あおみ労務事務所
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「経営」という言葉を辞書で引いてみますと、「計画に基づいて事業などを行うこと。又そのためのしくみ」 とあります。畢竟、経営とは「経営指針(経営理念、経営方針、経営計画)を作成し、それを誠実に実践していくこと」ではないでしょうか。
このページでは、その時々の経営にかかわる情報を取り上げ、発信していきます。
2006.01.28 (Sat)
“宮の雪”の経営理念

昨日、愛知中小企業家同友会三河支部主催で、「新春のつどい」が開かれた。
三重中小企業家同友会の代表理事であり、(株)宮崎本店の代表取締役である宮崎由至さんが、「地域社会に貢献できる企業を目指す」と題して報告をされた。
清酒“宮の雪”に代表される、うま口の酒類を提供する造り酒屋の六代目は、理念の人であった。

宮崎本店の経営理念は「酒類販売の製造販売を通じて地域社会に貢献できる企業をめざす」である。この“地域社会に貢献”のところを社内で繰り返し、繰り返し議論している。
“貢献する”とはどういうことなのか?“貢献”の中身は何か?
私自らが大酒飲みだから、酒は飲みすぎると体に良くないことを実感している。
少量であれば薬にもなるし、食を進める効果を持つ。しかし、大酒はいけない。
そこのところも議論の対象になったのだろう、少し前から方針が変わってきている。

かつての宮崎本店の方針は「普通の酒を短期間に大量に」であった。
しかし、これでは消費者に、短時間でたくさん飲め、と言っているようなものである。
そこで方針を「いい酒を少しずつ長く」に改めた。
「同じ値段で2本飲めます」といった発泡酒的な感覚ではいけないことに気づいたのである。
かつてCoCo壱番屋が「10人前のカレーを1時間以内で食べれば無料にします」を宣伝文句にしていたと記憶するが、これもまた理念に一致しないということで止めてしまった。
これと同じことが宮崎本店でも行われたのである。

宮崎本店では社員の意識調査のためアンケートを実施している。内容は2つ。

 @ あなたが宮崎本店に就職してから一番うれしかったことは何ですか?
 A あなたが宮崎本店に就職してから一番悲しかったことは何ですか?

これらの問いに、社員の3割ほどの人が次のように答えたという。

 @ お客様から、“宮の雪”はおいしい酒だ。こんなおいしい酒を造っている会社に勤められてよ
    かったねと言われたときが一番うれしかった。
 A お客様が買われた“宮の雪”が不良品で、こんな酒を売りやがって、と苦情を言われたとき
    が一番悲しかった。

これらのことから、宮崎さんは、究極の社員満足=顧客満足なのだと言う。
顧客満足を追求していけば、必ず社員満足に行き着くのだ、と。

そして、地域社会に貢献できる企業とは、単に企業が貢献するだけでなく、社員一人びとりが地域に貢献できる企業でなければいけないと語った。
例えば、PTAを引き受ける社員は地域に貢献することになる。そのために一時的に社内の負担が増しても、社員が地域に貢献できる職場の体制を作っていくことがより肝要なのだ、と。

宮崎社長のこれら考え方は、中小企業家同友会での学びの成果なのだろう。
そして、学びを実践することでしか時代の扉が開けられないことを、身をもって示されたように思われた。



2006.01.21 (Sat)
センターピンを見抜く

グッドウィル・グループ会長兼CEO(最高経営責任者)の折口雅博さんが、日経新聞・仕事常識欄に「チャンスをつかむために」と題して小文を寄せている。
折口さんは、日商岩井時代に、ジュリアナ東京の総合プロデュースを手掛け、時の人となった。
現在は、人材ビジネス、健康ビジネスを中心とするグッドウェル・グループの総帥。
総合介護サービスを行う(株)コムスンはつとに有名である。


ジュリアナ東京のプロジェクトは、バブルがはじけ、ディスコブームが去った後に手掛けている。
そんな冬の時代になぜ?という声の中で、折口さんの目には十分な勝算が描かれていた。

「それは有名デザイナーに頼むことではありません。
音響や照明の設備がいいことや有名人が頻繁に訪れることでもなかった。
私はいつ行っても多くの人で盛り上がっていることこそ、外せない点だと考えました」

楽しく騒ぐにはディスコを越える場所はなく、お祭り騒ぎは大勢の人がいて初めて盛り上がる。
会社員やOLに平日の日にち限定の招待券を出し、店をいつも満員にした。
月曜から込んでいるという噂が広がり、人が人を呼ぶようになった。
ポイントはボウリングでいうセンターピン、つまり一番真ん中のピンを倒すことである。
ではどうすればセンターピンを見抜けるか?

