あおみ労務事務所
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「晴耕雨読」という言葉を、今しみじみ味わっています。
「晴れた日には畑を耕し、雨の日には読書する」すこぶる人間らしい気がします。
宮澤賢治が「雨ニモマケズ 風ニモマケズ・・・」と手帳に記したように、このページでは、心に浮かぶままの考え・感想や日常での出来事、変わりゆく景色などを、詩やエッセイなどの形で、気軽に綴っていきます。
2004.11.28 (San)
秋の女神

秋日和というには少し肌寒いが、晩秋の好天が続いている。
今日は朝から、翼小学校の学芸会が開催されている。
9時30分、4年児の発表が終わったところで、一旦自宅へ帰り、11時から始まる3年児の発表に合わせて、また学校へ向かう。
それにしてもあれだけの児童を抱え、教師たちは大変だろう。
まとめるという行為は、まとめる側とまとめられる側との意思疎通が充分でないとできない。
そこは、教室という、たえず教師と児童が相対する限られた空間がうまく機能しているのだろう。
会社も、教室のような空間があれば、社員たちとの意思疎通がうまく取れていいだろうに。
常時とはいかなくても、随時、社員と相対する場で意見の交換ができたら、と思う。

   風一陣秋の女神を見とどける                   比呂志

木枯らしの季節が間もなくやってくる。
色づいた桜の葉は、風がなくても落ちていく。
ひらひらと舞う枯れ葉は、何かメッセージを投げかけているのかも知れない。
秋の女神とは何だろうか?   
コスモスの花でも、菊の大輪でも、秋海棠やススキでもないような気がする。
それらすべてを包括したものかも知れないが、顔が見えない分、神秘的でもある。
とどのつまり、「秋日和」という言葉に集約されるのだろうか?
そうであってはつまらない、とも思う。

秋と冬が対峙するこの季節。
教師が教室の子どもたちを見送るように、去っていく秋を見送ることも、人の務めなのかも知れない。そう考えると、秋そのものが“女神”なのだろうか?

一陣の風に揺れる草花や木々。
何もかもが季節を見送るように手を振っている。
私はというと、部屋の片隅にある一輪挿しに、秋の女神を閉じこめている!



2004.11.20 (Sat)
川柳七句

行く秋を一輪挿しに閉じこめる

冬宛の追伸少し長くなり

風船の天までとどく頃は冬

ブランコも冬の身支度する夜寒

早起きを褒められ冬の始発駅

晩秋に冬の星座が跳ねている

さよならを言えずにあきのきりんそう



2004.11.14 (San)
災害義援金

新潟県中越地震の被災者を支援しようと、災害義援金を呼びかける運動が活発だ。
昨日の新聞にも、愛知県内の中、高生380人が、バスで被災地へ炊き出しに出かける風景が写し出されていた。“困ったときはお互い様”を地でいく無償の行為に涙が出る。
人はこんなに温かいものかと思う。

昨日、愛知中小企業家同友会・碧南高浜地区主催の講演会が開かれた。
“車椅子の女優”萩生田千津子さんが、生きることの辛さ、きびしさを語られた。
辛さ、きびしさを知り得たからこそ、それらを乗り越えた時の「生きててよかった!」という実感。
人には使命がある。使命とは幸せをつかむために“命を使う”こと。
そして、障害者の目で見なければ解からない現実を、垣間見させてもらった。

会場入り口に、「新潟県中越地震災害義援金」の箱を置いた。
受付の人の声掛けなどで、61,782円の義援金が集まった。
善意の方々の思いを被災地にお届けします。
ありがとうございました。



2004.11.06 (Sat)
渥美半島

少しずつ色づいてきた木々を見ている。
秋の空は飛行機雲を流してどこまでも青い。
木槿が花を散り終えたそばから山茶花が蕾をつけ始める。
菊は香をこぼすように花を一杯広げている。
11月の昼下がり、青い地球の、点にもならぬこの場所はどうしてこうも平和なのだろうか?

