あおみ労務事務所
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随想
「晴耕雨読」という言葉を、今しみじみ味わっています。
「晴れた日には畑を耕し、雨の日には読書する」すこぶる人間らしい気がします。
宮澤賢治が「雨ニモマケズ 風ニモマケズ・・・」と手帳に記したように、このページでは、心に浮かぶままの考え・感想や日常での出来事、変わりゆく景色などを、詩やエッセイなどの形で、気軽に綴っていきます。
2006.02.26(San)
句碑建立除幕式

昨日、西尾市江原町の妙喜寺で、句碑建立除幕式が行われた。
句碑には岡崎川柳研究社主宰・會田規世児の筆跡で、川柳が彫り込まれていた。

  旅人に情けの深い道しるべ

會田さんは、私の川柳の師匠だが、西尾川柳会の方でも指導されていて、たまたま妙喜寺の住職が西尾川柳会の会員であったことから、會田さんの長年の功績をたたえるかたちで句碑建立に結びついた。

初夏を思わすような日差し。
一輪一輪とほころび始めた樹齢100年を越える梅が、句碑を覆うように枝を延ばしていた。
そして妙喜寺の何もかもを見つめている大銀杏が、式典をやさしくつつんでいた。

除幕式の後、「雑詠」と「道しるべ」の題で、句会が行われた。
暖かな日差しに酔いながら
作句した拙い句を披露する。

  ひと冬が耐えられなくて昼の月


  今日を咲く路傍の花に酔いしれる

  帰る道今夜もお月さんが決める

  酒場へと続く明かりが揺れている



2006.02.18(Sat)
寅さんの句

  あたたかな二月の画用紙を選ぶ         比呂志

暖かな土曜日。春がそこまで来ていてウキウキする。渥美半島の菜の花畑は春一色だろう。
恋路ヶ浜の稜線をわたる風は、椿の蕾のほころびに似て、淡く彩られているだろう。
寒い冬にも必ず春が訪れる。ひと冬を終えた日射しが少し荒れた頬を射る。
そして誰の眼にもこれから何かが始まる予感が交差する。

「男はつらいよ」のフーテンの寅次郎こと渥美清の俳句を見つけた。
これが、素人目になかなかいい。どの句にも温かみとペーソスが漂っている。
寅さんは、こんなやさしい句を作っていたんだ。それが妙にうれしい。

  いつも何か探しているようだなひばり

  土筆これからどうするひとりぽつんと

  ゆうべの台風どこにいたちょうちょ

  貸しぶとん運ぶ踊り子悲しい

  好きだから強くぶつけた雪合戦

  おふくろ見にきてるビリになりたくない白い靴



2006.02.11(Sat)
川柳七句

絵の具箱寄せては返す波を見る

あたたかな二月の画用紙を選ぶ

鬼のいない節分図画がはかどらず

微熱消す私語消すように絵画展

膝小僧抱え画室にみぞれ降る

絵表紙を逆さにすると見える象

凡夫にはわからぬ図画に薄日差す



2006.02.04(Sat)
津軽鉄道

紙面に、心温まる「ストーブ列車」が写っている。
車両で地元の老婦人がストーブに石炭をくべ、焼いたするめを振舞っている。
ドーム型の天井に丸い照明、紐で編んだ網棚。 窓外には真っ白に雪化粧した津軽平野。
乗客は家族のようにはしゃぎ、ストーブの周りで暖をとっている。
青森県の津軽鉄道。毎年冬になるとストーブ列車が走る。
夏は「風鈴列車」、秋には「鈴虫列車」、8月には「真夏のストーブ列車」も運行される。

津軽の冬の風物詩は、少しふまじめにも見えるが、そこがいいのかもしれない。
まじめは美徳だが、まじめすぎるのは危ないことだ。かつて、恩師が良いことを言っていた。

 「常日頃まじめな人は、戦争に対してもまじめである」

話が逸れたついでに、オービック社長・野田順弘さんがこんな話をしている。

 「欲しいのは、ふまじめな人。ふまじめとは、とっさの機転が利くこと」
 「まじめな人は自社の技術や製品を熱心に提案するばかりで、顧客の視点に立てない」
 「新卒採用の最終面接に立ち会う際には、必ず、“彼女はいるか”などといった変則的な質問
 を投げかけるようにしている。そこでうまく答えられなければ採用しない」

