真のことを何も知らなかったぼくは撮りたい写真を探し、何を撮るべきかばかり考え続けた」

「それがぼくの写真の出発点で、今もその考えは変わらない。だから、学生にもそう教えている。ぼくにできることは、自分がやってきたことを伝えることだ」 

「どうすれば写真の世界に近づけるか」というフレーズがいい。カソリック信徒がどうすれば神に近づけるかという命題に似ている。おそらく浅井さんはそれを意識しているのだろう。




2008.07.13(San)
美しいかどうか

昨日は、中小企業家の集まりの月例会。
会員である地元の公認会計士・税理士のMさんが、「節税対策」「会社経営」について語られた。

「節税対策」は、言わずと知れた専門家だが、Mさんの場合、経営哲学というか、「人として生きる上での正しい考え方」を身につける大切さを説かれたような気がした。

経営者には、大切にしなければいけない2つの価値観があって、それを横軸と縦軸で表すなら、横軸は、“経営ノウハウ・技術”、縦軸は、“経営哲学・倫理”なのだそうだ。

この横軸、縦軸を両輪として、企業経営はなされていくが、現代においては縦軸、とりわけ“倫理”の大切さが叫ばれる。倫理をなくせば企業はいずれ破綻することが昨今の事例からも分かる。

「社長の3つの仕事」(下)が興味深かった。

 ● 誰に何をどうやって売るのか(戦略)

 ● 自分でやらない仕組みづくり(環境)

 ● 30年で終わらないために(理念)

この3つを絶えず、意識しながら経営をしていかねばいけないことを痛感した。
さて、「経営哲学」。どんな価値観を持てばいいのだろうか?

今日の日経新聞の「詩歌・教養」欄に、こんな文章(遠みち 近みち「醜い経営者」)があった。
これなどは、ずいぶん参考になる言葉だ。

 TDK会長の沢部肇さんは迷った時には「これは美しいことかどうかで判断してきた」という。
 それを今は亡き素野福次郎元社長から教わったそうだ。

 素野は「正しいか正しくないかは時代によって変わる場合があるが、美しいか美しくないかは
 変わらない。本当によい製品は美しいだろう。自分の行動も美しいかどうかで判断すればい
 いんだ」と言っていました。



2008.06.28(Sat)
欲求5段階説

  資産1億円で早期リタイアする?

今朝の日経プラスワン(日経新聞)に、上のネット調査結果が載っている。
「する派」の1201人に対し、「しない派」は2919人。

「しない派」の場合、「老後を考えると1億円ではまだ足りない」という理由が大半を占めているようだが、“勤労観”を反映させて、早期リタイアを考えない人が少なからずいることも判明。

「お金があっても働かないと人間はダメになる」

「お金のためだけに働いているわけではない」

といったまっとうな意見は、荒んだ世の中には大切。
マズローは人間の欲求は5段階あると説く。下はマズローの「欲求5段階説」


  1. 生理的欲求=ねむい・腹減った
  2. 安全欲求=こわいのイヤ
  3. 社会的欲求=仲間が欲しい
  4. 自我欲求=尊敬されたい・愛されたい
  5. 自己実現欲求=より良い自分になりたい
 という順番で欲求を満たすべく行動していくことになる
早期リタイヤとは、5段階説の中でどこにあたるのだろうか?老後に心配のない人たちだから、生活に不自由なく、信用も名誉もそこそこ築いてきた人たちなのだろう。

しかし、金や信用や名誉を築く中で、汗にまみれ、人との諍いを目の当たりにし、ときには泥も被り、煩わしい人間関係の中を精一杯生きてきた人ではないか?

だから、田舎での自給自足の生活を夢見るのだろう。記事には、徳島県で夫婦二人で農作業の暮らしを営むAさんが登場する。生活費は月4万円におさめているという。

夫婦ともに勤務医だったが、趣味の旅行に割く時間を確保して40歳で退職。住居は自分で倉庫を改良して作ったため、費用はほぼゼロ。勤務医の頃と心がどう変わったか、聞いてみたい。

心がどんどん開かれていくのなら、間違いなく自己実現欲求を満たしたことになるが、早期退職して長野県に移ったが、妻が新しい暮らしに馴染めず1年で元の鞘に戻ったケースも。

早期リタイヤの悲喜こもごもがあって、何とも可笑しいが、要は自分が信じる方へ進むことだろう。そのための準備を怠らないことが肝要なのだ!



2008.06.22(San)
器の大きさ

水曜日、中小企業家の会で一緒に勉強しているOさんからファックスを貰った。前日、広報委員会で話題に出た事柄の参考になればという趣旨で送ってくださったのだ。

一杯入っていたので、その話題とやらを失念してしまったが、どうやら「器」に関する内容のようだった。ファックスからは、不眠無休で働く若き経営者の声が聞こえてきた。

「毎晩毎晩、深夜まで残業です。そのうえに、休日出勤。仕事に追われて、くたくた。こんなに忙しいのに、さらに“青年塾”に参加しなければならない。どうやりくりすればいいのか?」

コップにたとえるなら、目一杯水(仕事)が入っていて、こぼれそうな状態。そのうえに、さらに“青年塾”という水を入れようとしても、とても入らないというのである。

これに対して、上甲晃(ジョウコウアキラ)青年塾塾長は、発想を変えてみなさいと諭している。コップの大きさを自分の器だとすれば、器の大きさを二倍、三倍にしてみなさい、と。

「器の大きさを変えなければ、仕事と“青年塾”の研修の両立は、理論的には不可能です。しかし、器を少しでも大きくしていけば、まだまだ中身を入れることができるのではないでしょうか」

人は、実に融通無碍。頭で考えたらとてもこんなにたくさんのことをこなせないと思うが、実際にやってみたら、何とかこなすことができる。

そうすると、その後は、目一杯だったはずの水がもっともっと入るようになっている。目一杯の仕事をこなしているうちに、知らず知らず器が大きくなっている、というのである。