「常に当事者意識を持つことです。例えば食事に行ったら店のオーナーの目で自分ならどんな料理を出すか、照明はどうするか、器は、サービスはと考えます。
いろいろな場所でこうした思考を積み重ねれば、独自のデータベースができあがります。
ビジネスで大切なのはこの蓄積。これは意識すれば習慣にできます。
蓄積が豊富にあれば、物事の本質は見えやすくなります」

“センターピンを見抜く”か。いい言葉だ。合言葉として使えそうである!



2006.01.15 (San)
良縁は量縁から

先日、ハピネット結婚相談所(半田市天神町)代表・中村紘一氏から手紙を頂いた。
中村氏は、全国仲人連合会(本部・東京)知多半島担当支部長として、若い人には、引きこもっていないで、どんどん表に出てきて、結婚し、たくさんの子どもを生んでもらいたいこと、また、訳あって一人さびしい人生を送る、おじいちゃん、おばあちゃんにも、気の合う喧嘩相手を見つけてもらって、残りの人生を明るく、元気に過ごしてもらいたいこと、などを手紙で切々と訴えられていた。

自らを、不動の愛を育てる「愛の不動産屋」と呼び、「良縁は量縁から」を合言葉に、嫁に行きたい人、もらいたい人たちが会員間で、情報を持ち寄って、よりふさわしい相手を選びあえる合理的で現代的なシステムを構築したいと願っておられた。

「適齢期になったら、まず、ハピネットに登録するのが当たり前という仕組みを、この知多半島に作り上げたいと願っています。これから、ご近所やお仕事の日常の中で、“結婚”が話題になるようなことがありましたら、どうぞ、ハピネットをその話題に乗せてやってくださいませ」

少子・高齢化の時代、こうしたビジネスは無限の広がりを見せるだろう。
落語の世界にあるような、かつての世話やきじんさん、ばあさんが絶滅に近い状況を考えると、この手の仕事はやりがいのあるものだと言える。
そしてビジネスの成功、不成功はネットワークをより有効なものにさせていくことに尽きる。

そのために情報収集に努めることは、何もこの仕事に限った事ではない!



2006.01.07 (Sat)
雨が降れば傘をさす

故松下幸之助氏の“経営の教え”をあちらこちらで見かける。
社長室の壁に額付きで飾られているのもあれば、カレンダーの役目をなしているのもある。
事務所や工場内に唱和用の教訓として掲げられた言葉も数限りない。
時代の需要を鋭敏に察知し、超一流企業をつくり上げた鬼才が語る言葉はどんなだろうか?
しかし、それら多くは氏が丁稚小僧の頃に習い覚えた商売のコツといえるものである。

「あまり規模の大きくない店で、店先の戸棚を片づけ、商品を掃除しながらお客に接して品物を売る、という商いの最先端にいる境遇が、経済社会で人間形成をなしとげてゆくもっとも望ましい過程であろう」

幸之助氏は丁稚小僧の頃に身につけた商売のコツを懐かしみ、このように述懐している。
学校を出て、すぐ大会社へ入ることを望む青年は多いが、本当の意味の人生を味わい、庶民の心を認識するための近道ではないと幸之助氏は考えていたのだろう。
大会社では一定の範囲の仕事を与えられ、事業のごく一部分だけを分担する。
そのため人生のすべてというものが分りにくいのである。

松下幸之助氏の「一日一話」を見つけた。
幸之助氏の実地で体得した教えを学んでみよう。次は1月9日の言葉。

経営者たるものは、すべて天地自然の理法に基づいて行動しなければならない。
これは何もむずかしいことを言っているのではない。
たとえば雨が降ったら傘をさすということである。

つまり集金をせねばならぬところには集金に行く、売れないときには無理に売ろうとせずに休む、また売れるようになれば作る、というように大勢に順応するということである。

集金すべきところから集金もせずに、新たに資金を借りようとする人があるようだが、金を借りるのならば、まず集金に全力を尽す。
それでもなお資金がいるときにはじめて借りる、という至極簡単な当たり前のことを、どれだけ的確に行なうかが非常に大事なのである。

