あおみ労務事務所
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「晴耕雨読」という言葉を、今しみじみ味わっています。
「晴れた日には畑を耕し、雨の日には読書する」すこぶる人間らしい気がします。
宮澤賢治が「雨ニモマケズ 風ニモマケズ・・・」と手帳に記したように、このページでは、心に浮かぶままの考え・感想や日常での出来事、変わりゆく景色などを、詩やエッセイなどの形で、気軽に綴っていきます。
2007.06.23(Sat)
ホタルの乱舞

愛知県最大の自然湖「油ヶ渕」の北岸に位置する、「油ヶ渕花しょうぶ園」の“花しょうぶ”の見頃がまもなく終わる。今年は仕事の合間を縫って昼1度、夜に2度行った。

夜の目当ては、花しょうぶではなくて、ホタル。花しょうぶ園の南端のこじんまりとした小屋のせせらぎに棲む500匹にも及ぶホタルたちが、夜の帳が下りるや一斉に乱舞。

「フッチーほたるの会」の会員さんが、手塩にかけたホタルの乱舞は、どんなにうれしいものか想像するだけで胸が熱くなる。小屋の前には、夜毎、長蛇の列ができている。

花しょうぶも長い積み重ねで、今の形が出き上がった。蓮如さんもさぞかし墓の中で喜んでいるだろう。長い歴史を負った「応仁寺」の大銀杏が、夏至の日差しに生き生きとしていた。

  やわらかき闇を切り行く蛍かな           柳家小三治



ヒメボタルの乱舞



2007.06.17(San)
ほのぼの君

4コマ漫画「ほのぼの君」が最終回を迎えてから3カ月が過ぎた。
中日新聞・朝刊には、今は「ほのぼの君」の傑作選が掲載されている。

37年、通算約13000回の連載は、日本の新聞史上最長記録。
世界でもスヌーピーの50年に続く記録とか。

最後の1コマは、夕日に向かって歩いているりきまるの背中越し、「さよならだけが人生さ・・・」。唐の詩人、于武陵(うぶりょう)の五言絶句「勧酒」を井伏鱒二が名訳。

 このさかずきを受けてくれ/どうぞなみなみつがしておくれ
 はなにあらしのたとえもあるぞ /「さよなら」だけが人生だ

「さよなら」だけが人生・・・。そうかもしれないナ。
あぁ、「ほのぼの君」の登場人物が懐かしい。

 ・人生の司会者ほのぼの君
 ・雪月花をめでるたらちね君 
 ・考える犬ロダン君 
 ・女の弱点をすべて兼ね備えた強き者・その名はおとめちゃん 
 ・宇宙の根源をメカニズムの見地から追求するびゅう太君 
 ・都会的なセンスを持ったワンパク者りきまる君

今日の新聞では、「ほのぼの君」の後釜には、「ちびまる子ちゃん」が決定したようだ。
こちらもお馴染みのキャラクター、「ほのぼの君」同様、贔屓にしよう!



2007.06.09(Sat)
川柳七句

推敲まだできず昨日の道をゆく

病む人の影が昨日へ逃げたがる

老残にネオンの街がまだ眩し

いのち短し癖もだんだん痩せてくる

落ち込んだ一日達磨になっている

何事もなかったような鈴になれ

恩讐の彼方見てきたブーメラン



2007.06.03(San)
稗田川のスケッチ

女子ゴルフのテレビ中継に合わせて、久しぶりに稗田川沿いを散策。
胸元まで雑草が丈を伸ばしていて、何だか草に埋もれてしまうような心地。

ゴルファーもこんな気持ちを抱いて、ラフから球を打つのだろうか?子どもの頃は、草の上に寝そべって遊んだものだが、今では心も体も“自然”から遠ざかっている。

そうか、子どもがそうなんだ。今の子は、“自然”という宝物の存在を教わらないから、季節の風を追ったり、柔らかな草々に寝そべって、空の青みに描かれた飛行機雲を見たりはしない。

それは仕方のないことだが、“もったいない”話だ。もっと自然と触れ合えばいいのに・・・。
そんなことを思う大人から、「泥んこ教室」という名案が出されたのだろうか?