「中部スローな旅・各駅停車で行こう」に渥美半島の地図が描かれている。
蟹の鋏に似たこの半島は、大きな川がないせいか、田よりキャベツなどの近郊農業が盛んに行われている。
この半島の中ほどにある田原という町が好きだ。
19歳の春、この地で1日過ごした。
江戸時代後期の人・渡辺崋山ゆかりの地で、今でも崋山が眠る城宝寺。
その寺の地蔵堂を無断でお借りした。手を合わせ無礼をわび、一宿させてもらった。
お地蔵様には桜の花木が供えられていた。
衣食足りて礼節を知る・・・・・・。
学生の意識は、そんなものだったのだろう。
田原の駅前で新潮社の文庫を買い、駅で少し読んだ記憶がよみがえる。
堀辰雄の「風立ちぬ」。
あれ以来読まれることもなく、家の片隅で眠っているのだろうか?
すべてが遠い、遠い過去のような気がする。

地図の上で、崋山ゆかりの地を抜けて伊良湖岬へ向かう。
それにしても、愛知の2つの半島はまことに蟹の鋏に似ている。



2004.10.31 (San)
川柳七句

欲得に冬の虫歯がうずきだす

感情をひとすじ流し吾亦紅

教室の隅からとどく紙つぶて

欲望の街に小さな赤い羽根

歯磨粉ふくむまもなく雪になる

卒業の朝の自転車錆びかける

ジャックにも登り切れない欲の蔓



2004.10.23 (Sat)
桂枝雀

落語家・桂枝雀が亡くなってから、もうどのくらいになるのだろうか?
枝雀の自殺の報は新しい記憶に押されて、私の脳の片隅に埋もれてしまったが、あの体全体でぶつかっていく落語とともに、時として鮮明に浮かぶことがある。

日経新聞・交遊抄に枝雀の弟弟子の桂ざこばが「枝雀兄ちゃん」と題した小文を載せている。
枝雀の“人となり”が垣間見られて、思わず涙が出た。

『1963年、師匠の桂米朝に入門した私は、兄弟子の枝雀さんと3ヶ月ほど内弟子生活をともにした。 づぼらな性格から10日もすると緊張感が緩み出し、日課だった朝の掃除に寝坊をして師匠の奥さんに怒られる始末。
ちゃんと起きる枝雀兄ちゃんに起こしてくれるよう頼むと「眠たいときは寝てたらいいねん」。「奥さんに怒られるもん」と答えると「怒りたいもんは怒らせとけばええねん」。「怒られるのは嫌や」と食い下がると「そやったら、ちゃんと起きたらええがな」・・・・・。おおらかな性格で、争いごとが嫌いだった 』 

枝雀は登場人物の年齢から性格までネタごとに独自で設定していたという。
また、思想家、哲学者のように“自分”をとことん追求していった節がある。
それゆえ“うつ”という病巣を絶えず抱えていたのだろうか?
“人にはやさしく、己にはきびしい”生き方は、人に見せるおおらかさと、自分の中にある阿修羅とが心の底で火花を散らしていたのかも知れない。
そう思うと切ないが、あの顔が私たちに与えてくれたものは、間違いなく向日葵のあたたかさだった。



2004.10.16 (Sat)
あきのきりんそう

朝夕が少し肌寒くなってきた。
昼間のノリでいようものなら、すぐに風邪をひいてしまう。
長袖の被服を身にまとうのは、木々が彩るようなものかもしれない。
朝夕の温度は日中と比べてどのくらい差があるのだろうか?  
寒暖の差があればあるほど紅葉は美しいものになると言うが、風邪をひいては紅葉狩りも辛いものになってしまう。
山からの紅葉便りが届く。
山が美しく化粧する時季は、とりわけさびしい時のように思う。
それは、日中の時間が短く、夜が長いことと関係があるのかもしれない。
秋の夜長は、なぜだか人恋しくなって、それを紛らすようにちびちびと一人酒。
それもいいものだが、いつも少し度が過ぎてしまう。