    
 松下幸之助「一日一話」は
 http://www.php.co.jp/fun/matsushita/ 


             
2005.12.31 (Sat)
小倉昌男

2005年墓碑銘が紙上に載せられている。今年も多くの著名人が亡くなった。
上方落語界の重鎮・桂文枝師の在りし日の高座風景や二子山親方(元大関貴ノ花)の現役時分の雄姿が写し出されている。最近亡くなった仰木彬前オリックス監督が、得意気に帽子を頭上に掲げている。仰木マジックが勝利をもたらした後の佇まいだろうか?
墓碑銘の中に、小倉昌男元ヤマト運輸会長の名も刻まれている。

数年前、日経新聞連載の「私の履歴書」に小倉昌男さんが登場した。
大口の取引先であった松下電器との長期にわたる取引関係を終結させたこと。
三越岡田社長のやり方に反発し、取引関係を解消したこと。
そして、儲からないと言われた個人宅配の市場を切り開き、「宅急便」によって人々の生活の常識を変えたこと。その裏では運輸省を相手にした数々の戦いがあったこと、など。
そこには見事な先見性と決断力が描かれていた。
さらに、働く障害者の実情を知り、今の日本で月給1万円というのは許せないと、自分の持ち株すべてを寄付し、障害者が月10万円稼げるための仕組み作りに果敢に挑んだことも。
損得抜きにただひたすら自分の倫理を鍛え、追求する生き方を美しいと思った。

小倉さんは起業家を目指す若者に向けて、こう語っている。

まず、志を高く持ちなさいということを言いたい。
志の低い人は、ダメです。また人間的にも優れていないといけない。
人格・品格の無い人に起業は無理です。
限りのある短い人生なんだから、品格高く、志も高く生きて欲しい。

ベンチャーで成功するしないは、大したことではありません。
成功して得られるお金なんて儚いものです。

それよりも、成功するために必死に勉強したり、努力したりすることの方が大事。
だから、若い人は高い志を持って、一生懸命に努力してほしい。

噛みしめなければいけない言葉である!



2005.12.25 (San)
悪の交渉術

幻冬舎の新刊案内が日経新聞に載っています。向谷去j著「悪(ワル)の交渉術」。
副題として、アウトロー達に学ぶ「人を動かす」ウラの知恵、と記されています。

「カネ貸してくんねぇか」
ワルはけっしてこんな頼み方はしない。
「それがフトコロが厳しくって」
と相手に言われれば、話はそこで終わってしまう。
「悪いけど、100万ほど貸してくれねぇか」
と、具体的な金額を言う。
「無理ですよ」
「じゃ、いくらならいいんだい」
と追い込んでいけば、20万や30万は強引に借りることができる、というわけである。

ちょっと怖い!さらに、「なぜ言いなりになるのか?」のワケが示されています。

人たらしは、たとえ話の名手である。
たとえには反論を許さない絶対真理をもってくることが鉄則だ。
「わしが酒飲んで、あんさんが酔いまんのんか?」
「わしが芋食うて、あんさんが屁ぇしまんのんか?」
「わしが転んで、あんさんの膝が痛みまんのんか?」
言われてみればごもっともで、「違いまっか?」と問われれば、「そのとおりです」となる。
「そのとおり、そのとおり、そのとおり」
とイエスの返事を重ねさせつつ、
「どや、わしの頼み、どこぞ間違うとるか?」
と畳みかけるのだ。

善男善女の皆さん、怖いですねぇ。悪(ワル)はどこにでもいます。
大昔の駕籠かきのように、善人を身ぐるみ脱がせ、海中の藻屑にしていきます。
どうすればいいのでしょうか?ワルの手口を知ることが防衛なのかも知れません。
この本読んで見ましょう。きっと何かが見つかるはずです!