車内に赤々と燃える昔懐かしい石炭ストーブ。窓からは隙間風がぴゅー。
一面銀世界の車窓がわずか20.7`の距離をひた走る。



2006.01.29(San)
真宗寺院を訪ねて

ちょっと変わった趣向の旅だった。
毎年、真宗大谷派第14祖で、真宗入門講座“心の元気塾”が開催される。
今回はそのオプションツアーとして、遊び心で真宗寺院を訪ね、真宗にふれたのだった。

朝、西端・応仁寺に集合。ここは蓮如池(油ヶ淵)と花菖蒲で知られる碧南市の名所。
蓮如さんの呼び名で親しまれているこの寺には、建立以来住職がいない。
蓮如上人をいつでも迎え入れられるように、との配慮からだ。

次いで、岡崎市上佐々木町の太子山上宮寺。
いやいや驚いた。寺院はまるでキリスト教のつくり。和洋折衷なんてものじゃない。
仏教といえば畳敷きの本堂に座布団を敷いて、説教を聞くものだが、ここはすべて椅子。
十字架があれば、浄土真宗と思う人は皆無だろう。

次は、上宮寺から近い真宗高田派に属する古刹・妙源寺(岡崎市大和町)。
親鸞聖人が説法されたという太子堂は「柳堂」と称し、現在も妙源寺境内にある。

そして、蓮如上人が建立された浄土真宗本願寺派の名刹・土呂殿本宗寺(岡崎市美合町)。
住職の奥さんと娘さんが寺の歴史やその当時の風土を丁寧に語られた。
娘さんは2年前、耳で聞く「教行信証」の世界・「アジャセからの贈りもの」を出版し、アジャセという人間のすくいを説かれた部分を中心に「教行信証」についてやさしく書かれている。
その後、娘さんの案内で書院や庫裏を見学。
才色兼備の娘さんの柔らかな笑顔に、しばしうっとりした。

それからは付けたしの旅と言っていい。
勝鬘寺(岡崎市針崎町)、本證寺(安城市野寺町)ともに三河三ヶ寺として由緒ある寺だが、なにせ本宗寺の娘のことがちらちら浮かび、住職の話が耳に入らない。
かくして真宗の旅は終わりを告げようとする。
帰路、大きな夕陽が赤々と燃えていて綺麗だった。

帰宅後、本宗寺住職の長女・都路惠子(とろけいこ)さんの著書を開く。
著者紹介欄に、「大阪大学文学部哲学科を経て、京都大学大学院博士課程(宗教学)終了」とある。人をそらさないわけだ!

      アジャセからの贈りもの http://www5d.biglobe.ne.jp/~honsyuji/



2006.01.22(San)
遥かな国

山茶花の花が盛りである。小寒から大寒へ続く暦の上で、花は咲き誇り、新しい日々が捲られていく。

子供たちは、いつもすこやかだ。まるで咲き誇る花のように、光の束を、雪を、寒風を飲み干し、僕からは遥かに遠い。日々の暮らしはといえば、ギリシャ凧のようにからからと飛びまわり、水が足りなくなれば、公園の水飲み場まで降りてくる。糸を手繰る技量が伴わないから、途中で糸は切れてしまうが、慌てて捜しにいく僕は、いつも高い高い欅の木の上に子供たちを見る。

夢見る頃を過ぎて、僕は少し落ち着いたが、新しい暦が花びらのように落ちていくのは変わらない。子供たちは、いつまでも凧のようにからからとまわり、糸を切ってしまえばいいのに。たとえ見えなくなっても、君たちは、元々僕から遥かに離れたところにいたのだから。

糸の切れたギリシャ凧が行き着くところは、やはり山茶花が咲き誇り、ここでは子供たちは、ひとりびとりが王様だ。いたるところからやってきた青い風が、さわさわと旗をなびかせ、日溜りで鬼のない鬼ごっこを演じている。

