□2004.07.31 (Sat) |
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■夏と川柳
一昨年、昨年と冷夏だったためか、今年はとりわけ暑い夏のような気がする。
梅雨時もたいして雨が降らず、まだ八月の声を聞いていないのに、残暑を思わせる体の疲れようである。なにしろ今日は、38度まで気温が上がり、風はなく、少し動けば滝のように汗が流れ落ちた。
このままこうした天候が続くものなら、生きた心地がしないのではないかと思う。
打ち水が涼しゅうおすと二年坂
こんな川柳を作句してみたが、どうだろうか。
川柳を習い始めて1年が過ぎた。花鳥風月を詠う俳句に比べ、生活の機微を詠っていく川柳は、ごく身近なところに雑草のように生い茂っていたり、雑草の根元に止まっているボールのようだったりで、私にはすこぶる相性が良い。
俳句をやる人にとっては、川柳は無粋にうつるようだが、どだい生きていくことは無粋を体に塗り込めていくことではないかと思う。生活とはそんなものだろう。
無粋の中の粋を少しでも見つけ出そうと、私たちは作句していくのかも知れない。
さて、掲句を少し解説する。
京都の夏はことのほか暑いと言われる。京都の二年坂で打ち水している店がある。
そこへ馴染みの客が「打ち水が涼しゅうおす」と挨拶代わりの言葉を残して、通り過ぎる。
ただそれだけの光景だが、強い日差しで焼けた坂道に打ち水が涼を呼び、幾分生きた心地がしてくるだろうか。
暑い夏には向日葵がよく似合う。
近頃は向日葵だけを植えた花畑が多く、所々に路をこしらえて、迷路を楽しむような趣向がなされている。子供たちと向日葵の畑の迷路で明日の行方を占うのも楽しいかも知れない。
向日葵は、ほとんど同じ向きに顔を並べているようで、しかしよく見ると、それぞれの顔の角度が上下左右に少しずつ違い、それで、各々が個性を保っているかのようである。
向日葵の花も、そうして生きていくのだろう。
先日、葬儀の帰り道、花畑で、何百本もの向日葵が咲いているのを見た。
向日葵は夏の日差しを受けて、勢いよく咲いていたが、弔いの後の向日葵は、見るものにはかなさを感じさせた。盆の墓参りの折に咲いている百日紅や夾竹桃の花にも、はかなさを感じることがある。
すべての生あるものには、死が隣り合わせているのだと思った。
生と死を隣り合わせて向日葵咲く
揚羽蝶が向日葵の花から花へ渡っていく。
数百本の向日葵に求める蜜があるものか、ないものか、それが生きる術だとしても、なかなか骨の折れる作業である。
揚羽蝶は花に囁いたり、囁かれたり、気の利いた会話を交わしながら、楽しそうに花と戯れている。人見知りせず、誰とでも付き合えるのも才能のうちだろう。
揚羽蝶は、飛び切り優雅な生をこの星の下に受けたように見えるが、しかしそんなものは地上にあるはずもなく、やがて優雅さを保つのに疲れていくのだろうか。
疲れたといえば、この春で廃線になった三河湾へ続く線路が、赤錆に塗れて可哀想な気がした。定年で退職した男たちがそうであるように、生きがいを失った者の後味は、生きることに疲れた思いだけだろうか。
定年前は、職場から家へ帰って、食卓で飲むビールのうまさが、彼らを支えたのだろう。
しかし、本当に彼らを支えていたものは、深夜残業にも耐えられる屈強な体ではなかったかと思う。残業のほどよい疲れでバスに乗り、食卓で飲むビールを思って、何度喉を鳴らしただろう。
疲れたと言えずに、あの細った月をどのくらい見たことだろう。
いや、そんな風情に浸れる暇などなかったのかも知れない。
疲れても、翌朝起きられる体力がまだある男たちは、職場をなくしてから、食卓でビールも飲めずに過ごしているのだろうか。
退屈な夜を紛らすために街に出かけては、まばゆい海のような光を見つけるのだろうか。
その光の粒子が今日と明日とを繋ぎ合わせている。
ここから帰ることがなぜか空しい。
終電車が男の前を通り過ぎる。
この電車に駆け込んだときの胸の高鳴り、この電車に乗り遅れたときの悲痛も懐かしい。
過ぎた日々が光の束のように頭を巡り、過去の出来事が、瞼の裏をゆっくりと流れていく・・・・・・。
生きることに疲れたときの終電車
廃線の駅が他人の顔をする。形あるもの、ないものすべてが見る側の思いで違っていくが、それが機微というものかも知れない。
思い出したが、イギリスのある放送局で日露海戦の英雄である東郷平八郎の死を追悼する折、日本で一番悲しい曲を流した。
若き日にイギリスで学んだ英雄の死にふさわしいその曲が『かっぽれ』だった。
最も賑やかとされる『かっぽれ』が、イギリス人には悲しい曲に聞こえたのだろうか。
この夏の暑さで私たちが疲れているように、選曲した人も疲れていたのかも知れない。
こんなときは、ひといきに眠るのがいい。
蕎麦殻の枕が涼しい夢を連れてくる。
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□2004.07.24 (Sat) |
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■今年も後半戦
夏至の頃に比べると、少しだけ日が短くなってきたように感じられる。
夏の盛りだから相変わらず暑いが、夏も確実に後半への扉を開けたのだろう。
例年だと夏の始まりが、今年はもう夏の半ばである!