2008.06.08(San)
端数切捨て

@niftyニュース

居酒屋「和民」などを展開するワタミフードサービス(東京)の一部店舗が2007年1月ごろまで、アルバイト店員の勤務時間から30分未満の端数を切り捨て、その分の賃金を支払っていなかったことが6月1日、分かった。 

未払いは各地の47店舗で217人、計約1200万円に上ったが既に支払った。大阪府寝屋川市と枚方市の2店で未払いがあるとして2006年10月、労働基準監督署から是正勧告を受けた。


専門学校に通う娘が、語らい処「坐・和民」(名古屋)でバイトをしているので、早速事情聴取。
バイト先の店舗では、1分単位で賃金が支払われているらしく、一安心。

「30分未満の端数切り捨て」はよくある話で、中小企業ではまずこちらが主流。タイムカードで賃金管理している関係上、仕事以外の時間も含まれているからと、切り捨ててしまうのだろう。

この先、大変なことになる!という予感。中小企業の社員が列をなして、端数切捨てを労基署に訴える時代が来やしないか、心配になる。

「残業なし、休出なし」の職場ができればいいが、恒常的に人不足で、ましてや薄利にあえぐ中小企業では、ますます労使関係がギクシャクしてしまうのではないか?

「端数切捨て」中小企業どうする?ガソリン1リットル200円よりも深刻な問題である!



2008.06.01(San)
元気くん

中日サンデー版(中日新聞)に連載されている、北見けんいちさんの漫画「元気くん」は、昭和の良き時代を回想する大人たちのノスタルジアで包まれている。

昨今の世相を、昭和を生き抜いてきた大人の眼で観察し、暖かいエールを送っているのだ。今日は、最近の物価について語られていて、値上げの原因(下)がよく解かった。

@石油価格の上昇
A地球温暖化の影響

石油は、自動車用のガソリンだけでなく、乗り物や火力発電所や工場の燃料に利用されているし、石油からは、ペットボトルや断熱材、電化製品、衣類などが作られている。

ゆえに、石油価格の上昇は、いろいろな物の値上がりを招いているのだった。
地球温暖化の影響にいたっては、漫画の中でこんな会話が交わされている。

「小麦などの主な生産地のオーストラリアが異常気象で大、大凶作になってしまったり・・・」

「・・・たりって、まだ何かあるの?」

「うん、やはり穀物の主な生産地であるアメリカが、トウモロコシから作られる“バイオ燃料”に力を入れる政策を行ったんだ」

「“バイオ燃料”・・・?」

「すると、今まで大豆や小麦を作っていた農家がトウモロコシを作るようになった」

「それじゃ小麦や大豆が減るから値段が高くなるね?」

「そうっ。小麦からはパンやうどんなどいわゆる“穀物”と言われる物が作られる。そして、大豆は日本人には欠かせない醤油や味噌、豆腐、納豆、油などいろいろな食品の原料になっている」

「その穀物や石油の価格が上昇してるんだから、今の値上げラッシュは深刻だな・・・」

ということで、「元気くん」は一見の価値あり!経済が実によく解かる!



2008.05.25(San)
募金箱

中国・四川大地震の死者が5万人を超えたようだ。死者やその家族には追悼の意を表したいと思う。“明日は我が身”なのだから、桜のように散ってしまった朋友に黙祷するのも大切なことだ。

ここ数日間に、スーパーやコンビ二等、至るところに募金箱が設置された。募金箱に群がって、我先に募金するというような光景は皆無だが、ひっそりと募金する人は少なくないようである。

いいことは、「陰徳」であるべきだし、「陰徳あれば陽報あり」(人知れず良い行いをすれば、必ず良い報いが表れてくる)とはよく言ったものである。

私はさほどでもないが、妻は募金が好きな人である。募金をしてあげたいと思う性質で、それは彼女の生い立ちから来ているのではないかと思っている。

幼児期に父親を交通事故で亡くした妻は、「足長おじさん」というのか「足長募金」で集まった義援金をもらう側にいたので、どんな募金でも、必ずいくらかを箱に入れるようである。

彼女にとっては、善行というつもりはなくて、ただ普通の行為をしている。困っている人がいたら手を差し伸べることを、父親の死と引き換えに身につけたのだろう。

人への配慮もそうあるべきだと思っている。各人が違う個であるから、能力差はあるだろう。能力のある人が能力のない人に手を差し伸べるのが本当のあり方だと思っている。

例えば賃金がそうだ。能力が倍の人が、賃金を倍もらえるかといえば、そうではない。能力のある人が儲けた一部を、能力のない人に分配することで、この国の賃金制度は成り立ってきた。

ゆえに、昨今言われるところの「能力賃金」には異存がある。助け合いの精神がなくて、組織が成り立っていくはずがないと思っている。「能力賃金」は、組織の連帯感を蝕むだけなのではないか?

今、事務所の机の上の花瓶の花々が美しい。5月はバラの季節だから、バラを主役として添え花がその周りに配されている。バラだけではこの美しさは出ないだろう。

組織の成熟というのは、花瓶全体のバランスではないかと思う。主役の花と添え花とがお互いに補っていく関係を築き上げていくことだろう。

四川省の人々も、早く花を愛でるようになればいいと思う。



2008.05.17(Sat)
マグネットホスピタル

朝、喉が痛いと言う長男を連れて刈谷豊田総合病院へ。耳鼻咽喉科の待合の一角に、「医心伝心」という病院便り。「以心伝心」を洒落ての「医心伝心」か!と思いながら便りを手にした。