そう、演じている。子供たちは遥か遠いところからやって来て、目の高さで演じてくれる。

 白と黒と灰色の記憶
 君の時間と僕の時間がその上で触れ合って
 動かなくなった一瞬

 写真を見ていると不思議だ
 君とこうして昔を捜しているなんて
 どれほど経ったんだろう あれから
 本当にあれからどれほど

記憶の底にあった一遍の詩が、雪のように中空を舞う。子供たちの笑顔が、僕のそれと触れ合って、写真の中でこんなに君たちは近いのに。

かさこそと落ち葉を踏んで歩いた径。子供たちは、黄金色の銀杏の葉をうれしそうにビニール袋に集めたり、くぬぎの木の下に落ちた実を宝物のように拾ったり、そして、それはついこの間のことだったが、子供たちの心の画用紙からは、記憶の色が抜けてしまっている。僕はというと、いつまでも大切にその色彩を抱き、忘れまいと努める。ただそれだけの違いといえばそうだが、子供たちとは、いまだ遥か遠い。

海の見える緩やかな丘陵。そこに子供たちの国はあって、今日は雪雲のあいだから少し薄日が差すだけで、ときおり雪が舞い降りる。雪が舞い降りるうちはいいが、雪がふぶくとなれば、もう僕の出番はなくなるばかりで、子供たちはといえば、こんな景色にすぐに溶けていく。毛糸の手袋が水浸しになるほど雪に浸って、何度も君たちを見失う。

北風に乗ってやってくる渡り鳥が、木の実をついばみ、枝から枝へとせわしなく駆けまわる。子供たちは、その鳥の名を聞くが、僕にはわからないから、ただ君たちのようだと答える。そう、子供たちは雪を、寒風を、冬枯れの景色をついばみ、頬を赤く染めていく。

ドラム缶の筏を巧みに操る僕の横で、子供たちは、うれしそうに水面を眺めている。君たちの顔を映す水の飛沫。ゆっくりと水を掻き混ぜたり、水を掬ったり、水澄ましのようにくるくるまわり、僕を脅かしていく。真っ白な息が生暖かくて、遥か遠いときが思われるようだ。

海の見える緩やかな丘陵。おそらく子供たちの笹舟は、幾筋もの流れの果てにここへたどりつくのだろう。それぞれの思いを抱いて。常緑の木々は、雪の舞う中にあって美しい。雪が溶ければ、その雫を受けて光り輝く。子供たちもまたそうだろう。動物広場の生き物に春を見つけ、遊園バスの新しい匂いをかぎ、空に続く坂道を息はずませて登るとき、君たちは、ゆっくり明日へ駆けていく。

夕日が丘の汽車が汽笛をあげている。雪の舞う日の汽笛はどこか寂しくて、落日の香りが漂いはじめると、もうすっかり僕の目の位置は低くなる。子供たちはこんなときには、数限りない色とりどりの風船を雪曇の向こうへ飛ばすのだろうか。

山茶花の花が盛りである。子供たちは、僕の手繰る糸を切って遥かな国へ向かう。そして、落ちついた足どりで新しい季節を捜し、手馴れた速さで暦を捲る。子供たちは、いつもすこやかだ。山茶花の花のように誇らしげに咲いて、頬を赤く染めていく。僕はといえば、子供たちから遥か離れて、記憶の底に舞い降りる雪をただ、見つめるばかりである。



2006.01.15(San)
川柳七句

これきりと別れの雪が降り急ぐ

スケッチの旅にいちにち早い雨

定年を告げる鼓笛が鳴りやまず

いたわりを多く貰った再雇用

燗冷めて見果てぬ夢が遠ざかる

落書きを消すと哀しいカレンダー

少年の目にまだ続く汽車がある



2006.01.08(San)
三河自慢

新聞を捲ると、“わたしの三河自慢大募集”の文字が目に飛び込んできた。
活字の隣に、三河地方の景色がアルバムのように細かに配されている。
紅葉の香嵐渓や八丁味噌の蔵、隣は東栄町の花祭だろう、赤鬼の姿が写し出されている。
岡崎城、蒲郡のシンボル竹島、安城七夕、岡崎の花火大会、おいでん祭り、豊橋の市電。
三谷まつりの風景は、海の中を颯爽と山車が渡っていく。