わが学区では、泥田の中で子どもたちが、ひぐらし泥だらけになるという、大変な課外授業が出現した。何もそこまでしなくっても・・・・・・どうも大人の発想は極端だ。

自然に触れ合うことは、実は何でもないことで、川面に太陽の光が反射してキラキラ光る様子を見たり、川の対岸まで小石を投げたり、ときには川の流れをスケッチすることなのだ。

それが自然との対話で、初夏の苺を摘むことでどれだけ心が洗われるか。
苺をジャムにしてトーストに塗って食べると、どれほど心が満たされるか。

久しぶりの稗田川の散策。ちくちくと穂麦の先で手をつつかれる。
女子ゴルフはどんな結末になるのだろうか?そちらの方が気がかりだ!



2007.05.27(San)
怒りの人

エッセイスト・飛鳥圭介さんは怒りの人である。
不正に対する憤りはもちろん、納得のいかないことには、容赦なく怒りを投げつける。

その一所懸命さに、ついつい感動してしまう。
物分りが良いのは、もしかしていけないことでは・・・?

今朝の中日新聞・サンデー版から、飛鳥さんの一席。

日本のさまざまな地方を有名人が訪ねるテレビ番組の一つで、ある田舎を訪れた元新聞記者でタレントの某氏がこう口走ったのを、おじさんは聞き逃さなかった。

「やっぱり人間はこういうところにすまなきゃダメだ。コンクリートの中でひしめき合って暮らすなんて、人間の暮らしじゃないよ。本当の人間の生活がここにある」

じゃあ聞くけど、あんたは現在の都会のコンクリートの暮らしを捨て、<本当の人間の生活>のある田舎暮らしをするのか、しないだろう、いや、できないでしょ!

何をもって<本当の人間の生活>というのか。自然に恵まれているから<本当>で、人工的な都市に暮らすのは<偽>だというのか。

コンクリートの中でひしめき合って暮らす人間だって、喜怒哀楽に彩られた<本当の人間の生活>はちゃんとあるじゃないか。

こういう<旅人>の無責任な発言には、無性に腹が立つ。この男に限らず、テレビのコメンテーターと称する<旅人>の無責任な感想の垂れ流しは、おじさんの神経を逆なでするばかりだ。



2007.05.20(San)
落語鑑賞ノート其の3

女流噺家・川柳つくしが何となく気になる存在だ。
古典と新作の両刀遣いだが、特にOLを風刺した新作がいい。

明るくて、口跡が良くて、ちょっぴり美人なところが“つくし”の魅力だが、師匠・川柳川柳(かわやなぎせんりゅう)の存在が気にかかる。つくしの背後霊となって暴れたりはしないか?

川柳師が弟子を取ったと聞いた時は少々びっくりしたが、それが女性だと知った時はなおびっくりし、つくしの顔を見たときはびっくりが一際大きくなった。

川柳師のエピソードをひとつ。こんな師匠でいいのかなぁ・・・。
住み込みの前座時代、ヘベレケに酔って寝床に入ったが、夜中にウンコがしたくなった。

本人はトイレへ向かったつもりだが、酔っているので、玄関で尻をまくったのも判らない。
早朝、フンドシをしてないことから、記憶がもどり愕然。

玄関のウンコをそっと掃除していると、奥で目をさました円生が「オーイ」。
「ご用ですか」と駆けつけると、「おまえかい、あたしの机の上にフンドシを置いたのは」

話が逸れたが、つくしの「年下の男の子」。面白おかしく聞かせてもらった。下はあらすじ。

 恋愛下手の女、合コンで知り合った年下の男の子とデートをすることになったものの、彼との
 年齢差に不安を抱えていた。幸いにして、まだ歳がばれていないため後輩の詩織と年齢差を
 隠し続けるための対策を練る。そして、万全の状態でデートに臨むが……。

つくしには、「女はつらいよ」「真夜中は別の顔」「彼」「会社へ行こう」などの新作ネタがある様子。今後の彼女に乞うご期待!