“あきのきりんそう”があちこちで丈を延ばしている。
別名を“背高泡立ち草”と呼ぶが、秋のいい風情を醸し出している。
今日、子どもたちとさつまいもを掘った畑のそばにもたくさん並んでいた。
秋の日差しを一身に浴びて、気持ちよさそうだった。
詩人・衣更着信が“あきのきりんそう”をこんなふうに歌っている。

  目をさましてじっと
  空を見つめている幼児のようにならなければ
  イエスの寂しさはわからないのだろう
  あきのきりんそうの根もとで止まっている
  ボールの悲しさはわからないだろう                        (「中年」)

どうやら秋はたくさんの詩人を誕生させていくようだ!



2004.10.09 (Sat)
アイランダー

島旅愛好家が撮影した離島が、日経新聞・Trend Box の中に写っている。
空と海の青が溶け合うあたりに浮かぶ鹿児島県・小宝島が濃い緑に包まれている。
背後には秋の雲が左方へ静かに流れている。
この小宇宙が物語るものは何だろうか?

離島への関心が高まっているという。
豊かな自然、ゆったり流れる時間、濃密な人と人とのつながりを求め、旅をしたり移り住んだりする人のことを「アイランダー」と呼ぶらしい。
英和辞典では“island”の下に“islander”と続くが、その意味は「島の住人」とある。
「島の住人」では少し情緒に欠けるが、島に移り住む人の志は相当高いものだろうと思う。
自然豊かな土地で自給自足に近い生活にあこがれて移り住む中年や、サーフィン、ダイビングを楽しむために移り住む若者たち。
離島に移住する人たちの年齢は幅広く、目的もそれぞれ違うが、いずれもお金以外に人生の価値を見出している点で共通している。

かつて、山里に住む男性がテレビで取り上げられた。
自給自足に近い暮らしぶりは、米、野菜づくりに始まり、味噌、醤油に至る一切合切が自らの手でなされていた。
夜、薄暗い灯火の下で書を読んでいる姿が映し出されていた。
道元か親鸞か、そんな思想書を飽くまで読んでいるのだろうか?
何かを求める姿が美しいと思った。
週末になると障害者へのボランティアで街に出た。
障害者の中に彼を好いている女性がいた。
女性は山里で彼と一緒に住みたいと思っていた。
それを打ち明けると、彼は「いいよ」と言い、同居が始まった。
テレビには、味噌づくりを教え、野菜づくりを指南する姿があった。

「1人も楽しいし、2人も楽しいし・・・・・・」

1人であろうと、2人だろうと男性の暮らしはこれからも変わることがないだろう。
もし彼女が何かに飽きて去ったとしても、以前のように灯火の下で書を読むのだろうと思った。

ある会社を訪れたとき、この話題が出て、社長は「よほど人生を達観できにゃ、こんな生活はできんだろうよ」と言われたが、達観とは“諦める”ことではないかとそのとき思った。
そして今、その“諦め”は不浄なものへの諦めではないか?と思っている。



2004.10.02 (Sat)
中山成彬

小泉内閣の文部科学相に就任した“中山成彬(なかやまなりあき)”を知らなくても、“中山恭子”の名を知っている人は多いと思う。
日本人拉致事件で、被害者やその家族から信頼の厚かった中山恭子さんが、9月30 日付けで内閣官房参与を辞任した。
清楚で物腰の柔らかい婦人の立ち振る舞いは、今後も目に焼きついて離れないと思うが、その夫である中山成彬さんが入れ替わるようにして、9月27日、大臣となった。
今日の中日新聞・朝刊「新閣僚に聞く」の中に、記者とのこんなやり取りがある。
ぐっときたので紹介します。

─ 在任中、これだけはやりたいことは。

「先生の資質向上。高校2年で親父が急死し、田舎に帰って百姓をしようと思ったが、『授業料も寮費も免除するから続けろ』と、迎えにきてくれた先生がいた。
あの先生がいたから今の自分がある、と印象に残るような先生を増やすことを一番先に考えたい」

“先生”の端くれとして、この言葉噛みしめたい!   



