あおみ労務事務所
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随想
「晴耕雨読」という言葉を、今しみじみ味わっています。
「晴れた日には畑を耕し、雨の日には読書する」すこぶる人間らしい気がします。
宮澤賢治が「雨ニモマケズ 風ニモマケズ・・・」と手帳に記したように、このページでは、心に浮かぶままの考え・感想や日常での出来事、変わりゆく景色などを、詩やエッセイなどの形で、気軽に綴っていきます。
2005.04.25 (Mon)
岡崎桜まつり川柳大会

今朝の中日新聞・西三河版に、岡崎桜まつり協賛の春の市民川柳大会が開催され、72人の投句があったと報じられている。この中に入賞者の作品も載せられており、味のある句が紙面から飛び出さんばかりに自己を主張している。主催は岡崎川柳社。憚りながら私もこの柳社に属している。主な入賞者は次の皆さんで、作品の中から川柳の勘所が透けて見えそうである。

市長賞   人間の尻っぽが見えた花見酒 (岡崎市・近藤智子)

議長賞   ポリシーの笛はこぶしの中にある (東海市・小林和喜子)

教委賞   透明になる迄走ることにする (名古屋市・上村末子)

観光協   ダンゴのような人と花見に来ています (岡崎市・土佐昌子)
会  賞      
        人間の炎で温めあっている (岡崎市・土佐昌子)

愛知川   
柳作家   鈍行で走ると春の風に会う (岡崎市・高須春雄)
協会賞   

中日賞   黙ってる猫は夜中に爪を研ぐ (岡崎市・西村たみ子)

秀句賞   封筒の中で炎えてる一行詩 (豊田市・梅村正男)

        炎の坂も涅槃の酒も吾ひとり (名古屋市・菱田文)



2005.04.17 (San)
川柳七句

夢売りから貰う明日のシャボン玉

健診に微笑んでいる桃の花

花吹雪 漢字練習帳の中に舞う

春風が猫とじゃれ合う黎明期

何もない図画だがハトが飛んでいる

病室に一縷の望みを刺繍する

ありがとうの言葉を貰った別れの日


2005.04.10 (San)
二人乗り

自転車に乗るのは久しぶりのことだった。
妻に頼まれて、近くのスーパーへ卵を買いに出かけた。
格安の卵は、1人1パックしか買えないから、人海戦術で家中総出となった。
三男坊と私がペアで、通いなれた道を自転車で走っていった。
よくしたもので、自転車の運転は体に染みついている。
体で覚えたことはいつまでも忘れない。
花曇りの空気はまだ少し冷たいが、町中に咲く桜が美しい。
二人乗りで、高浜中学校正門の満開の桜の下を通った。
見上げると、ひとひらひとひらすべてが生きている。
数日すれば花吹雪となるだろう。

 入学の子が風から貰った花吹雪      比呂志

あの頃を思うと、少しだけ感傷的になるが、そんなノスタルジアもたまにはいい。
さて、自転車に乗った目的は?そうだ、卵を買いに来たんだ。
スーパーは押すな押すなの超満員。肝心の卵は10分のうちに完売されていた。
またの日にお買い物くださいの張り紙が揺れている。
揺れるのは、花吹雪に揺れる心の内だけでいい。
そんなことを思いながら、再び二人乗りで満開の桜の下を通った。



2005.04.02 (Sat)
詩は自転車に乗って

詩人・荒川洋治さんの2冊目のエッセー集『詩は自転車に乗って』(思潮社)が、手元にある。
奥付に1981年12月25日の発行となっているから、24年も前のものである。
斬新さを好む荒川さんの横顔がそのタイトルからも窺えるが、まだいくらか青い色彩をいさぎよく放つ姿が見つけられて、胸のすく思いがする。

荒川さんにお会いしたのは、昭和59年の秋だったと思う。
その頃、明治神宮外苑絵画館文化教室の無限アカデミー「現代詩講座」を受講していた私は、何度か講座で荒川さんの話を聞いていた。
話は、詩作のことではなく、詩論といった難しいものだったが、事務局の計らいで一度、受講生の詩を批評する会が催され、荒川さんがいくつか書いた詩を批評して下さり、また別の機会に個人的に見ていただいた。
国鉄信濃駅(当時)近くの喫茶店で、初めて直に会った荒川さんは、それはそれはあわただしい人のように思われた。雑誌の取材がその後あるらしく、すでに人を別の場に待たせていたので仕方なかったのかも知れない。
「センスはいいね」と褒め言葉をいただいた後、「しかし、どの詩を読んでも同じものが見えてしまう」と辛口の批評をして下さったのが忘れられない。