   落語協会ホームページは   
http://www.rakugo-kyokai.or.jp/Profiles.aspx



2007.05.13(San)
川柳七句

凡庸を癒しにポストまで歩く

敗残の五月は飢えもなく過ぎる

青空を見ているうちに傷が癒え

鮮やかな手が折りあげる紙兜

原色図鑑に人間だけ色がない

青鬼赤鬼がいて世間が染め上がる

凡人がやっぱりいいと酒すする



2007.05.06(San)
二月堂・裏参道

金、土曜日は奈良の古寺を散策。と言っても、一人旅ではなく、家族揃い踏みの旅行。
5月の連休は、ほぼ恒例の家族旅行。子供の成長は早いから、いつまで続くのやら。

散策の初っ端は、興福寺。JR奈良駅から続く、軒に土産物屋が点在する石畳を歩くこと十数分、猿沢の池の北側に位置するのが興福寺で、国宝・阿修羅像はつとに有名。

藤原鎌足の病気平癒のため、夫人の鏡大王が京都山科の私邸に建立したのが最初のようで、その後息子の不比等(ふひと)が現在地に移築し、興福寺と改名、藤原氏の菩提寺となる。

何たる夫孝行、親孝行。こうした逸話は感動に値する。興福寺の三重塔、五重塔の下で記念写真をパシャリ、家族の夫、親孝行が叶いますように・・・。

さて、次はお決まりの東大寺。運慶、快慶作・金剛力士像が睨みつける南大門を抜けて大仏殿へ。奈良の大仏を尻目に、気持ちはすでに正倉院や二月堂の方へ行っている。

正倉院は、この日休院。校倉造の宝庫が見られなくて、少々がっかりしたが、二月堂は良かった。裏参道の石畳はとても絵になる場所で、いつも日曜画家がスケッチブック片手に出没する。

下は、「大和絵はがきスケッチ」で有名な森成司さんの二月堂・裏参道の絵。
坂道の趣が余すところなく描かれている。こんな秀逸な絵が描けたらいいのに・・・。

土曜日は、西ノ京にたたずむ薬師寺、唐招提寺と斑鳩の里・法隆寺。
法隆寺は、五重塔を遠目に眺めて時間切れとなり、宿題を残したような気持ちになった。

しかし、薬師寺の法話は修行僧のユーモアに包まれ、唐招提寺には鑑真の花・瓊花(けいか)に小手毬のような可憐さがあって、いずれも味わい深かった。

駆け足でまわった奈良散策だったが、いくつも胸に沁みいるものがあった。
帰路、奈良駅で買った銘酒「春鹿」。心に沁みいるように、今夜も飲もう!



二月堂・裏参道 森成司さん提供

    「大和絵はがきスケッチ」はこちらから  
http://www4.kcn.ne.jp/~moris/ 



2007.04.29(San)
空への案内人

昼の食事の買出しに、三男坊と近くのマクドナルドへ歩いて行った。
よく晴れた休日は、息を吸っても、吐いても気持ちがいい。

身体が風船のように軽くなり、どこかへ飛んで行ってしまいそうだ。もし飛んで行けるとしたら、中部公園の長い長い滑り台のように、しばらく空への案内人になってしまうのもいい。