梅雨がなかったからそんな気がするが、今年も後半戦の戦況を占う時期となった。
“後半戦の戦況”と言っても野球のことでもサッカーのことでもない。
体調とか気持ちとか、意志、精神と言ってもいいが、“生きること”と言うのが一番近いのかもしれない。
体もそうだが、気持ちが萎えてしまうことがよくある。
社交的でもなく、馬鹿騒ぎができないから、人の大勢いるところには、身を置くことができ難く、なさけない気分で帰路に着く。
賢治のように、“いつも静かに笑っている”だけでいいじゃないか、とも思う。
生きることに疲れたときの終電車 比呂志
いつだって生きることに疲れている。
今夜はとりわけ疲れている、と思っているときに、目の前を終電車が過ぎていく。
電車よ、朝から晩までお疲れさん、自分もがんばろう、と言えるだろうか?
もっともっと、生きることに軽くなっていけばいいのだろう。
ヘビー級じゃだめだ!フェザー級でいこうか!
ああ、今日も暮れていく。
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□2004.07.17 (Sat) |
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■将棋
ここのところ、我が家の男連中は将棋に夢中になっている。
小学四年の次男坊が、学校の誰かに教わった将棋を、家に持ち込んだのが始まりで、時間があれば将棋盤へ目を落としている。
私とて、小学校時代に少々夢中になっただけで、その後、数えるほどしか将棋を指していないが、昔とった杵柄は健在で、車角落ちくらいなら小学生に負けない腕前である。
高校生の長男は、さすがに学業をいくつか終えているので、私と五分の勝負をするが、なあに、本気を出せば負けることはない。
将棋盤に駒を並べるときは、私の人生論がいささか光る。
「将棋がうまくなるにはどうしたらいいか?」と子供たちに問う。
子供たちは、まともな返答を返さず、きょとんとしている。
「将棋がうまくなる秘訣は、将棋盤の升目へきっちり駒を並べていくことだ。それができたころに将棋はうまくなっている」
この話は実は仕込みがある。
私が中学生の頃、朝礼のときに校長先生が生徒を前にして、繰り返し繰り返し話していたエピソードがある。
先生は、将棋の大山名人と懇意にしていて、いろいろな将棋の話をしてくれたが、ある日、先生が名人に、将棋がうまくなるにはどうしたらいいかを訊ねた。
先生は、駒の進め方や守り方、先の読み方についてのご託宣を期待していたが、名人が答えたのは、将棋盤の升目にきっちり駒を並べること、それができるようになれば将棋はうまくなっていく、ということだった。
精神論といえばこれほどの精神論もないだろうが、あの頃先生が繰り返し話されたエピソードが私は好きだ。
そして、大げさに言えばこの言葉を噛みしめて、今日まで生きてきたような気がする。
努力型人間のはしくれである私にできることは、そんな精神論を大切にすることだけだったような気がする。
ともあれ、将棋が私の中に帰ってきた。
しばらくの間、子供たちとのふれあいは将棋の中にあるだろう。
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□2004.07.11 (San) |
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■川柳七句
疲れたと言えず細った月を見る
返信のハガキはリラの散る日まで
浴衣地にいつかどこかで見た銀河
駆け上がれば群青の空ひとりじめ
風立ちぬ始発駅からまた生きる
生と死を隣り合わせて向日葵咲く
手鏡に疲れをうつす朝の雨
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□2004.07.03 (Sat) |
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■夏休み前に
梅雨がどこかへ行ってしまったかのように、好天気が続いている。
町中のいたるところに木槿(むくげ)の花が咲いている。
木槿の花を見るたびに夏を感じる。
この花に出会ってから、もうどのくらいになるのだろうか?