おかげさまで中日新聞は本年120周年を迎えることとなりました。
そこでご愛読いただいております読者の皆様からお国自慢を募集します。

そうか、中日新聞は120歳になるんだ。
長く生きるというのは辛いことだが、いろいろ知れる喜びもあるのだろう。
三河自慢と問われたら何と答えようか?地元高浜でいうなら何だろう。
“鬼みち”では知名度に欠けるし、“三州陶器瓦”では少し味気ない気がする。
“三河湾”というのがその思いに近いが、率直に“海”というのがいいかも知れない。
なにせ海にいだかれ、海に癒された青春の日々はやはり忘れられない。
この1年、こんなことを考えてもいいじゃないかと思う。
来し方を帯紐のように手繰り寄せてみるのも悪くない。
さて、“わたしの三河自慢”は何になるのだろうか?


本光寺の椿

     本光寺はこちら 
http://www.town.kota.aichi.jp/2midokoro/honkouji/honkouji.htm



2005.12.31(Sat)
新玉の・・・

大雪から一転して暖かい日が続いている。少し歩けばうっすらと汗をかく。
冬は晴天が何よりだ。青い空を見つめていると心の藻がはじける。
山茶花の花が盛りである。山茶花の他に寒さを彩るものがないのは淋しいが、冬の陽射しが乾いた心を慰めてくれる。どこまでもいい天気だ。
何をやるでもない大つごもりに清らかな心でいられる。
そんな気がするだけで幸せなのだろう。

各地では、初詣の準備に余念がない。どこも新しい年を迎えるうれしさで満ちている。
岡崎の龍城(たつき)神社ではうさぎ汁の振る舞いがあるらしい。
その昔、徳川家康の祖先が関東から三河に移動する途中、信州の山里に立ち寄りうさぎ汁でもてなされたことから、江戸城では正月にうさぎ汁を食べる風習があったという。
この風習を受け継ぎ、龍城神社では、年明けとともにうさぎ汁の振る舞いをしている。

一畑山薬師寺、岩津天満宮、大樹寺、真福寺などの神社仏閣が紙上に名を連ねている。
お参りすれば誰も胸の痞えが取れるだろう。手を合わせるだけで人は救われるのか?
新玉はきっといい年になる。善男善女は皆、そう信じている。

  うさぎ汁振る舞う僕のかぐや姫       比呂志



2005.12.25(San)
記憶のなかの雪

先週は久しぶりの大雪となった。
気象台が、12月としては記録的な積雪と言うように、寒い冬である。
しかし、子供たちはこの地にめったに降らない雪を見て、大はしゃぎしていた。
毛糸の手袋を水浸しにして、雪合戦や雪だるまづくりに夢中。
頬の赤さはあの頃の少年少女と少しも変わりがない。

思い出される雪がある。

1つは、小学校の入学式のとき。
東京オリンピックの翌年で、高度経済成長の扉が開かれたとはいえ、その時分の児童はまだ貧しい壁紙をランドセルのように背負っていた。
ピカピカの1年生というフレーズもなく、ザラザラのイメージがあった。
4月にしては珍しく雪が降った。みぞれまじりの雪だった。
これは、高学年になったとき、そのときの担任の女性から聞いて知った。
幼い記憶は心の奥底にそっくり埋もれてしまっていたのである。
入学式の日、担任はみぞれまじりの雪の中、傘を差さずに歩く少女に自分の傘を手渡したのだった。

もう1つは、詩を書いていた時分。
当時のすみかは、石神井公園から近い東京都練馬区高野台のグリーンハウス。
朽ち果てた学生アパートの周りには武蔵野の名残をとどめた高い欅の木がいくつもあった。
裸の木々を粧うように雪がしんしんと降り積もった。
東京では記録的な降雪量だった。これは1月の雪だった。
2ヶ月前に勤めをなくし、故郷から掃きだされた身には、雪の積もる景色は淋しすぎた。

心の襞に刻まれるものは、剥がしても剥がし切れない果てしなく降りしきる雪である。
記憶のなかの雪は、子供たちがつくり続ける雪だるまのように、永遠にある。
そして21世紀の雪だるまは、20世紀のそれと少しも変わりがない。