新緑が美しい。樹々を装う黄緑色が眩しい。この季節の樹々は多くの酸素を体内から放出していて、まわりで憩う人々にどれだけの活力を与えているのだろう。

それなのに、人はあまりにそっけない素振りで、自分たちだけのことに夢中になっている。
周りを顧みないのは、それだけ自分の幸せに没頭しているのだろう。

 揺れなさいやがて大樹になる若木         林イサム

空への案内人となった父子は、風に悠然と泳ぐ鯉幟と少し立ち話をして、それから風の流れに身をまかせて、どんどん小さくなっていく。

まだ雪の残るどこか小高い峰まで、行けたらいい。



2007.04.14(Sat)
川柳七句

狂い咲き老いの反乱かも知れぬ

万華鏡老いのかけらを封じ込む

鈍行で見つけた花に名を付ける

すれ違うバスに海からきた匂い

転校の少女と一緒に来たさくら

凡人がいちばんきれいに描かれる

失念のきまり悪さで生きている



2007.04.07(Sat)
気分はビートルズ

浅井愼平著「気分はビートルズ」のページを捲ると、そこには乾いた風が吹いていた。
風が砂塵を巻き上げ、根こそぎにされたニガヨモギを吹き飛ばしていた。

例えば、こんな文章が紙面に覆われている。

「ロサンジェルスではコカ・コーラよりペプシが多く飲まれている。これは販売ルートや経済構造の問題なのだろうが、ぼくには、それだけではないように思える。

コカ・コーラはペプシに比べてイメージが重い。コカ・コーラのコマーシャルやボトルには、どこか古いモラルがついている。コカ・コーラはアンティックになってしまった。

ぼくはカリフォルニアでマールボロを吸う。マールボロはソフト・パッケージでなくてはだめだ。ネイティヴなカウボーイは、くしゃくしゃのマールボロにオイル・ライターで火をつけなければサマにならない。

ハード・パッケージではイメージが重くなってしまう。日本で売られているマールボロがハード・パッケージだということは、<やっぱり>って感じだ」

いいな、いいな。電流に触れたようにすぐに痺れてしまった。

「グレイハウンドバスの運転手がコーヒーブレイクするとお客は社内で待っているんだとさ」には、グレイハウンドの運転手の威厳が書かれている。

真夜中にハイウエイを走っていると、突然、運転手は眠気覚ましのコーヒーを飲むために、わきの暗い露地に入っていき、深夜営業のカフェの前でバスを停める。この間15分くらい、客は社内でじっと待っていなくてはいけない。

紙面全体に漂っているのは、広大な台地に流れるさわやかさと大らかさ。
それがない日本は、<やっぱり>島国なのだ!



2007.04.01(San)
春を描けば・・・

花の時期。花の名勝は、どこも飲めや歌えの賑やかさだろう。
岡崎城の桜や亀城公園の桜、洲原公園の桜・・・この地域の花の景勝が頭をよぎる。

地元・大山緑地公園の桜はどうだろう。大方の予想に反してソメイヨシノは開花を遅らせたが、それでも例年よりは早いのだろうか?

花の時期は、新しいものへの期待と不安が交錯する季節。
期待と不安が入り混じっているからこそ、人は鮮度を保っていける。

朝早くから、妻と三男坊は東山動植物園へ出かけた。何を見に行くのやら。
長女は、専門学校の入学式を控えて、名古屋のアパートへ引越しの準備。

長男の机の上には、小さな折鶴が山積みにされている。日を重ねるごとに折鶴も重ねられた。
明日は入社式。言い知れぬ不安が折鶴を折らしたのだろう。

春を絵に描けばどんなふうになる?それぞれの思いが、それぞれの絵を描かせるだろう。
こんな絵が描けたらいいな、というのを一枚。

青を基調にした色彩が懐かしいのはなぜだろう?



横山昌弘氏 提供



2007.03.25(San)
春爛漫

昨日の雨から一転、透き通るような青空となった。
鯉幟を上げるにはちょうど良い頃合で、何だか気分が良い。

彼岸を過ぎて、何もかも新しい日がすぐそこに来ているように感じられる。
見頃は少し先だが、かつてない早さで開花予想を告げた花々も、体を持て余しているだろう。

昨日は、中小企業家の集いの総会。雨の中、会場まで名鉄、JR、シャトルバスを乗り継いだ。
総会の議長を打診されていたから、少々緊張の面持ちで会場入り。

総会会場は1200人ほど収容できる大ホールで、何をするんだろうねこんな大きな場所で。
出席者はその十分の一ほどなのだから。

アイプラザ岡崎の屋根をたたく雨の音。雨は、一年の忙しさを流してくれているのだろうか?
この一年、それなりの辛さがあったが、時はいつも辛さを置き去りにはしない。

懇親会では、地元・光ヶ丘女子高校の生徒さんが、清新で、躍動感溢れる創作ダンスを披露してくれた。全国大会で毎年上位入賞するそのパワーの裏に、どれだけの努力があるのか。

そんな思いはなしに、ダンスをダンスとして楽しむのがいいのに、ね。
そういえば、ダンスの師匠が今年からダンスを再開するようなことを言っていた。

透き通るような青空の下で、たまには思いっきり体を動かしてみようか!