人の出会いがそうであるように、花との出会いもその人を変えていく。
力づけられたり、悩みを吹き飛ばしてもらったり、忘れられない花との出会いが誰にもあるものだ。
少年期の花との出会いは、ひまわりや朝顔に始まる。
ひまわりの種を植えると、すぐに芽を出し、それが双葉となり、やがて本葉へ変わっていく様は、人の成長と重ね合わさり、何か神秘的なものを感じさせる。
初夏に蒔いた朝顔の種が、芽を出し、蔓をぐんぐん延ばしながら、軒に立て掛けてある竹を巻いていく姿は、日当たりのいい窓辺にひと夏の日陰をこしらえて、何とも小気味がいい。
朝顔の日陰で木漏れ日を受けて、西瓜を食べているのは誰だろう?
それは幼年期の私のようであり、私の子供たちのようでもある。
夏休みが近づくにつれ、子どもたちの顔はにこにこしていくが、親の方もかつての夏休みを思い浮かべて、また微笑むものだ。
もうすぐラジオ体操が始まる。
木槿の花が夏の朝の陽にきらきら輝いて、子どもたちの眠い目を覚ましていくのだろうか?
公園の水飲み場で、噴水のように高々と上がった水が子どもたちに何かささやくのだろうか?
過ぎた日は、写真のひとこまのようにいつまでも静止しているが、水飲み場の水は、高みから止まらずに子どもたちの顔めがけて落ちてくる・・・・・・。
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□2004.06.26 (Sat) |
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■梅雨の晴れ間に
6月も残り少なくなった。
この季節につきまとうのは梅雨のイメージだけだが、体じゅうにまとわる湿気も6月の遺品のようで、何だかさびしく思える。
過ぎてしまえば何もかもが、雨に洗われた小石のように垢を落としていくのだろうか?
雀の子が元気だ。
玄関につるしてある牛乳パックの餌場に朝な夕なくちばしを伸ばしている。
梅雨の季節は、幼虫がさなぎにかえったりして、餌にありつけないらしく、飼っていた3匹が仲間(?)を連れてやって来る。
そんなに楽に餌にありつけると、先が大変だよ!
居心地のいい餌場の主人の心配をよそに、きれいに整った羽をブランコのように揺すっている。
一雨来れば、また餌から遠ざかるのだから、まぁいいか!
昼過ぎ、わが家の手作りの花壇にアゲハ蝶が舞っていた。
おいしい蜜があったのかなかったのか、ペチュニアの花びらに頬を寄せているようで、愛らしい季節の使者は、まるで人というものを恐れない。
人見知りせず、だれかれ問わず話せるのも才能なのだろう。
梅雨の晴れ間に見えるものは、人から離れたところだ。
喧騒の中では、自然は見えるようで見えない。
見ているようで見ていない、と言った方が正しいのかも知れないが、しかし、悲しいかな、人が人であるためには人から「隔離」されなければならないのだろうか?
