あおみ労務事務所
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「経営」という言葉を辞書で引いてみますと、「計画に基づいて事業などを行うこと。又そのためのしくみ」 とあります。畢竟、経営とは「経営指針(経営理念、経営方針、経営計画)を作成し、それを誠実に実践していくこと」ではないでしょうか。
このページでは、その時々の経営にかかわる情報を取り上げ、発信していきます。
2004.11.27(Sat)
長生きの秘訣

大阪・道頓堀を中心に国内外合わせて53店舗を有するお好み焼き専門店「千房」。
その社長・中井政嗣さんのお話を聞く機会を得た。
中井さんは、昭和36年、奈良県當麻町白鳳中学校を卒業すると同時に、大阪の乾物屋に丁稚奉公し、昭和48年、大阪ミナミ千日前にお好み焼き専門店「千房」を開店する。
以後次々と店舗数を増やし、大阪の味を独特の感性で海外にまで広げた立志伝中の人となる。
その間、昭和61年、40歳にして大阪府立桃谷高校を卒業されている。

「人間に無能力者はいない!」
というのが、中井さんの人生経験を踏まえた持論である。
登校拒否、引きこもり、補導された青少年を積極的に雇用し、更生させた事例は数限りない。
「正直者が馬鹿をみる」世の中なんかない!と言う。
正直者は一時的に馬鹿をみるかも知れないが、長い目でみれば必ず帳尻が合うようにできているのが世の中だ。だから努力を惜しむな!誰かが見てくれている。

講演の中で、中井さんの話された、“長生きの秘訣”を以下紹介します。

   長生きの秘訣

1 感動派ですか、感激派ですか?

2 興味持っていますか、好奇心旺盛ですか?

3 工夫してますか、知恵出してますか?

4 健康ですか、体も心も?

5 恋してますか?



2004.11.20(Sat)
知識と知恵

知識は「知識を得る」というように外から学び取るものもので、それに対し、知恵は「知恵を磨く」とか「知恵を出し合う」というように、持って生まれた内なるものを磨くことによって外にあらわれ出るものと解釈されます。

昔、道学者のところへ1人の青年が訪れ、処世の心構えを訊ねた。
道学者いわく。
「堪忍の2字をしっかり腹に納めよ。
この2字さえ腹に納まれば、人に何を言われようと腹が立たん」
青年はか・ん・に・ん・・・・・・と指折り数えて、さも不思議そうに道学者に聞いた。
「先生、かんにんは4字じゃありませんか」
「いや、4字じゃない。堪忍は、たえ・しのぶと書いて2字じゃ」
「た・え・し・の・ぶ・というと、先生、5字になるじゃありませんか」
すると道学者先生はカンカンになって怒り、
「お前のような無学な者に何を教えてもわからん、帰れ、帰れ!」
と怒鳴ったという。

この逸話は、この道学者先生には人に教える知識はあっても、その知識をわが身に応用する知恵がないことを示している。
知識をわが身に応用する知恵 ─ 実践を忘れてはならないことを肝に銘じたい。

                                     (佐藤俊明のちょっといい話より)



2004.11.13(Sat)
ウイスキー「たるごといかが?」

一昨日の中日新聞(朝刊)にうれしい記事が出ていた。
サントリーが、モルト(大麦麦芽)ウイスキーの原酒を蒸留所でたるごと販売し、瓶詰めして配達してくれるというのである。
たるによって味がすべて異なるため、世界でただ1つの味が楽しめるのが「うり」で、蒸留所で試飲して、好みのたるを選んで購入を申し込む。
購入後は、必要なときに必要な量の瓶詰めされたウイスキーが届くという仕掛けである。
商品は「サントリー オーナーズカスク」。
山崎蒸留所(大阪府島本町)と白州蒸留所(山梨県北杜氏)で、10〜25年間貯蔵した代物。
1たる50万円〜3千万円。

ウイスキーの蒸留所といえば、山の中腹の森にひっそり佇む工場を想像する。
その工場内に、年月をかけて熟成されたウイスキーが眠っていると思うだけで“いのち”が揺り動かされるが、人がすっぽり隠れるようなたるは、どこまでも酒飲みの心をくすぐる。
蒸留されたウイスキーの眠ったたるの横で寝泊りしたいほどだ。
思えば、ウイスキーも焼酎にシェアを奪われ、失地回復したいところだろう。
リザーブやスーパーニッカやロバートブラウンを片手に下げて、友の下宿で深夜まで管巻いたのは、遥か遠い日だが、あの頃の匂いを嗅ぎに、たまにはウイスキー飲るのもいいだろう。