2007.03.10(Sat)
川柳七句

蕗の薹さがす夫婦で今日を終え

それぞれに明日を探しに辞書を繰る

雪国の雪のいのちの音を聴く

バス停が生きる始まりかも知れぬ

自惚れをなくし彼岸の橋わたる

碁敵の暮らしを伝う盤にいる

バスを待つ明日はたぶん南風



2007.03.04(San)
終の住処はいずこ

窓を開けると、心地好い風が入ってくる。
いつもなら冷たいはずの風が、柔らかな温かさを頬に伝える。

それにしても、この温かさは異常だ。今日行った佐布里池の梅も、盛りを大分過ぎていた。
少し寒いところに、凛と咲いているという風情が、梅にはいいのにね。

春・・・なんだ。そういえば、朝刊に春の渥美半島が特集されていた。
常夏ならぬ“常春”とは言い得て妙である。これから渥美の多くの農園が始動するのか。

ずっと先の話だが、いずれ渥美に住みたいと思っている。
サンライズ、サンセットが見渡せる丘の上の住処で、ささやかな生を閉じたいと願っている。

雨ニモマケズ 風ニモマケズ・・・。だんだん、心が宮沢賢治に近づいてきた。

 野原ノ松ノ林ノ陰ノ 小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ

これがいいんだよ!小屋の中で、静かに焼酎のグラスを傾けている景が浮かぶ。
人はひとりでどれだけ生きていけるのか?そんなテーマを掲げてみるのもいい。

渥美の絵地図を眺めながら、こんなことを想像している自分が本当におかしい・・・。



2007.02.25(San)
落語鑑賞ノート其の2

ちょっといい噺家を見つけた。春風亭朝之助(しゅんぷうてい ちょうのすけ)。
(社)落語協会所属の二ツ目で、春風亭一朝師のお弟子さんだ。

朝之助さん、実は三月下席から、六代目春風亭柳朝で真打に昇進することが決定している。
歌舞伎の「こいつぁ春から縁起がいいわぇ」を地でいくような、新柳朝に乞うご期待!

さて、朝之助の「悋気の火の玉」。
おそらく一門の小朝師から習ったものだろうが、なかなか味わいがあった。
声のトーンがいい。落ち着いたモノクロのトーンが噺の世界に誘ってくれる。
枕のウィットに富んだ小話も、自分のものにしていて客受けがする。

万事、サービス精神旺盛の朝之助さんの「得意ネタ」「趣味」「自己PR」欄にはこんなふうに書かれている。

【得意ネタ】
うーん…(汗)。
得意というか?!登場人物に素直に感情移入できるネタの事でしょうか(笑)。
何だろう…?与太郎噺かな♪
そのまんまじゃねえかよ!(爆)。
楽しそうにしゃべっていれば、得意にしてるのかな?

【趣味】
◎銭湯めぐり(内湯はありますが、ほぼ毎日!江戸の黒湯につかって、フルーツ牛乳をプハーッ!!)
◎美しいものを愛し、感じ、ふれる♪(着物、美人、景色)
◎東急ハンズ(なんか買っちゃいます)
◎歴史探訪(有名人の墓めぐり、京都検定)
◎好物(麺類、坦々ごま鍋、焼肉、豆腐、しゃぶしゃぶ、オムライス、コーヒーetc)

【自己PR】
聴いているお客様の心をパッと明るく華やいだものにする元気の良いおしゃべりを得意としております!
歯切れの良い古典落語から結婚式・パーティー・イベントの司会まで遠慮なくご指名くださいませ♪
きっと損はさせません!お逢いできるのを楽しみにしてます。
夢のような楽しいひとときをみなさんに!!
「オレの噺を聞けえ〜♪」(笑)