「心を以って心に伝う」の意が「以心伝心」。医療業務は、患者の言葉だけに頼らず、表情、しぐさ、その向こうにある心の訴えに充分に目を向ける心配りが大切なのだという。

「医心伝心」には、看護部長・鈴木正子さんのメッセージ が綴られていた。
その要旨は、病院の目指すべき姿は、つまりマグネットホスピタルになること、なのだそうだ。

1980年代前半、全米が看護師不足に襲われたとき、ある特定の病院は例外が確認された。それらの病院は看護師の欠員率と離職率が著しく低かった。

その理由は、魅力的な労働環境を提供している病院だったからである。魅力的な労働環境を提供できる病院は、まるで磁石のように看護師が惹きつけられた。

ゆえに、資質の高い看護師を惹きつけて保持し、一貫して質の高いケアを提供する病院をマグネットホスピタルと呼ぶのだそうだ。

それでは、マグネットホスピタルになるための条件、その根っこの部分である「魅力的な労働環境を提供」するにはどうしたらいいのだろうか?鈴木さんの言葉を抜粋する。

「仕事にやりがいと誇りを感じ、社会における自らの存在価値を確立する」
「仕事の充実感と達成感、自己実現と社会貢献を求める気持ち」

「病院理念と個人の人生観、病院の評価と個人の達成感、病院の発展と個人の成長が重なれば重なるほど、職員は職務満足を感じ、モチベーションを向上させ、幸福感を得る」

鈴木さんは看護部長という立場で、究極の形を提示しているが、そこまで行くのは容易ではない。価値観の違う者同士がベクトル合わせをしなければいけないのだから。

医療という一点、言葉を変えれば、患者さんと喜びを共有する中でベクトル合わせは、育まれていくのだろうか?看護師であれば誰だって患者さんが喜ぶ顔が見たいはずだ。

そこに仕事のやりがいと誇りを感じるのだろう。我々が関与する中小企業がここまで行くのに何年かかることやら?マグネットカンパニーは夢のまた夢か?

教育だけは諦めてはいけないのである!



2008.05.11(San)
再興湖東焼・一志郎窯

連休は、恒例の家族旅行。今年は、彦根と近江八幡(滋賀県湖東地方)という少々地味な、通好みの場所に癒しを探しに行った。初日、彦根城の見学を終えると、城下のキャッスルロードへ。

いくつか店を歩き、その洗練さにいささか厭きたところへ、「陶路」の看板が目に付いた。キャッスルロードから少し入った所にあるせいか、普段着の店である。

「一志郎窯」という暖簾をくぐると、中は無人。しばらくすると、店の娘といった風情の店員が丁寧に挨拶。店内の品を眺めていると、「湖東焼」について説明してくれた。

幕末彦根藩の御用窯として名品を生み出した湖東焼は、例の井伊直弼の桜田門外の変を挟んでわずか六十余年で歴史を閉じてしまったこと。

焼成技術は景徳鎮・伊万里に劣らない世界最高水準で、絵付けにいたっては緻密豪華高尚、湖東焼独自の味を完成させたこと。

百年以上の空白期を乗り越え、陶工中川一志郎が、かけがえのない地域文化、歴史遺産である湖東焼の再興を志したこと。中川一志郎こそ、一志郎窯の当主なのだ。

信楽焼はつとに有名だが、湖東焼については知らなかった。そんな焼き物があったのかと感心していると、娘さんがいくつか資料をくれた。

「NPO法人 湖東焼を育てる会」「近江楽座 再興湖東焼プロモーション事業」。

さらに、
湖東焼に情熱をかけた「絹屋半兵衛」をモデルにした歴史小説「あきんど 絹屋半兵衛」(幸田真音著)もあるとかで、湖東焼を知ったのが旅の一番の収穫だった。

それにしても、あの娘さんの京都弁?は美しかった。タレントの安めぐみさん似で、気立てもすこぶる良くて・・・・。彦根が一辺に好きになった。



一志郎窯の暖簾             店内風景


         再興湖東焼・一志郎窯    
http://blog.goo.ne.jp/ichishirou



2008.05.06(Tue)
教育は褒めることだ!

ゴールデンウィーク最終日。火曜日だというのに、中日新聞・日曜サンデー版を読んでいる。
おばさん辞典(小川由里著)。褒める効用が語られていて、面白い。


胃の調子が悪くて病院に行った友人がとても明るい声で電話をくれた。
「この一年で体重が68`から58g`になりましたと医師に訴えたら、こう言われたのよ。

『ほう、10`!もう少し痩せるとモデルになれるね』。見え見えのウソでも『あら、やだ』
ってうれしくなっちゃった。

胃カメラ検査も異常なしで『娘さんのような若い胃ですよ』だって。検査?苦しくなかったわよ」
女心をくすぐる言葉が検査にまで効いたようである。


そうか、褒める効用は並々ならぬ力を発揮するんだ。うれしいという気持ちが、人の脳から何かホルモンを放出させて、化学変化を起こしていくのだろう。それがその人を変えていくのか?

作家の伊集院静さんは、「教育は褒めること」と言い放った人だが、それは伊集院さんが少年時代、夏休みのスケッチ旅行で描いたスケッチを担任に褒められたことに起因している。

伊集院さんは、小学校に入学した頃、まともに学校へ行けなかったという。通学路で田植えをしている人たちを眺めていたり、池の中に入って小魚を泥にまみれて捕っていたりした。

どうして学校へ行かなくてはならないかがまるでわかっていない子供だったらしく、それが変わったのが最初の夏休み。担任がF君と二人を連れてスケッチ旅行に連れ出したのだ。

テレビ塔を真下から描いているのを覗きにきた担任が、「おい、いいじゃないか。上手いぞ西山(伊集院さんの本名)、空にぐんぐん伸びているテレビ塔が、よく描けているぞ。おーい、F」