そんな気にさせた「たるごといかが?」。買おうかな ・・・・・・。



2004.11.06(Sat)
男は黙って家を売る

住宅販売1000棟を達成した人として知られる、積水ハウス山口綜建営業所長・田中敏則さんの名刺の裏側には「いつでもお気軽にご連絡下さい」と添えて、携帯電話番号が記されています。
田中さんは、マイホームという一生に1度か2度の大きな買い物をしたお客様の不安を解消してもらえるようお客様からいただいた電話にはどんな時間でも対応するように心がけています。
“常在戦場(常に戦場にあり)”という信念のもと、社内のボーリング大会や忘年会に参加していても、連絡が入れば現場やお客様のお宅に急行。
休日に遊園地に行ったり、子どもの運動会に出かけたりするときも常に背広にネクタイ姿。
その臨戦態勢は徹底しています。
だからこそ、家が完成に近づいてくる喜びをお客様と分かち合う幸せを共有できる、と言います。

昨日、経営指針の勉強会で指導して下さっている先生が、営業の場での「しつこい」と「熱心」とはどう違うのかと問われたが、解答は、「しつこい」を通り越すと「熱心」になる、ということでした。
そして、こうも言われた。「あなたの為に」という思いが強ければそれは「熱心」であると。

何事も徹底すること、人様のお役に立てることが基本なのだと再認識させられます。
秋の夜長、ちびちび1人酒をやってる場合じゃない、と叱られているようです。



2004.10.31(San)
世の中のお役に立つ

昨日、ニッチトップ・オンリーワンを実現している潟潤[ルドマンセル(三重県津市)の会社訪問と伊藤社長のお話を伺うことができた。
元々は時計・宝石店主だった伊藤さんが、店をたたんで、色覚補正メガネの開発にかける経緯を熱く語られた。
そして事業には、“世の中のお役に立てる”ことを最優先し、“オンリーワン”になることで“継続インセンティブ”を発生させることが必要だと説かれた。
100%お客様に満足していただければ、必ずオンリーワンになれる、というのが伊藤さんの信念であるように感じられた。
色覚補正メガネ「カラービュー」については、テレビ番組・「ベストタイム」や「奇跡体験アンビリーバボー!」などで紹介されたのでご存知の方も多いと思うが、内容を知るには、色覚補正メガネ“カラービュー”の販売を開始する際の伊藤さんの挨拶文が参考になる。
世の中のお役に立てることが、経営者の一番の喜びであることが言葉の端々から感じられ、経営者としての誠実さが思われる。
経営者としての視点、思い、行動、どれをとっても一流の伊藤さんのオンリーワン魂をここに再現してみます。


本日はお忙しいところ、私どもワールドマンセルの「カラービューR 」の発表にお越しいただき、まことにありがとうございます。
長い年月をかけて、やっと実用化と販売にこぎつけました「カラービュー」は、全国にいらっしゃる、色の識別でお困りの方や満足なさっていない方々にとって、画期的なレンズとして喜んでいただけるものと信じております。

私がこのレンズの原理と出会ったのは、今から7年半前、1996年の8月のことでした。
当時営んでおりましたメガネ店の店頭に、中国で発明されたという『色覚補正メガネ』・・・それは赤いガラスレンズでしたが・・・をサンプル販売しておりました。
たまたま、お母さんと一緒に訪れた少年が、そのメガネを試されたところ、『わかるよ!お母さんの唇、きれいだね!』と言って店内を見渡し、今まで気づかなかった花の色や、見え方の違いに驚いていました。
すると、お母さんは涙を流して喜ばれながら少年に色覚の障害があることを話され、『このメガネを売ってください』とたいへんな勢いでおっしゃったのです。
永年宝石とメガネの商売をしてきましたが、お客様に泣くほど喜んでいただいたのは初めてのことでした。