2005.12.18(San)
人はみな大河の一滴

目覚めれば外が底抜けに明るい。洗面器に光を集めたような明るさは、雪のせいである。
夜半からの冷えが雪をもたらしたのだった。近くの湯山公園を散歩する。
冬の公園を木枯らしが過ぎていく。ここ数日の間に木々の葉がほとんど風に落ちた。
ひゅるると頬を打つ風は冷たいが、どうして空はこんなに青いのだろう。

所々雪の残る芝の上で三男とキャッチボールをする。
手がかじかんでうまくボールが投げられない。
手袋を使うとこれまたボールがうまく投げられない。
皮膚とボールの相性を確かめるようにゆっくりとボールを放る。
空の高みへボールは消えていくが、すぐにボールは息子のグラブに納まっていく。
一時放たれた記憶はそうして現実に戻ってしまうのだろう。

人間は「生きている」ただそれだけで値打ちがあると思うのです。

「大河の一滴」「人生の目的」などを著した五木寛之さんが言っている。
生きていくということは辛いことである、矛盾に満ちたことである─こういう風にしっかり覚悟を決めて、そこから出発する方が、むしろ生きていく上でちゃんとした手応えがあるんじゃないか、と。

人間の生き方を、まるで天丼か何かのように、特とか上とか並とかと分けるわけにはいきません。人間は生きている、ということにまず一番目の値打ちがあるのであって、生きている間に何を成し遂げたか、どのような人生を送ったかということは、二番目三番目の問題として考えていいのじゃないか、というふうに私は思っています。

ボールが高みからゆっくり落ちてくる。
青い空から流れるおびただしい時間がときに風に抗い、ときに風と戯れる。
その戯れの中に私たちは枯葉のように舞っている。
葉を落とし終えた木々の中にも緩やかに時間が流れていく。



2005.12.10(Sat)
川柳七句

生きている うまい芝居を見て帰る

良い顔の人に出逢った良い街で

涙もろくて水の扉が開けられぬ

絵の中にひゅるると入る午後の風

抽出を開ければきっと父に会う

生きる意味問うたあいつと酔っている

向かい風薄目開ければ君といる



2005.12.06(Tue)
立川談志

立川談志が世相を斬る!相変わらずいいねえ、談志は。

どんな風に斬っているかはこうご期待。最近のものをいくつか並べてみる。

最近、テレビを見てね、いいのを見たんですよ」。
なんと、家元のおメガネにかなった番組があったんですか?
「26歳で当選したっていう杉村ってヤツね。議員の年収が2000万もらえるだの、電車がタダで乗れるのだの。さわやかなんだ、こいつ。いいんですよ。こういう人間はいいことやりますよ。それが議員らしくしろと。もう自民党なんて辞めちゃえよ。おい、俺ンところに相談に来い!」。(2005.10.04


「阪神タイガース、優勝。道頓堀に飛び込めない。飛び込ませりゃいいじゃないですかね、どんどん」。なんだかそういう伝統的な文化というか習性というか、最近はずいぶん消えていっていますね。「東京のジャイアンツ、大阪のタイガースって言うけど、経済の規模はゼンゼン違うね。10とすると、向こうが3くらいだな。そういうところのタイガースが主流になって、プロ野球はもつのかね」。(2005.10.11)

「仕事ってのは、大地と戦うとか、大海原と戦うってのを言うんじゃないんですか?自分の肉体の労働で得るカネが一番大事なんだよ」。
景気回復と言われているが、そんな実感はない人がほとんどの、数字だけの回復。
数字が上下するだけで儲けることができる、現代のマネーゲームのような金融システムを家元は怒りもあらわに「下品!」と一刀両断。

「そんなのが仕事って言えるんかい!」。(2005.11.22)

「欠陥住宅。手抜きで安く作ったわけでしょ」。手抜き工事、確かにやってはいけない。
けど、世の中にはそんなものはいくらでもあると断言する家元。
「当人にとってみればたまったもんじゃない。けどね、ニュースを見てるヤツは面白がってるだけですよ。震度4とか5で潰れるなら、俺は住んじゃうね。震度3だとさすがに住まないけど。
ええ? グラグラっときた? おおーい、大丈夫かーい ! ?」(2005.11.29)