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□2004.06.19 (Sat) |
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■川柳七句
不揃いのイチゴが涼し切子皿
六月の記念日知らず砂時計
スケッチを褒められ午後の風といる
涼しさに慣れたいのちの深呼吸
どくだみの匂いを残し中年期
新緑を背負い五月の薬売り
蕎麦殻が涼しい夢を連れてくる
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□2004.06.13 (San) |
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■マルア夏の酒だより
近所の酒屋(美味良酒・マルア 愛知県高浜市春日町)から季節ごとの酒だよりが届く。
この酒屋は、清酒、ワイン、焼酎に力を入れていて、各地または各国の地の酒を集めては、お客さんに紹介している。
愛知県内産の清酒では、蓬莱泉『空』でおなじみの「関谷醸造」や『白老』で知られている「澤田酒造」の地酒がお奨めとかで、毎号酒だよりに登場する。
昨年、関谷醸造を訪れた際に見たものは、酒蔵というイメージからは遠い近代的な工場で、何もかもオートメ化されているかのような印象だった。
実は昨日、澤田酒造の蔵元に伺い、蔵見学と試飲会をさせてもらい、さらに澤田社長のお話をうかがったが、こちらは江戸の頃から続く製法を守り、古式豊かな風情を醸し出していた。
しかし、いずれの蔵もうまい酒造りを目指している点で一致していて、手法の違いが表に出ているだけなのであった。
「金魚酒」なる“金魚も泳げるほど水っぽい酒”というのがあったそうである。
戦後の窮乏期、酒造りに必要な米などの物資が乏しかったせいで、酒の醸造には限りができ、慢性的な酒不足となった。
蔵元は酒に少しぐらい水を混ぜてもいいだろう、と水を混ぜ、問屋もその次の小売屋も同じように水を混ぜたがゆえに金魚酒になったということらしい。
今思えば落語のような話だが、実際そのようなことはあっただろうと想像できるし、お上はそんな行為を許していたし、何より皆が生きるだけで精一杯の時代だったのである。
澤田酒造は、そんな時代にあってもそれまでの製法を守り、一途にうまい酒造りを目指したようである。
“積み重ね”とよく言うが、積み重ねの末に今の『白老』があるような気がする。
このうまい酒を飲み続けると“白い老人”になるのだろうか?
美味良酒・マルアへのアクセスはこちらです。 http://www.marua-jp.com/
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□2004.06.05 (Sat) |
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■隠れ家
“隠れ家”といった言葉をよく耳にするようになった。
隠れ家とは、大勢の人たちとワイワイガヤガヤやるのではなく、一人酒を心地よく飲むために誰にも知られずに居られる場所を指すのだろうが、それだけ人は人生に疲れているということだ。
無論、人恋しくてワイガヤを楽しみたい心境のときもあって、人はそれらをうまく使い分けるが、その比重は明らかに一人酒に傾いているのではないか?
一人酒とはいうが、自宅では雰囲気も味もまるでないから、バーやパブに出かけたいところだ。しかしそこが心地よさを保障してくれるわけではないので、どうしても隠れ家のための店探しをしなくてはならない。それも億劫な気がしてくる。
店選びには情報入手と自然体が大切だと言われる。
バーテンダー暦22年のある店主がこう言っている。
雑誌やインターネット、口コミで得た情報であらかじめイメージをつかみ、自分が受けた印象と比べてみる。知ったかぶりをせず、酒についてバーテンダーに尋ねてみると、次回訪れたときの印象も違ってくる。最初から一人きりでと気張らず、まずは友人と気軽に行ってみるのもコツ。
心地よさを手にするためには、何事も努力が必要なのだ。
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□2004.05.29 (Sat) |
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■ワッキーの地名しりとり
隣家の枇杷の実が少しずつ色づいてきた。
この果実は、いつも梅雨時分に旬を迎えるので、何だか気の毒な植物のように思うが、それはそれで保護本能などがあって、梅雨時が身を守るのに適しているのだろう。
ああ、夏だ。今月は初夏のイチゴが畑でたくさん採れた。
不揃いなイチゴが愛らしくて、しばらく容器に入れて眺めている。
素肌に粒粒の種をいっぱいつけているイチゴは初夏のやさしい日差しを浴びて、満足気に座っているように見える。
家人がそのうちジャムにしてしまうが、少し酸っぱいジャムをトーストに塗って食べよう。
自然を感じながらの食卓が何よりいい。
CBCテレビの深夜番組「ノブナガ」で人気の「地名しりとり」がおもしろく、毎回眠い目をこすりながら見ている。
同コーナーは、お笑い芸人のワッキーこと脇田寧人さんが街で会った人にその人が一度でも行ったことがあるという条件で、地名のしりとりを依頼。
言われた場所がどんなに遠くても、飛行機を使わず(海外は除く)そこへ移動。
愛知、岐阜、三重の三県すべてに行けたら「ゴール」というのがルール。
残った三重県の地名を言ってもらうために、北は宗谷岬から南は沖縄・小浜島、さらには国外のタイ、ブルネイまでワッキーは飛ばされ続ける。
旅のさまざまな出会いと何より人情がすばらしい!