2005.12.18 (San)
赤福

先週、日経新聞(夕刊)・人間発見に赤福会長・浜田益嗣さんが登場した。
“伊勢の名物、赤福もちはええじゃないか”のあのピンクの包装紙に包まれた赤福である。
餅菓子「赤福」の知名度を高め、JR新幹線の新大阪駅や名古屋駅で最も売れる土産物にしたのは、浜田さんの功績による。
社是であり、社名や商品の由来でもある「赤心慶福」を頑なに守り続けてきたことが、約300年間、単一商品である赤福もちのブランドを汚さずにきた理由だと語る。

「まごころ(赤心)を尽くそう、そうすることで素直に他人の幸せを喜ぶことができる(慶福)」

赤福は戦時中から1949年の再開まで約5年間、操業を自主的に停止した。
ヤミ市に行けば材料は手に入ったが、いい餅米や砂糖は手に入らなかった。

「いまもちを作ったら赤福が赤福でなくなる。わかる人からは、これが赤福かと笑われる。それはご先祖様が笑われるということなのだ」

浜田さんの祖母ますさんはそう言って、味を落とさずに品質を守ろうとした。
日銭が入らず、わずかに残された畑地で小麦や野菜を栽培して食いつないだ。
戦地や軍需工場から戻ってきたかつての従業員を雇えなくて、泣いて別れたこともあった。
操業を再開するまでに、赤福もちのニセものが14社ほどできていた。
しかし、赤心を尽くせないのであれば、一切もちを作るべきでないという姿勢を貫いた。

ここに理念の貫徹を見ることができる。
どんな状況下でも変わることのない初心が貫かれている。

この理念貫徹が、後のおかげ横丁の創設や癒しの里構想に繋がっていると言えそうだ。



2005.12.10 (Sat)
あそぶとまなぶ

知る人ぞ知る、「あそぶとまなぶ事務所」代表のくらたまなぶさん。
くらたさんは、リクルートに20年在籍し、情報誌「とらばーゆ」「フロム・エー」「エイビーロード」「じゃらん」「ゼクシィ」「ダビンチ」「あるじゃん」などの生みの親。
4月に「MBAコースでは教えない“創刊男”の仕事術」を出版。
よい商品をつくるには商品のことを考えてはいけない」という持論を展開している。

消費者の気持ちを聞き出すということです。
よい商品をつくるには商品のことを考えてはいけないんです。
商品を買ってくださるのは消費者なんですよ。
消費者は何で買うかと言うと、心が動くわけですよ。
心が動いたからこのお金でも出していいやと買うわけですね。
そうすると結局は、消費者の気持ちを知らないと商品はつくれない。
それにもかかわらず、気持ちを聞かないで商品づくりばかりやってしまうと、自己満足の商品しかできない、売れないということにつながってしまいます」

「立ち上げの時は何も決まっていないですから、大変親しい人から聞き始めればいい。
いつもランチを一緒に食べる人であるとか、恋人、妻、夫、息子、娘、おじ、おば・・・。
メールだったら、離れていても大学同窓の大親友とか。
それをしながら普通に平行して仮説を固めていく。
好きな人ばかりだと偏ってしまいますから、だいぶ聞きまくったら、次は苦手な人、嫌いな人、日頃ほとんど話しにくい人の所へ行く。
そうすることで、思いも寄らない反応があったり、目から鱗を落とされる。
視野がぐいっと広げられてしまうとか、どんでん返しが起こるとかね」


「ある男性が女性を口説こうとする時に、女性の気持ちを聞かないで、アルマーニの服を着て、何とかの靴を履いて、くしでとかして、これでもてるだろうかといったら、彼女は、そんなブランドの服なんか着てほしくなかったと言う。こういうのが商品を先に考えている例です」

くらたさんは著書の中で、会社をつくるための絶対3条件を挙げている。
右手にロマン、左手にそろばん、心に冗談。その心は何だろう?

「携わって自分が楽しい、うれしい、やりたい、意欲とか愛情とか。もう冗談が口から出てくるぐらいでないと苦しい立ち上げはできないです。寝ない日もあるし、完徹の日も続きます。
ただそれに耐えるには、楽しむ気持ちがないとだめなんです。
でも、左手にはちゃんとそろばんを持っていて算数をしなきゃならない。
右手には人や社会のためにならなきゃいけないロマンです」

くらたなまぶさん。大した人だ!