これが事業家としての私の大きな転機となりました。
この出来事に驚き、調べましたところ、『色覚異常』とされる方は、日本人の男性の実に20人に1人、女性の500人に1人、全国でおよそ300万人、そして世界では2億人もいらっしゃること。
治療する方法はなく、職業などに制約があること。
そして日常生活でも 不便を感じている方も少なくはないこと、などが分かりました。
涙を流して喜ばれるお母さんに感動し、色覚異常の実情を知った時から、そのレンズを実用化してみなさんに喜んでいただきたいという、私たちの大きな目標が生まれたのでした。

当時 中国で作られていたレンズは、赤いサングラスのようなもので、ガラスレンズであったために重くて製品の精度にも大きなばらつきがある為、軽くて高品質のプラスチックレンズの開発が不可欠でした。そこで、発明者である陳暁光氏にお会いして特許を譲り受け、多くの方々に、実用的に使っていただける製品にするために、新たな理論も取り入れて開発をすることになりました。
しかしそれには、たいへんな時間とエネルギーを要したのです。
まず、それまで営んでおりました、宝石店や、メガネのチェーン店を次々と畳み、このレンズの開発と事業化に力を結集しました。
また、医学的に確立された理論ではないということにより、大きな壁に、何度もぶつかることにもなりました。

しかしながら、幸いにも、色覚についての世界的な権威であられる東京慈恵会医科大学の北原教授によりレンズの有用性についてお認めいただき、その後は実用化に向けてのご指導をいただくことになりました。
さらにレンズの製造は セイコーエプソン株式会社のご協力を得て共同開発を行うことができました。また、モニターとなっていただいた方々のご協力や、厚生労働省のご指導など、多くの皆様のお力添えをいただくことで、精度の高い実用品として、この度、やっと世の中に出せるものができました。

今後は、できるだけ多くの皆様のお役に立てるよう、販売システムの構築に力を入れていきたいと思っておりますが、お使いになられる方のことを考えますと、色の見え方の違いは、ひとり一人個人差があり、また使用の目的と使用される環境が違います。
そして何よりも、ご納得いただける形で、正しく ご使用いただくことが最も重要であると考え、眼科医による『 色覚の診断と、使用目的の確認 』、更にお買い上げいただく前に『 貸出試用期間 』を設定するといった、お客様本意のシステムといたしました。
そのため、すぐに大量に販売するというようなわけにはまいりませんが、これによって、信頼のあるレンズとして、安心してみなさまに使っていただけるものにしようと決意をしております。

ご協力いただいたモニターの皆様方の声をお聞きしますと、仕事や服の色合わせなどの色の識別で不自由をしておられた方はもちろんのこと、不自由はしていなかったという方々からも、サクラの美しさを初めて知った、 顔色や化粧の意味がわかった、新たな色の世界が広がった、などと、思いがけない喜びのお言葉をいただいております。
そのようにして喜んでいただいた声の一つ一つこそが、このカラービューの開発にかけた、私どもワールドマンセル社の目指していたものであります。

日本国内では、これから予約を受けつけ、4月からは販売ができる体制を整えました。
またアメリカでは医療器具として登録され、この4月よりテスト販売を開始の予定です。
カラービューによって、世界の必要とされる方々に新しい世界を開いていだだけるよう、お集まりの皆様のお力をいただきたくお願い申し上げ、ワールドマンセル代表としてのご挨拶と代えさせて頂きます。
                                        (プレス発表 社長挨拶より)

   潟潤[ルドマンセルホームページ  
http://www.munsell.co.jp/index.html 

            

2004.10.23(Sat)
自分を買おう。

「自分を買おう。」とは、よく分からないキャッチコピーである。
物を買う、人を買う(とりわけ女を買う)のなら分かるが、自分を買うとはどんな了見なのだろうか?
買うという行為は、当然費用の支出がついてまわるが、金を払って“自分らしさ”を買うのか、“自分のこだわり”を買うのか、はたまた“自分の満足”を買うのか?
いずれにせよ、買うことで得られる何かがあるはずである。

伝説的な人物、植草甚一がふたたび注目されているらしい。
写真家・浅井眞平の小説「原宿セントラルアパート物語」にときおり“植草甚一”という名が出てくるので覚えていたが、どんな人なのか想像もできない。
キャッチコピーの下には、小さく次のように植草甚一が紹介されている。