「誰の詩をよく読む?」
「清水哲男?清水さんの詩はいいね」
「荒川洋治?俺のはどうでもいいけどね」
「好きな詩人を徹底的に真似て書いてみるのも、詩をうまくする」
「新しさがなくっちゃあいけない。新しさは大切なことだ」
「活字になった自分の詩を見たことがあるか?原稿用紙に書いた詩とおのずと違う。枠があるのとないのとではずいぶん違う」

雑談の中で、話されたいくつかが思い出される。
当時、『鳩よ!』という大衆向けの詩の雑誌が創刊になったばかりで、荒川さんは詩の作り方、書き方をおもしろおかしく連載させていたが、「あれはお遊び」とにべもなく言い放った。
ここに現代詩へのこだわりがいくらか垣間見られるが、虚実をないまぜにせず、遊びは遊びと割り切る姿勢があったように思う。
1時間足らずの時の流れの中を、うっとりしながら浮き沈みしていたような気がする。
荒川さんの柔らかだが、やや過激な言葉遣いや仕種、精悍な顔付き、そして何よりほとばしる精気に、ぼうふらのように水にふやけてしまっていた。
柔らかな日の光を浴びて緩やかに流れる川面のように、無数の水滴が上下左右に重なり合って作り出すみごとな潤い、そんなものを感じていたのではなかったか。

荒川さんとはそれっきりになったが、それからほどなくして私は東京を去った。
荒川さんの活躍は遠くからも知れて、見ようによってはいい眺めだ。
あれから幾春秋が過ぎ、私の詩への関わりは疎遠になっていったが、在りし日の青さをいつでも探すことができる。
青い風の中でかげろうのように微かに揺れてまたたく光。
その光の向こうで、石神井の棕櫚の葉が風に騒ぎ、大きく私に手を振っている。
別れの時が、いつも胸の片隅にたたずんでいる。



2005.03.27 (San)
それぞれの花

稗田川沿いに歩いていくと、堤に菜の花やタンポポの花が咲いている。
それぞれの黄花は、人の目に止まるのがうれしいのか、学校に上がりたての児童のように
笑顔を振りまいている。その横で、沈丁花が奥床しく咲いている。
淡い色彩は、目立つことを嫌う少女を思わせるが、沈丁花から発せられる香気はどこまでも人々の鼻をくすぐっていく。

釣り人が釣り糸を垂れている。ああ、鮒や鯉が冬の眠りからさめたんだ。
初老の婦人が若菜を摘んでいる。若い子であれば絵になるのにな。
目にうつる景色すべてが暖かい日差しに包まれて、空の青と交わっていく。

川は縦横に流れを増して、やがて高浜川と合流する。
それぞれの流れが過去を打ち消しあって、新しい流れをつくるのだろう。
キラキラ輝く川面。その扉を開けて光の中へ行けるだろうか?
未来は輝かしいものばかりじゃないよと、扉の向こうから話しかけられても、聞こえないふりしてみるのもこの季節にはお似合いかも知れない。

愛・地球博が開幕した。
“自然の叡智”が人に語るのは何だろう。
こんなに溢れた自然の中で、自然を語ることはできないのだけれど・・・・・・。



2005.03.19 (Sat)
川柳七句

咲く花を散らせる風のうすみどり

安酒でもかあちゃんが酌してくれる

とうちゃんのパンツのびてる春うらら

朝礼台にそっと手をやる別れの日

たいくつな授業をかえる南風

通学のバスにあの日の僕がいる

鉄棒のうまくなる日を木々も待ち



ボケの花  星野富弘



2005.03.13 (San)
なごり雪

雪がぱらぱら舞っている。
数日前に比べて、今日は少し寒い。
季節は、三寒四温を実行している忠義者のようで、人よりも遥かに規則正しいのだろう。

隣家の沈丁花が甘い香りを放つ。鼻炎を持つ者にとってはちょっと辛い季節でもある。
その淡い香りは、沈丁花の意志とは無縁のものなのだろうが、悲喜こもごもがここにもある。
薄い雲に覆われた空から微かに光が差し込み、季節は確かな足取りで明日へと進む。