2005.12.04 (San)
天然うなぎ研究所

刈谷市松坂町のとある交差点。“天然うなぎ研究所”の看板が目に入った。
看板の右肩には、「境川、逢妻川、猿渡川」とある。
狭い玄関に緑地の明るい暖簾が掛かり、両隣に薄汚れた(?)水槽が置かれている。
家の佇まいからして、うなぎ料理の店ではなさそうである。
そうか、うなぎの卸をやっているんだ。川はいずれも三河湾に注いでいる。
うなぎは海に注ぐ川には必ず生息している、と聞く。
三河湾を下流に持つ境川や逢妻川、猿渡川の天然うなぎを商っているのだろう。
それにしても場末の小さなうなぎ卸商が、“天然うなぎ研究所”とは面白い。

「いまだに解明されないうなぎの生態の謎」が雑誌に載っている。

うなぎは元々は、北海道石狩川以南なら、特に太平洋側ではどこにでもいるありふれた淡水魚で、子どもの頃、ハゼ釣りの最中にごくまれに針に掛かったりした。
しかし、その生態は謎に包まれて おり、いまだに解明されていないといわれる。

成魚は川を下って太平洋・フィリピン沖のマリアナ海溝の深海で産卵する。
孵化した仔魚は黒潮に乗って北上し、シラスの状態で河口にたどりつき、川をさかのぼって里山の川とは直接つながっていない池にまでも到達するとされている。
しかし、深海を遊泳するうなぎの成魚の群れはもちろん1個体も、産卵場はおろか卵1 個も発見されていない。川に入ってからも陸上を移動するうなぎを見たという報告もほとんど聞かない。
忽然と消えて現れる神秘の魚なのだ。

日本うなぎは太平洋、ヨーロッパやアメリカのうなぎは大西洋の陸地から数千キロも離れた深海で産卵するとされるが、不思議とかつて存在したと噂される失われた大陸であるムー大陸やアトランティス大陸があったとされる伝説の場所と重なっている。
これをうなぎのロマンと説明する人がいる。
うなぎは元々、ムー大陸やアトランティス大陸の固有種で、大陸が沈んだために、日本やヨーロッパに棲息域を変えた。しかし、かつての故郷である地に帰って、産卵するのだ、と。

何事も大切なのはロマンなのだろう。
うなぎの神秘性からして、“研究所”もあながち不思議ではないか・・・・。



2005.11.26 (Sat)
うれしいを、つぎつぎと。

最近、心ときめくテレビコマーシャルがある。キリン発泡酒・端麗グリーンラベル。

野球帰りの昼下がり。いつもの場所で寛いでいるチームのメンバー達。
彼らの前に現れたのは、バスを待つカワイイ女性。グリーンラベル片手に盛り上がる彼らは、冗談半分で彼女めがけてボールを投げるアクション。
すると彼女はおもむろに立ち上がり、本気の構えから渾身のフルスイング。
「カキーン!」。見事なまでに打ち返されたと思って、ボールの行方を見守るメンバー達。
そして笑いながら、彼女に目線を戻すと・・。そこには無人のベンチと走り去るバスの後ろ姿・・・。

何ともいえないすがすがしさと少々のさびしさが横溢している。
画面にはキリンビールのキャッチフレーズだろうか、「うれしいを、つぎつぎと。」の文字が色彩豊かに映し出されている。

人が持つ一番心地よい感覚とは何だろうか?人の一番欲する感情とは何だろうか?
うれしい、楽しい、に始まり、悲しい、淋しい、恐い、辛い・・・と、人は数多くの感情とともに生きていく。そして、喜怒哀楽の喜楽よりも怒哀の方がはるかに多い。
喜楽をずっと越えた怒哀の中で私たちは暮らしている。
社会の機構のせいでもなく、時代のせいでもなく、当人の力不足でもなく、そういうふうにできているのが、世の中で人の生ではないかと思う。
それゆえ、人は生きる営みの中に喜楽を求めていくのかもしれない。

勤務していた頃、鹿児島から集団就職でH塗装に入社したKがいた。
Kは生まれつき足が悪く、びっこをひいていた。
ある日、事務所の主催でボーリング大会が催され、Kも会社の仲間たちと一緒に参加した。
足が悪いことを臆せず、堂々とボールを投げ続けるKを親会社の社長が温かく見守っていた。
ゲームが終了し引き上げてきたKに、社長は「K、頑張ったな。俺はうれしかった」と言った。


ほんの小さな出来事が、その人の生を変えていく。
人と人とのふれあいに必要なのは、そうした何気ないやさしさなのだと思う。
おそらくKも、うれしいと言ってくれた社長の言葉がうれしかったに違いない。