植草甚一。明治に生まれ、雑学の大家として1970年代にブレークし、その自由な生き方と先駆的な感性で若者の教祖となった作家・批評家。
彼をあこがれの対象にしたのは、誰の模倣もしない独自の美意識と、嗜好によってであった。
現代は、個人でいることが尊ばれる時代である。組織に属していてものびのびと自分でいることが,才能の開花や稀有な想像力につながり、社会にとって価値のある存在となる。
自分を磨く、自分を買う。それはいかに上質な個人として人生を構築するかのキーワードである。

イマイチ分からない。
ただ、“自分を買う”ことと“自分を磨く”ことが同義語であることは分かる。
やはり、浅井眞平さんを頼ることにしよう。浅井さんはこんなふうに話している。

植草さんと過ごした70年代は、ちょっと貧しくて、発見することの多い時代でした。
自分から何かを取りにいかなければ、何も手に入らない最後の時代です。
60年代はその先駆けで、誰もが無我夢中で何かを探していた、熱い純な時代でした。
そんな時代が植草甚一という人間をつくった。彼はその生き証人です。
植草さんは多くを取りにいった人だから、今も輝いている。
僕がこうして今生きていることも、多くを取りにいった結果なんですね。
文化も才能も、与えられるものでなく、自分から発見しなければ手に入らない。
取りにいったものが多い人ほど豊かで、その違いは高齢になればはっきりと表れる。
今は、向こうから何もかもがやってきて、探さなくても何かを手にしている時代ですが、与えられたものはたかが知れている。
青春とは、真摯に探し、何かを手に入れることと同義語なんですね。

ますます分からない。しかし、気分は少し分かる。
無論、蝉やトンボを取りにいくことでも、秋の七草を探すことでもなく、自分を磨く何かを探しにいくことなのだろう。
社会にとって価値ある存在としての自分を買おう、という意味なのかも知れないが、物や人を買うことのほうが遥かに楽である。
                                      (日経新聞・広告特集を読んで)



2004.10.16(Sat)
クルマは人で売る

日経新聞・私のビジネステク欄に“日本一ベンツを売る男”が登場しています。
河野敬さん(ヤナセ府中支店セールスマネージャー)。
河野さんは、まず読者に次のように問いかけています。

「あなたがべンツの新車のセールスマンだとします。会社が設定した月間ノルマは5台ですが、今月はおもしろいように商談がまとまり、月末を待たずに達成してしまいました。
ほっと一息ついていると、得意先のお客様の紹介でなんと2代も追加の注文が舞い込んできました。手続きを急げば、月末までに納車することもできますが、来月初めに納車すれば、翌月のノルマ達成がぐんと楽になります。さて、あなたなら、どうしますか?」

河野さんは、自分なら迷わず月内に納車すると言っています。
翌月に回すことでノルマの達成は楽になるが、、2台分の“アドバンテージ”を持つことによって、自分の中に「甘え」が生まれる。それが怖いのだと言います。
常に自分をギリギリの状態に追い込み、毎月ゼロからスタートする。
背水の陣を敷くことで、やる気を奮い立たせてきたのだと自負しています。

甘えを絶ち自分を追い込む・・・・・・。限りなく厳しいことだと思います。
そんな“思い”があるからこそ、日本一ベンツを売る男になるのでしょう。
“能力”の差ではなく、“思い”の差の違いがビジネスでの成果の大小を決めることが河野さんの問いの投げかけから知らされます。

しかし“思い”を持ち続けることは、何と辛いことでしょうか。


2004.10.10(San)
新聞週間

10月10日といえば、私たちの世代では「体育の日」と相場が決まっているが、カレンダーを見ると「体育の日」は、どうも明日らしい。
どこでどう変化したのか、“ゆとり”という言葉が教育に取り入れられてから、祝日の感覚がまるで違うものになってしまった。“旗日”という言葉もすでに死語になっている。
祝日に縁のある人もない人も、ともかく今週15日からは「新聞週間」です。

新聞は、速報性のある情報媒体としてはテレビ、ラジオ、インターネットに劣るが、事の深層に迫る解説記事を重視していて、その意味では、文化の伝達者としての役割が大きい。
それゆえ、秋の夜長にじっくり読み込むのがいいのだろう。