    談志世相講談 http://kodansha.cplaza.ne.jp/danshi/



2005.11.29(Tue)
北原白秋

「北原白秋詩集」を見ている。
“読む”ではなく、“見る”とは妙な言い方だが、角川特有の叙情が売りなのか、詩集には詩とともにカラー写真が随所に配されている。
白秋が育った柳川の河掘や筑後川の夕焼け、そして港を望むオランダ坂。
オレンジ色に輝くレンガ造りの建物が、柔らかな日常を伝えている。

空に真赤な雲のいろ。
玻璃(はり)に真赤な酒のいろ。
なんでこの身が悲しかろ。
空に真赤な雲のいろ。                            (空に真赤な)

わが友はいづこにありや。
晩秋(おそあき)の入日の赤さ、さみしらにひとり眺めて、
掻いさぐるピアノの鍵の現(うつつ)なき高音のはしり、
かくてはや、独身(ひとりみ)の独身の今日も過ぎゆく。        (断章二十二)

忘れたる、
忘れたるにはあらねども・・・・・・
ゆかしとも、恋しともなきその人の
なになればふともかなしく、
今日の日の薄暮(くれがた)のなにかさは青くかなしき。
忘れたる、
忘れたるにはあらねども・・・・・・                      (断章三十九)

あの頃、白秋の詩を意味も分からず口ずさんでいた。
飴が舌先に溶けるように、五七調の軽快なリズムが体に馴染んでいた。
そんな遠い景色が、木々の梢を離れる枯葉のように落ちていく。
きっと大切な何かを、入日のこぼれる雑木林の中に置き忘れてきたのだろう。

少年の手から離れた風船が夕陽の街に沈んでいくように、晩秋の柔らかな日差しが長い影をこしらえて坂道を下りていく。その確かな影絵を今日は誰が踏んだだろうか?
立ち止まる人々の群れにさよならを告げて、そっと行ってしまう日常。
晩秋の暮れは、あの日の汽車のように鈍い汽笛をあげて過ぎていく。

少々北原白秋がノリウツッタ・・・。



2005.11.19(Sat)
風に柳

「頑張らない、努力しない、必死にならない。“風に柳”のように生きたい」
と、落語家・柳家花禄さんが語っています。
花禄さんは、人間国宝だった故柳家小さん師を祖父に持つ新進気鋭の真打ち。
94年、戦後最年少の22歳で真打ち昇進を果たした落語界の若手実力派です。
そんな花禄さんが、頑張らないとはなぜでしょうか?

「頑張る」は「我を張る」に由来します。だから頑張らないは怠慢ではなく、感謝するの意につながります。今を否定してよりよくなりたいと頑張るよりも、目の前の今を肯定して感謝する。身に付けばこの方が心の充足感は得やすく、ずっと幸せです。

なるほど、頑張らないというのは心の持ちようであって、常に気持ちをニュートラルに保ち、頑張ることにこだわらないということのようです。
無理せず、こだわらず、物事に一喜一憂しない強さを持ち、それを実践すること。
その生き方がまさに“風に柳”なのでしょう。
花禄落語が伸びやかなのは、こうした心の持ちようがあるからです。
何事も気取らず、素のままがいい。

しかし、悲しいかな、それが凡人には難しい。
とすれば、ちょっとだけ頑張る、で生きていくのがいいのでしょうか?



2005.11.12(Sat)
川柳七句

生きるとは何と哀しいパンの耳

はんぺんにがんも 恋する日は曇り

湯豆腐の湯を切る忘れかけた雪

パン齧るそっと海鳴り聴いている

人はみな淋しさ煮込むぼたん鍋

寄せ鍋に人恋しさを埋めていく

パンの耳齧る月からきた兎



2005.11.06(San)
秋と冬の綱引き

秋と冬が綱引きする季節となった。
日本晴れで汗が少々滲む日もあれば、風が体中を凍てつかせる寒い日もある。
三寒四温とは逆の“三温四寒”という頃合いなのだろう。
そして、熱燗が恋しい時期である。
徳利とお猪口が居間につどうたたずまいが、疲れた身体を癒してくれる。
窓辺に置かれた一輪挿しには、小菊が奥ゆかしい彩りを添えている。