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□2004.05.22 (Sat) |
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■川柳七句
鬼瓦さしで飲りたい花火の日
小手毬の後ろで夏が待っている
その先が思い出せない忘れ傘
ひとひらの花びら時は通り過ぎ
木漏れ日をかき分け行けば過去に会う
あのときの隙間をうめて雨が降る
飴細工手元を風が抜けていく
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□2004.05.15 (Sat) |
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■雀の巣立ち3
水曜日、雀の子がわが家を巣立っていった。
試行錯誤の末、今度は本当の旅立ちになっていくのだろう。
家人の飛行訓練の成果があらわれて、ずいぶん飛ぶのがうまくなってきたので、もういいだろうということになった。
最初は塀やら自動車の上に乗ってあたりをうかがっていた(別れを惜しむように見えた)が、そのうち私たちの視界から消えていった。
日毎、行動範囲は広がっていくだろう。
玄関の脇に、餌だけは切らさずに置いておこう。
家人が、側面を切り抜いた牛乳パックに餌を入れて、軒から吊るしておいた。
畑で取ってきた芋虫などの幼虫も入れておく。
たまに様子を見ると2匹が対になって、餌箱の近くを歩いていたり、じっとしたりしている。
(もう1匹は成長が早かった分遠くに行ってしまったのだろうか)
そっと見ると、餌をつついている、幼虫を食べているという姿に出会う。
しばらくは雀たちの匂いが染み込んだわが家の周辺を住処とするだろう。
そのうち鳥たちが本来持っている野生が芽生え、遠い旅をするようになるだろう。
人間の子どもたちの誰もが体験するように、住処から遠く離れていくほど大人に近づいていくということか。何でもない出会いが胸に甘酸っぱく広がることがあるが、子どもたちにそれがわかるのはずっと後のことである。
子どもたちが大人になった頃、雀たちと過ごした遠い日があったことを忘れずにいるだろうか、いや忘れてしまうのだろうな。
私の感傷がやがて消えていくように・・・・・・。
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□2004.05.08 (Sat) |
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■雀の巣立ち2
雀の子が少しづつ大人に近づいている。
自力で飛ぶにはまだまだ心もとないが、ここ数日、家人が部屋の中で飛行の稽古をさせていた。1匹は大分高く飛ぶようになったが、他の2匹はまだまだである。
今朝、子どもたちと外で雀を試しに放した。
子の親であろう雀が近くに来たので、もう大丈夫かと思ったが、屋根まで舞い上がったのは1匹だけだった。自力で飛んでいければいいし、いけなければ虫かごの巣に戻すつもりだった。
自分で餌がとれるか心配になるが、なに、人間のようなことはない、鳥がこの世に生をうけて生きていけないことはないだろう、と空に放った。
1匹が屋根へ舞い上がり、瓦屋根を伝って私たちの視界から消えていった。
他の2匹は巣箱に戻ることになり、身体を寄せ合ってじっとしている。
あの雀どこまで飛んで行っただろう、と思った。
そんな思いも夕方までで、雀は玄関に置かれた餌を求めて帰ってきたものか、家人が見つけて、家に招き入れたのだった。
家人の話だと、電線の上で他の雀にいじめられていたそうだ。
どの世界にも縄張りというのがあるのだろう。
半日だけの冒険に終わったが、いずれにせよ大人になるということは大変なことなのだ。
ましてや、人間ならばその苦労は計り知れない・・・・・・?