この人きっと売れっ子になるだろう。
新柳朝がお茶の間を席巻する日は近いのでは・・・・・・。

   春風亭朝之助ホームページ 
  http://www7.ocn.ne.jp/~akinai/



2007.02.18(San)
川柳七句

空っぽの玩具箱から咲くさくら

いつかいつか風の尻尾を掴みたい

身をかくすお伽の国はないものか

病棟の子らが小さな幸を折る

退院で知ったやさしい春の風

散りぎわを教えてくれる寒ツバキ

おゝい雲 あすは他人になる別れ



2007.02.11(San)
自分ヲ利口ト思ウナ

学習院大学 落語研究会の部室に掲げてある「定」をメールで送っていただきました。
送り手は柳家喜多八師。柳家小三治師のお弟子さんで、巷では「小三治の懐刀」とも言われているとか。

この「定」、一目見て気に入りました。特に、「自分ヲ利口ト思ウナ」がよろしい。
下は、写真が読めない方のために。

     定

一.自分ヲ利口ト思ウナ

一.ソノ氣ニナルナ

一.発表毎に噺ヲ一ツ覚エロ

一.真面目ニヤレ

一.客ヲ帰スナ

 学習院大学 落語研究会
 昭和三八年十月





2007.02.03(Sat)
柄杓星

深夜、喉の渇きで目が覚めた。
昨夜は久しぶりに仲間たちと酒をやり過ぎたせいか、まだ気分がいい。

 酔いざめの水千両と値がきまり

古川柳を地でいくように、柄杓ならぬコップでたて続けに水を二杯飲んだ。

水の余韻を楽しみながら外に出てみると、月と星がきれいだ。
大寒の空に煌々と光を放っている。あれ、柄杓星じゃないか?

正式には北斗七星というのだろうが、その形から柄杓星とも呼ばれる。
少年の頃に聞いた話はどんなだったか、悲しい物語だったような気がするが・・・。

近頃では、プラネタリウムの室内が暗くなるとすぐ眠ってしまう。
情緒とか風流とかに無縁になったのかというとそうでもなく、星への興味がなくなったかというとそうでもないのだけれど、“不精”にならざるを得ない忙しさが背景にあるのだろう。

まぁ、こんな駄文を書いていられるうちは、まだいいか。
今日は節分。明日は立春。冬から春へ移り行くさまを、しばし眺めていようと思う。

 たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ        坪内稔典



2007.01.28(San)
ペコちゃんが特別住民?

例の原料期限切れ問題で、「不二家」が連日連夜ヤラレています。
それはそれで仕方のないことですが、不祥事が発覚してからの、マスコミや文化人と言われる方々の“不二家たたき”はちょっと異常な気がします。

そう思っていた矢先、不二家・埼玉工場のある新座市の須田市長が、不二家のキャラクター「ペコちゃん」を特別住民として登録することを提案しました。

市長は、「工場が閉鎖すれば雇用問題に直結する」として、工場の存続を要望。
その中で、ペコちゃんを「特別住民」にすることで「一体感が醸成され、市民にも不二家の再建に協力する意識が育つ」と説明したのです。

少しほっとしました。不二家にも、微かに灯りが見えてきたのではないでしょうか?
それにしても、さも悪人を見つけたように総たたきするマスコミは、嫌ですねぇ。
正義振ることは、恥ずかしいことのような気がします。

“不二家たたき”は、今の世相そのものを反映していて、いじめの構図もこれと同じではないでしょうか?嫌なやつを見つけて、寄ってたかっていじめているような・・・・・・。

そんな図から、かつての詩を思い出しました。詩集「姫」に収められている一遍。

 教師がいやになった/嫌いな子もたくさんいるのだ

 ひいきしたい子もいる/好きな子といっしょにいやな奴を苛めたいが

 もらるは/それをゆるさない
                                     (伊藤比呂美「さるすべり」)