今日は少し小雨の中、安城市のデンパークを歩いた。
園内に咲き乱れる秋の花が小雨に濡れていた。
春の雨なら花も生き生きして見えるが、秋雨は花をひどく哀しく見せる。
本当はそんなことはないのだが、見る人の気持ちは花々の実際を変えていく。

霜月は人が少しだけ振り返る季節かも知れない。
師走になればやり残した仕事を片付けるのに精一杯で、来年に繋げる算段もしなければならないが、霜月は今日までの来し方を振り返り、残っている一月の行き方を示していくのだろう。
年中冷酒の身には、熱燗のうまさはわからないが、温かさを求めていくのは自然だろう。
そういえば、ワインをお湯で割って飲むという人の話を聞いた。
アルコールに弱い人は、そのぐらいが丁度いいのかも知れない。
アルコールとお湯で体を温めて、身体をほぐして眠ってしまえば、浮世の憂さは晴れるだろうか?来し方を振り返るとともに、酒の飲み方を考えるのもこの時期にはいい。

秋が冬と綱引きする季節。今日は少々冬が強くて寒いが、明日はどうだろうか?
デンパークの花々が寒さに震えていてはかわいそうな気がするが、寒い季節は花々をも強くしていくのだろう。人が熱燗を飲むように、花にも体を温める術があるのだろうか?



2005.10.29(Sat)
世の中ついでに生きてたい

「世の中ついでに生きてたい」(河出書房新社)の書籍案内を最近、新聞紙上でよく見かける。
“重版出来”と記されているところを見ると、多くの人に読まれているのだろう。
案内文には、こう記されている。

「先年亡くなった、志ん朝師匠の対談集。自分の落語、芸談、父志ん生のことなど。お相手は兄・馬生、山藤章二、池田弥三郎、池波正太郎、林家こぶ平、中村勘九郎、江國滋の落語通の皆さん達」

そうか、志ん朝師が生前こんな本を出していたのか。
落語には、“世の中をついでに生きている”というフレーズがよく出てくる。
八っあん、熊さん、与太郎、横丁のご隠居さんたちを称して、毒にも薬にもならず、世の中をただふわふわ、ついでに生きている、のだと。
そんな落語の主人公を温かい眼で見つめ、木漏れ日のような愛情を注いでいたのだろう。
志ん朝師の落語を聴くとそれがよくわかる。

志ん朝師の兄・馬生師は早くして他界したが、先年弟子の馬治が馬生を襲名した。
高座から見られる粋で鯔背な新・馬生の普段着の一席を。

一門の真打の挨拶回りに担ぎ出されて、運転手になった馬治。
西日暮里の交差点で無理な追い越しをして、警察官に捕まった。
馬治、車を飛び降りていきなり道路に土下座。
「スミマセン。悪うございました!もうしません!」
止めたお巡りさん回りをはばかることしきり。
「君、手を上げたまえ、いいから、判った・・・・・・早く行きなさい」
「ありがとうございます!このご恩は・・・一生・・・・・・」
無事スタートの馬治の車、次のユーターン禁止でグルリとまわる。
同乗の新真打、志ん五と駒八改め吉原朝馬の二人、
「おい大丈夫かよ!」
「兄さんまたあの手がありますよ・・・・・・」



2005.10.23(San)
仕方なく・・・

街中の瑞々しい緑が少しずつ赤味、黄味を帯びていく。
紅葉にはまだ少し早いが、木々も冬への身支度を始めようとしている。
人々のいでたちも薄着から被服が重ねられ、やがて厚手に変わっていく。
ぼやけた景色がくっきりと輪郭をあらわにしていく。
季節の変わり目は、人と木々への観察でいち早く捉えることができる。

高浜文協祭が昨日今日と行われた。
会員展に川柳の色紙を出品した。
家人の切手文字で描かれた川柳は、何となく品がいい。
秋から冬へ向かっていく風の切ない“いのち”のようなものが感じられる。
川柳のデキは大したことはないが、形が中身を作っていくのだろうか?