F君も、「うん、上手いよ西山君。すごいなあ」。その夏から伊集院さんは絵を描くことに夢中になり、秋になって市内のコンクールで銅賞を貰ったりもした。


今から考えると、あの夏のT先生とF君の言葉が、劣等生の私に何かを与えてくれたような気が
する。そしてちいさな勇気の芽をもらった午後のような気がする。

白い夏帽子に眼鏡をかけて画板を小脇にかかえたT先生の笑顔とそのむこうでぐんぐん天に
むかっていたテレビ塔、そして瀬戸内海の青空・・・・

あの風景を思うたびに、私はちいさな力が今も溢れて来る。
教育は褒めることだ、と私は今でも信じている。        
                                   (水のうつわ「青空、夏帽子のT先生」)



2008.04.20(San)
働く喜び・誇り

 
働く喜びや誇りを社員と共有していますか?〜経営者の果たす役割〜

中小企業家の集まりの会から、講演会の案内が届いた。「経営者として、社員に労働の喜びや誇りを与えているだろうか?人間尊重とは何だろう?」というテーマが添えられている。

「労働の喜びや誇り」って何だろう。好きな仕事ができること?安定収入?仕事で褒められること?仕事を通しての自立や社会参加?夢の実現?顧客の喜ぶ顔を見ること?

好きな仕事ができて、お客様が喜んでくれて、安定収入を得ることができればいいが、そんな人ばかりではない。生活のために泣く泣くしなければならぬ仕事もあるはずだ。

要は、その仕事にどこまで納得できるかが基準になるのではないか?納得するためには、仕事の目的や価値が存在することなのだ。その仕事に意味がなければならない。

ドストエフスキーの小説に「死の家の記録」がある。
その記述を辿っていくと、次のような文章に出合う。何とも鮮烈だ。


監獄では、受刑者はレンガを焼いたり、壁を塗ったり、畑を耕したりさせられた。
もちろん強制労働だから、辛く厳しいには違いないが、そういう仕事には目的がある。
 
自分が働けば、食糧が生産され、家が建ってゆく。こういう目的のある労働には意味を見
出せるから、苦しくとも何とか耐えていけた。

しかし、こんな刑を科せられたらどうなるか。
大きな土の山を、Aの場所からBの場所へ移動させる。
汗だくになってやり遂げると、今度はその土の山を、最初にあった場所Aへ再び。
それが終わったら、またBへ。

こんな目的のない無意味な労働を、毎日、繰り返し強制されたらどうなるか。
受刑者は、4、5日もしたら首をくくってしまうか、死んだ方がましだと考え、やけをおこして
破滅してしまうだろう。


見出しの副題「経営者の果たす役割」とは、ゆえに、社員が遂行する仕事の目的や価値を明確にすること。仕事に意味を持たせ、それを労使が共有することではないか?

労働意欲とは、そこから生まれてくることを経営者は認識しなければいけない!



2008.04.13(San)
名古屋川柳社

今日は、「桜まつり協賛 春の市民川柳大会」(岡崎川柳社主催)。会場には、他所の結社の方も多数参加。席に着くや、名古屋川柳社・松代天鬼主幹から月刊誌「川柳なごや」を頂戴した。

普段目にしている岡崎川柳社の川柳誌「川柳おかざき風」とは、情緒を異にしている。格調が高い!という言葉が合っているのだろう、知識人が足並み揃えているといった感じなのだ。

例えば、川柳誌でありながらこんな文章。

 防衛庁の不祥事は省内と制服組共にお粗末な組織体制や人間管理から発生している。それに
 比べて、各企業は企業戦略、販売戦略、人材育成、セキュリティの徹底管理に努力している。

 怠れば敗者になるからだ。以前は軍隊のノウハウを企業が参考にしたことがあるが、
 今は何の参考にもならない。(松代天鬼)

確かにそうだ。企業は目標の遂行を、かつての軍隊から学んだ。戦略、戦術、戦闘という言葉が企業管理においていまだに残っているのはそのためだ。さらに、次の文。

 二つのものの関係が、密接で切り離せないことを、表裏一体といわれている。商売では製造と
 販売の関係がそうである。いい製品を作っても、販売力が弱ければ会社は儲からない。

 夫婦の関係も、強弱を張り合っていたら、やがては崩れる。お互いに短所を補填し、長所を伸ば
 し、労り合いたい。男女同権や均等法も、平和日本への道標だろう。(佐伯幸宣)

何と経営や組織のあり方、ポイントを言い当てている。そして、止めはこちら。

 私が子供の頃、父は何事かあると、「世の中で起きたことは世の中で納まる。何があってもくよ
 くよせずに、誠実に事に当たれば、必ずなんとかなる」と。

 そして「山より大きな猪は出たことがない」と言い聞かせてくれました。山より大きな猪は出ない
 は、現在も私の処世訓として大切にしています。そこで出来たのが次の句です。

  なるようになるさなんとかなりました          永井河太郎

名古屋川柳社、恐るべし!



2008.04.06(San)
方丈記は桃源郷?

今日の日経新聞・「遠みち 近みち」(足立則夫特別編集委員著)に鴨長明が登場。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」という「方丈記」の作者である。

学生の頃、古文の時間でこの名文を何度も暗唱したが、その内容も鴨長明の人物像もついぞ知らずに来てしまった。ところが、現在、「方丈記」の後半のくだりが脚光を浴びているらしい。

それは、人事異動の不満でいきなり行方をくらました長明のその後の生き方・現代風に言えば「田舎暮らし」の魅力が余すところなく語られている。原文は

 おほかた、世をのがれ、身を捨てしより、恨みもなく、恐れもなし。
 命は天運にまかせて、惜(おし)まず、いとはず。
 身は浮雲になずらへて、頼まず、まだしとせず。
 一期の楽しみは、うたたねの枕の上にきはまり、生涯の望みは、をりをりの美景に残れり。

現代語に約せば

 隠遁して一人で暮らすようになってからは、誰かを恨むようなこともなくなった。
 命を天運にまかせ、死を恐れることもなくなった。
 我が身を浮雲と思えば現世の幸福を願ったりもしない。
 生涯の楽しみはうたた寝に尽き、望みは折々に見た美しい景色に残っている。