卒業の時期は、いつでも期待と不安が交錯する。
さまざまな夢が、風船のようにふわりと舞い上がり、前後左右に揺れながら、少しずつ空に近づいていく。果てしのない旅が始まるように、そうして誰もが大人になっていくのだろう。

少し雪が強くなってきた。風が通っていくのか、雪は楕円を描いている。
屋根や木々、公園の滑り台、水飲み場に落ちては、すぐに溶けていく。
中天から光が差し込み始めると、今度はキラキラと光り出す。
天気雨ならぬ天気雪か。何かがこうして始まるのだろうか?
すぐに溶けていく雪を手に受けながら、近場を歩いてみよう。

木々が薄緑色に芽吹く四月が、すぐそこまで来ている。



2005.03.05 (Sat)
晴耕雨読

「茶陶に惹かれて・・・晴耕雨読の日々」と題して、細川護煕元首相が講演した。
還暦で政界を引退した元首相は、現在、神奈川県・湯河原の私邸「不東庵(ふとうあん)」で陶芸や畑仕事などに取り組んでいる。

「学生時代から晴耕雨読の暮らしが夢で、社会逃避ではなく自然に帰ろうとする積極的な意志」

「限りある人生をどう生きるか、魂の平安と充実のために生きたい。陶芸で太古からある土と火に、裸で向き合うことで日本の精神に触れられる」

ああ、いいなと思う。こんな暮らしは誰にでもできるものではない。
私の知っている限りでは、寺の住職くらいなものだ。
弔いや法事といった本業以外は、畑仕事か読書三昧の日々。
たまに頼まれて、講師として講演会へ出向く。

“魂の平安と充実”か。そんなふうに生きられたらいいのに・・・・・・。
晴耕雨読の暮らしができるよう、これからの日々の営みを大切にしていこう!
夢はでっかく、根はふかく・・・・・・根は枯らさないように気をつけよう!



2005.02.27 (San)
佐布里梅林

詩人・荒川洋治さんに「梅を支える」という詩がある。
“あいにくの雨の中、梅を支えに外に出る”という着想が新しいと、ご自身で言うところが何ともかわいらしく映るが、“梅を支えに”という気持ちは、よく分かる。
少しくらい雨に濡れても、美しい枝垂れ梅を見たいと思う。

佐布里池の梅の花はもう盛りだろうか?
梅祭りが終わるまでに、雨に濡れても、“梅を支えに”出かけよう。

「梅の実文庫」があると聞いた。
佐布里梅林は梅の実の収穫時期になると、地元の佐布里小学校に開放され、親子で梅の実を収穫し、それをPTAなどに売ったお金で図書を買い、梅の実文庫と名付けているという。
こうした積み重ねが、大きな教育に繋がっていくことだろう。

明け方、佐布里梅林にはウグイスやメジロが鈴なりと聞いたが、本当だろうか?
佐布里池にはカワウやカルガモがゆったりと水浴している。
皆、“梅を支えに”生きているのかも知れない。


きょうは梅が見られると思ったのに
碍子をぬらしてあいにくの雨だ
梅をささえに外へ出る
そんな物見があったかどうか過去に
あたらしいぞわたしは

時のいきおいに捩れやられて
暦のうえだけで梅が咲く
それはささえのいらない梅だ
それもそのこともあたらしい・・・・・・                   (梅を支える)

             
    佐布里景観マップはこちらです  http://nishi.minidns.net/map05.html



2005.02.19 (Sat)
ニッカウヰスキー

“おいしいモルトの理想郷は、北にある。”

ニッカウヰスキーのコマーシャルが新聞に踊る。
「ニッカ シングルモルト余市12年」と「ニッカ シングルモルト宮城峡12年」。
森から生まれたウイスキーは、飲む者を未知の森へ連れていくのだろうか?
春を待つ北国では、雪の下から顔をのぞかせるフキノトウを肴に、熟成されたウイスキーで一杯やるのが最高の贅沢だろう。

ああ、ウイスキーが飲みたくなった!