   仕方なく飲んでる月は笑ってる          比呂志

仕方なく飲むんだよなぁ、男も女も大人になれば。
切なくて、空しくて、飲まねばならない秋の夜があって、仕方なく飲んでいる。
それを見て、きっと月の兎は笑っているのだろう。

かつての映画、「ローマの休日」の一場面に、宮廷を抜け出した女王(ヘプバーン)と彼女を救けて安アパートに泊めた新聞記者(クレゴリーベック)とのこんな会話がある。

「こんな暮らしが本当に楽しいの?」
「仕方なくしていることだってあるんだ!」

仕方なく・・・か。いい言葉だ。
冷たくなった風がより感傷的にさせていく。



2005.10.16(San)
海の貴婦人

高浜市碧海町の衣浦港高浜埠頭に、世界最大級の練習帆船「日本丸」がお目見えした。
さすがに“太平洋の白鳥”、“海の貴婦人”と呼ばれるだけあって、セールドリル(操帆訓練)後の姿は、ドレスアップした貴婦人を思わせる。
雪原の滑走に似て、大海原を颯爽と滑る姿が目に浮かぶ。
今日は、「たかはま名物・じまん市」と重なり、多くの人出があった。
地場産業や食、文化など高浜市のさまざまなジャンルの自慢が、貴婦人の前に勢ぞろいし、その“技”を競い合っていた。

7月末に行われた漕艇競技・レガッタもこの埠頭が会場だった。
それ以来、高浜埠頭はちょっとした庭のような感覚でいる。
こうした海原が近くにあることは本当にありがたいことだ。
思春期の青少年が、破れた恋で泣くのはやはり海が似合うだろうから。
もっとも近頃の若者はそんなセンチではないか?
後に引きずらないというのなら、ドライもいいのかもしれない。

“海の貴婦人”は明日午後に出港する。
多くの泣き笑いが衣浦湾の雫となり、しばらく漂うことになるだろう。


日本丸の雄姿



2005.10.08(Sat)
川柳七句

雨ざんざ地球の音を聞いている

時刻表 風が手のひら返すとき

住みなれた月の兎が笑ってる

名月に胸の汚れを見透かされ

仕方なく飲んでる月は笑ってる

縁台の酒ぬるくなる十三夜

花のあるぬるい世間に酔いしれる



2005.10.03(Mon)
どこからともなく

土曜日、長男の通う専門学校の保護者会があった。
名鉄本線に乗り、その人出の多さに久しぶりに触れた。
車内で持参の本にじっと目を落としている長男。
車内には、どこからともなく集まって、一時を同じ場所で過ごすいろいろな人がいる。
そこには、人を観察できる格好の場が与えられている。

落語家の柳家さん喬師が、かつてこんなことを言っていた。

「アタシは、人の動きをジーッと見ているのが好きなんです。
それで、ただ漠然と見ているうちに、いつの間にかひとりの動きを追うようになる。
それで、あの人はどういう人なのだろうか。
なぜあんな歩き方をしているのだろうか・・・・・・なんて考えたりしましてね。
口だけでしゃべっていてはなかなか人間を表現できません。
いい勉強だと思っているんです。

とくにデパートがよいですね。人間を見るのは・・・・・・。
なんたってあそこには人間社会の縮図がありますから。
この前もね、おじいさんが食糧品売り場でソバつゆを買っていまして、アタシ想像をめぐらしたんです。ひとりぐらしなんだろうか。それとも優しい嫁さんにソバを食べさせてもらおうというのだろうか。きっとソバが大好物なんですね。レジに並んでいる顔がとても嬉しそうでしたから。
それを見ていてアタシまで嬉しくなってきちゃいましたよ」

神宮前で下車し、線路沿いを二人でしばらく歩いた。
保護者会の時間までまだいくらかあるので、学校前の回転寿司で昼食。
ここでも、どこからともなく集まった多くの人が同じ場所で一時を過ごす。

一期一会。
人が生きるということは、さまざまな人と関わることだ。
それが解かるのは、ずっと先のことだろうが、どんな出会いでも大切にするといい。
それが活きる日がきっとあるだろうから・・・。



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