就くはずのポストに誹謗中傷により就けなくなってしまった人事異動の不満。そして、行方をくらまし、山中で一人暮らし。一人、自然の中で暮らし、自分と向き合う。

そうするうちに、鬱屈した気持ちから解放され、どんどん内面を充実させ「豊かな孤独」に至るのだった。長明を知れば知るほど、中国六朝時代の田園詩人・陶淵明を思わずにはいられない。

陶淵明は、「田舎暮らし」を実践した元祖。県令まで登りつめながら官吏の仕事を捨てて、41歳で帰郷。太陽が昇るとともに起きて雑草をむしり、月を背に鋤を担いで帰る百姓仕事に精を出す。

わずかな土地に豆を植えても収穫は思うにまかせず、「家は狭く侘しく、風を防ぐにも、陽をよけるにも役に立たず、着物はボロボロで食器は空っぽ」という有り様。

しかし、その生活を幸福に思い、自然と自由を手に入れた淵明は、田園の中に「桃源郷」という理想郷を創作、文章を綴っては、ひとり楽しみ、損得など気に掛けず、その生涯を終えたのだった。

長明と淵明を見るにつけて、何をしてるんだろうね、自分は!生き方が全く創作できていない。
流れにまかせてただ水の中を漂っている。それも幸せな生き方かもしれないが・・・・。

 願はくは花のしたにて春死なん そのきさらぎの望月の頃        西行

花が風に散っていく。さよならだけが人生、それもまたいい!



2008.03.30(San)

決断と判断の違い

組織人事コンサルタント・矢田祐二氏が、「決断」と「判断」の違いを解説している。
矢田さんによれば、経営者には二つの判断軸があって、それは

 @するか、しないか。

 Aできるか、できないか。

そして、この二つの判断軸を持っている者にだけチャンスが与えられるというもの。ゆえに、チャンスをゲットできるかどうかは、普段からその判断軸を持つための準備をしているかどうか。
 
「するか、しないか」は、ビジョンや方針を根源とした判断軸で、いわば「決断」。
「決断」は、決めて切るという意味。決とは、決心。

「できるか、できないか」は、計画や資源を根源とした判断軸で、純粋な意味での「判断」。
判断」とは、いままでの経験や能力から見きわめることで、いわば判定。
 
一方、経営には「リーダーシップ」「マネジメント」があって、「リーダーシップ」とは、先導する力、改革。「マネジメント」とは、管理する力、改善。
 
「リーダーシップ」の役割は、「するか、しないか」の決断であり、経営者や組織のリーダーが担う仕事。それに対し、「マネジメント」は、管理者が「できるか、できないか」の判定にあたる。

この違いが分かれば、しめたもの。経営者は、自分の中に二つの判断軸を確立し、絶えず胸元に持ち歩かなければならない。

 片手にピストル、心に花束、唇に火の酒、背中に人生を・・・・(沢田研二「サムライ)

古い歌のように・・・・。



2008.03.23(San)
大切なのは悪手を差さない!

「NHK杯将棋トーナメント女流棋士決定戦」を朝のテレビで見た。
矢内理絵子女流名人と清水市代女流二冠の対決。

将棋に興味のない者にとっては全くもって退屈な番組で、対局の流れも解説もよくわからない。
時間の経過を告げる低い声と駒の音だけが画面から響いている。

要は、新聞のテレビ欄に「女流」の二文字がなければ、絶対に見ない番組なのだった。しかし、当代の美人名人二人の対局であれば、話は別である。

画面から映し出される、将棋盤に向けられた横顔が美しい。指し手がきれいだ。
知性というのは不思議なもので、そこには明るく透明な空気が流れている。

対決は、清水二冠の勝利に終わったが、なかなか見応えがあった。
もっとも将棋の見応えではなく、確かな紅梅の見応えであったが。

対局後に感想戦があった。対局を振り返るのである。
最善手がどこで、悪手(あくしゅ)がどこだったか、勝敗の要因を見つけていくのである。

「人は、常に悪手の山の中を歩いている」と言ったのは、日本将棋連盟の米長邦雄会長。

「将棋で最善手を見つけることは、本当に大変なことです。しかし、最善手を見つけることも大切ですが、それよりもっと大切なのが悪手を差さないことです」

「感想戦」「悪手」・・・・。経営で使える言葉だ!



2008.03.16(San)
影法師

このところ毎週、日曜の朝は「ジューシーハムサンド」を買いにセブン・イレブンへ行く。
まぁ気儘な休日の朝は、他の曜日と違うことがしたい。

サンドウィッチを頬張り、テンポのいい音楽を流す。ヒーリング、クラシック、ポップヒッツ何でもいいが、やはりジャズに気が行く。ここでも休日の朝は、他の曜日とは別の朝にしたい。

人が人であり続けるには、たまには自分を捨てなければいけないこともある。その人であることから逃れ、その人でない自分になる。他人になることはないが、例えば自分の影になってみる。

自分と自分の影を入れ替えてみる、というのができれば面白いだろう。アンデルセンの童話に「影法師」というのがあって、その結末は悲劇で終わることになるが、出だしはゾクゾクする。


ある晩、学者がバルコニーに腰かけていると、うしろの部屋にあかりがついたので、学者の影法
師が向かいの家の壁にうつった。

学者は冗談半分に、自分の影法師に向かって、その部屋にはいってみてはなどと言っていると、
影法師はほんとうに向かいの家の中にはいってしまった・・・・。


影が自分の意志から離れて、勝手に動くことは現実にはないが、気持ちがそれを求めることはあるだろう。それを「現実逃避」と呼ぶのかもしれないが、いいじゃないか、逃避でも。

人が人でいられるには、どんどん逃避すべきだと思うが、どうだろう?そして月曜の朝、現実に引き戻されるのだから。月曜の朝、自分の影はまたすっぽり元の自分に戻される。

そんなこんなの繰り返しで、人は生きていけるのだろう。
さて、日曜の夜、月曜の朝に向かってほんのひと時、酒で酔いしれる。

今夜も、芋焼酎「紫」(ゆかり)を買ったきた。何も迷わずに飲むことにする!