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□2004.05.01 (Sat) |
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■雀の巣立ち
ひょんなことから雀の子を飼うことになった。
この時期、毎年のように、わが家の軒に雀が巣をつくる(すでにある巣の中で雛を生むのか?)のだが、今年もチュンチュン朝からやかましく鳴いているなと思っていたところ、3日前に雛が巣からこぼれ落ちているのを子供たちが見つけた。
親鳥は子をくわえて1匹づつ巣に返すこともできないので、なす術もなく雛たちを諦めてしまうらしい。4匹の雛のうち1匹は巣から落ちたときに打ちどころが悪かったのか、すでに息も絶え絶えの状態で、すぐに死んでしまった。
およそ猫が屋根を伝っていって、雛を捕まえようとしてこぼしたのだろう。
猫の悪さのおかげで、まだ自立できない雛を子どもたちは飼うことが出来たわけだ。
夏にカブトムシを飼う透明の容器にわらと葉っぱを敷き詰め、雛たちの巣にした。
雛はその中で身体を寄せ合って、透明な容器の彼方で見つめている人(私のことです)を不思議そうな眼で見つめている。
子どもたちは、朝な夕な、雛の口を開けては、近くのホームセンターで買ってきた鳥の餌を注射器のような器具で与えている(口の開け方もうまくなってきたぞ)。
子どもは楽しそうに、家族の一員となった雛たちの世話をしているようだ。
3匹とも元気が良くて、わが家の玄関は朝早くからかしましいが、それもうれしいような気がする。日に日に成長していく雀の子たちは、おそらく数日もすれば飛べるようになるだろう。
巣立ちの日、子どもたちは自立する雀たちをどんな気持ちで見送るだろうか。
親鳥からはぐれた雀が自分たちの手で餌を捕まえられるのだろうか。
いらぬ心配をしてしまうのが苦労人(私のことです)の悪い癖で、人も鳥も社会や自然の中でどうにかこうにか生きていけるだけの生命力を持っているのだろう。
雀たちの旅立ちの日、幼い生命が地上から舞い上がる姿を見てみたい。
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□2004.04.24 (Sat)
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■川柳の味わい
川柳を習って1年が過ぎた。
花鳥風月を読む俳句と川柳との違いが少しづつわかりかけてきた。
川柳は暮らしをうたっていくものである。日々の暮らしの中の出来事を切り取ったり、貼り付けたりしながら、まるでパッチワークのように地味で根のいる作業を続けていく。
そうして生まれた作品(作品というほどのものはまだ書けないが・・・)は、読者の方に「ああ、なるほど」と思ってもらえれば本物である。
私の川柳は俳句的である。俳句的なところを狙った川柳と言ってもいい。
俳句も川柳も実は詩であって、想像を駆り立てると言うか、読み手の頭の中にさまざまな事象が浮かび上がってこなければいけないと思うのだけれど、どうだろう。
雪ですねぇ女将が酌に香を添える 比呂志
この句の女将さんはどんなだろう、と思う。品のいい居酒屋を1人で営み、常連客を相手に「雪ですねぇ」としっとり語りかけながら、酌をしている。
そして、熱燗の人肌ほどの熱さの中に女将さんの香が一筋流れていく・・・。
女将さんは器量よしなのだろう、とかってに決めてしまいたいような情緒が漂っている。
今日、高齢の方が読んだとされる川柳を見つけた。句から察して「無理」というテーマであろう。
脱ぎ捨てた欲から無理がこぼれ落ち
無理のない歩幅で明日を追ってゆく
ともに「生きる術」を読んでいる。
欲があるから無理をする。無理することで、さまざまな歪ができる。それで息苦しくなったり、感情が空回りしたり・・・。欲を捨てた今、無理も体からこぼれ落ち、自分の歩幅で楽しく生きられるようになったのではないだろうか。
川柳は、暮らしの中の自分を見つめることで「生きる術」を教えてくれるような気がする。
いいものに出会ったものだ。
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□2004.04.21 (Wed) |
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■川柳七句
廃線の駅が他人の顔をする
花冷えの語感の前で立ちつくす
ただ時間だけが流れる水飲み場
ブランコに仕舞い忘れた時揺れる
緩急をつけずに生きて今午睡
しんしんと雪積もるごといのちある
お互いが他人の振りして咲く桜
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□2004.04.17 (Sat) |
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■丹田呼吸法
少し前に記したが、臍下丹田(せいかたんでん)に自信は湧いたり、着いたりするらしい。
臍下丹田とは、へそから握り拳ほど下がった辺り。
中国の気功では、臍下丹田に「気」が集まるとされる。
あがっているというのは、気が本来あるべき丹田にない状態にあるから、そこを意識して深く息を吐くと、気が落ち着いて自分の力が出せる、とされている。