   不二家問題 落語家・立川談志の意見   http://kodansha.cplaza.ne.jp/danshi/



2007.01.21(San)
忙しいことは不幸

宗教評論家・ひろさちやさんの「ほどほど人生論」(中日新聞連載)を読んでいる。
木々が春の風で芽吹くように、何だか“こころ”が温まる。

今月のテーマは、「忙しいのは不幸」。
冒頭、ひろさんは、エドワード・ニュートンの言葉を引用している。

 「幸福とは、どうでもよいことで忙しくしていることだ」

この言葉がよほど気に入ったのか、忙しいことの不幸を次のように語る。

 「“忙”という字がよくない。あれは心(りっしんべん)を亡くすと書く。忙しいということは、おま
 えは心を亡くしている、という意味なんです」

 「日本人は忙しいことを自慢にしているが、あれはおかしいですね。イタリア人に、“お忙しい
 ですね”と言えば、彼らは“ええ、不幸にして”と答えるそうです。なぜなら、忙しいのは生活費 
 を稼ぐために忙しいのであって、それは不幸なことです」

 「現在の日本で最高に幸せな人は、ひょっとしたらホームレスの人かもしれません。彼らは、
 自分ために使える時間をたっぷり持っているからです」

そういえば、仕事で名古屋駅前を通ったとき、ホームレスとおぼしき人が無心で将棋を指している光景に何度か出くわした。よくよく考えると、あんな幸せな図はない。

ニュートンが言うように、どうでもよいことで忙しくしていられるのは、うらやましい限りだ。
そんなことを考えながら、ひろさんを読んでいくと、哲学者・ディオゲネスのエピソードがあった。

古代ギリシアの哲学者のディオゲネスは自足の生活を送り、樽の中に住んでいた。(彼も一種のホームレスだった。)ある時、アレクサンドロス大王がやって来て、「望みがあれば申し出よ」と言葉をかけたとき、こう言ったという。

 「ちょっとどいてくれ。おまえがそこに立つと、わしが日陰になって困る」



2007.01.13(Sat)
川柳七句

軽トラにまだ青春が乗せてある

冬銀河賢い人はさびしがり

正信偈読むと芽吹いていくいのち

初雪がひたすら祈る掌に降りる

喉仏のあたり機運が満ちてくる

月光を浴びて前世がよみがえり

ぞっき本この身もやがて晒される



2007.01.07(San)
落語鑑賞ノート其の1

新年早々、落語を二席聞いた。
兼ねてから落語鑑賞の記録を残したいと思っていたが、これもいいチャンス。
読者の皆さんにはご災難だが、この項で、時折綴っていきたい。

 1月6日(土)、柳家小三治「うどん屋」(NHK教育テレビ「日本の話芸」)。

小三治を聞いたことがない人には、噺の枕は、「せりふを忘れたんじゃないか」と思わせるほどの間のとり方だ。本人も、「何を話そうか」とその場で考えている節がある。
それでも噺に入っていけば、芸の良さは折り紙つき。あの酔っ払いは俄かにはできない。

酒の飲めない芸人が、酔っ払いがうまいのは、観察眼のなせるワザ。
酒飲みではこうはいかない。観察する前にグズグズになってしまうからだろう。
ともあれ、小三治の「うどん屋」はあくまで自然体、ツクラレタ感じが全くしない。


 1月7日(日)、林家たい平「紙屑屋」(NHK総合「わがまま演芸会」)。

深夜、笑点の大喜利で馴染みのたい平の落語を初めて聞く。
小三治とは一味も二味も違う。メリハリがなく、話しが流れていき、耳に残らない。
声が小さいのは、うまく話そうとするせいか?しかし、噺の随処に工夫が見られる。

道楽者の若旦那が屑を選り分けるところに、「花火」を登場させたり、先代広沢虎造の「清水次郎長外伝・石松の金比羅代参」の声色を入れたり。
まだまだだが、明るい雰囲気は漂っている。いつか寄席で聞いてみたい。



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