2008.03.09(San)
みちのくの家

一通の手紙。「春とは名ばかりで、まだ真冬のように寒い日が・・・・。さて、この度お施主様のご好意により・・・・住まいの完成見学会を開催する運びと・・・・」

「ご案内」のチラシを見ると、古民家風の家(下)が青空の下に温かそうに佇んでいる。新築の住宅は、この世にまだ慣れずに浮き足立っているようにも見える。



古民家風の家(波多野建設提供)  「みちのくの家」木組み(同)


そうか、百典(かずのり)君が棟梁として初めて建てた家は、「みちのくの家」だったのだ。真冬には零下20度にまで下がる雪深い会津で、名匠と呼ばれる親方から学んだ「みちのくの家」。

昨年、修業を終え会津から帰郷。父親が経営する波多野建設の大工棟梁として、気(木)使い、気(木)配り、気(木)組みのこころを仕組み組み上げた家をついに完成させたのだった。

「経営指針研究会」で一緒に勉強しているご縁で、父親の波多野辰美さんから案内を貰ったが、いい後継者ができたものだ。若干24歳の人的財産は、計り知れないものがあるだろう。

 家には、たくさんの柱がありお父さんの柱は大黒柱。
 家の中心で家族という屋根の重みを一心に支えています。

 そのそばにお母さんの柱
 次に重いところを補って、お父さんをやさしく勇気づけています

 そしてまわりにいる子どもの柱
 それらをつなぐ梁(はり)は、「かすがい釘」でしっかりつなぎとめます

 だれが言ったのでしょうか・・・・子は、かすがいと・・・・

昨日今日と、「みちのくの家」完成見学会。今から出かけよかナ・・・・。

      波多野建設ホームページ   http://www.s-home.co.jp/



2008.03.02(San)
空気が読める人間術

中日新聞・中日サンデー版「おばさん辞典」から一席。

「私と妻はあうんの呼吸で暮らしています。平和な老後ですよ。例えば、お茶が飲みたいと思っているとすっとお茶が出る。どれ、新聞を読もうとソファに座ると、新聞が目の前に置かれる」


ある70台の老人がちょっぴり自慢そうに言う。ところが後日、彼の妻と話すと彼女は笑いながら、こう話した。

「70代になると夫婦で一日中家にいることが多い。私は雑用がいっぱいあるのに、夫はあれ取れ、お茶が欲しいなどとうるさい。

つい、『今、やりますから』と面倒くさそうに言うと、『その言い方は何だ』『あら、どこが』といつもケンカになる。でもケンカは血圧が上がる。そこで私は考えた。

夫の生活パターンは分かり切っているので時間を見て、早め、早めに『どうぞ』とやれば、夫とそれ以上口をきかずにすむと。大成功よ。うちの場合、会話はケンカのもとですから」

なるほど、あうんの呼吸の実態は、妻の知恵なのだ。しかし、これはあらゆる事に応用できる。職場の人間関係や客相手の商売や近所付き合いでも。

相手の欲するところを早め、早めにしてあげ、相手の欲しないところは決してしない。「痒いところに手がとどく」というのは、そういうことなのだ。今風に言えば、「空気が読める」ということか。

その努力を商売人は忘れてはならないのだろう!



2008.02.16(Sat)
快進撃はここから始まった!

中小企業事業主が集まる異業種交流会から「経営者の集い」の案内。
案内には、基調報告「職人から経営者へ」、報告者:杉浦三代枝(すぎうらみよし)氏とある。

杉浦さんは、地元のえびせんべいメーカーの社長で、西三河に直売店「えびせん家族」を8店舗、宝飯郡音羽町には大型土産店「えびせん共和国」を持っておられる。

創業以来、地元の海産物を豊富に使った商品のヒットで会社は急成長。自他ともに順風満帆に見えていた矢先、ある事件が勃発。何といかせんべいに釣り針が混入していたのだった。

大クレームで納入先から呼び出された杉浦さんは、そこでとんでもない失言。「いかを使った製品ですから、釣り針が入っていることもありますよ」

パッシングを受けた帰りの新幹線、泣きながら、生産現場しか見えていなかった職人気質の自分に気づいた。わが社のお客様は誰なのか?経営者として何をなすべきなのか・・・・?

杉浦さんは職人から経営者への脱皮を決意した。 そしてそこから快進撃は始まった。
ここからが面白い。この話の続きを聞こう
・・・・!

    経営者の集いはこちら   
http://www.aomi.jp/page06.html

    えびせん家族ホームページは   
http://www.ebisen.com/



2008.02.09(Sat)
苦情にはサプライズで!

テレビのお笑いバラエティ番組。「ピンチをチャンスに変える驚きのマル秘クレーム対処法」と題して、ドラマ仕立ての問題が出されていた。ある玩具屋のクレーム処理に関してだ。

クリスマス当日、玩具屋の店員に、ある父親がクレーム。聞くと、子どものクリスマスプレゼントにと購入した玩具が壊れていて、子どもがとてもがっかりしているので交換して欲しいという。

店員が、問屋、製造工場、他店と問い合わせをするが、最低3日かかる・・・。父親はクリスマスが過ぎてからでは遅い、サンタからのプレゼントを今日何とかして欲しいと無理な要求。

埒が明かないのを知って、父親は、「この店は不良品を売る店だと方々で言い触らす」と捨て台詞を残してようやく退散。店員は、店長に事のてん末を報告した。

さて、店長が取った策とは?