    キリンCM 
http://www.kirin.co.jp/about/toku/ad/greenlabel/index.html


2005.11.20 (San)
生き甲斐

「倉本聡・豊かさの根っこ」の中にある“生き甲斐”という文を読んだ。

父が早世し、母が茶道を若い人に教えながら子どもを育ててくれたこと。
自分が稼げるようになると、その茶道を強引に取り上げてしまったこと。
母の精神は壊れ、6年間躁と鬱との荒波にもまれながら結局逝ってしまったこと、など。
遺書があった。それはお茶を取り上げられた直後に書かれたものだった。
倉本さんはその時のことを想い、こう記している。

「人は他人から与えられることはうれしい。だが、与えることはもっとうれしい。
いや、人に与えること、人の役に立っているという意識こそが生き甲斐なのではあるまいか」

「考えてみると自分の生き甲斐も、結局そこに尽きる気がする。
脚本を書くことの最終目的は、金を得ることではなく、人様の心を洗うことである。
洗ってきれいにしてさしあげることである。
感動という名の洗剤で暮しの汚濁を洗い流してあげることである。
そして、そのことが出来た時、僕の心は初めて充足する」

倉本さんは、フランスの劇作家ジャン・ジロドゥの言葉を時々思い出すそうだ。

「街を歩いていたら良い顔をした人に出逢った。彼は良い芝居を見た帰りにちがいない」

周囲に良い顔を増やすこと、それが倉本さんの倖の根っこ!



2005.11.13 (San)
ピーター・ドラッカー

「経営学の父」と言われたピーター・ドラッカー氏が、11日死去した。
ドラッカー氏は、“労働力はコストではなく資源である”という言葉を残し、企業が従業員の意欲(モチベーション)を高めるような関係を築く人事マネジメントの重要性を指摘し、労働力を経営資源としてとらえるよう説いた。
さらに、“事業の目的とは顧客をつくり出すこと”と説いている。
一般的には、事業の目的は利益を生み出すこと、と考えられているが、常に顧客という「外からの視点」によって事業のあるべき姿を考える必要を指摘している。

手元に、ピータードラッカー氏著述の「リーダーの5つの条件」がある。
ここにその要旨を書き写すことで、氏を偲んでみたい。

1 長所よりも、短所に目を向ける者を、リーダーにすべきではない。
  やがて、組織の精神を低下させてしまうから。


2 「何が正しいか」よりは「誰が正しいか」に関心をもつ者を、リーダーにすべきではない。
  やがて組織を堕落させてしまうから。


3 誠実さよりも、頭の良さを重視するような者を、リーダーにすべきではない。
  人間が未熟な証拠で、それは一生治らないから。


4 部下に脅威を感じているような者を、リーダーにすべきではない。
  弱い人間だから。

5 自分の仕事に、高い目標を設定しないような者を、リーダーにすべきではない。
  やがて仕事や幹部に対する軽蔑を生むことになるから。




2005.11.06 (San)
木の枕

 
左遷とはうすうす知れり濁酒        高野保夫

リストラが横行する中で、左遷という言葉を忘れてしまっている。
かつての企業の人事では、左遷、島流しは当たり前だったろうに。
古き良き時代・・・・・・。人がほのぼのと、その人らしさを表現できた“とき”だったのだろうか。
上司と相性が合わないのか、大きなミスがあったのか、左遷を思いながら飲む酒。
それは決して澄んだ酒ではなくて、濁っているのがいいのだろう。
もういいか過去のことは。人は与えられた環境の中で精一杯やればいいのだから。
ほろ酔いのままに眠る。首の後ろにあてた枕が心地よい・・・・・・。

歌手・サンプラザ中野さんが、「私のお気に入り」で、“木の枕”を絶賛している。
以前、不眠で悩んでいた時期にさまざまな種類の枕を試して、その結果行き着いたのが、硬枕(こうちん)という木の枕だったという。
コンパクトな形で、木の種類は桐。中身は空洞なので軽い。
使い続けていくうちに色が濃くなり、味わいが出てくる。
2ヶ月くらいたった頃から寝起きがすっきりして、肩の凝りもなくなった。
首にあてて寝るので頚椎の歪みが取れ、肩こりが解消する、と話している。

今もあるのだろうか、陶器か磁器の枕が幼い頃の記憶として残っている。
夏向きの白地がいかにも涼し気な硬い枕で、試し寝をすると、陶器の冷たさでひんやりした。
木といい、土といい自然の素材は体にいいのだろうか?

そんなことを思いながら、今夜も濁り酒。
ただただ酔いたくて飲んでいる!