身体に良さそうだから、普段は焼酎を飲んでいるが、それほどの味わいはなく、単に酔うためだけのものだ。何年ウイスキーを飲んでないのだろうか?指折り数えてみても思い出せない。
過去が雪のように埋もれていって、記憶をたどることもできない。
ともあれ、今夜はウイスキーを飲む。飲めば記憶が蘇ることを期待して!

“激しく、豊かな北海道の自然から生まれる、力強い味わいとコクを持つ余市モルト。
北の緑豊かな森から生まれる、華やかな香りと甘さを備えた宮城峡モルト。
おいしいモルト、それは北の風土だけが育てることができるもの。
ニッカのモルトは、このふたつの北の蒸留所から。”

    ニッカウヰスキーのホームページは こちらです 
 http://www.nikka.com


2005.02.12 (Sat)
雁風呂

「雁風呂」という言葉を聞いた。

雁は海上で翼を休めるため木片をくわえて海を渡る。陸に着くとこれを落とし、春に再び木片をくわえて北に帰る・・・。そう思われていたことから、木片が浜辺に残っていたらそれは日本で死んだ雁の形見だと人々は哀れみ、木片を集めて供養の風呂をたてた。(津軽外ヶ浜の伝説)

雁が木片をくわえて海を渡るのか定かではないが、そうした知恵は持ち合わせているのかも知れない。その昔、雁は晩秋になると月へ渡るとされていた。
広重の“月と雁がね”ではないが、それだけに、どこか儚さが人々に感じられたのだろうか?
浜辺の木片を拾ってきて、風呂をたく。そんな風情が残っているのがうれしい気もする。



川柳七句


時刻表めくればひとり冬の海

飢え寒さなければいいが象の耳

きりんにも襟巻き編んであげたいな

定年を走り抜けてく昼の月

薄明かり昨日の雨と今日の雨

吐く息の掌に柔らかい桃の花

淋しい子ほどよく笑うクレヨン画




2005.02.05 (Sat)
朝から雪

深夜からの冷えが雪をもたらした。
雨なら話題にならないが、雪となれば口々に話が飛び交い、雪の少ない地域に見られる笑顔が鈴なりに実る。
節分の前に雪を降らすとは、神様も味なことをする。
雪景色は心の襞をくすぐるのか、一面の銀世界に見惚れてしまう。
ティーカップにレモンを入れ、紅茶が薄れていく日常が、ひどく新鮮に見える。
雪は空気中の塵を落とし、音を吸収していくから、薄緑色の風の音だけが微かに聞こえる。
朝の冷気の中、思い切り深呼吸する。

椿の蕾が1つだけ花を咲かせた。
薄紅色が健気な少女を思わせる。
大きなランドセルが小さな肩には重くはないか?
そう、重すぎる花はやがて重さに耐え切れずに茎から落ちていく。
こんな例えが当らないほど、凛と咲いてほしい。

透明な空気を吸って、春が隣で待っている。



2005.01.30 (San)
蝋梅を見に行く

椿の蕾が膨らんできている。
常緑の葉の間に一杯ついているまだ堅い蕾の中に、2つ、3つ薄紅色がのぞいている。
立春に合わせ、椿も開花を待っているのだろう。春がすぐそこまで来ているのがわかる。
1月が終わろうとしている。そして2月。まもなく沈丁花の甘い香りがするだろう。
この季節、春を待つ喜びがあるのがいい。
必ず来るものを待つことはキラキラと輝く海にも似て、夢と希望が同居する。
しかし、来るか来ないかわからないものを待つのは切ない。
だから人は季節の到来に心を震わせ、自然の中に安らぎを求めてきたのかも知れない。

午後4時を過ぎようとしている。
陽は西に傾き、明るさを失いつつある。
明から暗へ移行しようとする“とき”を少しだけ掬って、蝋梅の花の香を楽しみに行こうか。
日曜日の肌寒い夕暮れが、何か語ってくれるだろう。



2005.01.23 (San)
早春

雪が降り出しそうな寒さ。冬枯れの木々も大寒をかみしめている。
日が翳ると、この季節はいたたまれない気持ちになる。
肌をさす冷たさが、やがて痛さに変わってくる。

  隆彦が象の服着て寒の入り

遠い、遠い景色がよみがえる。
長男・隆彦が母親に編んでもらったセーターを着ていたのは、保育園に上がる前だったろうから、あれから15年ほども経つのか。
青地に、萌黄色の象の刺繍がしてあったセーター。家のどこかに眠っているのだろうか?
いつかの春がどこかへ運んでしまったのだろうな。