2004.09.25 (Sat)
川柳七句

砂浜を夏の呼吸で振りかえる

傷ついて九月の雨は横なぐり

背を押せば歩いていける南風

身の丈に合わせ大樹の下にいる

老年期花守の眼で花を見る

浜風に吹かれ身なりが気にかかる

朱の色が波に砕けるエピローグ


吾亦紅



2004.09.19 (San)
萩の花

隣家の萩の花が流れるように咲いている。
淡い紫色は秋に似合う。
これから咲くコスモスもそうだが、秋の花は賑やかではないが、楚々としていい風情だ。
こうした風情を醸し出しているのは、やはり風だろうと思う。
風が風の道を通っていくとき、秋の花はやさしい風の触手を頬に感じて、少しだけ目を閉じるのではなかろうか?
花の気持ちをわからぬ者がわかったように言うのは、失礼な話だが、萩の花を眺めていると、主役でなくてもいいというさりげなさが感じられて、どこまでもいい。

手元に「熊谷守一展」のチラシがある。
10月8日から愛知県美術館で熊谷守一の展覧会が始まる。
戦後に画壇や俗世間から離れ、明快な輪郭線と平滑な色面による独自のスタイルを確立して、身の回りの動植物を描き続けた画家が、何かを伝えようとしている。

なぜか熊谷守一が萩の花と重なる。
それぞれの生き方が似ているのかもしれない。



2004.09.12 (San)
歩々起清風

いい言葉を見つけた。
「歩々起清風」 ─歩々清風起こる─。
その人の歩むところ、止まるところにさわやかな風が起こる。
その人と共にいるだけで、その人が通り過ぎていかれたというだけで、周囲の人々に喜びや安らぎを、生きていく勇気を与える。
実際こんな人がいるのかと思うが、人生の師匠と呼ばれる人は、この言葉のような人なのだろう。越後の禅僧・良寛さんが、あるとき子供たちに頼まれて凧に「天上大風」の文字を書いた。
天上で凧が高く上がるように大風よ吹けと、そんな願いを込めたのだろう。
そんな風のようになりたいと思うが、このていたらくではなれそうもない。
さわやかな風は夏の暑気を払い、子供たちが凧を揚げれば、もっと上がるようにと吹いていく。
古の人が、風の音に秋を感じたように、風はそれ自体が大きな存在で、私たちにとっては宝物なのかもしれない。
秋の始まりに少し感傷的になったりするのは、涼しくなった風のせいでもある。
見えない分だけ風は私たちに何かをくれる?

  スケッチを褒められ午後の風といる       比呂志



2004.09.05 (San)
白銀本舗

麒麟麦酒の秋の限定醸造「秋味」が、うまい。
通常の1.3倍の麦芽を使っているとかで、その“コク”味は酒飲みの心をくすぐる。
しばらくはこの「秋味」が酒席を席巻することになろうが、その後はおきまりの“酒”である。
俳句の方では“新酒”は秋の季語になっている。
昔は、秋に収穫した新米ですぐに酒をつくって飲んだらしいが、今は寒造りが普通だから、新酒が出まわるのは、年が明けて2月頃だろう。
ともあれ、秋の夜長にちびちびと1人酒がいい。
誰も気兼ねすることのない書斎で、昔読んだ軽い随筆を目で追いながら、そこはかとなく酔いがまわってくる気分を味わいたい。

「白銀本舗」のかまぼこが日経新聞『御用達を味わう』の中で紹介されている。
ここのかまぼこは、雪のように純白で光沢がある。
外相を務め、当時は防府(山口県防府市)にいた松岡洋右が1936年、その味と色つやのよさから「白銀」と名づけた、という。