2005.10.29 (Sat)
夢を形に

日本電産社長・永守重信さんの講演録が手元にある。
永守さんはこの講演で、社員の意識を上げていくために経営者が絶えず夢を語り、形にしていくことが必要と説く。そして、“夢を形に”する経営者の3つ条件について語っている。

@ まず、明確な目標・ビジョンをもつ。

夢の先には法螺があるが、会社をどういう姿に持っていくのかのビジョンが大切。
やる気や活力は成長が原点。トップが成長論者でなければ人は集まらない。
人を惹きつける大法螺が必要。

A 揺るぎない経営ポリシーを持つ。

日本電産の場合、「非同族」「非下請け」「グローバル企業」を創業当時から掲げた。
そして、「整理」「整頓」「躾」などの6S運動を推進した。

B 社会に役立つ事業を目指す。

自分たちがやっているものづくりが、国の根幹を支えているという自信を植えつけることが大事。
世の中に役立っているという意識が高まれば、会社は夢に近づく。

そして、永守さんは次のように結ぶ。

「しっかりとした目標を持つと法螺が夢に変わり、それが実現する。それで社員が一致団結する。
つぶれかかった会社が再建できたのは全部、社員の意識が変わったから。
経営者たるリーダーは将来に向かって法螺を吹け。
社員と夢を共有することが最大の役割であり、リーダーシップだ」



2005.10.23 (San)
卵かけご飯

「卵かけご飯」の魅力を歴史や栄養などさまざまな視点から語り合う全国シンポジウムが28日から3日間、島根県雲南市で開かれる。県内外の卵を使った吟味会も実施。卵かけご飯の定義を決定するほか「卵かけご飯の日」の“制定”も予定している。
きっかけは、雲南市の第3セクター「吉田ふるさと村」が開発した卵かけご飯専用しょうゆ「おたまはん」のヒット。2002年5月から現在まで約30万本を売り、東京で愛好グループが結成されるなど全国から反響があったため、市内の有志が企画した。(日経新聞・夕刊より)

「おたまはん」の存在は知らなかったが、雲南市のこんな発想もあっていい。
夕刻、家々の竈から立ち上るけむりのように、何かほのぼのとする。
私の住む高浜市北部・吉浜地区は、古くから養鶏の町として知られるが、吉浜鶏卵を広く認知してもらうため何か企画すればいい。それも全国的な規模での催しが望まれる。
「ヨッチャンたまご」(吉浜のヨッチャン)もあることだし、何かできないだろうか?

中小企業家の学び仲間で、「タマゴロウ」を開発した猛者が豊橋市にいる。
タマゴロウは、“ほどよい塩味、ほどよい半熟”のゆで卵で、今や全国区となっている。
卵のように身近にあるものが注目されるのはいい。
それは、好々爺が縁側で在りし日を楽しげに語っている風景に似ている。
大人たちは誰もがノスタルジアが好きなのだ!

さて、卵かけご飯、うまいんだな、これが!
卵と醤油の相性は格別で、かつての子供は卵1つで2度お代わりしたものだ。
ああ、醤油をかけすぎて辛くなった卵に、辛さを抑えようと砂糖を加えたことを思い出した。
調味ということを知らないかつての少年には、甘い、辛いの二次元しかなかった。
三次元にも四次元にも広がる味の深さに気づいた始まりだった。

「卵かけご飯の日」が今から待ち遠しい・・・・・・!?



2005.10.15 (Sat)
カイゼン

今朝の中日新聞に、豊田自動織機が“トップガン育成塾”を設置したと報じられている。
“トップガン育成塾”は、選抜した新入社員を対象に新工場や新製品の生産準備、生産現場の保全維持を担うリーダーを育てることを目的としている。
技能のみに秀でたスペシャリストではなく、生産革新につながる「カイゼン」を提案できるような幅広い知識を持ったゼネラリストを養成するのが狙い。

「事業の拡大で生産現場も分業化、専門家が進んでいる。一方で機械の仕組みや材料の特性など基礎的な知識や技術を持った人材が不足している」
と指摘されるように、確かにゼネラリストの層は薄いのだろう。
「カイゼン」のできるゼネラリストは、すなわちマネージャーということだ。

かつての宰相・田中角栄が、“指導者の必要条件”の一つとして、次のように言っている。

「指導者の必要条件の一つは、マネージメントができるということだ。
それと、かりにSST(超音速旅客機)の操縦ができなくとも、指導者たる者は少なくとも、その仕組みぐらいは知っていなければならない。
その飛行機がどんな仕組みでつくられていて、国民がどんな目的で、どれくらいそれを使っているか。その程度のことは絶えず頭に入れておくことだ。
そういうことをたくさん知っている政治家ほど、いろんな問題をタイムリーに解決できる」

「カイゼン」提案力が大きい組織ほど強い組織なのだろう。
そこに経営資源(ヒト、モノ、カネ)を集中させるのは、間違いなく必要なことだ!