JT生命誌研究館館長の中村桂子さんが、「日経新聞・識者に聞く」の中で、新聞についての苦言を呈しているが、私には物の見方の参考になったので紹介します。

『最近の新聞は価値観が20世紀の延長で、「力・カネ・競争」の世界に偏っている。
生物学者の立場では生き物としての豊かさ、幸せは違うところにあると実感しています。
21世紀は1人の人間としてどう暮らしたいかなど、本当の自分の生活を楽しめる社会形成へと向かうと思う。今は戦後の欧米諸国のようなモデルもないので、新聞は現実の追認だけでなく、未来を考える素材を与えてほしい』



2004.10.02(Sat)
都市型レンタサイクル

“貸自転車業”と言えば、ダサいイメージが付いてまわるが、“レンタサイクル”と言えば心地良い響きがある。
「都市型レンタサイクル」。
大都市の真ん中で手軽な足として活用される“自転車”が今、見直されている。
思えば、渋滞知らずで、環境にも優しく、風を感じながら健康増進にもつながる“自転車”は、より身近な乗り物として馴染みが深い。
その自転車のレンタルが都会でブームというから、需要はどこに転がっているのか分からない。

「歩くのにはちょっと距離があり、バスは時間が読めない。かといってタクシーに乗るほどのこともない。そんなときに自転車を貸してくれるところがあるといいのに、という自分の思いが原点」

東京・神保町で会員制のレンタサイクル店「グリーン・チャリ東京」を営む折原琢夫さんは言う。
1時間100円という安さも手伝って、利用者の7割近くがビジネスマン。
追加料金を払えば、駅や提携店舗での返却もできる
いずれにせよ、ビジネスの足に、自転車を組み合わせていく人が増えたということだろう。

先日、名鉄(名古屋鉄道)沿線のとある駅で、自転車の無料貸し出しの看板を見た。
“地域とともに歩こう”と名鉄が始めたものか、“地域振興”のために行政または地元の商店街が始めたものか分からないが、いい光景だと思った。
その駅から何駅かおいたところに“てらまち”があるが、自転車で颯爽と寺々を巡りたいという衝動に駆られた。

子供の頃よく乗った自転車で散策を!
これもノスタルジアなのかも知れない。



2004.09.25(Sat)
初夢桜

愛知県半田市の酒蔵・初夢桜(天埜酒造)は、小さな、小さな蔵元だが、その酒はきめ細やかで、芯の通ったすばらしいものです(今年も新酒鑑評会金賞受賞)。
そんな酒を造っているのは、天埜酒造に嫁に来た幹子杜氏。そしてそれを手助けし、販売しているのがお嬢さんの聖子さん。
女性ならではの、繊細さ(?)から醸し出される酒は、通常の清酒を超越したもので、何か秘密が隠されているのではないでしょうか?
というわけで、「初夢桜のお酒を飲もう!蔵で働く女性の話を聞こう!」という企画です。
お酒にはズブの素人だった幹子さんが女性杜氏になるまでの話や、小さな酒蔵ならではのエピソードがたくさん聞けるのではないでしょうか。

  日  時 10月24日(日)夕方6:30〜9:00
  場  所 鮨懐石みどり(高浜市碧海町2-3-9)
  会  費 お1人様 5,000円(税込み) 初夢桜のお酒数種とお料理をご用意します。
  その他 お酒の会ですので、お車の参加は出来ません。
        電車の方は、名鉄三河線・高浜港えきまでお迎えにまいりますので、あらかじめお
        申し出下さい。
        20名くらいで、ゆったりとお話が出来る会にしたいと思っています。
        なるべく10月10日(日)までに 0566-53-0551(マルアまで)

        (話題提供 美味良酒 マルア    http://www.marua-jp.com/  )



2004.09.18(Sat)
初恋の人探します社

奇妙なネーミングの会社がある。その名も「初恋の人探します社」。
社長の佐藤あつ子さんが、16年前に設立した会社だ。
佐藤さんは32歳の時、おばから「結婚しないのか?」と問われ、「結婚の相手?」と考えたとき、学生時代に結婚を申し込まれた学生運動の闘士を思い出した。
「彼は何をしているのだろう」
人捜しの探偵業者に問い合わせたが、ズカズカ入り込んでくる態度と、料金の高さに驚き、結局依頼するのを諦めた。
3年後、安心して人捜しを依頼できる調査会社を目指して、自ら「初恋の人探します社」を大阪市内で創業。大阪の繁華街・キタとミナミのスナックにチラシ配りに歩いたところ、ママに聞いた夕刊紙の記者が、「名前が面白い」と訪ねてきた。
新聞に掲載されると、客が次々と訪れるようになったという。