「丹田呼吸法」はそのようにあがり対策として取り入れることができるし、最近はストレス解消や老化防止などにも効くと話題になっている。
さて、「丹田呼吸法」。次のようにやるのが効果的だそうです。
リラックスした姿勢を取り、へその下の丹田に両手を当てて意識を集中する。
口を尖らせる感じで、細くゆっくり時間をかけて息を吐く。
その後、鼻から息を吸う。
これを10分から15分続けると、次第に気持ちが落ち着き、頭と体がスッキリする。
子供の頃の楽しい思い出や、ふるさとの景色などをイメージしてやるのが良いようです。
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□2004.04.11 (San) |
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■中上哲夫
詩集『エルヴィスが死んだ日の夜』が第34回高見潤賞を受賞した。
高見潤賞は年間で最優秀とされる詩集に与えられる賞。
作者は中上哲夫。
ひさしぶりに“中上哲夫”の名を聞いた。
詩を書いていた頃、出会った詩人の一人だ。
その頃、明治神宮外苑絵画館文化教室の無限アカデミー「現代詩講座」を受講していた私は、この講座で講師としていらしていた中上さんにお会いした。
中上さんの詩は自らの青春を真っ正直に語られ、青春を愛して止まないという気分がいたるところに出ていた。ああ、詩だな、とすがすがしい気持ちになった。
こんなにさわやかに詩が書けたらいい、と思った。
講座の後、皆で中華料理屋に出かけた。
杯を傾け、思い思いに詩や仕事のことや人生を語り合った。
途中、いくつか持っていた詩を中上さんに見てもらった。
読み終わった中上さんは、顔を上げて「すばらしいじゃないですか」とひとこと言われた。
何がすばらしいのかの言葉はなくて、単なる社交辞令だったのかも知れない。
あれから20年が経つ。
65歳になる中上さんは受賞の挨拶でこう言われたそうだ。
「盆栽をいじってすごすような老後はまっぴらだ。そんな羽目に陥るぐらいなら、いっそのこと、青春に殉じ、青春とともに滅びたい。
物語をひきずって生きているのが詩人。私という物語を書いていきたい」
あの頃の中上哲夫の詩を読むと、その生き方がわかるような気がする。
アイオワの風に吹かれていると
日本から送られてくる手紙は
いつも雨に濡れていた
アイオワの風に吹かれていると
鼻毛が伸びた
鼻の孔がひりひり痛んだ
そして
喉がしきりに痛んだ
アメリカ人がたえずCokeや7up飲むわけがわかるような気がした
乾いた空気の中でドライなバーボンを!
こいつは悪くなかった
また
アメリカの詩はたえず風が砂塵を巻き上げ
根こそぎにされたニガヨモギを吹き飛ばしていた
こいつもそう悪くはなかった
アイオワの風に吹かれていると
鼻毛がいよいよ伸び
日本は水浸しの
雨の邦なのであった
そこでは
詩もいつも濡れていて
縦書きの詩は雨のように思われた
それも悪くなかった
そして
雨の邦では
夢の中まで雨が降っていて
日本人は水に住む蛙のように思われたのだった
蛙の暮らし?
それもまんざらではなかった
アイオワの風に吹かれていると
音もなく降る長雨ながめながら酒を
あなたと二人静かに酌み交わすのも悪くない
と思った
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□2004.04.04 (San) |
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■花曇り
せっかくの花見だというのに朝からの雨。
しとしとと人が泣いているような雨である。
「花冷え」とか「花曇り」といった呼び名があるから、この季節は風が変わりやすいのだろう。
昼からは、碧南市の『珈琲家族』の駐車場で花見を兼ねてのバーベキュー会がある。
この雨ではどうなるのだろうか?
隣に神明社があるから、社務所の座敷を借りて、持ち寄りの料理で一杯やることになるのかも知れない。
昨年と一昨年に花見の企画をしたときも雨だった。。
桜の名所で飲めや歌えやの大宴会を想っていたが、2年とも想いは外れた。
雨天用に押さえておいた神明社の社務所が宴会場になった。
おかげで寒さを感じることはなかったが、やはり花見は桜の下がいい。
少しくらいの寒さは酒と熱気が吹き飛ばしてくれる。
ライトアップされた桜を横目で見ながら、一気に杯を傾けるのもいい。
しかし、何事も塞翁が馬で、昨年はちょっとした収穫があった。
神明社の本殿で花見客用に催された雅楽が見物できた。
強い雨の中で一般の花見客はいなかったから、仲間だけの貸しきり状態となった。
「笙」や「篳篥」といった日本古来の楽器が雨の中のしっとりした桜を引き立たせていた。
雅楽に合わせて美しい巫女さんが舞った。
巫女さんの顔は、雨でひらひら舞い落ちる桜の花びらのように薄い桃色だった。
ほろ酔いの幾分上気した頬がさらに赤みを帯びたような気がした。
すでに12時を過ぎている。
1時からの花見会に間に合うようにそろそろ家を出ることにするか。
花曇りの空を見つめていても一向に雨の止む気配はない。
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