2005.10.08 (Sat)
やめる効用

積水化学工業社長・大久保尚武さんが、“やめる効用”を説いている。
大久保さんはかつて、1カ月間だけ新聞をとることをやめた。
新聞を見ないでいると、社会から隔離されたようになり、個人としては世の中がすっかり平和に感じられるようになった。過剰で無責任な情報洪水は、平凡な社会人の生活をいたずらにかきみだす。新聞をとらないことで、真実の自分を取り戻せたのではないか?
大久保さんがその後やめたのは、“時計”と“カメラ”。時間は30分単位くらいで考えても何の問題もないことが分かったし、カメラを捨てることで、旅行に行って自分の目で景色を見ることのすばらしさに気付いた。

さてさて、私たちは何をやめられるだろうか?
真っ先に浮かぶものが、“携帯電話”。仕事に必要と言いつつ、真実の自分を縛っていくモノを見過ごしていいものだろうか、と思う。
ビジネスマンはともかくとして、女子高生の携帯の氾濫は嘆かわしい。
次に“パソコン”や“インターネット”。文明の利器は人を利口にさせるし、馬鹿にもさせる。
なくてもやっていけるのなら、すぐにやめてしまおう、と思うが、この類は利用すればするほど、麻薬のようにじわじわ身体を侵していく。犯されたら最後、骨の髄まで蝕まれていくことに気付くのが遅かった。

世の中には、知らない方がいいと思えるものがたくさんある。
それを判断するのは他ならぬ私たち自身であって、確かな眼を持たなければやがて生き残ることが容易でない時代が、個人という単位で来るのかもしれない。

できるだけシンプルに!そのために“やめる効用”がある。



2005.10.01 (Sat)
中小企業憲章学習会

木曜日、「中小企業憲章」の学習会があった。
中小企業憲章は、現在、中小企業家同友会全国協議会で討議素案として出されている。
簡単に言えば、政府に対して中小企業・自営業を柱とする“産業経済政策”の実現を約束させる合意書、が中小企業憲章であって、自助努力だけではどうにもならない中小企業・自営業者にとっては、それこそ藁にもすがる思いで作成させたいところだろう。

「経営は自助努力3分、環境7分」といわれる。
それが本当かどうかわからないが、経営を阻害する経営環境要因は数え上げればきりがない。
しかし、それだけに心を奪われていては進歩はない。
いいところを見つけて、伸ばしていくことが大切なのだ。

学習会の中でいろいろな発見があった。
H建設鰍ナは、地域密着と差別化の徹底を図っている。
大手ハウジングメーカーでは絶対に真似のできないことに取り組んでいる。
“住まい教室”や、“趣味の会”(NPO法人)などを通してお客様に来ていただくような催しを企画したり、リフォームを“住宅環境の改善”と位置づけ、そこに住めば頭がよくなる、健康になる住宅づくりを考えている。そしてお客さんやその子供たちと一緒になって作業をすることで、良好な人間関係の構築を目指している。

今日の日経新聞(夕刊)・日時計に、こんなことが書かれている。

「豪雨(9月初旬の東京都心の集中豪雨)から2週間ほどして、A子さんのもとに通信販売大手のカタログハウス(東京・渋谷)から手紙が届いた。
お見舞いの言葉とともに、同社から購入した商品で浸水の被害にあったものを無償で修理・交換するという内容だったという。
幸い、Aさん宅は浸水を免れたため、購入した本棚を交換する必要はなかったが、“あの手紙には感心した”と振り返る。
同社では阪神大震災以来、地震や台風などの被災者に商品の無償修理や交換、代金の支払い猶予を申し出るようにしているという。
モノを買う時の基準は人それぞれだが、こんな心遣いのできる売り手からなら喜んで買うという人は少なくないだろう」

“誰にも真似できない”を構築していくことが、真の中小企業憲章制定のネライかもしれない!



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