15、6年ほど前だろうか?
100万円で初恋の人の消息を調べる探偵社(?)のことがテレビで放映されていた。
人は悲しい生き物ゆえ、誰もが持っているノスタルジアをくすぐる商売というのが成立するが、100万円を「初恋の人探し」に費やす人はそうそういるものではない。
ある会社を訪れた際、この話で盛り上がった。
そこの社長は、「こういう金の使い方が粋だ」と言われた。
奥さんは反対に、「もったいない」と言いたげな風情だった。
“夢”と“現実”とが綱引きして、どちらかを選択する。
それが人生であれば、夢をより多く持ちたい気がする。

ちなみに、「初恋の人探します社」は、同じような名前の会社が後から次々できては、消えていった中にあって、口コミによって繁盛している。
口コミ客が多いのは、9割を超える判明率と低料金が影響している。
判明率は同業者の1.5倍以上、料金は3分の1から7分の1。
「大事なのは、熱心に探すかどうかだけ」というところを、大いに見習いたい!



2004.09.11(Sat)
名言録

ビジネス情報誌・プレジデントの購読の案内が届いた。

「今、経営幹部に求められる経営リテラシー」
「売上をどう伸ばすか? 〜営業力強化7つの法則〜」
「儲かる新事業、ビジネスの立ち上げ方〜構想力を鍛える〜」
「職場再生のリーダーシップ〜部下はなぜ働くのか〜」
「成功する新経営幹部の条件〜さらなる可能性を求めて〜」

など、ビジネスの処方箋が余すところなく載せられているようで、各界の名経営者たちは、情報ソースとしてこんな情報誌を利用しているのだろう、と思った。
案内の中にあった“名言録”がおもしろいので紹介します。

「変革の時代におけるリーダーの役割は2つある。
1つは将来のビジョンを描くこと、そしてもう1つは人々を巻き込むことだ」

「本を読む時は、初めから終わりへと読む。
ビジネスの経営はそれとは逆だ。
終わりから始めて、そこへ到達するためにできる限りのことをするのだ」

「何かに取り組むときに100%全力で頑張ってはいけない」

「上司の顔色は、あなた自身がつくるものなのである。
もっと言えば、あなたの上司の顔色は、あなた自身の写し鏡でもあるのだ」

「確かに、しんどいことも多かったですが、楽な仕事などないと開き直って、状態の悪いほうを基準にしていれば苦にはなりません」

緊急中毒の人間は「緊急なこと=重要なこと」と錯覚している。
“急ぎである”ことと“重要である”ことは、本来は全く別な概念である」

「分かり切った事を言うな」と思われる名経営者の皆様には、悪しからず!



2004.09.04(Sat)
ブックオフ

日経新聞『キャリアの軌跡』に、ブックオフコーポレーション常務・橋本真由美さんが登場している。入社のきっかけは「パート募集」と書かれた1枚の折込チラシだった。
「子どもの教育費の足しにでも」という軽い気持ちで始めた“パート”がキャリアの軌跡の第1歩というところがおもしろいが、その後、仕事の面白さに目覚め、正社員、取締役、常務と軌跡を描く。
常務となった今でも週に1度は店舗のレジに立つ「現場主義」を貫く行動派。
当初の仕事は、買い取った中古本を紙ヤスリで磨き、値づけをして棚に陳列すること。
続けるうちに「自分がつくった棚の売り上げが伸びていくのが楽しかった」とやりがいに目覚めていった。

橋本さんはまず、仕入れの重要さに気づきます。
当時は中古本を持ち込む客側は多少の気恥ずかしさもあり、仕入れが伸びない。
そこで、「買い取ります」という表現を「お売り下さい」に改めた。
陳列も筆者別、ジャンル別に並べるように工夫する。
車で本を持ち込みに来た客には駐車場まで出迎えた。

私も月に何度か最寄のブックオフを覗くが、橋本さんの工夫が随所にみなぎっていることに気づく。やりがいは成長をもたらすのだ!