名鉄線・三河高浜駅に「渥美半島 菜の花フェスタ」のポスターが貼られている。

  どこよりも早い春を見つけよう

と、キャッチコピーが大きく躍る。黄色のじゅうたんを敷きつめたような菜の花畑、その向こうにコバルト色の海と潮騒の島々。遥か先の雲の切れ間には、紀伊半島が微かに見える。
大寒に早い春が見つけられると思うだけで、冷えた身体が少し温かくなってくる。
「いちご狩り」「渚のサイクリング」と、のどかな平和がこの半島には横たわっている。

  若者よ!恋するがよい。失恋すれば詩が書ける。
  もししなかったら・・・・・それはモウケものだ。

            渥美町観光協会 http://www.honokuni.or.jp/irago



2005.01.16 (San)
川柳七句

細切れの記憶をたどり冬の駅

山茶花はらりはらりと何を占うか

少子化の風が吹く凧揚げてみる

半人前が生かされている冬銀河

鶏鳴いて達磨落としの年が明け

八卦見に雪は肩から降りそそぎ

また会えるいつかの町の始発駅



2005.01.09 (San)
川柳おかざき風

手作りの月刊誌「川柳おかざき風」(岡崎川柳研究社発行)を毎号読んでいる。
パラパラと眼についた句を拾うだけの読み方だから、いい読者とはとても言えないが、それでも気になる句があれば、その人の過去の作品を追ってみる。
見落としていたこんないい句があったんだと、うれしくなる。
好きな書き手の句を追うというのもいいものだ。
そうすると、その人がだんだん見えてくる。
面識はないが、名古屋市の神谷三八朗さんの作品に強く魅かれる。
こんな川柳が読めりゃいいのに・・・・・・。


  な
の穴だか妻の頼みで掘っている

  明日があるから夢売りがやめられぬ

  乗りたいブランコばァさんがとめた

  うちのカレンダーもみンな 日曜

  末期のみず充分飲んだか 金魚

  ばァさんが何故バラを買ってきたんだ

  老武者に手加減もない冬である

  お月さんに送る切手はまだ出ぬか

  落武者ながら表札はあげてるよ

  橋がかかってさよならの日がふえた



2005.01.01 (Sat)
占い

ここ数年、初詣に熱田神宮に行っている。
熱田の杜は、長い年月が培った樹木が所狭しと茂っていて、この上ない深さを醸し出している。
参拝者が木々の枝にお御籤を縛り付けている。
枝々は雪のように白くなって、常緑の葉との彩りが美しい。
どんな年になるのだろうかと、誰もが自分の運勢を少しだけ見つめるときかも知れない。
吉でもいい、凶でもいい。自分を見つめることがいいのだろう。

中日新聞に「えと占い」と「星占い」が載っている。
私の干支である“戌”と誕生の日である“さそり座”を見てみると、次のように書かれている。

(戌)
とりあえず今年は要注意の1年。ツキに恵まれても疑ってかかるぐらいの用心深さが大切。
無理は禁物。新しいことに手を染めるのは延期する。事態を静観する消極性が賢明な選択。

(さそり座)
次の年への準備期間の年。コツコツ地味な努力を続けることが、何よりも大切。
年上や上司との人間関係が開運のカギ。
相手を尊敬し常に立てていくことで、引き立てや好意のアドバイスがありそう。

上に延ばそうとせず、根を深く張っていく年なのだろうか?
書家・相田みつをさんの詩「夢はでっかく、根は深く」のように、深く根を張っていこうと思う。


2004.12.26 (San)
幸福

小人閑居して不善を為す(小人物が暇を持て余すと、ろくなことをしでかさない)というから、少々忙しい方が幸せなのだろうか?
ここ数年、“少々”ではなく“多々”忙しい日々が続いている。
しかし、どうにかこうにか無事に暮れてきた。
多少のじたばたはあったとしても、年月というものはすべて川の流れのように、高みから低みへ流れていくものかも知れない。
そこには川の流れをつくる他力の風がやさしく吹いている。
幸せは他力の風がつくるものなのだろうか?