その夜、店長は、住所を予約伝票から見つけ、サンタクロースの衣装で父親の家へ。父親に玩具の不良をわびて、子どもに合わせて欲しいと懇願。そして、出てきた子どもには・・・

「メリークリスマス!高志くん。玩具が壊れていて残念だったね。でもね、サンタさんが3日後に壊れてない玩具を高志君に届けるから、それまで待っていてくれるかな?」

「3日後だね!うん、待つよ!きっとだよ!」

サンタに会えた子どものうれしそうな顔。その様子を見ている父親のこれまたうれしそうな顔。ピンチをチャンスに変える、驚きのクレーム対処法とは、サプライズを演出することだった。

このバラエティ番組は、「週刊オリラジ経済白書」。真面目な番組なのだ!



2008.02.03(San)
だいずきっず倶楽部

今日は、「だいずきっず」倶楽部主催の「豆腐作り」に参加。
「節分になぜ豆腐作り?」という方のために・・・。

古来より白い豆腐には、邪気を追い祓う霊力が宿ると伝えられています。立春前に食べる豆腐は、それまでの罪やケガレを祓い、立春当日に食べる豆腐は健康な体に幸福を呼び込むのです。

そこで、「自分で作った豆腐で幸福を呼びましょう 」という趣旨で、生絞りの製法にて木綿豆腐作りと湯豆腐の昼食会。場所は、おとうふ工房いしかわ(愛知県高浜市豊田町)ホール。

ちなみに、今年の「だいずきっず」の活動は、次の4回。

第1回
「大豆の種まきとマイファームの看板作り」 高浜市の大豆畑にて 2007年7月8日


第2回
「夏祭り、絵画コンクール、大豆で絵を描こう!」おとうふ工房いしかわにて 2007年8月26日

第3回
「だいずきっず倶楽部 収穫祭」 高浜市の大豆畑にて 2007年12月2日


第4回
「手づくり豆腐体験教室」 おとうふ工房いしかわにて 2007年2月3日


「だいずきっず」とは、”大豆” ”大好き” ”子供達(kids)”を掛け合わせた造語で、おとうふ工房いしかわの社員さんが日頃お世話になっている地域の子供達を中心に実施する、大豆を題材にした野外活動体験教室の倶楽部名。

最後に、「だいずきっず」代表(おとうふ工房いしかわ社長)の挨拶。昨週から世間を騒がせている「中国産餃子農薬混入事件」に触れられた。

問題の核心は、食品の作り手の顔が見えないこと。原料の栽培に始まって原料加工、食品完成に至るまでどんな人が製造に関わっているか、その顔が見えることが一番大事、と話された。

豆腐作りを通して、「経営論」が学べた一齣だった。



2008.01.26(Sat)
熊さん、八っぁんの智恵

  「江戸からのメッセージ ─ 今に生かしたい江戸の智恵」

中1の次男坊と勉強を始めてから1ヶ月が過ぎた。学校の教科書を復習したり、学習参考書「チャレンジ」を一緒に読み進めたり、少々学びに“耽って”いる。

不思議でも何でもないが、この年になって初めて気づくことや、随分間違った知識を吸収していたことなどが分って、掛け値なしの学びの楽しさを実感している。

学生の頃の学びは大人へのステップだから、苦しいことも多々あるが、大人の世界を通り抜けてきた者が再び教科書を開くと、様々な角度からモノが見えて、実践的な学びができるようだ。

そんなことを思いながら、息子と「チャレンジ」(国語)を捲っていたら、杉浦日向子さんの随筆。今は亡き日向子さんの十八番(おはこ)・江戸風俗が、上の題名とともに目に飛び込んだ。

内容は、江戸から現代へのメッセージというか、熊さん、八っぁんに代表される江戸っ子たちの生活の工夫に満ちた魅力溢れる「江戸」という町が再現、落語好きにはとても参考になる。

随筆にはこんな文章が連なる。

「江戸っ子たちは、長屋とよばれる簡易住居に住んでいた。住んでいたといっても、当時の長屋は居住性を求める家というよりは、寝室としてほとんど寝るときにだけ戻るというような場所であった」

「では、寝るとき以外の生活はどのようにしていたかというと、食事をするダイニングルームには町なかの屋台を利用し、応接間は湯屋の二階座敷、ミーティングルームは髪結床の土間」

「日用品は歩くコンビニエンスストアとしての“振り売り”を利用するというふうに、八百八町といわれた江戸の町全体を自分の家のように使いこなす機能的な暮らし方をしていた」

そして、こう結論。

「長屋暮らしという自分たちに与えられた空間の中で、物を大切にし、互いに助け合って生活していく共同意識をもっていた江戸っ子たちの暮らしには、“心の豊かさ”があったといえるだろう」

そうか、熊さん、八っぁんは心豊かに生きていたのだ。そこへいくと、経済優先で突っ走ってきた現代人は、どこかに“心の豊かさ”を置き去りにしてきたのだろう。

“物の豊かさ”ばかり追求してきて、近頃やっと「環境」や「リサイクル」が声高に言われるようになった。何のことはない、心の一部を江戸にタイムスリップさせただけのことである。

個人情報やプライベート保護が盛んに言われる昨今、「何か違うんじゃないか」という感覚を持つ人は多いだろう。元々人はもっとオープンなはずではないのか?

「落語」を繰り広げる熊さん、八っぁんのような魅力ある人格は、現代ではやっぱり合わないのである!



2008.01.19(Sat)
靴みがきの少年

  ドンベリ飲み豪遊16歳を逮捕
 
何とも刺激的なニュースが飛び込んだ。16歳の少年が、新座市のクラブで、高級シャンパンなどを飲んで豪遊し、約37万円分を無銭飲食、新座署に詐欺の現行犯で逮捕されたというのである。

少年は、一人で入店。ホステス5人を指名した上、ホステスの分も含め、高級シャンパンのドン・ペリニョン(1本約10万円)を2本、カクテル・ウイスキー等計60杯を注文。カラオケも楽しんだ。

「酒が飲みたかった。最初から無銭飲食するつもりだった」と確信犯であることを供述しているが、この道徳感・倫理感のなさは何だろうか?