修行中の頃、萩の出である勤務先の先生にこの「白銀」を何度となく頂いたことがある。
生のまま1a幅に切り、わさびしょうゆで食べる。
日本酒の肴に絶品であった。

          
http://www.hakugin.net/


2004.08.29 (San)
川柳七句

定年に遠く滲んだ月あかり

サンダルを遠く飛ばして明日晴れ

人知れず努力する子の遠い空

気がつけば愛は遠くにいるカモメ

かき氷崩れるときに聴くマーチ

氷屋はシロップ色に日焼けする

いわし雲いい人ばかり先に逝く



2004.08.23 (Mon)
ラジオ体操

ラジオ体操が始まった。
今年もまた子供たちの元気な姿に合えた。
高校生の長男が、保育園か幼稚園に通っている時からだから、足掛け13年ほどになると思うが、椎間板ヘルニアで患っていた3年前を除き、毎年出席している。
朝の冷気は草木を美しく見せる。
とりわけ木槿の花がきれいだ。木槿は花を次々に咲かせ、いとまがない。
“営々黙々 花が咲いても 咲かぬでも”
木槿には、中小零細企業のような風情がある。
まだまだ、蝉時雨も盛んだ。
盆を過ぎて尚、真夏の景色を醸し出している。
日がたつうちに、硬い体が徐々に解れていくのが分かる。
これを機にラジオ体操を続けていけばいいものを、年に1度の行事にしてしまっている。
それでいいじゃないか!とも思う。
見上げれば、夏の空は少しずつ秋色になってきている。

   ラジオ体操涼しい顔にまた会える         比呂志



2004.08.15 (San)
佐久島の夏

佐久島に行ってきた。
三河湾に浮かぶこの島が忘れられず、2年前と同じように民宿旅館「さざなみ」に宿泊。
家族連れのささやかな旅は、島の情緒を満喫できた。
佐久島での目的は、“廃屋のアート”を感じることと、“海”に潜ること。
その日は製作中の廃屋アートを見学できた。
築100年、廃屋となってから40年の「大葉邸」で、アーティスト・平田五郎氏とその仲間が黙々と作業を続けていた。
桐の木の下で、レンガを割ったり、セメントに砂利をこねたり、1人は屋根に上って瓦の葺き替えだろうか、汗を拭い拭いの作業の連続。
桐の葉が日陰を作って作業に涼を与えているようだった。
桐の木の下には、今も使われているという井戸が真水をたたえていた。
女性が1人。この子がきつい(と思われる)作業の中に潤いを醸し出している。
アートはその作品の見た目よりもずいぶん大変なのだと思った。

    廃屋をアートに変えて雨みどり          比呂志

潜水艦のような岩場で子供たちと泳いだ。
海に潜ると、メバル、アイナメなどの魚が泳いでいた。
島の海はきれいだからいい。
そして、海へ赤々と命を沈めていく夕日の見事さは、語りようがない。

夜、花火が揚げられた。
真下で見る豪華さに、殿様になった心持ちがした。



2004.08.08 (San)
レガッタの夏

三河湾北西部の海は、俗に「衣浦湾」と呼ばれるが、ヘドロの海として知られている。“ヘドロ”が有名では名誉も何もないが、この衣浦湾で毎年、乙な行事が行われている。
“打ち上げ花火”と“レガッタ”である。
衣浦湾臨海は中京工業地帯の一角で、さまざまな人がこの地に潤いをもたらしているとも言えるし、さまざまな人がこの地の恩恵を受けているとも言える。
それで日頃の感謝の気持ちで行われるのがこうした行事である。
先月31日に“打ち上げ花火”が、武豊の地で行われた。
小雨が降り、遠い対岸からの花火の見物は少し寂しかった。
うまいはずのビールがまずかった。
昨日は“レガッタ”の大会があった。ひょんなことから参加する羽目になったが、こちらは炎天下のビールがうまかった。
練習不足、体力不足に合わせて、ボートの漕ぎ手が試合前からビールを飲んでいたので、散々な結果に終わった(予選落ち)が、その後“レッツ銭湯”に行き、汗を流し、再びビールで乾杯。
夜には、家族で安城七夕祭りに行き、夜店を冷やかした。
帰りに“ガスト”で遅い夕食。何とも充実した夏の1日だった。

その後、寝しなにまたビールを飲んだ!


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