2004.08.29(San)
痛くない注射針

「刺しても痛くない注射針」が、来年にも病院向けに出荷が始まる。
販売量は年間10億本を超える見通し。
この特殊な針は、知る人ぞ知る、社員数6人の岡野工業(東京・墨田)で生まれた。
金属プレス職人・岡野雅行さん(71)。見た目は普通のおじさんだが、この人がすごい!
会社も一見何の変哲もない小さな町工場だが、携帯電話の小型化に貢献したリチウムイオン電池ケースを筆頭に、その技術開発力が国際的に知られる存在だ。
零細企業を馬鹿にしてはいけない。
世界に冠たる日本の技術を底辺で支えているのは、まさに岡野さんのような職人なのです。

さて、「刺しても痛くない注射針」。
そもそもの始まりは、糖尿病など頻繁に注射を打たなければならない患者の負担を軽減するため、太さが従来の3分の2ほどの針をつくりたいという発注元の依頼によるものだが、それだけでは岡野さんの心は開かれなかったかも知れない。
岡野さんは、10代の終わりごろ腹膜炎を起こし、死線をさまよった。
手術に成功し命は取り留めたものの、1ヶ月半の入院中、栄養摂取のため何度も太ももに太い注射を刺さなければならなかった。
そのときの激痛を思い出し、「50年越しの思いで、これは形にしなきゃならないと考えた」。
“発注先の思い”と“岡野さんの思い”とが重なり、みごとに商品化がなされた。

イノベーションとはこうしたものかも知れない。
人の思いを抜きにしては変革はありえないのだ!



2004.08.22(San)
守・破・離

世阿弥の教えに「守・破・離」というのがあるそうです。
どんな世界でもモノになる人は、この順に道を歩んで行くというのです。
最初は基本となる教えを忠実に守る。これが「守」です。
指導者が「疑問は自分で考えろ」というようになれば「破」の段階で、独自に工夫してみる。
最後の「離」で指導者の下から離れ、自らの道を追求する。

今の時代、「守」なしに「破」を狙う人が多いように思いますが、基本を忠実に履修するだけの忍耐力がないのかもしれません。
損得ばかりに目が行って、技術の習得は二の次、三の次です。
フリーターで充分生きていける時代だから、“技術”はどんどんなおざりにされるのでしょう。
だからこそ、手間のかかる生き方が大切になるのでしょうが・・・・・・。



2004.08.15(San)
全車禁煙

東京都内で初めての全車禁煙のタクシー会社が出現した。
営業用の車両35台をすべて禁煙車としたのは、女性社長の「受動喫煙から乗務員を守るのは経営者の務め」という固い信念によるもの。
夫の父からタクシー会社を任された4年前にまず驚いたのが、乗務員の健康状態の悪さだった。検診の結果は軒並み「要再検査」だった。
“一番大切な乗務員が健康で生き生きと働けるようにしたい”
東大医学部で助教授をしている夫の助言も受けて、長時間労働を改善した上に「禁煙化」を掲げ、禁煙車を増やし続けた。
酔った客からドアを蹴られることもあったが、得意客も増えて追い風を感じ、乗務員の表情も明るくなったという。

“一番大切な乗務員”のために何ができるか!
こんな考えの社長の下なら喜んで働けるのではないか?



2004.08.07(Sat)
ノスタルジア

地下鉄門前仲町(東京・江東)を降りてすぐの場所に7月22日、昭和30年代の下町風景を再現した居酒屋「ぶたや三代目金造」が開業した。                  (日経新聞朝刊)
                                       
店内には裸電球の照明やマグマ大使、ゴジラの映画ポスターなどの細工が見られ、赤い公衆電話が飾られているという。
提供するメニューは下町らしく、豚のくし焼きやもつ焼きなど豚肉料理が中心。
飲み物では、ホッピーもそろえる。
古き良き時代のちょっぴり贅沢な気分が味わえてとてもいい。
誰でもノスタルジアはある。
忘れられない思い出は、かけがえのないものだ。
そこを刺激して、客を泣かせるていくのだろうか。
少し前に、四半世紀(?)も前の上海の貧しい飲食街を模した中華料理店を見たことがあるし、ハンバーグ料理のびっくりドンキーなども、物語の中から店の造りをそのまま再現させている。
これから先、身近なところでこうした造りの店が多くなっていくのではないだろうか?

大人たちはノスタルジアに弱いのだ!
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あおみ労務事務所 社会保険労務士 柴田比呂志
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