おそらく経済優先の社会、格差社会というのは、成長・発展という裏側で、人の道を忘れさせ、モラルなき者を生みやすい土壌を作っているのだろう。恐いことだ。

そんな思いもあってか、昨夕の日経新聞・あすへの話題の「靴みがきの少年」を思い出した。読みながら何度も涙したことも。筆者は防衛大学校長・五百旗頭真さん。全文を紹介したい。


東京はじめ主要都市がほぼ廃墟となった昭和二十年の日本。あの「聖断」において昭和天皇は、平和さえ回復すれば「将来にまた復興の光明も考えられる」と臣下を諭した。

だが誰も「復興の光明」など展望しようもない当時であった。「あの当時から戦後日本の復興を信じていました」という人に出会った。日本人ではなくアメリカ人である。

国際交流基金日米センターが日米各界の代表者を集める評議会の席で隣り合わせたジョージ・アリヨシ元ハワイ州知事である。小さなエピソードから、そう確信したと氏は語る。

昭和二十年暮れ、占領軍の若い将校であった氏は、有楽町近くの街角で、靴みがきをしてもらった。寒風の中、小柄な少年が一生懸命心をこめてみがいてくれた。いい子だ。

氏は進駐軍の食堂で白いパンを二つに割り、バターとジャムをたっぷり塗り込んで、少年にプレゼントした。恐縮しながら、少年はそのまま袋に収めてしまった。

「どうして食べないの」と訊ねると、「家に妹がいるんです」。年齢を聞くと「三才で、まり子といいます」。少年自身は七才だという。

アリヨシ氏は感銘を覚えた。吹きすさぶ寒風の中、着のみ着のまま空腹の少年が、手にした御馳走を自分で食べず、妹に与えようとする。靴みがきをして妹を育てようとする七才の少年か。

世界のどこの子供がこんな風にできるだろうか。富士山が良く見える焼け野原の東京。モノとしての日本は消失した。しかし日本人の精神は滅んでいないのではないか。

片隅の少年があんなに立派に振舞えるのだ。日本はこれで終わらない。必ず蘇る。そう確信したというのである。



2008.01.13(San)
若く見える条件は?

日経プラス1(日本経済新聞)が、家族や友人・知人、あるいは街で見かけた通りすがりの人のどんなところに「若さ」を感じるかを調査したところ
、下のような結果が出た。

「若く見える条件は?」というありきたりの問いだが、内容を吟味すると、人という“個人”だけではなく、会社などの“組織”にも当てはまるのではないかと思った。

会社としての「肌の張り」とは何か?「フットワーク」の良さとは?を一つずつ吟味しながら、会社のあり様を問うのは大切なことだ。社員が若いということは、会社が若いということなのだから。

さて、会社としての「肌の張り」とは、社員がやりがいを持って仕事をしている姿ではないか?それは、「表情が生き生きしている」ことや「目標や夢を持って」仕事をしている姿に繋がる。

そのためには、社員が「新しいことに挑戦できる」仕組みが必要だし、「好奇心が旺盛」になるモチベーションを絶えず会社は発信し続けなければいけないだろう。

「話し声や笑い声に元気がある」会社であるのか、不足しているものはないか?を自問自答し、不足しているのであれば、どうすればそんな会社作りができるのかを、社員全員で考えることだ。

そして、「フットワーク」が良くて、「歩き方が軽やか」で、「「体形がスリム」で、時には、「おシャレ」や「異性への関心を失わない」心を持った若い社員を育成していくことだ。

そのリーダーシップが今、社長に試されているのだろう!


若く見える条件は?

@ 肌に張りがある
A フットワークがいい
B 新しいことに挑戦できる
C 表情が生き生きしている
D 好奇心が旺盛
E 話し声や笑い声が元気
F 目標や夢がある
G 歩き方が軽やか
H 体形がスリム
I 自分流にオシャレを楽しむ、異性への関心を失わない




2008.01.06(San)
谷文晁の自己PR術

「開運!なんでも鑑定団」が面白い。「あなたのお宝を鑑定します」がうたい文句のこの番組、お宝の裏に人間の欲が滲み出て、実に良い味を出している。

今日の番組では、谷文晁の「双幅」が登場。「双幅」とは、掛軸の一幅対でありながら、構図的には一つに連続させて左幅から右幅に流れる画面構成をとっているもの。

持ち主が退職金など有り金を全てはたき、残りを妻に借金をして3000万円で購入したお宝、希望価格を購入時の3000万円としたが、鑑定では何と3万円。

全くの偽物で、谷文晁作とは遠い出来栄えだと言う。本人は、このお宝に惚れ込み、谷文晁作に間違いないと自信満々だったが、望みは、鑑定で一気に夢幻と消え果てた。

さて、谷文晁。江戸後期の画家で、渡辺崋山ら門人1000人を擁した文晁だが、無名時代のこの人の自己PR術がこれまた面白い。

何か売り出す手立てはないものかと思案していた文晁。ある年の大晦日の晩、1000本の白扇を持って家を出た。扇子には、かねてより描き溜めていた富士の絵が貼られていた。

人通りの少なくなった頃を見て、文晁は、その扇子を街々に落として歩いた。翌元旦、人々は、富士の絵が描かれている扇子を拾い、これは春から縁起がいいぞと大喜び。

見れば、「文晁」という落款が押してある。これが江戸中の評判となり、文晁のもとに、富士の絵を描いてくれという注文が殺到したのである。

この出典は「商売のタネ本」(三浦一郎 富永正文著)。しかし、名人・谷文晁だからできたワザで、未熟な画家ではこうはいかなかっただろう。まず売り物を一流にすることから始めたい!



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