「この世にありて最も幸福なることは善をなして栄えざることなり」(内村鑑三所感集)

良いことをして、しかも栄耀栄華を得ないままでいる。これが第一の幸福。
次が「善をなして栄」えること。
第三が「悪をなして栄」えないこと。
最も不幸な人とは「悪をなして栄」える人をいう。          (中日新聞・けさのことば)

生きていくことの難しさは、この栄えたいと思う心根だろう。
善をなすほどに、栄えることを願うのが人情なのだろう。
小さな幸せが好きだと言いながら、大きな幸せを求めようとする。
そして、幸せというものは、捕まえようとするほど、小鳥のように遠くへ逃げてしまう。
それならば、捕まえないことだ。
捕まえなければ、小鳥たちはいつまでも私たちのまわりをせわしく戯れ、庭先の赤い実をついばんでいくのだから。

この冬、また小さな幸せが実った。
鈴なりの赤い南天の実が、この冬も美しい。



2004.12.18 (Sat)
川柳七句

学割で列んだ冬の定食屋

落日の影 斜めに延びて雪知らず

木枯らしがひと肌の酒連れてくる

ブランコは酔わずに揺れる師走風

人恋しくて赤提灯に灯を入れる

灯を消して冬の星座があたたかい

定食がうまいおやじの赤ら顔



2004.12.12 (San)
暖冬

冬の木々を見ている。
朽ち果てた姿も、寒々とした景色もないのは暖かい冬のせいだろう。
まだ冬の始まりだから、晩秋との綱引きが続いていて、やや秋がリードしているのだろうか?
いつの間にか木枯らしが吹いている、という風景がすぐそこまで来ているのだろう。
山茶花の花が盛りを迎えている。
真っ白な花びらは雪のように見える。常緑の葉とのバランスがいい。
真っ赤な花びらは白い冬の中に彩りを添えている。
山茶花は、ゆっくり花びらを1枚1枚散らしていくが、人知れず花占いをしているのだろうか?
やがて咲く椿との競演を見たいものだが、悲しいかな、時期を異にしていて、椿の盛りの頃には山茶花は花を散らし終えている。

今、全日本実業団対抗女子駅伝が行われている。
岐阜市の長良川競技場を発着点とする6区間42.195`に26チームが参加している。
長良川の緩やかな流れを見ながら、選手たちは走っているのだろうか?
三井住友海上の渋井陽子、土佐礼子、天満屋の坂本直子の名がラジオから聞こえてくる。
どの選手も充分な練習を積んで、この大会に臨んでいるのだろう。
勝っても負けてもそれだけで尊い気がする。

昨日、奇祭「みそぎ祭」が長良川で行われた。
炎を背に水を掛け合うふんどし姿の裸男たちが写真に映し出されている。
身を切るような冷たい流れの中で水しぶきが上がる。
こうして家族や地域の平安が祈願される。
清流から上がった男たちはどれほどうまい酒を飲むのだろうか?想像するだけで楽しい。

湯山公園に多くの子どもたちが遊んでいる。
どの子どもたちにも同じ時間が流れ、同じ季節が巡っている。
木々の葉を落としながら、暖冬の1日がゆっくり過ぎていく。



2004.12.04 (Sat)
冬の詩画集

「雪遊びの冬がくる」というキャッチコピーが雑誌に躍る。
そうか、もう冬なんだ。
雑誌には秋田県・横手市の「かまくら」が写し出されている。
初冬にはすでに厳冬を先取りしているのがこうした雑誌なのだろう。
これからやって来る厳冬を思うと、身が引き締まる。

星野富弘さんの詩画集の中に、ツルウメモドキの画と「初冬」という詩があった。
画の方は、藤のようにねじれた蔓が中空に垂れ下がり、はじけた南天のような小さな赤い実を一杯つけている。
蔓には枯れた木の葉がまだ数枚残っている。
冬の柔らかな日差しがツルウメモドキを優しく照らしている。
青い空がどこまでも澄んでいるような画である。
蔓にとりかこまれた中ほどに詩が書かれている。
優しい字である。

  木の実は/おもいきりきれいな/包装紙にからだを包んで

  鳥の宅配便屋さんを待っている/あて先は

    山のむら/のはら さま


星野さんは、画や詩を筆を口にくわえて描いていく。
「限りなく優しい花々」などの詩画集を見たが、詩も画もどこまでも優しい。
きっと仏様の眼で花々を見ているのだろう。



ツルウメモドキ


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